其の七
夜が明けた。
巫女と人形は再び歩き出す。けれど、巫女の足取りは昨日までのものとは違っていた。
もうすぐ楽になれるのに足が重い。
それでも足は其処へ向かっている。
巫女の中で二つの想いがぶつかっている。
当初の考え通り、このまま町へと向かい、小さな小屋でも借りてこの人形を見世物にするのか。それとも――。
――それとも?
――一体何を考えているのだ。この子も言っていたではないか。母親はもう死んだと。ならば誰にも遠慮する事はないではないか。一人で彷徨い続けるよりもはるかにマシではないのか。それがこの子の為ではないのか。
必死に己の良心と戦う。
そんな時、再び人形が躓く。そして矢張り、着物の裾からは人のそれとは異なるものが見えている。
「またやってもうた・・・」
人形が起き上がり苦笑する。
巫女が立ち止まる。
巫女は視線を人形から外して遠くを見ている。
「・・・母さん、探しましょうか」
巫女が言った。
「・・・本当?」
人形が聞き返す。
「本当よ」
視線は変わらずに巫女が答えた。
何かもう、如何でも良くなった。何故だか判らないがこの人形を見ていると全てが如何でも良い様な気持ちになる。
自分はずっと自由だと思っていた。それだけが誇りだった。けれど、結局はそんな自分も所詮、人の枠の中で生きていたに過ぎない。人の枠の中で勝手に自由だと思っていただけなのではないだろうか。楽に稼ぎたかった金も、結局は人の枠の中で生きていく為に必要なのだ。
けれどこの人形は違う。
欲も物も知識も、何一つ持ってはいない。身に着けているのは袖の擦り切れた汚れた着物だけである。それ以外何も持っていないのに、それなのに生き生きとしている。人形なのに。
そもそも人形が自ら動く事自体が本来在り得ない事である。。
けれどそれは、人の枠の中を見た時の事だったのだろう。少し目線を外して、枠の隙間からその向こう側を見れば、不思議な事など何も無いのではないのか。
それが本当の意味での自由というものではないのか。
だから、人形の母親を探そうと言った。けれど、それよりも本当は、見世物にするのを止めようと思っただけである。別に他に頼る者の居ない人形の為では無い。この人形と共に居れば本当の自由を見つけられると思った。母親探しはその口実であるけれど、決して嘘を吐いたつもりはない。
そして巫女と人形は今まで歩いて来た道を戻って行った。
母親を探した所で無駄であろう。既に死んでいるのだから。それは判っている。けれど、何か目的が欲しかった。人形と一緒に居る為の。
こんな気持ちは一体、何年ぶりだろう。決して気持ちの良いものではないが、決して悪いものでもない。
取り敢えず、人形と出会った川へと行こうと思う。
ふと思う。何故人形は川の中に居たのか。まぁ、この人形の事であるから、足でも滑らせて川に落ちたのだろうが・・・。
「なんであんな所に居たのよ」
気になったので聞いてみる。
「う?お母ちゃんに何か高いとこから落とされたん」
あっけらかんと人形は答える。
それを聞いた巫女は思わず立ち止まる。
「それは――」
母は、死んだのではなかったのか。
「あんたの母親って・・・」
本当は、生きているのか。
「人間やよ」
人形が答える。
母親は人間。
高い所、というのは恐らく崖の上だろう。
それでは、この人形は人間の母親に――捨てられたのではないのか?考えてみれば人形が子を産む事など無いだろう。否、それも人の枠に囚われているのだろうが、問題は其処ではない。落とされた、という事だ。確かに、普通の人間にしてみれば、生きた人形は恐怖の対象でしかないだろう。話を聞く限り、母親とは暫くの間共に暮らしていたのだと思う。けれど、結局は手に余って、そして捨てたのか。死んだと言うのは、自分を追って来ない様にする為か、或いは、人形の中から自分の存在を消したかったとでも言うのか。なんて――。
――なんて身勝手な。
巫女は今までの人形との会話から得た情報を想像で組み立てる。勿論、自分がその女を非難出来る立場には無い。それは判っている。けれど――。
「なんかなあ」
人形の話には続きがある様だった。
「黒い着物着た変な人らに追いかけられたんよ。ほんで走ってたら行き止まりでなぁ。そん中の一人がうちに近づいて来たんよ。ほんで気ぃついたら落ちとった」
困った様な顔で言葉を続ける。
「それじゃ・・・」
捨てられた訳では、無い。
つまり、その何者かから逃げて、崖の上へと追い詰められてしまい――恐らく――その何者かが人形に危害を加えようとした為に咄嗟に崖から突き落としたのか。
巫女は少し安心した様な気持ちになる。
普段ならば咄嗟に否定する所であるが・・・今はもう、そんな事も如何でも良くなっていた。
しかし、それならば母親は矢張り・・・。
それに、その何者かがこの人形を狙っているのだとしたら。
このまま戻るのは危険ではないのか。
人形は人差し指を重ねて十字を作り乍ら続ける。
「何か、黒いこういう線が入っとって、真ん中に眼の付いた布、顔に着けとった」
人形はあれ、前見えとるんかな、と不思議そうな顔をした。




