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深い眠りに落ちる寸前、意識の混濁の中で、ふと古い記憶が浮上した。
香にとって、教室という空間は、逃げ場のない巨大な秤のようだった。
朝、教室の引き戸を開けた瞬間から、目に見えない無数の「正解」が空中に浮遊している。
誰が誰と話し、誰が誰の冗談にどんなトーンで笑うべきか。
女子グループの微細な力関係、カーストの底辺を踏まないための歩幅、教卓に立つ教師が望む「従順な生徒」の模範解答。
周りのクラスメイトたちは、まるで呼吸をするようにその空気を読み、器用に立ち回っていた。しかし香には、それがどうしてもできなかった。
相手の目の奥を探ろうとすればするほど、喉の奥に冷たい粘土が詰まったように言葉が出なくなる。
「香ちゃんって、いっつも何を考えてるか分からないよね」
悪気のない級友の一言が、鋭いガラス片のように胸に突き刺さる。分からないのは私の方だ、と叫びたかった。
相手が何を求め、自分がどう振る舞えば合格点をもらえるのか、その仕組みがどうしても理解できなかった。
その息苦しさが決定的な歪みとなったのは、中学に入って間もない頃だった。
香にとって、性への入り口はあまりに唐突で、そして早すぎた。相手は同級生の兄で、地元の悪ガキたちの憧れでもあった数歳上の大学生。
少し日に焼けた肌、煙草の匂い、地方都市の閉塞感を軽々と飛び越えているように見えた彼の世界は、当時の香にとって眩しすぎるほどの「大人の象徴」だった。
それは燃え上がるような恋ではなく、もっと幼く、輪郭のぼやけた「憧れ」だった。
大人の世界を知る彼が自分に向けてくれる視線に、特別な価値があると思い込んでいた。 けれど、実際に始まった関係は、少女漫画のような甘い初恋などでは決してなかった。
彼の狭いアパートの部屋。
薄暗い蛍光灯の下で、香がしていたことは、学校の教室と何も変わらなかった。
彼の呼吸の乱れ、機嫌の起伏、向けられる視線の温度。
それらを必死で値踏みし、嫌われないように、失望させないようにと神経を尖らせるだけの時間。
求められるままに身体を差し出しながら、香の意識はいつも天井のシミを眺めていた。
(私は今、どこにいるんだろう)




