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深夜二時、サービスエリアの冷えた空気が肺を叩く。
香は大型トラックの背の高いキャビンから飛び降りると、使い古したスニーカーでアスファルトの感触を確かめた。
二十七歳。大型免許を取得して三年。地元の建材屋で中距離の配送をこなし、ようやく手に入れたのがこの長距離の仕事だった。
相棒は、十トン超の排気量を誇る銀色の巨体。今の香の日常は、フロントガラス越しに流れる、終わりのない白線とナトリウムランプの光に溶けている。
「……よし、行くか」
コーヒーの空き缶を捨て、運転席に這い上がる。視界は地上二メートル。この高さから見下ろす夜の高速道路は、まるで血管の中を走る血液になったような錯覚を抱かせる。
香にとって、このキャビンの中は世界で唯一の聖域だった。
幼い頃から、他人の顔色をうかがうのが苦手だった。相手が何を考えているのか、自分の言葉がどう受け取られたのか。空気を読もうとすればするほど、喉の奥が詰まるような感覚に陥った。
集団の中でうまく立ち回れない自分に、ずっと辟易としていた。
だからこそ、この仕事を選んだ。
ハンドルを握れば、そこには言葉の裏を読む必要も、愛想笑いを浮かべる必要もない。守るべきは交通ルールと、積み荷と、到着時刻。
物理的な距離と速度だけが支配するこの世界こそが、自分に最も合っていると確信していた。
エンジンを始動させると、腹の底に響く重低音が、香の鼓動と共鳴した。
夜明けが近づくにつれ、闇が深い紫へと変わっていく。
山あいの霧を抜け、長いトンネルをくぐり抜けた瞬間、視界が一気に開けた。東の空から鋭い光が差し込み、折り重なる山々の稜線を鮮やかな黄金色に縁取っていく。
ふと視線を横に走らせると、隣の車線には自分と同じ、重厚な十トン貨物が並走していた。追い越し車線にも、また別の巨体が続く。 同じ高さの視点、同じエンジンの唸り。
彼らもまた、どこかの街からどこかの街へ、誰にも邪魔されない孤独を抱えて走っている。言葉を交わすことはない。互いの顔さえ、スモークガラスの向こうで見えない。
けれど、朝の光に照らされながら黙々と西を目指す鉄の群れの中にいると、不思議と「独りではない」という静かな連帯感があった。
顔色をうかがう必要のない、沈黙の行進。
香はサンバイザーを下ろし、眩しさに目を細めた。 ふと、並走するトラックの一台が、追い越し際にハザードランプを二度、点滅させた。
「お先に」
そんな無言の合図に、香も軽くパッシングで応える。
言葉を使わない、けれど確かに存在する敬意。複雑な感情や駆け引きなど、この風の中には存在しない。ただひたすらに、目的地へと続く舗装路を信じて進むだけだ。




