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22・すれ違う恋心 (※ロイアス視点)

アリエルの様子がおかしい。


パ-ティーから帰宅した夜、俺はいつものようにアリエルの部屋に行ったのだが、明らかに元気がなかった。


「もう、イザベラ嬢に襲われる事はないでしょう。わたくしはひとりで平気よ。だから無理してここに来る必要はないわ」


そう言って、ベッドで背を向けられてしまった。


「いや…無理しているわけでは…」


無理などしていない。


それどころか、来たくて来ている。

何気ない言葉を交わし、笑い合う貴重な時間だ。


1日の終わりをアリエルの隣で過ごす事が、大きな癒しとなっているのに。


今夜は違っていた。

アリエルの背中が、明確に俺を拒否していた。


「アリエル…」


アリエルの悲しげな後ろ姿を、思わず抱き寄せてしまいそうになって、ハッとした。


もしかして…ジョセフなのか?


ショックのあまり、後退りしてしまった。

血の気が引いていくのが、自分でも分かる。


今日、ジョセフに抱き締められて、心が揺らいでいるのだろうか。


俺への嫌悪感と罪悪感で、胸がいっぱいなのか。


そうなのか…アリエル!


信じたくない!信じたくもない!


だが…俺と違って、ジョセフは格好良く、華やかな雰囲気がある。美しい碧眼で、物腰も柔らかい。


女性なら誰しも好感を持つ相手ではないだろうか。俺は、アリエルへと伸ばした手を、そっと下ろした。


「分かったよ、アリエル。おやすみ」


「………」


俺はアリエルにそう告げると、そっと、自室へと戻った。


無言の鞭に打ちのめされたような気分だ。


ベッドに入ったものの、なかなか眠れなかった。


何度も寝返りを打ちながら、頭を過るのはアリエルと、ジョセフだ。


ジョセフは、覚悟を決めた目をしていた。


身分や外聞、その全てを捨てて、アリエルを奪いに来るつもりだ。


ジョセフがアリエルを抱き締めている姿を見て、我を忘れて走り出していた。体の血がたぎるように熱くなった。


戦地を離れてからというもの、すっかり忘れていた久しぶりの感覚だった。


間違いなく、俺はアリエルの事が好きだ。


いや、もはや愛している。


本音を言えば、アリエルをこの手に抱いて、片時も離したくない。できる限り側にいて、アリエルの瞳には、俺だけを映して欲しい。


我ながら浅ましい程の独占欲だ。


何事にも執着しない性格だったはずだがな。

苦い笑みが込み上げてくる。


俺には高嶺の花であるアリエルに、激しく執着している。


アリエルが現れてから、俺の人生が変わった。


あの可憐な笑顔を隣で見守れる喜びを日々感じている。


これを幸せと呼ばずに、何と呼ぶのか。

夢のような幸せの中にいる。


だからこそ、恐れている。


夢はいつか、覚めるものだから。


あの時、アリエルは何と言おうとしていたのか。


「愛してい…」


クッ!


思い出すと、今でも緊張で全身が硬直する。


アリエルの告白を、とてもじゃないが、聞いていられなかった。


「愛している」「愛していない」


文字にすれば、僅かな差だが、意味合いとしては、天国と地獄ほどに違いがある。


あの瞬間、アリエルから「愛している」と言ってもらえる事を想像出来る程、俺は楽観的な人間ではない。


これまでも、戦では常に最悪な状況を想定して戦ってきた。そのおかげで、今まで生き延びてきたのだ。


そして、今回も。


俺は…生き延びたのか。


アリエルの告白を、うやむやにして、あの場から連れ去った。勇気ある撤退と言いたいところだが、実際は違う。


ただ、怖かった。


情けないことに、体の震えが止まらなかった。

戦場の悪魔と怖れられたこの俺が。


アリエルに、「愛していない」と言われたら。


あの柔らかそうな唇で、あの愛らしい声で。


俺はおそらく生きてはいけない。


深い深い、絶望の谷に突き落とされるだろう。


だが…もしも…アリエルが、「愛している」と言ってくれたら。


いやいや、あまりにも恐れ多い事だが。


だが…もしも、もしも、そうだったなら。


頭をブンブンと振り回して、都合のよい妄想を振り払おうとしたが、沸き上がった高揚感はなかなか消えてはくれなかった。


す、少しだけの妄想なら許されるだろうか。


(愛しているわ…ロイアス)


頬を赤く染めて、優しく微笑むアリエルの姿が目の前にポワ~ンと浮かんできた。


「うひょおっっっ!!!」


まともな成人男性らしからぬ奇妙な声が喉から飛び出してきた。


俺は、毛布を頭から被り、身悶えた。


死ぬ!幸せの過剰摂取で俺は死ぬ!!


ゼイゼイと、肩で息をしながら、毛布から這い出すと、見慣れたヤツの顔が突然、目の前に現れた。


「眠れないようでしたので、ホットミルクをお持ちしました」


「うわぁぁっ!」


さすがに、驚いた!危うくベッドから転がり落ちる所だ。


「おっと。お気をつけください。こちらの床の大理石は、海外から取り寄せた最高級品ですのですので」


カイルめ…笑顔を振り撒きながら、俺の心配ではなく、大理石の心配をするとは。


全く、大した執事だな。


「なんだ。こんな夜中に。俺にプライベートはないのか?」


乱れたガウンを羽織り直し、不機嫌を顔に出しながら愚痴を溢すと、目の前に湯気が立ち上るホットミルクを差し出された。


「ロイアス様が、酷く落ち込んだ様子で、奥様の部屋から出てきたと、皆が騒いでおりまして。沸き上がった不仲説を心配して、わたくしがこうして駆け付けたわけです」


そういえば、アリエルの部屋を出るとき、何人かの侍女とすれ違った気がするな。


自分がどんな顔をして歩いていたのか想像すると、気分が萎える。


おそらく、死人のような顔でヨロヨロ歩いていたのだろう。声を掛けられる状態ではなかったはずだ。俺とすれ違った侍女達に同情するぞ。


「ブルラン伯爵のせいで、お二人の仲がギクシャクされたのは容易に想像がつきます。人妻を抱き締めるとは、言語道断!鬼畜の所業!我がジャンヌ-ル侯爵家に対する無謀な挑戦ですね」


チッ!全部バレてやがる。


俺は舌打ちして、カイルを睨んだ。


カイルのヤツ、まさか、皇帝主宰のパ-ティーにまで影を潜入させるとは。


全くもって、油断ならない。敵に回したらさぞかし厄介な相手になるだろう。味方に引き入れておいて良かったのは間違いない。


「ロイアス様…」


「…なんだ?」


「殺っときますか?」


首を切るジェスチャーをしながら、期待と希望に満ち溢れたキラキラした笑顔を向けられた俺は絶句した。


顔とセリフにギャップがありすぎてホラーなんだが。


「頼むから、それだけは止めてくれ…これは俺の問題だ。お前は、絶対に何もするなよ!」


「分かりましたよ。あぁ、つまらないですねぇ……」


分かりやすく落ち込んだカイルに呆れながら、ホットミルクを一口飲んだ。


ウマイな。

疲れた心にミルクの甘さが染みてくる。


眠れない夜はこれに限る。

悔しいが、カイルが気が利くのは認めよう。


気を取り直した所で、カイルが、とんでもない爆弾を落としてきた。


「そういえば、近々、マルクス皇子が、ご帰還されるようです。てっきり、生きて帰る事はないと思っておりましたが…しぶとく生き抜いていたようですね」


マルクス皇子は、皇帝の息子だ。


皇帝には二人の息子がいるが、マルクス皇子の弟であるライアン皇子はまだ、9才だ。


次男のライアン皇子は、賢く穏やかな性格で評判はすこぶる良い。だか、普通に考えれば長男であるマルクス皇子がゆくゆくは皇帝の後を継ぎ、この国のトップに立つお方なのだが。


俺はどうにも、目の敵にされているのだ。

皇帝が俺を何かと気に掛けるのが気に入らないらしい。


騎士団での練習中、飛び入り参加してきては、幾度となく邪魔され、勝負を挑まれた。


立場上、無下にする事も出来ず、相手をするのだが、俺が勝てば怒鳴られ、わざと負ければ拗ねてくる。


非常に付き合い難い相手なのだ。


今は、激しい戦いの末、我が帝国の一部となった隣国、ロキシアニへ赴き、統制部隊を率いている身だ。


当然の事だが、ロキシアニには、我が国に敵意を持つ者も多くいる。政治の混乱はまだ続いている状態で、マルクス皇子の命を狙う残党の存在も確認されている。帝国からは帰還命令が出されていたはずだが、本人の強い意向により残留していた。


おそらく、平和的かつ、迅速にロキシアニを統治したという手柄を立てることで、時期皇帝にふさわしい人物だと皆に認めさせたいのだろう。


マルクス皇子の母で社交界に強い影響力を持つ皇后は、近年、体調が良くないらしく寝込んでいる事が増えて、表舞台から姿を消している。

そのため、皇后お得意の話術でマルクス皇子を盛り立てる事も出来ずにいる。


剣術に秀でているわけでもなく、人々を惹き付ける魅力があるとも言い難いマルクス皇子は相当な焦りがあったはずだ。


今のところ、隣国で大きな反乱は起きておらず、時間はかかっているものの、順調に統治を進めているようだ。


お陰で長いこと顔を会わせずに済んでいたのだが。


そうか。生きて帰るか。


てっきり、残党に暗殺されるかと思っていたが、読みが甘かったようだ。


マルクス皇子の生意気な顔が脳裏を過り、せっかくのホットミルクが不味くなった。


また、面倒な事にならなければよいが。


「憂鬱ですね、ロイアス様。無性に奥さまに会いたくなったのではありませんか?」


「ハッ。ずいぶんと的外れなことを言うじゃないか。お前の勘も鈍ったな。俺はそこまで甘えた男じゃない」


「そうでしたか!それはそれは失礼致しました」


ニヤリと、カイルが笑う。


フン。俺の事をすっかり見透したような言動が気に入らない。間違ってないからこそ、腹が立つ!


俺は平静を装い、ホットミルクを飲み干した。


「早いところ、仲直りしてくださいね。いくらライバルが見目麗しく、優しげな好青年だからと言って、落ち込んでる場合じゃありませんよ!奥様の夫はロイアス様なんですから!自信を持ってください!」


「……」


自信を失わせておいて、自信を持てとは…。

全く、勝手なヤツだ。


「そういえば、例の件はどうなってる?」


「全て順調です。今頃、皆様、新生活の準備に大忙しだと思いますよ」


「そうか。ご苦労だった」


俺は心の中でほくそ笑んだ。

実はアリエルにとびっきりのサプライズを用意してある。

喜んでくれるといいのだが。


俺は俺のやり方で、精一杯、アリエルの事を愛する。ひたすらに、アリエルの幸せを願う。


例えアリエルが望む幸せの先にいるのが俺ではない誰かだとしても。


俺の幸せはもはや、アリエルなしには有り得ないのだから。


ああ、一刻も早く、アリエルに会いたい。

あの笑顔に会いたくてたまらない。


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