20・突然、ジョセフに抱きしめられて
ダンスホールに戻ると、シャローナとジョセフがいた。シャローナのエスコート役を任されていたジョセフは、きちんと正装していて、男性としての魅力に溢れていた。
美しく装ったシャローナと並ぶと、本当に絵になる兄妹。見惚れながら近づくと、ジョセフが先に気がついて手を振ってくれた。
「やあ。アリエル。また会えて嬉しいよ」
「わたしくしも嬉しいわ。2人ともとても素敵よ」
ジョセフとシャローナに微笑むと、にこやかに微笑み返してくれた。
「ふふ。ありがとう!アリエル。そういえば、お二人ともお兄様と偶然、街でお会いしたんですってね。驚きましたわ!」
シャローナの弾んだ声とは対照的に、漂う空気がとても重い。
ロイアスとジョセフが殺気立ってる!
じわじわと変な汗が出てきたわよ。
まずいわ。ロイアスとジョセフの間がこれ以上拗れるのは、何としても避けたい!
「ええ!本当に偶然で驚いたわ!ジョセフとロイアスは同じ王宮騎士ですもの。これを機会にもっと、二人には親しくなってほしいなぁ、って… 」
ロイアスとジョセフの顔を交互に見ながら提案してみたけど…あぁ。たぶん絶対、聞いてない!
バチバチに睨み合ってるんだもの。
すでに視線でケンカしてるわ。
「本当に偶然で驚いたな。最も、親しくしようにも、ブルラン伯爵は俺よりもアリエルの方に興味がありそうだが」
意地悪く笑いながら嫌味を言うロイアスに、ジョセフは極上の笑顔で応戦する。
「ジャンヌ-ル侯爵様は、勘が鋭い。さすが、第一部隊の団長を務めるだけの事はありますね。お手合わせできる日が楽しみです」
ジョセフ…爽やかな笑顔で皮肉たっぷりね。
背が高くて鍛え上げられた身体を持つ者同士、向き合っているだけでかなりの威圧感よ。
シャローナも、ただならぬ気配を感じ始めたのか、オロオロしてロイアスとジョセフの顔色を伺っている。
「ブルラン伯爵。俺の妻に興味を持つのは止めてもらいたい。戦場以外で人を切るのは極力避けたいものでな」
強い口調で、ロイアスが、ジョセフに告げた。
ジョセフはロイアスからの挑発をフッと鼻であしらうと、ゾッとする程に不敵な笑みを浮かべた。
「俺の妻ですか。大切にしなくても独占欲はおありのようで」
「何だと!?」
ロイアスの表情が怒りに変わった。
今にも決闘が始まりそうな空気になってる。
どうしてジョセフがここまでロイアスを挑発するのか分からないけど。
とにかく二人を止めるのが先ね。
「はい!ここまでよ。ここまでにしましょう!」
慌てて二人の間に割り込むと、ジョセフが私に向かってニッコリと微笑んだ。
「アリエルがそう言うなら、今日はここまでにしましょう」
今度は怖いくらいに完璧なキラキラ王子様スマイル。
笑顔の降り幅が大きくて、ついていけないわ。
頭を抱える私の横で、ロイアスは怒りで体を震わせながらジョセフに向かって叫んだ。
「何でお前がそれを言うんだ!それは俺のセリフだ!お前は金輪際、アリエルの名を口にする事を禁ずる!」
はぁぁ。
こんな下らない事に本気で怒るロイアスもロイアスだわ。変な禁止令出したりして、まるで子供のケンカじゃないの。
「お断りしますよ。何度でも呼びます。アリエル。アリエル。アリエル…」
子供なのはジョセフも一緒だった。
この低レベルな喧嘩は何?
私は何を見せられているの~!?
「貴様!その口を閉じろ!今すぐにだ!」
「嫌です。死ぬまで言い続けますよ」
不毛な言い合いを続ける二人を呆れながら見ていると、シャローナが耳打ちしてきた。
「ど、どうしましょう!アリエル!お兄様があんな事を言い出したのは、わたくしのせいですわ!わたくしがあんな手紙を出してしまったから…」
「手紙?」
狼狽えるシャローナの肩を抱いて聞き返すと、
涙ぐみながら何度も頷いた。
「ええ。わたくしが事情も知らずアリエルを救い出しに行こうと意気込んでいた時、お兄様に手紙を出したのです。侯爵様は借金を肩代わりする条件で愛のない結婚をアリエルに強要していると」
なるほど。それで、ジョセフは最初からロイアスを目の敵にしていたんだわ。
妹の親友を不幸な結婚へ追い込んだという理由で。
「アリエルが白い結婚を望んでいることも、侯爵様と幸せに過ごしていることもお兄様は知らないのです。わたくしがきちんと伝えます。本当にごめんなさいね」
必死に謝るシャローナをぎゅっと抱き締めた。
「いいのよ。シャローナは悪くないわ。ジョセフはシャローナに似て優しいのね。わたくしの為にロイアスに怒ってくれたんだもの。誤解が解けたらきっとみんなで仲良く…」
ロイアスとジョセフに目をやると、まだ二人で罵り合っていた。
「なれる…かしらね」
シャローナと顔を見合わせて苦笑いしてしまう。
私とシャローナで二人を強引に引き離すと、ようやく収まった。
シャローナが必死にジョセフに語りかけている所を見ると、シャローナがきちんと誤解を解いてくれるだろう。
「ねぇ、ロイアス。あなたって本当に気が短いのね。すぐにカッとなって喧嘩になるのは良くないわよ」
「俺は本来、気の長い男だぞ!だが、アリエルの事になると、別だ。特にあの男はアリエルに気があるみたいだから。余裕がなかったんだ」
あぁ…ロイアスのシュンとした顔は反則だと思うわ!人の目さえなければ、思い切り抱き締めてる所よ。
「余裕を持って!ロイアス!あなたは…素敵な人よ」
ロイアスの耳に唇を近づけて囁くと、ロイアスの頬が赤く染まる。あまりの可愛いさに、キュンキュンが止まらないわ。
夫が可愛い過ぎるのも困ったものね。
しばらくすると、皇帝の挨拶が始まった。
皆が静かに聞き入る中、皇帝が声高に叫んだ。
「この記念すべきこの日に、我が帝国の英雄、ロイアス・ジャンヌ-ル侯爵を表彰したい。何しろ、パ-ティー嫌いなヤツでな。今日を逃すと、次はいつ会えるか分からんからな」
皇帝のぼやきを受けて、会場に笑い声が洩れる。
最初は小さかった拍手の音が次第に大きくなり、会場中に響き渡った。私は嬉しくなって、呆然としているロイアスをつついた。
「ロイアス、ほら!急いで皇帝の所に行って!」
「あまり気が進まないのだが…」
本気で嫌がっている様子のロイアスに向かって、私は力説した。やっと、嫌な噂を振り払って、正当な評価を受ける時が来たのよ。
ここは、素直に表彰を受けてもらわなきゃ困る!
「何を言っているの!ほら、早く!あなたはこの国の為に力を尽くしたんだもの。堂々とした姿で前に出るの!お願いよ。ロイアス。あなたは表彰されるべき人よ」
私の剣幕に驚いたのか、見開いた目が、徐々に微笑みに変わっていく。まるで、満開の花が咲くように。
ロイアスはどうしてそんなに愛しそうに笑うのかしら?私…勘違いしそうになるじゃない!
「分かった。アリエルの願いならばそうしよう」
ポンポンと、私の頭に優しく手を置くと、颯爽とした姿で、ロイアスが皇帝に向かって走っていく。皇帝から褒美の宝石を受け取り、拍手喝采を浴びるロイアスの姿に感激してしまった。
最後尾から、誰よりも大きな拍手を送ったわ。
妻としてとても誇らしい気分…って、考えたら恥ずかしくて思わず手で顔を覆ってしまった。
妻…なのよね。私。こんなに素敵な人が夫だなんて。何だか信じられない。
ロイアスを、幸せにしたい。
もっともっと、幸せにするわ!
固く誓った所で、私の名を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、ジョセフが立っていた。
「あら、ジョセフ!シャローナは一緒じゃないのかしら?」
ジョセフと一緒に居たはずのシャローナの姿が見当たらずに聞くと、ジョセフは会場の端の方で男性と話しているシャローナを指差して困ったように肩をすくめた。
シャローナが男性と二人で話してる姿なんて、初めて見た気がするわ。シャローナは緊張してるみたいだけど、時々は笑顔も見えるし、大丈夫そうね。
「ふふ。後でシャローナに話を聞くことにするわ」
「俺は遠慮しておこう。妹の恋愛話はあまり聞きたくないかな」
茶目っ気たっぷりに顔をしかめてジョセフが笑う。つられるように私も笑ってしまったわ。
私を優しい眼差しで見つめるジョセフ。
ふと、寂しげに目を逸らした。
「アリエル、シャローナから聞いたよ。どうやら俺の誤解だったみたいだね。俺はアリエルがつらい結婚生活をしているのだとばかり思っていたんだ。後でジャンヌ-ル侯爵にもお詫びするよ」
謝るジョセフの手を取ると、ジョセフが驚いたように私を見つめてきた。全ては私を思ってしてくれた事だもの。責められるはずがないわ。
「いいのよ。ジョセフ。わたくしの為に怒ってくれたのでしょう?心配してくれてありがとう。ロイアスはああ見えて優しい人よ。きっと分かってくれるわ」
私の言葉を聞いたジョセフの頬が赤く染まる。今にも泣き出しそうな目をしている事に気づいて驚いてしまった。
美しい碧眼を潤ませて、静かに震えているわ。
どうして…どうしてそんな顔をしているの?
「アリエル…君という人は本当に…罪な人だね」
へっ?どういう意味かしら?私、何かしでかしたかしら?ぼんやりと自分の行いを振り返っていると、突然、ジョセフから抱き締められた!
ジョセフの香水が鼻先をくすぐる。
一瞬の出来事だった。胸元にグッと寄せられた。早鐘を打つジョセフの心音が聞こえる程近く。
私の耳元で、ジョセフが呟いた。
「もう遅いのかな?本当にもう、俺に望みはない?ずっと、好きだったよ、アリエルの事が」
ジョセフの苦しそうなかすれた声が、耳の奥で響いた。こ、これはどういう状況なの~!?
パニック寸前の中、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「アリエル!」
近づいてくるロイアスの声だった。




