26 勲章
王都の屋敷に帰宅したポニャトフスキ公爵と令嬢は、帰るなり公爵の書斎に直行した。公爵夫人と年長の息子二人もすぐに集合し、ただならぬ様子の公爵を不安そうに見た。
彼は不機嫌に溜め息をつくと語り始めた。
「元老院に、カトラのデビューを早めてはどうかと進言した者がいる」
「早めるとは、どういうことでしょうか」
夫人が怪訝そうに尋ねると、公爵は唸るように答えた。
「来年、王宮での新年舞踏会でデビューさせて実質的な王太子妃として公務を担えとのことだ」
「そんな……」
イザベラ夫人は絶句した。ロウィニア貴族の令嬢は通常十六歳から十八歳の間に社交界の正式な一員となり成人女性として扱われる。もちろんデビュタントは生涯一度の慶事であり、半年以上をかけて準備するのが普通だ。母親にとっては大変だが楽しい準備期間となるはずだった。
「来年の新年舞踏会まで二ヶ月もありませんわ。そもそも、カトラのデビューは王太子殿下が成長期に入ってからという予定のはず」
夫人は憤慨していた。娘のための様々な計画が壊れてしまったのだ。彼女を宥めたのは意外にもカトレイン本人だった。
「まだ妹たちがいますわ、お母様」
「でも、王太子妃としての公務といっても、現状では王妃様のものまで丸抱えすることになるのよ」
王太子と一緒の各行事や外交の場への出席の他にも故ナタリア妃が力を入れていた福祉事業の運営や慰問までが十四歳の少女に課せられるのだ。母親としては娘が激務にすり減らされるのを心配して当然だった。
カトレインは父親をまっすぐに見つめ質問した。
「私が公務に耐えられないと判断された場合はどうなるのでしょうか」
「また陛下の再婚話が浮上するだろう。国内国外いずれにしても我々の反対勢力の息が掛かった者が王宮に入ることになる」
そのような者を継母にしてスタニスワフが安全でいられるかなど火を見るより明らかだ。公爵は娘に授与された聖ヨアンナ褒章の入った箱を忌々しげに見た。
「こんな物で格上げしてやったつもりか」
褒章は一般的にはまとめて勲章と呼ばれるが、国家に尽くした功績を称える勲章と違い、福祉や芸術方面で秀でた者に与えられる。聖ヨアンナ褒章は見栄えのする形状で人気があり、多くの国民に授与されてきた。
激怒する両親をよそに、カトレインはひどく静かにこの事態を考えていた。
この提案を受ければ女学院で学ぶことは出来なくなるだろう。新年舞踏会では幼い王太子とは不釣り合いだと好奇の目で見られることになる。
だが、反対勢力の望みどおりに失敗してやる義理などどこにもない。不安定な婚約者ではなく事実上の王太子妃として、未来の王妃として国の内外に認められればスタニスワフの力になることが出来る。
カトレインは隣に座る母親に声をかけた。
「新年舞踏会の準備を始めましょう、お母様」
「……それでいいの?」
公爵令嬢は頷いた。父親に顔を向け、きっぱりと告げる。
「入れ物はいただきました。これからはその中に実績を注ぎたいと思います」
彼女の琥珀色の瞳が決意に輝くのを見て、公爵も同意を示した。
「この褒章に新たな権威を与えるがいい」
彼は娘に聖ヨアンナ褒章の箱を差し出し、カトレインは受け取った。
母と妹が書斎から出て行くのを見送り、次男テオドルが言った。
「殿下のためなら困難も厭わずか…」
「口で言うほど簡単じゃないぞ」
長男エドムンドは様々な障害要因を思い頭が痛そうだった。
それでも彼らは、小さかった妹が自らの子供時代と決別しようとしていることを感じ取っていた。
実務的な問題を前にして、公爵夫人は気を取り直したようだった。
「まずは何を置いてもドレスね。どこのメゾンも今は受付を停止しているでしょうけど」
公爵家の権力でメゾンに特急案件をねじ込むことは可能だが、割を食った他の貴族の恨みを買う恐れがある。
「デビュタントですから、基本的なもので構いません」
大人の一員として胸元と肩を見せるデザインがデビュタントドレスの基本路線だ。褒章の入った箱を眺めるうち、カトレインにある考えが浮かんだ。
「お母様、我が家の領地に絹織物の工場はありますか?」
「ええ、リーリオニア近くの地域にあるけど」
「では、作ってほしいものがあるのですが」
夫人は娘からの提案を聞き、俄然乗り気になった。
「面白いわね。ええ、早速連絡しましょう。上手くいけば新製品にもなれるわ」
すぐに秘書役の侍女を呼び、公爵家の女性陣は新年舞踏会に向けて臨戦態勢となった。
毎朝の父国王への挨拶を終え、王太子スタニスワフは乳母ロステン夫人を連れて本宮から奥宮へと戻ろうとした。
「父上はお疲れなのかな。あまり食事もされなかったし」
それが後宮に入り浸りのためだとロステン夫人は理解していたが、王太子に向けては差し障りのない返答に留めた。
「新年に向けて行事が立て続けにありますから、お忙しいのですよ」
スタニスワフは頷き、自分では何の力にもなれないのを悔しがった。
回廊を歩いていると、柱の陰で噂話に興じる貴婦人たちの会話が耳に入った。
「聞きました? 御一門のカトレイン様が次の新年舞踏会で社交界デビューされるとか」
「あの方はまだ十四歳でしょう?」
「さっさと大人扱いにして王太子妃の公務をしていただくようね」
「大丈夫かしら。外交もあるし、殿下は子供であてにならないし」
「そのために、あの年齢の御令嬢を選ばれたのでしょう」
無遠慮な憶測にロステン夫人は額に青筋を立てていた。スタニスワフの方は驚きのあまり声も出なかった。
王太子宮である奥宮に戻り、スタニスワフは考え込んだ。
「デビューてことは、カトラは大人になっちゃうんだ」
雪のグロースで確かに近づけたと思ったのに、婚約者がいきなり遠くに行ってしまうような気がした。
「公務って、開通式の時みたいなことをたくさんするんだ」
彼女が何度も外国語での挨拶を練習する姿を思い出し、少年は溜め息をついた。
「きっと、僕がしなきゃならないこともカトラが引き受けるんだ」
サンルームのソファに寝転び、彼は両手を天井に向けて伸ばした。今ほどすぐに大人になりたいと願ったことはなかった。
スタニスワフは起き上がり、しばらく思案した後でロステン夫人を呼びに行った。
翌日、王国宰相であるアシュケナージ侯爵が彼の息子を始めとした少年たちを引率するようにして奥宮を訪れた。
「殿下、お呼びに従い参上しました」
「無理を言ってごめんなさい」
彼に詫びて、王太子は招集された少年たち――トマシュ・アシュケナージ、グスタフ・エデルマン、アンジェイ・ミクリ、レフ・グレツキに言った。
「みんなにお願いしたいことがあるんだ」
突然の真剣な懇願に彼らは戸惑った。代表するようにトマシュが口を開いた。
「何かあったのですか、殿下」
スタニスワフは頷いた。
「カトラが来年の新年舞踏会で社交界デビューする。まだ十四歳なのに大人として公務に就くんだ。…僕ができないから」
拳を握り、王太子は続けた。
「僕はカトラを助けたい。でもすぐに大人になれないし、どうすればいいか分からない。だから協力してほしい」
「何をすればいいのですか」
トマシュが尋ねると、スタニスワフは打ち明けた。
「僕は知らなきゃいけないことがたくさんある。勉強したり、経験したりして少しでもカトラに近づきたい。みんなが僕にない知識をたくさん持ってることはグロースで分かったから教えてほしい」
「私たちでいいのでしょうか」
「家庭教師だけじゃなくて、君たちの協力が必要なんだ」
きっぱりと言われ、トマシュはちらりと父親を見た。宰相は小さく頷き、その息子は王太子の前に歩み出た。
「分かりました。微力ながら殿下と共に学んでいきます」
彼に続きグスタフが言った。
「軍事方面と体力強化なら」
アンジェイは仕方ないと言いたげだった。
「まあ、法律関係ならお役に立てるかも」
「商人なんかの平民のことでいいなら」
ためらいながらもレフも賛同し、スタニスワフの顔がぱっと輝いた。
「ありがとう!」
それから賑やかに今後の計画を立てる少年たちを眺め、宰相がぽつりと呟いた。
「少年を成長させるのは恋が一番と聞いたが、殿下も例外ではないか」
王太子を生まれた時から見てきたロステン夫人は涙ぐみながら頷いた。
奥宮のサンルームでの会合は、その後のスタニスワフの側近を決定づけるものとなった。




