11 式典
ホテル・スーペリアと名付けられた真新しい宿泊施設は十階建てだった。
「最上階をご用意します」
ミハウ・グレツキの言葉に公爵家の侍女頭が眉をひそめた。
「そんな上まで階段を使えと?」
その反応も織り込み済みとばかりに先代会頭はにやりと笑った。
「こちらでどうぞ。蒸気式昇降機です」
彼が指示すると、制服姿の係員が鉄製の箱様の装置の扉を開けた。目を輝かせたのは王太子スタニスワフだった。
「これも蒸気で動くの?」
「はい、殿下。速度は遅いですが楽に上がれますよ。安全装置も付いてますし」
彼と共に箱の中に入った一行は箱が自動的に動くのに驚きの声を上げた。昇降機は王太子たちを最上階へと運んでいった。
最待遇賓客の案内を支配人に任せて一階のロビーに戻ったミハウ・グレツキは、事情を聞いて飛んできた息子モリスと鉢合わせをした。
「父さん、殿下をここに案内してきたって…」
「ああ、ご宿泊願ったさ。あちらは何やら訳ありで詮索されずに泊まれる所が欲しそうだったからな」
「だからって、いきなりすぎるだろう」
「何言ってる。こういう恩はちまちま売って信頼にすり替えろと教えただろ」
尚も難しい顔をする息子の肩を叩き、先代会頭は告げた。
「これ以上のリハーサルがあるか? 今こそ、うちの系列ホテルの底力が試されるときだぞ。最上級のおもてなしをしろ」
渋々頷いたモリス・グレツキは使用人たちに最上階貸し切りの賓客対応ルーティーンを実行させた。
最上階の部屋を割り当てられた一行ははしゃぐ王太子と極限状態の公爵令嬢を休ませると、エドムンドの部屋に集結した。公爵家の令息は王太子付きの侍従と護衛の被害を確認した。
「死者三名、負傷者十名か。別荘の封鎖は?」
「完了しました」
「セービン市には病人が複数発症し安全のためホテルに移動したと報告してあります」
公爵領軍の分隊長と王太子の護衛隊長が答えた。エドムンドは頷き、新たな情報を伝えた。
「追撃部隊が襲撃者の生き残りを発見した。ただし、全員銃殺死体となっていた」
次期公爵の言葉に王太子の侍従と護衛が顔色を変えた。
「仲間割れでしょうか」
「あるいは後始末要員がいたかだ」
そして、エドムンドは明日の予定を告げた。
「倉庫の火災は鎮火できたし鉄道に影響はない。式典は明日予定どおりに行う」
「しかし、大丈夫でしょうか」
公爵家の侍女頭が不安げに言った。
「殿下が公務をこなせないと思われる方が問題だ」
彼の言葉に一同は頷くしかなかった。
同じ頃、豪華な寝室でカトレインは寝返りをうった。安全な所に来たのに、目を閉じると自分達を襲った者たちの姿が甦る。懸命に打ち消そうと公爵令嬢はぎゅっと目をつむった。
翌日、霧月中旬六曜日。秋深い空は青く晴れ渡り、セービン―グロース間の鉄道開通式典は予定どおりに行われた。
楽団が賑やかに目抜き通りでパレードを行い、建物は提灯や鮮やかな布で飾られた。誰もが開通式とグロースに行く最初の列車を見ようと駅や線路脇に集まった。
その賑わいはホテル・スーペリア最上階からでもうかがえた。
「では、殿下。最初からもう一度」
王太子は開通式の祝辞を読むおさらいをしていた。ロステン夫人は難しい顔をしながらも彼に合格点を与えた。
「結構です。これはお祝いの言葉ですので、間違えることを恐れるあまりおどおどするより、はっきりと大きな声で読み上げてください」
「分かった」
スタニスワフはようやく練習から解放されるとほっとした顔をしたが、同じ階にいる婚約者が気掛かりだった。
「カトラは大丈夫かな。昨日の夜は元気がなかったけど」
「大変な日でございましたから。公爵家の御令嬢にあるまじき経験でしたし」
ロステン夫人も同様の顔をした。
王太子の婚約者の準備は、侍女たち総出で念入りに行われた。まだ顔色が悪いカトレインのためにドレスは深い赤色の物が選ばれ、軽く化粧も施された。
「お綺麗ですよ」
侍女頭が元気づけるように言い、他の者も少しでも少女の気を引き立てようとした。
「今日は天気もよろしいですし、絶好の式典日和ですね」
「市民も温かく迎えてくれますよ」
カトレインは頷き、時間を知らせる侍従の言葉に立ち上がった。
王太子と共にホテルから駅舎までの短い距離を馬車に乗ると、早くも歓声が彼らを覆った。人々に手を振り、二人は駅舎の貴賓室に通された。ソファに並んで座るスタニスワフは口数が少ない婚約者にしきりに話しかけた。
「朝からずっと祝辞の練習だったんだよ。ロステン夫人がなかなか合格をくれなくて」
公爵令嬢は微笑むだけだった。侍女たちが気遣わしげに見守る中、式典開始の時間が訪れた。スタニスワフとカトレインは並んで式典会場であるプラットホームに向かった。
楽団が賑やかなポルカを演奏し、青空に高く花火が上がった。その炸裂音を聞いたとき、カトレインはびくりと身体をこわばらせた。隣でスタニスワフがそっと囁く。
「花火だよ」
公爵令嬢は頷いた。自分を叱咤するように足を運ぶ。
大丈夫、ローディン語の挨拶は完全に覚えているし、式典の間は座っていればいい。大丈夫。
そう自身に言い聞かせながら歩くうち、式典警備に当たっているセービン市警備隊の濃紺の制服が目に付いた。途端に昨夜の記憶が逆流するように頭に甦った。
乱闘の物音と銃声。負傷し倒れた人々。いきなり掴まれた腕の感触。壁を破壊する斧の音。三階から飛び降りる恐怖。運び出される死体。
足が竦み、周囲の色彩と物音が地の底に吸い込まれるように消えていく。失調感に囚われかけたとき、カトレインの手が温かく柔らかいものに包まれた。隣に顔を向けると、スタニスワフが彼女の手を握っていた。彼の青灰色の目がまっすぐに向けられている。
『僕がいるよ』と励ます言葉が聞こえる気がして、次第に色彩と音が戻ってきた。大きく深呼吸した後で彼の手をそっと握り返し、カトレインは王太子に頷いて見せた。二人は手を繋いだまま式典会場に入っていった。
拍手で迎えられた王太子たちが貴賓席に着くと開通式が始まった。県知事や市長、王国鉄道総裁の挨拶の後、スタニスワフがセービン―グロース線開通の祝辞を読み上げた。目を輝かせながらの溌剌とした言葉は、大きな喝采を浴びた。
続いて鉄道施設に協力してくれたローディンの鉄道技師たちが二人の前に立った。カトレインが立ち上がり、淀みないローディン語で彼らに挨拶した。
「ロウィニアはこの路線開通へのご協力に感謝すると供に、ローディンの高度な鉄道技術に敬意を表します」
そう締めくくられると技師たちは驚きの顔を見合わせ、観衆と共に盛んに拍手した。王太子の婚約者は淑女の礼でそれに応えた。
そして、グロース行きの最初の列車がホームから発車した。窓から乗り出すようにして国旗を振る乗客に笑顔で手を振り、スタニスワフとカトレインは公務を終えた。
ホテルに戻ってきた公爵令嬢を、侍女たちはすぐに楽なドレスに着替えさせた。
「ご立派でしたよ、お嬢様」
「ローディンの技師の方々もとても感心しておられました」
役目を果たせたことで緊張が解け、カトレインはようやく式典が終わったことが実感できた。様子を見に来た長兄エドムンドも妹をねぎらった。
「よくやったな。立派だったと父上に報告しておくよ」
「ありがとう、お兄様」
この後の予定はホテルでもう一泊した後、専用列車でグロースに行き、国境の町での祭典に招かれる。公務がすめば王太子の大叔母バルバラがいる聖ツェツィリア修道院を訪問することになっていた。
「グロースではザモイスキ家の国境守備隊が警護してくれる。安全は保障されているから休暇だと思って楽しめばいい」
公爵家の令息はそう言ってホテルの警戒に当たった。
疲労を理由に夕食を部屋で軽く済ませて早めに休んだカトレインは、寝台で横になりながらここに来てからを振り返っていた。
疲れているのに眠気が訪れない状態で寝返りを打っていると、窓ガラスを叩く音がした。公爵令嬢はガウンを羽織って寝台を降りた。異常時の呼び鈴を確認し、そっとカーテンを開けてみる。バルコニーに立っていたのは王太子だった。
「スタシェク様!?」
慌ててカトレインは窓を開け、少年を部屋に迎え入れた。




