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 郷土愛から生まれた問題意識は正義であるという確信は、航介を暴走に近い行動に駆り立てた。

 年末まで残り一ヶ月。航介は、北西からの強い季節風に波立つ野辺地(のへじ)港(青森県)に上陸していた。いつものリュック・サックには、羅経盤と「ミウラ折り」でたたまれた数枚の地形図が、いつものように入っている。太陽の働きがもっとも弱まっていくこの時期に、オレンジ色のダウンベストだけで怪物たちに挑もうとする航介は、冒険者そのものだった。

 国道四号線を二時間ほど歩いた航介は、最初の目的地である千曳(ちびき)神社に到着した。千曳明神と呼ばれてきたこのお宮は、この地方ではもっとも古い千二百年の歴史を誇ると伝えられている。詳しい由緒が不明な千曳明神は、現在、二十戸にも満たないほどの氏子たちに守られているらしい。航介は、こぢんまりとした境内で、ひとり悲しくなった。

「このお宮を、もっと盛りたてていけないものか…」

航介は、この千曳明神はただの産土(うぶすな)神ではないだろうと考えていた。明治天皇だけではなく、江戸時代には巡見使がわざわざ訪れていたことが、航介の感性を強く刺激していた。

「やはり、ここが原点にちがいない!」

北緯四十度四十七分五十五秒に位置する千曳明神は、現在のアルカイドが周極星たる南限から、六分程の誤差しかない。約十キロ・メートルである。

 航介は、たとえ天文シミュレーションソフトに否定されようと、あの仮説を捨てるに捨てきれなかった。


糠部(ぬかのぶ)の『()』地名は、北斗九星を降ろした地上の星である」


  千曳明神に何かしらのヒントを得ようとした航介は、社殿を正面にして深呼吸をし、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとる。次に大鳥をイメージして大きく両手を広げ、大相撲で横綱が土俵入りをする所作を真似した。

 まず右足を高く上げて地に下ろして「破軍!」と大声を出した。すり足で足の位置を元に戻すと、今度は左足を高く上げ、それを大地に下ろしては「武曲!」と大声を出した。「廉貞!」、「文曲!」、「禄存!」、「巨門!」、「貪狼!」、「外輔!」、「内弼!」と北斗九星を順に唱えて、航介は、四股を踏んだのである。それは、力士の攻撃性を表現した雲竜型と呼ばれるもので、子供のころに相撲好きの父親から土俵の上で教わったことが役に立っていた。孔明もおこなったと考えられる呪術としての禹歩(うほ)は、航介によって独創的なアレンジが加えられ、恭しく千曳明神の前で披露された。神の前での雲竜型の四股は、悪者から故郷を守るために攻撃的であり続けることを表明し、そこに根づいた古き良きものを守らんとする強い意志を、愛郷者として宣誓するという孤独な儀式だった。

 電話帳で七戸町長の住所を調べあげた航介は、アポ無しで、その旧家のチャイムを鳴らした。激しく吠えるドーベルマンの様子から感じ取ったのだろう、不審そうに出てきた初老の男性の手には、ゴルフクラブが握られていた。二十一時をまわった山村での来客は、すべて不審者である。

「先日、お手紙を書かせていただいた市野沢と申します。京都から参りました。」

強い吹雪を少しでも避けようと、めったに被ることがないつばの大きな帽子をかぶっていた航介は、それを取って会釈をした。

「何時だと思っているのかね。」

七戸町長の駒井剣作は叱ったものの、航介の軽装に同情して、家へ入るように手招きをした。

 通された部屋では、囲炉裏の上に黒光りした南部鉄器の鉄瓶が釣り下げられ、赤くなった炭火に煽られたその口からは白い湯気が吐き出されている。湯気のむこうでは大画面の薄型テレビが顔を覗かせ、ソファに座った中学生ぐらいの子供たちが外国映画を観ていた。一家団欒の時間だったのだろう。

 しばらくして、台所というよりもキッチンという呼び方がふさわしい洋風の空間から、若く見える夫人がコーヒーをいれてきた。航介は、砂糖とミルクを断って、早めに冷えた体を回復させようとする。

 一息ついた航介は、床暖房のおかげで、座布団を通してでもすぐに尻が暖かくなったことに気づいた。

「同じ南部曲家(なんぶまがりや)でも、実家とはまるで違うな…」

航介の実家も南部曲家であったが、駒井宅とちがって床暖房はなく、薄型テレビやソファもなかった。

 ただ、航介の実家では今でも馬を一頭飼っていた。

「君からの手紙は、読ませていただいたよ。」

書斎から戻った駒井は、航介が書いた便箋を手にしている。

「新幹線の開業が迫って、町政も忙しいんだ。」

駒井は、航介に応対できなかったことを弁明した。

「僕なりの、故郷への想いからのことなんです。一戸から九戸までの地名は、ワンセットとして、後世に遺していくべき財産だと思いませんか?」

「そりゃ私だって、そのことは大切な文化だと思っているよ。しかし、政治はロマンチックなものではないんだ。政治とは日々の生活であり、たとえ近視眼的と罵られようと、明日、明後日の住民の暮らしに対応できる環境を整えていくことが肝要なんだよ。君は、レインボー・チェイサーかい?」

航介は、自分の感性と一連の行動が観念的だといわれたことにショックをうけた。空想家という不名誉なレッテルは、あの日のゼミでも漏れ聞こえていた。航介は動揺を悟られないために、夫人にコーヒーのおかわりを請うた。

「今日、千曳神社にお参りにいってきました。千二百年もの歴史を有する古宮だと聞いていましたが、正直いって、がっかりしました。寂しすぎます。」

駒井は、「ホウ」と興味なさげにうなずき、セブン・スターの灰を囲炉裏に落としこんだ。映画を観ていた子供たちは、テレビゲームに興じている。

「新幹線が八戸から延伸されますが、七戸町としては、どのようなことを考えられているんですか?」

 退屈そうな駒井の様子を見て、航介は駒井に語らせようと水を向けた。航介は駒井に興味があっても、駒井は航介に興味がなさそうだったからだ。案の定、駒井は急に雄弁になった。下北半島への表玄関として、さらに八甲田連峰や十和田湖への東玄関として、大規模なホテルの進出が予定されていることなどを経済効果として語り出した。

 そんな駒井の頃合いを見計らって、航介は一つの提案をしてみた。東北新幹線の開業を期に、千曳神社に多くの参拝客が訪れるような工夫をするべきだと思ったからである。

「千曳神社を改修するための予算を組まれては?」

駒井は表情も変えずに、即座にノーと返事した。「そんなことをしたら公職選挙法違反で捕まるし、そもそも憲法違反となる」という返答だった。駒井は、神社周辺の環境整備ですら、憲法に定められている政教分離を理由に消極的なようだった。

「千曳神社は、観光地としても大化けすると思っています。年間百万人も夢じゃありません。」

航介は、千曳神社の可能性を示すために、使い古した帆布製のリュック・サックから羅経盤と地形図を取り出した。駒井は、東洋的な羅経盤に興味をもち、回転する部分を勝手にくるくると回す。

「君は、なんか変な宗教にでも入っているのかね?」

という駒井の嫌みに、「このエセ保守政治家めが!」と口に出しそうなところを我慢した。

 ちょうどそこに、夫人が白焼きの高級そうなカップに入れたコーヒーを、ふたたび航介の前に出してきた。航介は、「ブラックで良かったのよね」という夫人の言葉を翻し、「ミルクだけいただきたい」と言って、先にスプーンでコーヒーをくるくるとかき混ぜた。

「日本中央碑のことなんですが…。」

 日本中央碑とは、昭和二十四年(一九四九)に、七戸町の隣町である東北町(青森県上北郡)で発見され、両手を広げた程度の大きさの石に、「日本中央」と縦文字で刻み込まれた石碑である。多くの平安歌人に「つぼのいしぶみ」として詠まれ、明治政府も熱心に調査した伝説の石碑が、昭和になって現実に発見されたのである。発見されたのは、石文集落というなんとも示唆的な場所だった。

「あれは、七戸町長である私が言うのもなんだがいかがわしい代物だ。本州最北のこの地が日本の中央であるわけがない。」

「ところが、七戸は日本の中央となったんです!」

 航介は、勢いよく回したコーヒーの中へ少し高いところからミルクを数滴たらした。カップの中は、反時計周りで白い渦が巻いている。そこでは、数秒の間、光と闇の小宇宙が表現されていた。北半球での、北の夜空の縮図だった。

「この辺縁部こそ、日本中央碑がある所なんです。中心部じゃないですよ。カップの縁のところです。」

カップをちらりと見せ微笑した航介は、普段は口にしない、ミルキーなコーヒーをひとくちだけすすった。

「中心は北極星です。カップの縁のところギリギリにある星まで周極星といいます。その周極星の一つを、七戸としたのです。日本の権威として。」

 航介は、「戸」地名の由来が北斗九星を降らせた地上の星であるという仮説で通すことに決めていた。しかし、その根拠としては「観測点南限説」ではない。意外にも、すでに船岡山で気づいていたことだった。

 山王神道である。

 航介は、比叡山と日吉大社で共有する北斗七星信仰が、千年以上前にこの地に伝わって柵戸が築かれたという新たな説をもっていたのである。

 航介は、この地とかの地の共通項を探した。遥か東方に広がる小川原湖が琵琶湖に見えた。背後に迫る八甲田連峰が比良山地に見えた。

 カップを置いた航介は、おもむろにトレーシングペーパーを取り出して「日本中央」という四文字を太めのマジックで書き、その中心線を山折りにした。

「この四文字は、線対称なんですよね。」

そう言った航介は、その山折りしたトレーシングペーパーを元に戻して、今度はそれを裏返しにする。

「こんな見方をしても対称なんですよ。」

そう言って、紙をぺらぺらと裏表に反した。どうやら「日本中央」という文字自体にも、対称をキーワードにした謎が隠されているようなのだ。

「おもしろいわねぇ。」

 それまで二人の話に関わろうとしなかった夫人が、航介の話に関心をもちだした。夫人は、ソファにいる二人の子供に声をかけて、航介の話を聴くように促す。航介が照れる間もなく、次の瞬間、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「いっちー!いっちーじゃないのぉ!」

 風呂上がりのアーニランは、肩からタオルをかけて、航介に走り寄ってきた。その姿は、フェリーで逢ったときの航介の姿と同じだった。若い二人のやりとりに、しばらく目を丸くしていた駒井と夫人だったが、アーニランの自然でいきいきとした表情に安心したのか、駒井も夫人も、この突然の来客への警戒心をいつのまにか解いていた。

 アーニランは、修学旅行での立寄り先として駒井宅にホームステイしていた。親しい友人がいないアーニランにとって、部屋割りの単位で行動を強要される修学旅行は、苦痛このうえなかった。担任も、例外的にこの措置を認めていた。

 しばらく、この必然ともいえる偶然を話題にその場は盛り上がった。夫人も気を利かせて地酒と肴をだし、駒井と航介は盃を交わした。厳密には未成年の航介だったが、田舎の風習でもある数え年をもちだして、駒井の方から積極的に供応した。

 少し酒が入った航介は酔ったフリをして、夫人とその娘、そしてアーニランを前にして「ちょっとエロい話になりますが…」と、くだけた言い方で断りをいれた。

「平安の昔から詠まれてきた『つぼのいしぶみ』とは、男根のことだと思っているんです。『つぼのいしぶみ』ならば、『いしぶみ』に光があたっている。『つぼにいしぶみ』ならば、性交そのものです。」

航介は、あえて漢語を使って、いやらしさを消す配慮をした。

「千曳神社にまつられている祭神は、八衢彦と八衢姫というオスの性とメスの性をもつ二柱の神様です。この『ヤチマタ』という言葉は、『たくさん分岐した』というニュアンスでしょう。」

「いわゆるジャンクションだな。」

航介は駒井の食いつきに安心しながら、記紀に書かれているある神話の話をした。そこには、「ヤマタノオロチ」と読まれてきた「八岐大蛇」が登場する。

「この『チ』音が、とても示唆に富んでいるんです。ヤチマタ、オロチ、そしてタカチホ。権威ある国語学者は、霊性をあらわす音だなんて言っています。しかし、僕に言わせれば、チビキの『チ』音は、チンポの『チ』と一緒なんです。凹凸の凸のことです。」

場がしらけるのを憂慮したが、どうやらイケそうだ。

「一方、『都母』とも書かれる『ツボ』音は、指圧師が圧す『ツボ』からもわかるように、受動的なことのはです。凹凸の凹です。」

航介は、女性たちに遠慮してまわりくどくなり、うまく説明できていないことにもどかしくなった。

「ハッキリ言います。『壷』っていうのは女性器のことなんです。これは、女性よりも男性の方が理解できると思います。」

航介は、駒井に目で助けを求めた。

「入口が狭くて、胴がふくれた入れ物か…。」

酒が入ったコンパの席では下ネタ満載の航介だったが、こういう場では意外と殻を破ることができない。性についての見識や発言は、自称インテリがタブーとしがちな話題なのである。航介も彼らと同じように、政治的イデオロギーとして普及させられてきた性の道徳化ということに気づくことができない、籠の中の小さな鳥だった。

「つまり、その神様のチンポに、『日本中央』という対称的な美が見出される入れ墨がされてあったというわけなんです。想像してみてください。」

声を出して笑ったのは、夫人だけだった。

 航介も、アーニランが金沢に帰校するまでのあいだ駒井宅に世話になることになった。すでに、駒井や夫人から信頼を得ていた航介だったが、七戸町長のメンツに関わりかねないある企みを練っていた。

 他人は、それを駆け落ちとか、誘拐と言った。


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