80ページ目 たとえ誇りを捨てても
眠れない。
何度も目を閉じるが、何度も同じ光景と言葉が頭の中を巡る。あの時のアリウスの言葉、顔。そしてハーヴィンの言葉、顔。
外は薄暗い。まだ皆は寝静まっている時間帯だ。少しだけ散歩をすれば眠れるだろうかと、コノハは庭をフラフラと歩き始める。
虫の鳴き声と風のそよぐ音が合わさり、涼しさを感じさせる音色を奏でている。
「眠れないのか」
後ろから掛けられた声。コノハは僅かに振り返り、小さな声で返答する。
「今日は、色々な事が一度に起きて…………私、どうすればいいのか分からない」
「無理もない。……とにかく今は休むんだ。身体を壊すぞ」
「そういうハーヴィンは何をしているの?」
「俺は…………少し、な」
ハーヴィンは答えをはぐらかす。そして2振りの剣を腰から抜き、おもむろに手入れを始めた。
不思議な形の剣だ。刃の部分は他の直剣よりも短く、代わりに柄尻は杖の様に湾曲し、美しい石がはめ込まれている。
ドラグニティの間に伝わる武器、「杖剣」と呼ばれるものだ。扱うには剣術のみならず、魔法に対する理解や技術が必要な武器であり、ドラグニティの間ですら現在は限られた者にしか扱えない。
何やら不穏な気配を感じ、コノハの表情が不安に歪む。
「ハーヴィン、何かしようとしてる? 私に、いや、皆に黙って」
「……昔から勘がいいなコノハは。さっき空を見たら、ハーピィワイバーンが騒いでいた。あの使われていない畑の辺りで何かあったんだ。少し様子を見に行く」
「畑…………そこは…………」
アリウスが整備を任された畑。そしてそこは、ハーピィワイバーンが巣の一つとして利用している場所。
得体の知れない不安がコノハの脳裏を過る。
そしてそれはすぐに、現実のものとなった。
「ハーヴィン、にぃ!!」
幼い少女が、ハーヴィンの元へ駆け寄ってきた。息は激しく切れ、服は一部が裂けていた。
「ルリ? こんな夜遅くに何を……」
「にぃが、にぃが、ハーピィワイバーンに……さら、うぐ、拐われたのぉ……!!」
「っ!?」
2人の目が見開かれる。ルリは泣きじゃくりながら続ける。
「ヒューマンの、おにーさんとお話ししてたら……ルイのこと、今おにーさんが追ってる、けど……ひっく、にぃ……!! にぃが死んじゃう!!」
ハーヴィンはルリの肩を叩き、優しく抱きしめる。そしてルリをコノハの方へ渡す。
「コノハ、とりあえずルリを家族の元に。あとは親父と叔母さんに伝えてくれ」
「私も──」
「……駄目だ。ハーピィワイバーンはきっと本拠地にしている巣に行った筈。危険すぎる。……それに、丁度良い機会だ」
「丁度良い機会……!?」
含みのある言葉をコノハが追求するより早く、ハーヴィンは口笛を吹いて黒いワイバーンを呼ぶ。それに掴まり、明け始めてきた空へ飛び去って行った。
コノハが寝ていた部屋の中から姿を現したシャディは、飛び去っていくハーヴィンの背を睨む。
「…………ガゥゥ」
大きく身震いをし、翼を広げる。
今の自分では、あの青年に追いつくことは叶わないだろう。だが、行かねばならない。行くことが出来ないコノハの代わりに。
数度の羽ばたきの後、シャディは大空へと飛び立った。
「うわぁっ!」
巣の中に放り投げられるルイ。
何か硬いものと、ネバネバとした塊が散乱するその場所は、酷い臭いで満ちていた。周りではけたたましい鳴き声が響き渡り、次々とルイの上に何かを放り込んでいく。
周りが暗がりで何も見えない。
投げ込まれていく塊に押しつぶされない様に這い出ようとする。しかし、
「グギィィィッッッ!!!」
「ひぃっ!?」
巣の淵からハーピィワイバーンが喚く。鋭い嘴が振りかざされ、額を掠めた。
僅かに差し込んだ朝日が巣の中を照らし、ようやくルイは自分が置かれた状況を理解した。
様々な動物の死体だった。腐り果てた肉には蛆が湧き、骨が見えてしまっている。他にも小鳥や蛙、ハシリウオの様な魚まであった。その全てが、異臭を放っている。
「おぇっ、何でこんなもんばかり……」
ルイはすぐに、その理由を見せつけられた。
ハーピィワイバーン達は次々と餌を啄ばみ始め、すぐにそれを吐き戻したのだ。蒸気を立てる吐瀉物を見ると、骨までドロドロに溶かされている。跳ねたそれがルイの足に当たると、ズボンに大穴が開いた。
「あ、熱い! こ、こいつら、まさか……」
そのまさかだ。
巣の淵を見ると、そこには料理の完成を待つ雛の姿があった。ビィビィと泣き喚き、早く食わせろと訴えている。
自らの立場が餌だと悟った瞬間、ルイは足元が抜ける様な恐怖に囚われた。巣から脱出しようとしても、跳ねた吐瀉物のせいでよじ登ることが出来ない。
そして遂に、ルイの襟首がハーピィワイバーンの嘴に掴み上げられた。
「い、嫌だぁ!! やめろ、離せっ、やだ、やだぁぁぁぁぁっっっ!!!」
小さな身体が、嘴で砕かれようとした時だった。
ルイの身体は横から飛来した何かに拐われ、ハーピィワイバーンの首が大量の血飛沫を噴いて切断された。
身体を叩き割られる痛みが来ないことに気づき、固くつむられた瞼をゆっくり開く。
「間一髪、ダッたな」
「その声…………っ!? 何で、お前、ヒューマンじゃ……!?」
声を上げた瞬間、ルイの意識は眠りに落ちるように沈んでいった。アリウスが発する異常な量の魔力に当てられてしまったのだろう。むしろ好都合だ。
これから起こる惨劇を見せるわけにはいかない。
「…………お前達、ヒトの肉ヲ覚えタな?」
巣の外に落ちていた髑髏を拾い上げ、それを片手で砕く。乾いた音が響き、仲間を殺されて騒いでいたハーピィワイバーン達は一斉に静まり返る。
「こうナッタ以上、お前達トノ共存の道は途絶えた。……駆除する」
鎧から溢れ出した瘴気は瞬く間に巣の中に充満。ハーピィワイバーン達は危険を察して盛んに叫びを上げるが、すでに遅かった。
瘴気を吸った雛や若い個体達は力無く倒れ、眠るように息絶えていく。
成体も徐々に動きが鈍くなっていくが、最後の力を振り絞ってアリウスへ襲い掛かった。
しかし、瀕死のハーピィワイバーン達に容赦の無い斬撃が降りかかる。頭を割られ、胴体を寸断され、翼を斬り裂かれ。弱ったハーピィワイバーン達は叫びすらあげられない。
やがて殺戮の音は止み、巣の中で生きているのはアリウスとルイの2人だけとなった。
あれだけの瘴気が出ていたにも関わらず、ルイの身体は全くの無傷。寝息を立てている。
服があちこち穴だらけになっているが、他に目立った外傷はない。アリウスが巣を去ろうと、ルイを担ぎ上げた時だった。
「これが、お前の本性か」
背後から掛けられた声にアリウスが反応するより早く、身体を挟み込むように大量の剣が降り注ぐ。同時に肩に担いでいたルイを、黒い飛竜が連れ去る。
「あの時に違和感は感じていたんだが…………想像以上だったな。ルイを助けたのには感謝するが……それとお前の力は別の話だ。……危険すぎる」
巣の中にはいつの間にかハーヴィンがいた。その目はまるで、怪物を見ているかのようだ。
「……ナルホド」
「何を1人で納得している?」
「お前モ、夢を失ッタのか」
「意味の分からないことを」
アリウスは自らを閉じ込めている剣に触れる。金属ではない。岩や土に近い感触だ。
「無駄だ、お前にその剣は壊せない」
「地の魔法で造ラレタ剣か。確カにこの強度ハ人間には砕けナイな。……ダガ」
直後、触れられた剣が崩れ去り、土塊と化す。
「強固なモの程、崩すノハ容易い」
「……面白い」
ハーヴィンは2振りの杖剣を逆手持ち──石が埋め込まれた部分を前に向け、不規則な軌道で振る。
途端にハーヴィンの周りから土が巻き上がり、今度は4本の螺旋槍を形作る。それらは全て揺らめく液体、水で出来ていた。
一斉に放たれた水槍がアリウスに大挙し、土埃が舞い上がった。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「終わらぬ黒き夢」




