61ページ目 救済の手
ドラグニティ。
名の由来はユーランスペルで、「竜の血が混じりし者」を指す言葉から来ている。
この世界の竜、ドラゴンは全能の生物。あらゆる生物の言語を理解し、あらゆる魔法を使役する。ドラグニティもその例外ではない。全ての魔法に対する適性を持ち、ユーランスペルを用いて生物と意思疎通が出来る。
だがドラグニティには、禁術とも言うべき魔法が存在した。
竜の血が混じっているとはいえ、身体は人の身。その身体を、真に竜の物へと変貌させる魔法。
しかしそれは二度と、人の身に戻れないものだった。
過去の自分はそれを使い、里を、一族を、家族を守った。二度と人の身に戻れない覚悟を決めて。
だからこそ、マグラスは目の前にいる自らの娘の名を叫んだ。
「やめろコノハ!! お前まで……お前まで竜になる必要は……!!」
地へと引き摺り下ろされた機械竜は身体中から蔓を伸ばし、白い竜を取り込もうとする。しかし蔓は竜に届く前に次々と千切れ飛び、その身に触れることすらままならない。
マグラスの炎やウィスの剣すら通さなかった蔓を弾くほどの魔力が発せられているということだ。
「コノハ!?」
「やめテオけ。今のお前は魔力ヲ吸わレてイル。行っテモ喰われルだけだ」
ウィスは立ち上がろうとするが、アリウスに止められる。黒く汚れきった右手は、見た目とは裏腹に温かかった。
「任せとけよ。アンタの娘は俺が守る」
その時一瞬、本当のアリウスの声に戻り、
機械竜へ向けて駆け出した。
「……今なら、行ける」
機械竜と白い竜が戦う中、ジークは静かに立ち上がる。
懐から予備の注射器と、残り僅かな液体の入った瓶を取り出す。
竜騎士に一度阻まれたが、今度こそ成し遂げてみせる。覚悟はとうに決めた。
注射器の中に液体を入れる。
「……レンさん、怒るだろうなぁ」
なんと言われるのだろう。
馬鹿と言われるか、阿呆と言われるか。それだけならまだいい。
一つ、怖い事があるとするなら、
「愛想尽かされるか、泣いちゃうのは、嫌だな」
ジークは小さく笑い、自らの首筋に注射針を刺した。
本来ならヒューマンは魔法を使えない。
それは脳に魔力腺が存在しない為だ。魔力腺は元素魔法を生み出す為に必要であると同時に、魔力の影響から身体を守る為に必要なもの。
機械竜の体内は高密度の魔力で満たされている。だからこそジークは、裏技を使ったのだ。
ジークが使った薬は、あらゆる魔法触媒を調合して作ったもの。これを使えば魔力腺が発達していない、あるいは持たない種族でも一時的に魔法を使う事が出来る。
脳への損傷を代償に。
揺らぐ視線、浮遊感で覚束ない足。ジークは身体に鞭を打ち、前へと進む。
一時的に魔力を持っているためか、蔓がジークを捉えようと襲い掛かる。
「……っ!!」
手で払いのけようとすると、ジークの手から輝く光が現れた。光は蔓を飲み込み、結晶のようなもので包む。
「調合…………間違えちゃったかな…………?」
詠唱も無しに強力な魔法を放つ。これがどれ程異常で、どれ程危険な状態か。分からない彼ではない。
周りを満たす高濃度の魔力に比例し、自らの体を巡る元素魔法も容赦無く放出され、生産する。体への負担は計り知れない。
次々と蔓を払い除け、一歩一歩進んで行く。2人がいる場所まで。
その時、一際太い蔓が大挙して来た。払いのける程度では捌き切れない。危険だが、魔力を収束させて迎え撃とうとする。
だがそれらは黒い剣閃によって切り崩された。
「…………兄、さん?」
黒い鎧に身を包むその姿は見違えてしまうほど勇ましく、哀しかった。それでも逃げずに背負い続け、戦い続ける剣士。
「行けよ。お前なら、助けられる」
「…………あり、がとう」
横を走り抜けて行く。
やがて機械竜の腹部に辿り着いた。幾重にも折り重なった蔓と鉄屑で守られているのは、レムリアの意思なのだろうか。
ここを出たくないと。
外に出るのが嫌だと。
「……迎えに来たよ、レムリア、レンブラント!!」
熱を帯びた両腕を、機械竜の腹部に突き立てた。鉄屑を掻き出し、蔓を掻き分ける。
その度にえづくような感覚と強烈な頭痛が訪れる。中から漏れ出した高濃度の魔力のせいだろう。対策をしていなければ今頃、ジークの体は破壊されていた。
「レムリア、レンブラント……!! 出て来てくれ、頼むから……!!」
そして遂に、蔓の隙間から銀色の髪が見え始めた。掘り進める手を急ぐ。
しかし、背中に激痛が走った。
「が、は……!!」
掻き分けた蔓が、ジークの背中を貫いていた。せり上がってくる感覚と共に喀血する。
ジークの手に細い指が絡まる。
「ジークサン…………ジーク、サン…………」
「レムリア……!」
這い出して来たレムリアの姿は変わり果てていた。顔の外皮は半分剥げ、眼からは血の涙を流す。引き攣った笑みを浮かべながら。
「イッショニ……イッショ……」
「やめてくれ……もう、こんな、うっ!?」
更に背中に蔓が突き刺さる。どんどん引き摺り込まれ、ジークの背中にレムリアの手が回される。甘える声が耳元で囁かれる。
「パパ…………ママ…………イッショ…………」
「レム、リア……!」
「見失うな青年!!」
声が響き渡り、ジークの意識が引き戻される。同時に閃いた槍がジークに突き刺さった蔓を全て切り裂いた。
「…………そうだレムリア、一緒にいる。でもこんな狭い所じゃない。もっと、もっと広い世界で!!」
レムリアの手を掴み、一気に引き上げた。抵抗する間もなく。
機械竜は悲鳴の様な叫びを上げ、形は崩れていく。
蔓が綻び、支えを失った身体は吸収したものを次々と吐き出していく。瓦礫、ゴーレムの残骸、巻き込まれた動物や住人達。
そして体内で濃縮された魔力は大量の光の粒子となって弾け飛んだ。まるで雪の様に降り注ぎ、地面に吸い込まれていく。
「これは……!?」
ウィスはただ呆然とそれを見ていた。機械竜の歯車は暴発する事なく、その魔力を還元して消滅した。
「そうだ、コノハは!? コノハ!!」
木を支えにして立ち上がり、娘の名を呼ぶ。気づけば白い竜の姿は消え、気配すら感じなくなっていた。
「コノハ……!」
「大丈夫だよ」
振り向くと、そこにはコノハを抱きかかえたアリウスの姿があった。寝顔は安らかで、静かに寝息まで立てている。
「目立った傷も無い。魔力切れか何かかもな?」
「もう……心配かけさせて……!」
目に涙を浮かべ、ウィスはコノハに寄り添う。
「コノハァッ!!」
巨大な声と暴風と共に、マグラスが空から飛来してきた。あまりの爆音に、コノハの目が薄く開き始める。
「シーっ!! 今寝てるんだから静かにしなさい!」
「い、いや、すまん……だが無事で良かった……」
マグラスは安堵し、胸をなで下ろす。
その様子を見届けると、アリウスは光の粒子が登る場所に目をやった。
遥か遠くでは、機械竜から這い出てきたリンドブルムと共に空へ飛び立つ人影が見える。
分かってもらえたのかは分からない。だが今度会った時には、腹を割って話し合わなければならないだろう。
これからの自分について。
蔓を掻き分けていくと、ジークは白い肌をした手を見つける。
周りの蔓を退かし、レンブラントの身体を引っ張り出した。服はボロボロだが、身体には傷は無い。そして外に出ると、ゆっくり目を開いた。
「ジー…………ク…………?」
「……よかった」
ジークはレンブラントを抱き締める。体温を、拍動を、改めて感じる。
生きていることを、確認した。
「……っ! レムリアは!? レムリアはどうしたんだい!?」
「……付いてきて」
レンブラントの手を握り、残骸が並ぶ道を歩く。
あの機械竜の中で、レンブラントはレムリアの訴えを聴き続けていた。
一人になりたくないと、皆と一緒にいたいと。泣きながら自分に訴え続けていた。
蔓に身体を縛られ、口を塞がれていた為に喋ることは出来なかった。だから今、伝えなければならない。
やがて、ジークの足が止まった。
「レ、さん……ジ、ジー、ク、さ、サン……」
失ってしまった両腕を必死に伸ばし、レムリアは訴える。
「ミ、なと、一緒がいいよ……一人、で、いるの、いや…………!!」
訴え続ける。
遥か昔、自らを逃がしていなくなってしまった、ヴェグバイン博士。
戦いの道具のまま、何も知ることなく散っていった他のヴァニティドール達。
皆、自分一人を残して死んでいった。自分は死ぬ時も一人のままなのかと。
「やだ……やだぁ……!!」
「レム、リア……!!」
レンブラントは膝をつき、レムリアの身体を強く抱き締める。
「一人じゃないよ! 私も一人だったけど、今はもうそうじゃない! レムリアを一人になんかしない!! ずっと一緒だよ……ずっと、ずっとずっと……!!」
「レ、ブラント、さん…………」
すると、今度はジークが2人を抱く。優しい笑顔のまま、顔を涙で濡らして。
「だって、僕達は……家族だから」
「ジーク、さん……!!」
1人じゃない。
レムリアはやっと理解した。そして、少しだけ後悔した。
もっと早く気づいていたら。もしかしたらもう少しだけ、大好きな人達と過ごせたかもしれない。
でももう、十分救われた。
もう、寂しくなんかないのだから。
「あ、り、とう…………パパ、ママ……」
甘えるような笑みを浮かべ、
レムリアの身体は風に流され、塵となって消えていった。
歯車が転がり、2つに割れた。
「レムリア……!? レ、ムリ…………う、ぐぅ…………あああぁぁぁ……レムリアァ……!!!」
レンブラントは割れた歯車を拾い、胸に抱きながら涙を流す。
ジークは風に流される塵を手に掴み、目を静かに閉じた。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「傷痕と思い出を」
ずっと一緒だ。この痛みも、君との思い出も。




