62ページ目 傷痕と思い出を
その後の出来事は、流れる様だった。
レムウィージスは半ばから大穴が開き、内部では散らばった本棚を整理する人々で一杯だった。
後でキングから届いた手紙によると、街自体の被害は少なかったらしい。だがレムウィージスに絡みついた蔓は硬く、どんな道具や魔法を用いても千切る事も取り除く事も出来ないらしい。
結局どうしたかというと、そこの本棚だけは使わないようにしたらしい。取り除けないのなら仕方がない、という事で決まったそうだ。
手紙の最後には、また遊びに来いよ、と記されていた。
あの小さな嬢ちゃんと一緒に、と。
ケーブの街はというと、機械竜に呑み込まれて壊滅的な被害を受け、今は復興に専念しているらしい。
ビルツから届いた手紙には、日記の切れ端のようなものが添えられていた。本棚の奥深くで見つけたらしい。あの騒動でひっくり返った本棚を整理していて見つけたらしい。
そこには、ヴェグバイン博士の遺言、懺悔が記されていた。
生み出し、戦に送り出した数々のヴァニティドール達に、実験台にした子供達に、最後に1人にしてしまったレムリアに。
申し訳なかったと。許して貰わなくてもいい、否、自分の事を許さないで欲しいと。
2度と自分の様な悪魔を生み出してはいけないと。そして、どうか、幸せに生きて欲しいと。
「…………」
レンブラントは2人から貰った手紙を読み、小さく微笑んだ。後で落ち着いたら返事を書かなくてはならない。随分世話と迷惑を掛けてしまった。
だが今は、
「ジーク。朝だよ」
随分と目覚めが悪い同居人を起こしに行く。声を掛けても起きる気配すらない青年の毛布をゆっくり剥がすと、静かに背中を叩く。
「ジーク」
「…………?」
すると眼が開き、寝ぼけた様にレンブラントを見つめる。
「あ〜…………えっと…………?」
「レンブラントだよ。昨日やっと覚えてきたじゃないか。忘れないようにしな」
「あ、そうそう。レンブラントさん、レンさん、だよね」
「うんうん」
思い出したかのように頷くジークに、レンブラントは相槌を打つ。
あの日、レムリアが去ったあの日から。
ジークの記憶は全て消えていた。
レンブラントの事も、コノハの事も、実の兄であるアリウスの事さえ、彼の頭の中には存在しなかった。
それだけではない。記憶力も、著しく衰えていた。つい先日、ようやくレンブラントの名を覚えたというのに、一瞬忘れてしまうほど。
「ほら、朝ご飯だ。早く食べよ」
「うん。いただきます」
レンブラントが用意した朝食。耳が焦げ付いているトーストに、不揃いな切り方の野菜が盛られたサラダ、そしてホットミルク。
普段から適当なものしか作らず、ジークが来てからは任せっきりだった料理。久しぶりに作るようになったが、まだ彼の味には程遠い。
いつか、自分がジークの料理を再現すること。それが今の目標だ。
「ん、美味しい」
「そ、そうかい? 焦げちゃったんだけど……」
「美味しいよ。よくは分からないけどね」
ジークはパンを咥えたままはにかむ。その笑顔が何故か、心を締め付けた。
「ジーク……!!」
「……んむぐっ?」
レンブラントはジークの頭を抱いた。最初は息苦しそうにモゴモゴ言っていたが、やがてジークは身を預けた。
「記憶が無いなら…………作っていこう。レムリアも一緒にいる。だから…………っ……!!」
「レムリア…………? レムリアって…………」
聞いたことの無い名前の筈なのに。
それはとても大切な名前のような気がして。
涙がポロポロと流れ落ちる。
レンブラントとジークの首に下げられたネックレス。そこには少し不自然なくらい大きく、少し錆び付き、2つに割れた歯車があった。
ジークの瞼の裏に、かすかに見覚えがある少女が映った。
少女は小さく笑って、ゆっくり遠ざかって行く。
「また、いつか、会いましょう。その時は…………本当の、家族として…………」
思い出の少女は消えて行く。
冬と共に。
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コンコンと、ドアを叩く。
だが彼は、返事すらしない。
「アリウス……」
呼びかけてみる。相変わらず反応はない。
「食事、ドアの前に置いておきますからね……」
今日もダメだった。
ジークが記憶を失ったあの日から、アリウスは部屋に閉じ籠ってしまった。
どれだけコノハが呼びかけても、どれだけドアを強く叩いても、アリウスは何も話さなかった。
日にちばかりが過ぎて行く。
だがこの日だけはおかしかった。
いつもはドアの前に置いた食事は空になっているというのに、今日は口をつけた形跡すらないのだ。
ドアに耳をつける。生活雑音すら聞こえない。
「アリウス!? アリウス!!」
嫌な予感が頭を過ぎり、ドアノブを回そうとする。しかし鍵はかかったまま。
すると、
「ピフピフ」
「シャディ!? …………あ、これ、アリウスの部屋の鍵……!」
「ピィ」
鍵穴に差し込むのさえ何度も失敗し、やっと嵌め込む。体当たりするような勢いで開け、中を確認する。
中にアリウスの姿は無く、開いた窓から風がそよいでいた。
「っ!!」
転げ落ちそうな勢いで階段を降り、家を飛び出した。
宛てなんかない。どこに行ったのかなんて分からない。
それでも、走らずにいられなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……黙って、いなくなっちゃうなんて…………!!」
過去のことを、話してくれるんじゃなかったんですか?
やがてどこに向かえば良いのか分からなくなり、立ち止まってしまった。
グラグラと、支えを失ったように揺らぐ心。吐く息は白く染まり、宙に上っていく。
「何処に…………行って…………」
ーー こっちだよ。コノハちゃん ーー
「え……?」
優しい声が聞こえる。あの時、自らの姿が竜に変わった時にも聞こえた声。
その声がする方向に連れられ、歩を進める。
ーー コッチ、コッチ! ーー
ーー モウ、アリウスッタラ、コンナ可愛イ娘ヲホッタラカスナンテ ーー
ーー はいはい。さ、おいで ーー
小さな子供のような声も聞こえる。彼女達を追っていくと、そこは丘の上にある、1本の巨大な木だった。
その下では、
「あ……」
「ん? …………あ、コノハ、どうしたそんな薄着でーー」
「馬鹿ぁっ!! 何してたんですか!?」
枯れた草を踏み、駆け出したコノハはアリウスに抱き着く、否、タックルした。
「うごぁっ!?」
地面に倒れ、後頭部を打ち付けたアリウスは変な悲鳴を上げる。
すると、隣に立てかけていた剣が倒れた。
その刀身は以前とは違い、黒く染まったままだった。
「いや、な、ずっとこの剣を戻す方法を考えててな。それに…………」
黒く変色した右腕をコノハに見せる。
「こいつもどうにかしなくちゃならない。こんな腕してたら気味悪いだろ?」
「そんな事ないです!」
その右腕を掴む。
まるで竜の甲殻の様に硬い感触、そしてジンワリ伝わる冷えた温度。
だがもう、そんな事では戸惑わない。
「約束、忘れてませんよね?」
「あ? あぁ…………まぁな」
「なら、戻ったらお話しして下さい。ね?」
一転、厳しい表情から柔和な笑みに変わる。
この笑みを見ると、自然と気持ちが和らいでいく。
正直な話、今でもまだ迷っている。
今回の一件で、改めて自分の非力さを痛感した。こんな力を得ても、結局何も守る事が出来なかった。
弟の記憶も、ヴァニティドールの少女の想いも、何一つ。
まるで取り零してしまった自分を責める様に、黒くなった右腕。
「…………まずは戻ろう。長くなるしな」
アリウスとコノハは家に戻る。暖炉では火が燃え上がり、側ではシャディが眠る。
湯気を立てるコーヒー。それらが置かれたテーブルを挟み、2人は向かい合った。
時は2年前まで遡る。
サピヨンの花が咲き乱れる、冬の物語。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「始祖の村」
俺が彼女と出会ったのは、始まりの人と呼ばれる人々の村だった。




