ヒッチハイカー
地上に出ると、目の前にどんっと都心環状線の高架が現れた。
そのほかにはビルと、住宅街ばかりで面白味の少ない都会の街が広がっている。大津通りを挟んだ先には、駅名の元になった東本願寺別院と、そのすぐ側にテレビ局のビルが伺えたが、それらも町の中に埋没していてあまり目立たない。
車社会の名古屋にもかかわらず、走行する車は見当たらなかった。
人が消えてしまったせいだろう。
ずいぶん静かだ。
目的の熱田神宮まではまだちょっと距離があるが、とにかく歩くしかない。
「ごめんね。
カフイちゃんも悪い子じゃないの」
サクラさんが言った。
「熱くなるとちょっと周りが見えなくなっちゃうから」
「サクラさんが謝ることじゃないよ」
「そう言ってくれると助かるかな」
ユズやアカリといい、眷属の巫女達も一枚岩ではないらしい。
「あの子はあの子なりに、大樹ちゃんが好きなの」
サクラさんはそんなことを言いながら、きょろきょろと道路を見渡す。
なにを探してるのかと視線の先を追うと、一台の白いワゴン車がやってきた。
「あ、来た来た」
そう言ってサクラさんはサムズアップを突きつける。
「え。ヒッチハイク?」
するとキッ! とブレーキを鳴らせて車が停まったではないか。
「おう、綺麗どころじゃねぇか! お嬢さんたちどこまで行くんだいっ!?」
運転手が威勢のいい声で聞いてくる。
……なんとなく想像ついていたが、運転手はやっぱりブギーマンだった。
今度は、これから港に出かける釣り人ような格好だった。
「熱田神宮までいいかしら?」
「いいとも、のんな!」
葵を合わせた三人はワゴンの後部座席に乗り込んだ。
車はエンジン音を奏でて大津通りを走り始める。
「……ねえ、あの男は一体何なの?」
大樹はサクラさんに尋ねてみた。
「んー? むかしの知り合いかな?」
「そこかしこに出てくるじゃない。通算三回死んでるし。どうなってんの?」
「いろんなキャラクターになるのが好きなんだって。
便利だからいいじゃない」
良くはないだろ……。
やっぱりこの人たちは自分たちの常識とは別の次元で生きてるのだろうか。
まあ、そもそもすでに人じゃないしな。
「それで、もし草薙の剣を見つけたら、次はどうすればいいの?」
少しして、大樹はそう切り出した。
「大樹ちゃんは東京に行くのは辞めないんだよね。
だったら、ユズちゃんやアカリちゃんの説得かな」
「説得? だって、あいつらの目的は剣を見つけることでしょ?」
「あー、ちょっと誤解があるかな。
葵ちゃん達はね、大樹ちゃんに草薙の剣の所有者になって欲しかったの。
ほら、祭壇も管理する人が居ないと徐々に朽ちていくでしょ?
葵ちゃんが力を維持するには、そういう誰かが必要なの」
「え、でも、アカリ達は結果的に葵をやっつけたけど、それはいいの?」
「うーん、良くは無いけど、しかたないってとこかなー。
葵ちゃんが倒れても、出雲にある……まあ神様の病院みたいなところで休ませればいいわ。いつかは今ぐらいの力を取り戻すはず。
ざっと千年位かかると思うだけど」
ほんと、突拍子も無しにスケールでかいよな。
「じゃあ千年間名古屋は無人ってこと?」
「ううん。さっきもちょっと言ったけど、この土地は別の土地神が護ることになるの。
そうすれば消えた人たちも、ちゃんと戻ってくる」
「葵は土地神をクビになるってわけか」
「そうね。でも神体抜きで葵ちゃんに生きててもらうには、それしかないわ。
アカリちゃんたちは、とにかく葵ちゃんには生きてて欲しいからそうしたの」
「……でも、それ、そんなに悪い話とも思えないんだけど」
そりゃあ、大樹の主観からすれば葵に千年も入院されたら困る。
だが眷属たちはそうではないだろう。
入院さえさせてしまえば葵は消えないし、名古屋は復旧する。言うことナシだ。となると、葵が大樹に神体を探させようとしたり、内輪もめして頑張る理由がわからない。
するとサクラさんは首をかしげて、
「うーん、そうかなぁ。だって、名古屋が名古屋じゃなくなっちゃうんだよ?」
「え、ナニソレ初耳」
「あれれ? 言ってないっけ?
……ほら、日本史とかで急に土地の名前が変わったりするじゃない。
あれはね、その場所で土地神の交代劇があったからなの」
「戦国武将や政治家が名前を変えたんだと思ってた」
「もちろん表向きには人間たちが変えた事になるよ。
でね、そうなるとね、風土や人柄も歴史の中に消えて、その土地は全然違うものになっていっちゃうの。名古屋がまったく別の土地に変わっちゃうんだよ」
「ギャハハハ、尾張はオワリってね!」
ブギーマンが急に口を挟んだ。
「お前は黙って運転してろよ!」
「あ、ちなみに、名古屋も尾張から改名してるけど、あれは葵ちゃんがやったの。
ほら、ヤマタノオロチだから尾を割るっていうの嫌だったんだって」
「気分で地名変えるなよ!」
ことごとくいいかげんな神様である。
「まあつまりは、みんなこの名古屋が好きなんだよ。私達はずっと見てきたわけだし。
だから、一度でいいから助けて欲しいな。
大樹ちゃんにはそれだけの力があるから。
そのあとに名古屋を出て行くのは、私は止められないと思うけど」
「……その、私がなんかすごいって話、絶対なんかのまちがいよ。
私、別に神通力とか持ってないもん」
サクラさんはけらけらと子供のように笑った。
「あはは、可笑しいんだ!
散々オロチ神をぶってたのに!」
「え、それは別でしょ?」
「ううん、葵ちゃんを苛めるなんて、誰にでも出来るわけじゃないんだよ。
そういうのはね、あんまり自覚できないのよ。案外、見えてた人の半分は神様だったりするかもよ?」
「そ、そんなもんかなぁ……」
そうやって言われると、なんだか漠然とした不安が襲ってくる。
「そんなにびっくりしなくても大丈夫よー」
っと、サクラさんはまたけらけらと笑っていた。
なんだかなぁ。呟いて、大樹は持っていたういろうを銜えた。
さっきアカリにやられた時にだいぶ数が減ってしまったから、大事に食べないと。
車は伏見通りに入り、やがて金山駅が現れる。
JRと名鉄の各線路が並ぶ中規模の駅だ。
もともと集中したアクセスにより客足が多い立地条件だったが、ここ最近のうちに急激に駅前開発が進んで活気が増していった。南には美術館とホテルが入った巨大なビルが立ち、北側には小さいながらもおしゃれで、頻繁にイベントが行われる複合商業施設アスクル金山ができるなど、多くの名古屋人が行き交う駅となった。
大樹と葵もなんどか食べ歩きに出かけたことがある。
……もしここから電車に乗れば、次の駅は名古屋駅だ。
そこでシロの襲撃を受けなければ、大樹は名古屋を出て東京にたどり着いただろう。
でもそうしたら、葵には会えなくなり、名古屋は名古屋ではなくなっていたかも知れない。それは、やっぱり……ちょっと寂しい。
名古屋にはいい思い出ばかりじゃないけれど、でも、自分の過ごした土地だ。
……自分は、名古屋をそんなに嫌ってなんていないのかもしれないな……。
「あ、運転手さん、ちょっと止めて」
不意にサクラさんがそう言って、車が停まった。
「どうしたの?」
「チャーがいる」
視線の先で、チェーンソーがぴょこん、ぴょこんっと跳ねていた。
錦三で大樹を襲った、エプロンの幼女だ。
相変わらず身の丈と同じくらい長い刃の電ノコを振り回してスキップをしていた。
突然ぴたり、と立ち止まると、電柱を相手に何を思ったのか、
ギャイィィィー!!
っとチェーンソー攻撃を仕掛け始めた。
「……居たな、あんなの。
あの子も葵の眷属?」
「そう。一番年下のチャー」
「ばーうー♪」
チャーは攻撃をやめ、なにが楽しいのかきゃっきゃとはしゃいでいる。
「チャー! こっちこっち!!」
サクラさんが手招きをすると、それに気づき、パタパタ走りよって、
ギャイィィィィー!!
っと車を斬りつけ始めた。
「見境ナシかよ!?」
「あはは。ダメよー、チャー。
葵ちゃんがチェーンソーあげたら、すっかり気に入っちゃって」
「こいつか!
やっぱりこいつが悪いのか!!」
葵の頭を強めに殴ってやる。
サクラさんはチャーを迎えるためにドアを開いた。
「あ、こーちん!!」
ギャイィィィィィン!!
大樹を見たとたん、再びチェーンソーが駆動した。
そして明らかに大樹を狙って斬りかかる。
「ひぃぃッ!!」
「チャー、違うの。映画はおしまい」
サクラさんが諭すと、ふぇ、っと疑問符を浮かべて凶行を辞めた。
「おしまい?」
「そう。葵ちゃんが倒れちゃったから、おしまい」
「ばう」
従順に頷いて、チャーはポシェットをごそごそとやり、何かを取り出した。
「コケーッ!!」
……鶏だ。生きた鶏をポシェットから出してきたのだ。そして、
「こーちん!」
っと言って大樹に突きつけた。
「こーちんって、名古屋コーチンの事言ってたのか……」
「コケーッコッココォ!!」
名古屋が誇る高級地鶏は逆さづりにされながら、バッサバッサと喚く。
「親愛のしるしにあげますって」
「コッコッコ、コケーッ!!」
「い、……いや、生きたままの鶏もらっても……」
「ココォ、コケーッコッコ!!」
「ふぇ?」
大樹が何に当惑しているのかわからない様子で、チャーが首を傾げた。
「大樹ちゃんね、コーチンは食べられるほうが良いんだって」
サクラさんがそういうと、合点がいったようで大きく頷き、
「ばーうー♪」
名古屋コーチンを天に放り投げた。
「コケ────────ッ!!」
そしてチェーンソーを駆動させ、
ギャィィィィィ、ズギシャッ!!
コーチンの首を寸断!!
「ひぃぃぃ────────────ッ!!」
大樹の絶叫はチェーンソーの駆動音に掻き消える。
「ばーうー、こーちーん♪」
まさしく血の雨が降り注ぐ。
鮮血と白い羽が舞う中、チャーはチェーンソーを振り回して次々とコーチンを切断していく。コーチンの肉塊はチェーンソーの刃で跳ねては落下、跳ねては落下を繰り返してされるがままにどんどんバラされていく。
そして最後に、どさりっと新鮮なササミ肉が落ちてきた。
驚くべきことに、店頭に並んでいる商品のごとく綺麗に処理されていた。
「あい、こーちん!」
エプロンと顔面を真っ赤に染め上げ、チャーが無邪気にそれを突きつけてきた。
「あ……ああ……」
「あい!」
「あ、あ、……ありがとう……」
処理までしてもらって、もう文句も言えない。
受け取ったお肉は、まだとっても温かかった。
「大樹ちゃんすごいわ。葵ちゃんなら二秒で卒倒してるところよ」
気が弱すぎだろうオロチ神……いや、でもこれは気持ちがわかる。
「チャーはトサツがお上手ねー」
「ばーうー♪」
大樹には物騒にしか思えない褒められ方をして、チャーは大喜びしている。
「……これ、どうしよう」
「トランクの釣具入れに包丁とかしょうゆとか一式、あるぜ」
困っていると、ブギーマンがそう言ったのでお刺身にして食べた。
とてもおいしかったです。




