東山動物園のプール
「た……ちゃん、たいき……おき……。
大樹ちゃん、……起きて」
体を揺すられて、ハッとなる。
ボーっとする意識が徐々に現実に追いついて、
「……私、……寝てた?」
目の前のサクラさんが、困ったような顔で頷く。
ブギーマンの運転していた車の中で、大樹はいつの間にかぐったりしていたのだ。
「ご、ごめん。こんなときに緊張感無くて」
「疲れてたのね。着いたよ」
まだふらふらする頭に渇を入れながら、導かれて車の外に出る。
熱田神宮の見上げるほど巨大な鳥居が大樹を待って……ない。
入り口の門にはコアラやライオンなどのデフォルメされた動物たちが笑顔で「ようこそ!」というロゴを護っている。
その上には「東山動植物園」と施設名が書かれていた。
東山スカイタワーや観覧車が門の上から垣間見える。
「え、東山……?」
東山動植物園。日本で始めてコアラ舎を作ったのがご自慢の、千種区にある広大な施設だ。終戦直後のノンフィクション、象列車の舞台としても有名だ。
「熱田じゃなかったの?」
そう尋ねると、サクラさんは首をかしげて、
「あら、予定変更になったじゃない」
「そ、……そうだっけ?」
「寝ぼけちゃってるのかしら?」
岐阜方向に向かう千種区と名港方向の熱田区は、出発点になった中区・栄から見てまったくの別方向だから、結構な時間をかけたことになる。
そんな長い間寝ていたのだろうか……?
「行きましょう。草薙の剣はもうすぐね」
ぼーっと考え込んでいると、サクラさんが促す。
そうだ、呆けている場合じゃない。
少しでも早く葵を助けなくては。
門への階段を上るサクラさんを追い、大樹も急ぐ。
園内も人気が無かったが、代わりに獣の臭いで充満していた。
そこらでギーギーと何かの鳴き声が響き、過ぎる檻の動物がこちらを見ている。
ライオンもキリンもサイも、皆こちらを見ている。
普通、園の動物はもっと奔放で、こちらには見向きもしないイメージが大樹にはあるのだが、どういうわけか、そろって檻のセンターに立ちじっとこちらを見ているのだ。
──気味が悪い。大樹は檻の前を歩むのが億劫になってきた。
「急ぎましょう」
サクラさんに催促されて、気を奮ってその後に続く。
「それで、……どこにいくんだっけ?」
一口に園と言っても、東山動植物園はかなり広く、動物園、植物園他、様々な施設が併設している。サクラさんの様子から、捜索ではなくてどこかを目指しているようだが、困ったことに大樹は予定変更後の目的地を覚えていなかった。
「ついてきたら、わかるよ」
サクラさんは短く答えて先に進む。
この人こんな凡庸としていたかな? そんな疑問が浮かんだが、動物園の空気に飲まれているのだろうと決め付けて払拭した。
サクラさんは直進を続け、たどり着いた所は動物園エリアの最も奥の湖だった。
動植物園全体としては中心部分に当たる。
中規模な人工池で、休日にはボートで遊覧する客で賑わう。〝東山のボートにカップルで乗ると、その二人は別れる〟という都市伝説があったな、なんて場違いな事を大樹は思い出した。乗る相手の居ない自分には関係ない話だが。
「ここの底に、剣が眠っているわ」
いつの間にそこまで話が進展したのか。さすがに大樹は妙だと感じた。
「草薙の剣は長い間行方不明なのよ。どうしてこんなところに沈んでるの?」
「それはわからないわ。
今は早く剣を見つけるべきよ。
……さあ、ボートに乗って」
ボートが風に揺られてきぃっと音を鳴らす。これに乗ると、周囲は水。
どことなく逃げ場がなくなってしまう気がした。
大樹が躊躇をしていると、
「葵ちゃんを助けたくないの?」
「……うん。わかってる」
大樹はボートに乗り込む。ボートが水面を滑り始めた。
湖にボートに、セーターの女性……なんかこんなシーンあったな。
漠然とそう思ったが、何のシーンだか思い出せない。
まあ、今は関係あるまい。
「それで、次にどうするの?」
大樹はそう尋ねたが、誰も居ない。
目を離した途端に、サクラさんの姿を見失ってしまったのだ。
「サクラさん……?」
ボートは風に乗ってするすると水面を進む。湖の中心に向かってするすると。
大樹は一旦陸に上がろうと思い、オールをこぎ始めた。
だが、ボートは止まらない。オールからは水の抵抗を感じず、まるで空気をかいているかのように力が伝わらない。ボートは導かれるように先に進み続ける。
「なにこれ……ッ!!」
大樹は必死でオールを漕いだが、その意思を完全に無視してボートは進む。
……そうだ、思い出した!
湖にボートといえば、〝十三日の金曜日〟のラストシーンじゃないか!
水辺に逃げて安堵したヒロインを、少年ジェイソンが水中から襲い掛かってくる有名なシーン……なんで忘れてたんだ!?
「やばいっ、これ、罠だ!?」
どの眷属の仕業かわからないが、映画になぞって事を起こすのがやつらのやり方だ。
ボートは進む。シーンを再現するために、するする進み続ける。
……こうなったら、迎え撃つしかない。映画の通りなら背後から敵はやってくる。
ボートが止まる。湖のちょうど中央のあたりだ。
ギィーギィーッ……動物の鳴き声が響く。
そして静寂。
ごくり、とのどが鳴る。
敵が背後から来ることがわかっていても、緊張が拭えるはずもなかった。
来るなら、さっさと来てくれ……!
──おーい!
「……?」
緊迫した大樹に、岸辺から誰かが声をかける。
──おーい、大樹ちゃーん!!
誰かが走ってくる。
あれは、葵じゃないか。
よかった気がついたのか……なんだあの格好は。
紺色で体にぴったりとした、いわゆるスクール水着?
ご丁寧に胸に白い名札をつけ、「あおい」とひらがなで書いてある。
頭にある白い三角形の突起は、あれか、猫耳ってやつか?
白昼の動物園を背景に、猫耳スクール水着で駆け寄ってくる葵。
浮いてる。
とんでもなく浮いている。
あまりにも間抜けな光景に緊張がすっとんでしまった。
「たいきちゃーん、こっちおいでよー!」
ネコミミ葵は跳ねて手を振る。
ぴょんぴょん跳ねて手を振る。
なんか、変だな……。
「行けたら行ってるわよ!」
大樹が文句を言いながら立ち上がったそのとき、
ザバァ!!
背後から水音、しまった、油断したッ!!
完全に葵に気をとられていた大樹は、首元をむんずと掴まれた。
背面から水中に引きずり込まれ、大樹はパニックになる。
必死でもがくが相手は放してなどくれない。
これは……やばい……ッ!!
水を大量に飲んでしまった。
息も出来ないフィールドで、大樹の脳裏に〝死〟の一文字が浮かぶ。
そのとき、体が強く引き寄せられた。
誰かが大樹の腕を掴んで導いているのだ。
水の中から岸辺に引っ張り上げられる。
「大樹ちゃん、大樹ちゃんッ!!」
葵の声だ。
葵が水に飛び込んで助けてくれたのだ。
「大樹ちゃん、目を覚ましてッ!!
……ああ、ダメだ、息をしていない!!」
葵は勝手に大騒ぎを始める。
──あー、そうか。そういうことか。
そこで疑問は全て解消した。
「こ、こうなったら、止む終えなくてしょうがなくて仕方ないね!
大樹ちゃんの命には変えられないね!
マウストゥマウスしか方法はないね!」
大樹は目をかっと開き、そしてがしっと葵の頭を掴んだ。
「いいかげんにしろよ、ニセモノ」
「……あれれ?
ば、ばれちゃったかしら?」
「当たり前だ!
葵が猫耳付けてでてくるわけねーだろ!!
しかも水に入る前提で水着とか出来すぎなんだよ!」
頭を抑え付けて形成を逆転する。
これはフレディもどきの夢だったのだ。
どういうつもりか執拗に大樹に迫るニセ葵の、唇を奪おうとする作戦だったのだ。
「そんなぁ。葵ちゃんが普段野暮ったいだけに、ポイント高いと思ったのに……」
「だから日本語を話せーッ!!
これ、またあんたの夢でしょう!?」
「ククク、バレテシマッテハしょうがない」
ニセ葵がぐにゃりとゲル化し、拘束する大樹の手をすり抜けると再び元の姿に実体化して立ちはだかる。……は、いいがなぜか猫耳はウサギのそれに変わり、衣装も体操服にブルマという出で立ちに変化している。
「オロチ神が眷属、夢使いのクロがお相手いたします!」
「……いいんだけど、その格好は何?」
「ブルマは国内の特定人種の間では未だ現役ですから。
どうですか? 葵ちゃんのウサ耳ブルマ! ぐっときませんか!?」
ニセ葵は尻をこちらに向け振ってきた。
ご丁寧に付いている丸い尻尾がスイングする。
「いやぁ……全然」
「うそ!? なんで!?
この! 紺色の生地とハイライトで強調されたラインですよ!
ちゃーんと葵ちゃんの原寸大を再現してるんですから!
ほら!
ほらよく見てくださいよ!! ほらほら!!」
「尻を寄せるな。
一体何がしたいんだお前は。
急いでるからさっさと夢から出して欲しいんだけど」
するとニセ葵はむんと胸を張って、
「そうはいかないんです!
葵ちゃんを助ける前に、葵ちゃんとの関係をステップアップしてもらわないと!!」
「はぁ?」
「私、思うんです。そもそもお姉さまと葵ちゃんの関係がうまくいっていればこんなことにはならなかったのだと!!
二人が奥手で互いの想いに気づかなかったからこんな事になってしまったのだと!!」
拳を振り上げて何か力説を始めた。
「なんか、もう……否定するのもめんどくさいな、お前」
ここまでアホだと逆に感心する。
「お姉さまに責めのイロハを覚えていただけるなら!
ええ、クロはひと肌でもふた肌でも脱ぎますとも!!」
っと言ってホントにポイポイ脱ぎ始める。
東山動物園を背景にいちごパンツ一丁。
まるで露出狂だ。
「脱ぐのは結構だけど、葵の格好なんだろ、それ」
「どうですか!? 痴女っぽい葵ちゃん!?
ときめきませんか!?」
胸元を片手で隠し、もう片方の小指を咥えてポーズを取る。
「ときめかねーよ。
ときめく要素がねぇよ」
「そ、そんなぁ……」
「いいから早く出してくんない?」
「そうか……っ! クロはお色気方面に走りがちなのがいけないんだっ!!
それがクロの弱点……ッ!!」
なんか凹んで地面をがんがん殴り始めた。そして泣きながら、
「このままの私じゃっ!
葵ちゃんの魅力を引き出せないっっ!!」
昭和のスポ根ヒロインが、こんな体勢で流す悔し涙流してたっけ。
体操服もブルマはもう脱いでるけど。
「わけわかんねーわきいてねーわ。
もー……」
すると日の光がスポットライトのようにクロへ降り注いだ。
ハッとそれに気づいたクロの涙が煌めく。
「そ……そうだわ……私には負けられない理由があるの……!!」
一体いつまで付き合えばいいのだろうか。
「そうよ、クロ、こんなことで負けたらダメっ!! プライドを取り戻すのよ!!」
「プライドあるなら服を着ろ」
「こうなったら、最後の手段よ……!」
「聞けよ人の話。
ぶっちゃけお前キモイよ」
クロは天を仰いで立ち上がった。
そしてぱちりと指を鳴らす。
「いざ、お姉さまを禁断の果実へと!!」




