30話 答え 30-4
凪が『草薙の剣』を強く構えると、まばゆい光のベールが凪の武尊の全身を優しく、力強く包み込んだ。
神の刃が持つ本来の能力——世界の悪意を完全に消し去る「光の浄化」の効果は、今のままではまだ引き出せないらしい。
しかし、それは灼熱のマグマから凪を護る、絶対的な盾となってその身を支えた。
盾の力を信じ、凪はそのまま、未だ不気味に膨らみ続ける純粋種の懐へと真っ直ぐに飛び込んだ。
『おい! 凪、お前まさか……っ!』
豪の、驚きと混乱の混じった無線がコックピットに飛び込んでくる。
「その通り……です!!」
凪は純粋種の白熱する腹部へ強引に草薙の剣を押し付け、武尊の2倍、3倍はあろうかという怪獣の圧倒的な巨躯を、力任せに押し上げようとする。
不完全な突貫修理を施されただけの武尊の関節が軋み、限界の悲鳴をあげていた。
己の内に秘めた熱い闘志をそのまま燃やすが如く、メインエンジンの出力を限界まで引き上げ、機体のあらゆる駆動系から凄まじい轟音が響き渡る。
しかし——持ち上がらない。
それどころか、なおも体内でエネルギーを膨らませ続ける純粋種は、自重で凪の武尊へと容赦なく覆い被さってきた。
怪獣の体内から体液のごとく溢れ流れる灼熱のマグマが、重力に従って、凪の武尊を包む光のベールへと大量に降り注ぐ。
神聖な光の盾さえも焼き尽くさんと、赤黒い液体が容赦なく流れ込んでいく。
「くっ……それなら、このまま押し潰される前に……!」
凪は歯を食いしばり、さらにフットペダルを深く踏み込んでいく。
メインスラスターが耳を裂くような轟音を立てて、闇夜に向かって爆発的な火を噴き出していく。
「上がれ……っ!!」
凪の武尊の、大地を踏ん張っている両足が重圧で土の底へと沈み込んでいく。
モニターの機体負荷インジケーターが、一斉に危険を示す赤色に染まった。
「も、持ち上がらねぇ……!」
圧倒的な質量の前に、凪が息を詰まらせ、諦めかけたその時だった。
『何をする気か知らないがな……!俺も手伝うぜ!!』
地鳴りのような推進音と共に、豪の武尊弐型が炎の幕を割って突入してきた。
その剛腕で、純粋種の巨大な頭部を強引に下から持ち上げる。
『私もやるよ! 一人にさせるもんですか!』
間髪入れず、茜の武尊もまた反対側へと滑り込み、怪獣の太い尻尾を両腕でガッチリと掴んで上方へと持ち上げた。
「豪さん……! 茜さん……っ! ありがとうございます!」
3機の武尊が、タイミングを完全に一つに合わせる。
最大出力に固定されたスラスターが、夜の山道を真昼のように明るく照らし出した。
「「「うおおおおおっ!!」」」
3人のパイロットの魂の叫びが、通信回線を通じて一つに重なり合った。
その瞬間——びくともしなかった純粋種の巨躯が、焦げた大地から離れ、徐々に、だが確実に、ゆっくりと宙に向かって浮き上がっていった。
◇
凛は救出した焔を安全な場所に退避させるため、バーニアの出力を絞り出し、全速力で街へと向かっていた。
サブモニターのカメラを操作し、未だ武尊の掌の中で意識を失っている焔の姿をズームアップする。
「角が生えてる……。人間じゃない……」
それは紛れもない、神話の存在。焔は火雷神であり、かつて世界を震撼させた八雷神の一人だった。
しかし、凪はあいつのことを大切な「幼馴染」だと言い切った。
かつて、その八雷神の一人によって無理やり怪獣に仕立て上げられた凛にとって、本来なら彼は純然たる恐怖の対象であるはずだった。
しかし、何故だろうか。
今、自分の武尊の手中にいる焔に対して、あの悍ましい恐怖心が不思議と湧いてこない。
「あなた、一体何をそんなに悩んでいるの……?」
怪獣に取り込まれた者同士。
その圧倒的な悪意の深淵で、心を無理やり増幅させられ、狂わされた者同士。
凛の胸の内には、恐怖を通り越した、痛いほどの同情と共鳴が生まれていた。
怪獣に取り込まれた経緯は違う。
それでも、心を蝕まれる苦しみだけは、凛にも分かったのだった。
その時、メインモニターの片隅に、後方カメラが捉えた戦場の映像が映し出された。
そこには、赤白く膨らみ続ける巨大な純粋種が、凪、豪隊長、そして茜の3機の武尊によって、強引に天へと持ち上げられていく嘘のような光景が映し出されていた。
「みんな、一体何をする気……!?」
今すぐ反転して助けに行かなければ、という強い焦りが凛の胸を締め付ける。
凛は街の明かりの手前、必死の思いで焔を安全に横たわらせることができる場所を周囲の地形図から探した。
そして、夜の帳に隠れた、人間たちの目につきそうにない寂れた無人の神社を見つけ出すと、滑り込むように着地して、拝殿の前にそっと焔の身体を降ろした。
「ここで、待っててね」
コックピットの密閉された空間から、外にいる意識のない焔に向けて、届くはずのない声をかける。凛が再び操縦桿を握り、凪たちの元へ飛び立とうとした、その瞬間だった。
「お……」
ノイズの向こうから、かすかな掠れた音が聞こえた気がした。
「え……?」
凛は動きを止め、何故か焔が今、何かを喋ったような気がして、思わず集音マイクの音量を上げて耳を澄ませた。
冷たい風が神社の木々を揺らす中、焔の乾いた唇が、確かに微かに動いていた。
「お、姉様……何故……。御母様の想い……あなたなら、分かるはず、なのに……っ」
その声を聞いた凛は、息を呑んでモニターの中の焔を見つめ返した。
◇
凪、豪、茜の3機の武尊は、臨界点に迫りながら膨らみ続ける純粋種をその身で担ぎ、夜空を裂いてある地点へと急行していた。
怪獣の巨躯から絶え間なく垂れ落ちる赤黒いマグマが、凪の機体を包む光のベールを伝い、遥か地表の原生林を無残に焼き溶かしていく。
(早く……! 早くこいつをあそこに叩き込まないと、みんな焼き尽くされちまう……!)
『おい凪、茜! お前ら一体何を企んでやがる? こいつをどこへどうする気だ!?』
緊迫した豪のどよめくような通信が、無線を激しく震わせる。
「この近くにある湖に連れて行きます!」
凪が叫ぶが早いか、豪も即座にその意図を理解した。
「なるほどな……マグマなら、水で一気に冷やしてしまえばいいってことか……」
納得の呟きを漏らしながらも、豪の心には、この地が持つ特異な性質への何かが不吉に引っ掛かっていた。
「もう少しです! 豪さん、茜さん、機体は大丈夫ですか!?」
凪はメインモニターの3Dスキャンで純粋種の体内状況を凝視する。
膨れ上がる熱エネルギーは完全に中央の火袋へと集束していた。
そのため、豪が支える頭部付近や、茜が掴む尻尾付近の直接的な熱量は低いはずなのだ。
しかし、それでもなお、周囲に漏れ出す残った超高温が、二人の量産型武尊の装甲をじりじりと溶かしているようにも見えた。
『今のところはまだ大丈夫だ!』
豪は自身のコックピットの警告ログを入念にチェックしていく。
隣で尻尾を抱える茜の機体も、同じく限界寸前のコンディションで持ちこたえていた。
「——見えた!!」
行く手を遮る黒煙の向こう側。月光を浴びて鏡のように悠然と輝く、あの神秘的な「お兄様の湖」が姿を現した。
今から、あの静謐で神聖な湖に、熱暴走した地獄のマグマの純粋種を放り込もうというのだ。
凪の背筋に、熱さとは違う意味の恐怖が走り、少しだけ身震いした。
「一気に行きます! 俺のタイミングに合わせて、二人は同時に手を離して離脱して下さい!」
凪は全ての迷いを振り払うように、操縦桿をきつく握り直した。
『えっ……!? 凪くん、あんたはどうするのよ!?』
茜が切羽詰まったように、無線越しに鋭く聞き返してくる。
「考えがあります。……僕を信じて下さい」
嘘偽りのない、真剣な表情で二人を見つめる凪。
『おい、本当に大丈夫なんだな……?』
豪の武尊弐型のカメラアイが、凪の機体をじっと捉えた。
「死ぬ気はありませんよ」
凪はメインモニター越しに、豪へと力強いアイコンタクトを送った。
『……分かった』
豪のその短い返事の奥には、部下への絶対的な信頼と、自らの覚悟が静かに聞き取れた。
神聖な湖が、すぐ目の前まで迫る。
「行きます……っ!!」
凪、豪、茜の3人は息を完璧に合わせ、メインスラスターのペダルを一気に底まで踏み込んだ。
3筋の強烈な光の矢となった武尊は、大質量を抱えたまま、神域の湖を目がけて一直線に急降下していった。
◇
「今です!」
凪のその号令とともに、落下していく純粋種から豪と茜の二機が猛烈な逆噴射で一気に離れていった。
だが、凪の武尊だけは離脱しなかった。
むしろ逆に巨獣の真上へと回り込み、神聖な『草薙の剣』をその背中へと力任せに突き立てたのだ。
急降下の凄まじいスピードと自重を合わせ、この大質量を確実に湖の深部へと叩き落とすための、命懸けの弾道修正。
(お兄様……ごめんなさい……っ!)
これから自分が犯す、神聖なる湖を汚す不敬を許してくれと心の中で必死に祈る。
凪は純粋種が湖の完全な中心へと落ちるよう、操縦桿を押し込み、草薙の剣をさらに深く深く楔のように押し込んでいった。
『ダメだ! 凪、そのまま突っ込んだら……!!』
遠くの地表から戦況を見守っていたレイの、これまでに聞いたこともないほどの切迫した叫びが無線から聞こえた気がした。
刹那。
天を衝くほどの凄まじい水飛沫をあげて、凪の武尊はマグマを噴き出す純粋種もろとも、神聖な湖のド真ん中へと突っ込んだ。
超高温のマグマと莫大な湖水が接触した瞬間、一気に沸騰した湖の水が、目も眩むような白い水蒸気の壁となって爆発的に立ち昇る。
『水蒸気爆発が起きる……! 凪!!』
上空へ逃れた豪もまた、この直後に戦場全域を襲うであろう破滅的な二次災害の可能性に気づき、声を枯らして叫んだ。
激しい濁流と気泡が渦巻く水中。
凪はコックピットを襲う凄まじい衝撃に耐えながら、強引に腕を動かして純粋種の背から草薙の剣を引き抜いた。
漆黒の水底へと沈みゆく純粋種を目の前に、剣を正面へと真っ直ぐに構え直す。溢れ出す光が瞬時に武尊の前面を覆い、光のベールを限界まで強化させた。
瞬間的に来るであろう水蒸気爆発の破壊的な衝撃を殺すために、目の前の分厚い水塊と、神聖な光の盾をクッションにする——それが凪の、唯一にして最後の勝算だった。
しかし、神の領域の主は、そんな人間の小細工を容易く見透かしていた。
『甘い……甘いぞ、このうつけ者が……!』
突如として、凪の脳裏に、激流の滝を咆哮を上げながら凄まじい威容で昇り詰めていく、あの巨大な白い龍のイメージが鮮烈にフラッシュバックした。その声は怒りに震えながらも、どこか呆れたような、荒々しくも不器用な慈悲を孕んでいるようでもあった。
「お兄様……!」
凪がその名を叫んだ瞬間、世界が、真っ白な爆炎の中に包まれた。
次の瞬間、湖底の底から大気が、大地が、文字通りひっくり返るほどの凄まじい大爆発が巻き起こった。
マグマの熱量と気化が一瞬にして限界を超え、湖水が超高圧の蒸気となって全方位へと爆発的に拡張する。
神聖な湖は一瞬にして真っ白な爆煙の渦へと姿を変え、その圧倒的な衝撃波は、水と光のベールを強引に圧し潰しながら、凪の武尊を容赦なく衝撃の渦の中へと呑み込んでいった。
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