12(終). フォーエバーおじさん
おじさんの許へ訪れたのは友人でもなく、家族でもなく、見知らぬ少女だった。白い清楚なドレスを身に纏い、白い柄とピンクの環がいちごミルクを想わせるステッキを持っている。黒髪は腰のあたりまで伸ばし、枝毛一本なく整っている。世にも可憐なその容姿に見惚れていると、少女が口を開いた。
「おじさんを、迎えに来たの」
「え」
「おじさんは、もうここにはいられないの。だから私が新しい居場所に連れて行く」
おじさんは客に淹れるコーヒーの瓶を誤って落としてしまい、ミル挽きした豆が床に散った。
「悲しそうな顔をしないで。人っていうのは相応しい場所にいるのが一番いいの。私はおじさんが本当に幸せになれる場所を知っている...」
少女は死神ではなかったが、おじさんは不安を拭いきれないまま床の粉を片付け、新たにコーヒーを淹れた。立ち上る湯気は天国へ続いているような気がした。
「おじさんがより幸せになれるように、おじさんの好きなものを教えて欲しいの。今日はそれを聴くだけにしておくから、次に私が来るまでに旅立つ支度をしておいて」
「...」
おじさんはノートを少女に見せた。
好きな日本語の表現集
『ケーキにいちごが乗りました』...おそらく、既に完成したものをより美しく、付加価値をつけるために何か手を加えること。サッカーの試合を見ていたときに。
ショートケーキは苺がなくても美味しく食べられるが、苺が乗っていた方が美味しい。もしくは、見た目が華やかになる。完璧な仕事で2点を獲ったあと、仕上げの3点目をショートケーキづくりの仕上げの苺乗せに喩えたのだと考えられる。
『~なら~しないほうがいい』...自分を支えた言葉の一つ。『中途半端にやるくらいなら、最初からしないほうがいい』。言い方が経験者っぽい。嘆きの言葉『死別の苦しみがこんなに辛いと分かっていたなら、最初から付き合わなかった』というのも好き。
『大好き』...『好き』に『大』をつけて強調しているのがよい。『だいすき』とひらがなで書くと背徳的な感じがしてさらによい。若き日に失った大切な思い出を取り戻せそうな気がする。
「...これだけ?」
「これからたくさん見つかるだろう」
「そっか。じゃあ、次に来るのを遅らせようかな。おじさんがおじいさんになって、私のことを忘れるくらいの未来にね」
少女はコーヒーを一気飲みして家を出て行った。一体だれが彼女に自分を天国に連れて行く役目を押し付けたのだろうかと怒りが込み上げ、強い使命感が萌芽した。
その日のことだ。おじさんが黒い外套を身に纏い、翼を持たずに空へと旅立ったのは。
その後、おじさんを見た者はいない。
ありがとうございました。『日本語にうるさいおじさん』はこれにて完結としますが、立川作品はまだまだたくさん発表するつもりです。そちらのほうをよろしくお願いします。




