シャルル国王
医務室を出るとこじんまりとした中庭が目についた。
真四角の空間に太陽が降り注いでいる。その真ん中には、小さな噴水があった。
その横に人影があった。風でマントが揺れている。
「あ」
エルザから声が出た。
「どうした?」
カイは、シャルルのことをまだ知らない。シャルルが顔を上げた。
エルザがカイへ説明を加える前に、ちょうど目が合ってしまう。
あれでも一応王様だ。
このまま無視するのも心象が悪いだろう。エルザは、シャルルの方へつま先を向ける。
廊下を歩き、きれいに整えられている芝へ足を踏み入れる。
自然の感触が、懐かしい。しかし、噴水の際に生えている草花は、とても息苦しそうだった。
「何をしてるんですか?」
エルザが声をかける。シャルルの目は相変わらず生気がない。
「アリの観察」
シャルルの目線は、アリの巣へ向いていく。
そういえば、初対面で毛虫だと言われた。相当な虫好きなのだろう。
「俺はアリ嫌いだな」
背後からカイが、口を挟む。
「ちょっと、カイ!」
シャルルは、カイたちの身を保証してくれた国王様だ。
ラースが実権を握っているとはいっても、多少なりともその効果はある。
それを取り消されては、たまったものではない。
エルザは肝を冷やしながら、カイの袖を引っ張ったが、シャルルの質問がそれを邪魔していた。
「どうして、嫌いなんだい?」
「アリは、アブラムシを守るからさ」
「アブラムシ?」
カイは噴水の脇でしゃがみ込んで、シャルルを手招きする。
国王に対して、とても失礼な態度だ。
しかし、シャルルは気にする素振りをすることなく、カイの横へ膝をついた。
ずっと死んでいると思っていた目が、生き生きとしている。
「ほら、このコスモス。アブラムシとアリがいるだろ?」
エルザもカイの横に膝をついて、コスモスをじっと観察する。
まだ咲いていない蕾の下に、びっしりと張り付いているアブラムシ。その下で、アリが防壁を作るように列をなし、敵を寄せ付けないようにしていた。
「本当だ!」
シャルルの目が輝く。
カイは「うちは小麦農家をしてるんだけど」と、いいながら得意げにさらに講釈を垂れる。
「アブラムシは、小麦の汁を吸って弱らせたり、病気を引き起こすんだ。一方、アリは、アブラムシが出す液体が大好物。だから、アリはアブラムシを天敵から守ってやるんだ。利害が一致している関係だから、まぁこの二つが一緒になると面倒くさいんだよ」
このモードに入ると長い。カイを慕う村の子供たちも、こうなると逃げ出していく。
「ねぇ、カイ。そのくらいで」
エルザはカイを止めに入るが、それを押しのけるように、シャルルは声を大きくした。
「へぇ! それは、どうやって対策してるんだい?」
カイは、また口を開こうとする。エルザは、カイの袖を強く引っ張った。
「カイってば!」
「今、いいところなんだよ」
邪魔をするなと手を払われる。エルザは、とうとう我慢しきれず叫んだ。
「こちら、シャルル国王だって!」
「……え?」
カイの顔から血の気が引いていく。
「……すみませんでした!」
土下座しそうな勢いで、カイが頭を下げた。しかし、シャルルは度量が広いのか、まったく気にしていなかった。
「そんなことよりもっと、教えてよ」
シャルルがせがむ。しかし、カイの額には冷や汗が浮かんでいて、とても先ほどの続きができそうな状態ではなかった。
エルザは、そんなカイの代わりを引き受ける。
「シャルル国王は、虫が好きなんですね」
「だって、僕にはこのくらいしか楽しみなんかないし」
国王たるものが、そんなささやかな願いを口にする。
「あの、ずっと気になっていたんですけど、どうしてあの玉座に座られないのですか? 国王の座は継承されているんですよね?」
国王ならば、なんだってできるはずだ。
堂々と玉座でふんぞり返って、命令さえすれば、いくらでも願いは叶うだろう。
「あそこには、座りたくない」
「何故です?」
問いかけながらも、はっきりとラースの顔が浮かんだ。
感情のない白濁した瞳。
あの時の血が、スカートから漂ってくる。
コスモスが咲いている地面から、アリではない虫が這いあがっていた。
「あそこに座るとね、抜かれちゃうからさ」
アリがその虫を正面から迎え撃っている。
シャルルは、その様子を眺めていた。
「何をでしょうか?」
「命」
アリが下から来た虫を蹴落とした。草の上に、ぽとりと落ちた。
「父も、祖父も、その前の先祖も、ずっとそうして消えていったんだよ」
また軽口かと笑おうとしたが、できなかった。地面でのたうち回っていた虫が、動かなくなる。
「僕も二十歳になったら無理やり座らされるんだ」
シャルルの目から、光が消えた。
シャルルは、死んでしまった虫がアリに運ばれていくのを見つめる。
「僕に残された時間は、あと二年」
シャルルが空を仰ぐ。どこからともなく風が吹き、花が揺れた。
「……そんなことをさせるラースの狙いは、何なんですか?」
目的がなければ、そんなことをさせる意味はないだろう。
「さぁね。僕にとっては、どうでもいいことだ」
自分自身の命を何だと思っているのか。
エルザは、そう叫びたかった。
人は死んでしまえば、生き返ることはできない。
誰かがいくら悲しんでも、願っても、絶対に元には戻らない。
「ラースは、神の声が聞こえるんだ。その神様のお導きさ」
エルザの一番嫌いな理由が、シャルルから飛び出してくる。
頭の中の導火線に火が付いた。しかし、それはすぐに吹き消された。
「それ以前に、僕は一人だ」
再びきっちり列を作り始めたアリは、巣穴の中へ帰っては出ていく。
そこに加わろうとした一匹のアリは、弾き出されていた。
「特に今回で、何か完成するらしいからね」
「……完成って?」
「だから、よくわからないんだって」
シャルルは肩をすくめる。
「知ったところでどうせ、どうやったって逃れられない。何にも、できないんだよ」
そのアリは、諦めたように草むらの中へ消えた。
「だから、僕はただ虫を観察しながら静かに生きていたいんだ」
私と同じだ。
そう思ったら、それ以上何も言えなかった。
私もただ自然に囲まれた村で静かに暮らせれば、それでいい。でも、それを許してくれない。
カイも同じことを思っているのかもしれない。先ほどまで浮かんでいた額の汗は消えて、視線を落としている。
シャルルの目に先ほどの光が戻ることは、もうなかった。
「シャルル国王」
兵士がやってきて、シャルルに敬礼をする。
シャルルはゆっくり立ち上がった。
「ラースが呼んでいるんだろう? すぐ行くよ」
シャルルの顔は、軽薄な国王の顔に戻っていた。
「カイ。今度、また虫講座開いてね」
カイの顔には、笑顔はない。ただ静かに頷くだけだった。
シャルルが立ち去るのと入れ替わるように、ベイシアがやってきた。
私たちとラースの板挟みになるような命令でも受けてきたのかもしれない。
「エルザ、君に命令が下った」
ベイシアは、なかなか厳しい顔つきだ。
「三日後バリアスへ行けと、ラース様からのお達しだ」
「バリアス……?」
村は、キシアとばかり取引があるから、まったく馴染みがない名前だ。
地理に疎いエルザと違って、カイは詳しい。すかさず説明をしてくれた。
「村からキシアへ向かう方向よりも北へ行くとある鉱山の町だ」
カイの説明は、キシアにいたとき岩肌が見えていたあの場所と一致していた。
「そこで私は、何をしろと?」
「例の光の壁があったろ? どうやら、そこにも怪我をした者がいるらしい。ラース様は『その怪我人たちを、住人たちの目の前で治せ』と仰せだ」
早速利用される場面がやってきた。
それをチャンスだと思えと自分自身へ言い聞かせる。
「それと、その中にユニス村にいた人が数名運ばれ、教会で保護されているという情報があった」
ユニス村。
エルザの敬遠していた気持ちが、一気に吹き飛んだ。
「運ばれたのは、誰ですか?」
「名前までは。しかし、その一人はユニス村の村長だといっているらしい」
カイと顔を見合わせる。カイの瞳は、希望が灯っている。
その瞳に映っているエルザの目にも同じものがあった。
ベイシアは、カイへ肩を向けた。
「それと、カイ。シフォスからお前の嘆願を聞いた」
嘆願?
エルザがカイを凝視する。
「お前は、私の下につけ」
ベイシアの言い方に、エルザは大いに引っかかった。
「ありがとうございます!」
カイの返事が、高らかと響く。
エルザは、その横でカイとベイシアへ抗議の目を向けていた。




