特別な力
森の中に埋もれるように存在するユニス村の民家の煙突から煙が立っていた。
小さな少女は、香ばしい匂いで包まれた家の中で石窯の前に張り付き、パンが膨らんでいくのをじっと見つめていた。
「エルザ、もうそろそろ出来上がるから下がって」
エルザは、素直に二歩ほど後ろに下がる。母のモニカは、分厚い手袋を手にはめて石窯の中にある鉄板へと手を伸ばし、さっと引き抜く。鉄板の上のパンは、列をまったく乱さない。エルザの束ねている金色の髪は、ぴょんと飛び跳ねた。
「おいしそう! 早く食べたい!」
モニカは焼き立てのパンを次々と器へと移動させ、額に滲んだ汗を拭う。窯の中の火の処理をしようと、鉄の棒を中へ差し入れた。突然、窯の中の火が爆ぜた。
「熱っ!」
カランと棒が床に落ち、跳ねた。モニカが腕を押さえて蹲る。エルザが慌てて、その横へ駆け寄った。
「お母さん、大丈夫?」
エルザは、小さな顔の中心に皺を寄せる。腕全体が真っ赤に火傷し、皮膚がめくれている。
エルザは、ふっと息を吐いた。モニカの腕に自分の手を翳し、目を閉じた。
治って。お願い。
数秒後、淡い青い光が手から溢れた。光は次第に強くなり、青が深くなる。
しばらくすると、役目を終えたように光が失われる。
エルザの手がモニカの腕から離れる。時が巻き戻ったように、傷が消えた。
「ありがとう、エルザ。あなたの力は、本当にすごい。誇るべきものよ。ご先祖様たちが長い時間をかけて、怖い力を癒しの力に変えてきたんだから」
モニカは、微笑みながらエルザの頭を撫でた。金色の髪は、嬉しそうに揺れる。しかし、母の表情は、すぐに厳しいものに変わっていた。モニカの緑の瞳は、まっすぐ青い目を見据える。
「でもね、その力、外では絶対に使っちゃダメ」
エルザの肩が、びくっと震えた。
「お母さん、いつもそう言うけど、どうして? 私の力は、傷を癒すだけだよ?」
「……でもね、この世には怖いお化けがたくさんいるの」
「オバケ?」
「そう。あなたの力がほしいと、集まってくるオバケ。一度現れたら、逃れられない。そして、あいつらは決まって新月の夜にやってくる」
パンの焼けた香りがモニカの真剣な表情の中へ吸い込まれて、立ち消えていく。
「……お母さん、怖いよ……」
モニカは膝をつく。そして、エルザを守るようにきつく抱きしめた。
「約束、守ってね。お願い」
モニカは、腕に力を籠める。
エルザは戸惑いながら、小さな手を母の背に回していた。
◇
――それから十三年の歳月が流れた。
エルザは十七歳となり、てきぱきとモニカのパンの手伝いに精を出している。
早朝のまだ太陽が昇りきらない薄暗いうちから動き回り、出来立てのパンを店のカウンターのショーウィンドウへ並べる。
作業を終えた頃には、やっと太陽が森から抜け出して、高い場所で光を放ち始めていた。
勢いよくカーテンを開けると、日差しが差し込んだ。
眩しさで目を細めていると、堅い何かが店の窓を叩いてきた。明るさに目が慣れてくると、緑のカナリヤが視界に入った。助けを求めるように、くちばしで窓をつついている。
昔、家の前で飛べなくなって弱っていたカナリヤを家に招き入れて、癒しの力で治してやったことがある。それ以来、よく遊びに来て、朝ご飯をねだりに来るようになった。
「おなかすいたの?」
窓を開けて、パンの耳を探しに行こうとした時、行く手を阻むようにカナリヤが鋭くピイピイと鳴いた。
目を瞬かせながら、視線をそちらへやる。そこに、水色のカナリヤがいた。細い脚がひどく折れ曲がっている。動物にでも、やられたのかもしれない。
「かわいそうに」
弱り始めている水色のカナリヤへと手を伸ばし、抱き上げる。緑のカナリヤも後を追って、部屋の中に入ってきた。水色のカナリヤを両手の中に包み込み、モニカに見つからないように急いで自分の部屋へ駆けあがった。
ドアを閉めて、カーテンを引く。
薄暗くなった部屋のベッドの上に腰を下ろす。そこから、青い光が放たれた。
気配を消しながら下へ降りると、キッチンのモニカから声がかかった。
「エルザ、何してるの?」
同時に、手の中のカナリヤが暴れ出し、エルザの手のひらを思い切りつついた。
「痛い!」
合わせていた手のひらが離れた。勢いよく水色のカナリヤが飛び出し、部屋を飛び回る。リビングで待っていた緑のカナリヤも嬉しそうにその後を追い始め、二羽はそのまま窓から出て行ってしまう。
手のひらに目を落とすと、擦り傷のような赤い線ができて、ピリッとした痛みがあった。
「エルザ」
モニカの目は、吊り上がる。
「はい、はい。新月の夜に、お化けが出るんでしょ? わかってるよ」
十七歳になったエルザにとっては、すでに信憑性に欠ける御伽噺だ。しかし、散々口を酸っぱくして言われ続けてきた効果は、しっかりと『恐れ』として根付いてしまった。だからこそ、力を使うときは、誰にも見つからないように注意している。
「何度言えば」
「わかってくれるの、でしょ?」
先回りして答えると、どこからともなく黒い霧が出てきて、一気に空気が重くなっていくようだった。手の傷の痛みまで、増してくる。
その時。誰かがコン、コ、コンと、独特なリズムで、ドアを叩いた。
エルザは、弾けるように駆け寄る。口角がゆったりと上がった。
ドアノブをひねり、思いっきり勢いをつけて扉を開け放つ。
しかし、エルザの期待は大きく外れた。荷物のせいで両手は塞がっているくせに、器用に避けられた。目線より高いところにある端正な顔も、涼しげでいつも通りだ。幼なじみのカイ・クラハイトだ。
エルザが口を尖らせていると、カイから怒声が飛んだ。
「危ねぇだろ!」
唾を飛ばしながらエルザに迫ってくる。
すると、先ほど外へ飛び出していったはずの二羽のカナリヤが、どこからともなく舞い戻ってきて、エルザを守るかのようにカイに突進していた。
くちばしで、カイの頭をツンツン突っついている。
「なんだよ、こいつら……」
カナリヤを睨み付けると、カナリヤは再び空高く飛んでいった。
エルザは、微笑みながらカナリヤを見送る。
「怪我してたから、治してあげたの。ちゃんと恩に感じてくれていたのね。いい子」
モニカから力のことは、絶対誰にも知られてはいけないといわれていたが、小さい頃カイが転んでひざを擦りむいてしまったのを見て、咄嗟に力を使ってしまった。当時、それを知ったモニカは、烈火のごとく怒っていたから、カイはエルザの力と事情を知っている。
「お前、あの鳥を俺にけしかけたな!」
「あんな可憐なカナリヤに、野蛮なことするわけないでしょ? 私を守るために危険を顧みず、自ら行動してくれたのよ」
「先に攻撃してきたのは俺じゃなくて、エルザだろ!」
「私は、ドアを普通に開けただけです」
「普通で、あんなスピード出るかよ! 他のやつだったら、大怪我してるところだ!」
「そんなのわかってるわよ。カイだから、やったんじゃない!」
モニカが、パンパンと手を叩いた。
「じゃれ合いは、親のいないところで、やりなさいね」
呆れ顔でそういうモニカに、二人の声が重なった。
「じゃれ合ってない!」
二人の顔は同時に、モニカへ向く。
モニカは、盛大に溜息をついた。
「わかったから……カイ君、早く荷物」
カイは「あ、そうだった」と、手に持っていた紙袋をカウンターの上に置く。
カイの家は、代々小麦農家を営んでいる。カイも、いずれ家業を継いでいく。村はそうやって、次の世代へと淡々と引き継がれて繋がっていくのだ。
「今日は、村長のところにも納品しなきゃいけないから、小麦粉少なめだよ。悪いな」
カイの片手が空いたせいか、エルザとの言い合いもケロッと忘れてしまったらしい。エルザも似たようなもので、何もなかったかのように、荷物の中身を覗く。
「あら、珍しい。村長、パーティでも開くのかしら?」
モニカは、カウンターに置かれた小麦粉を確認しながら、首をかしげた。
「ほら、明日大木祭りだろ? 村を出た親戚が、それを見るために集まるんだってさ」
「神様集団が来るんだ……息苦しくなりそう」
エルザがげっそりして、言う。
「まぁ、信仰の話はあれだけど、新しい商品とか、話題が入ってくる貴重な機会だぜ?」
「そうやって、新しい商品持ってきましたって言いながら『神を崇めろ』って、この村を洗脳したいだけでしょ?」
ユニス村は、アザレア王国統治下にある。
アザレア王国は、神を崇め奉ることを基本として民衆に説いている。
このユニス村は忘れ去られた村という異名を持つくらい、自然の分厚い壁で守られている。そのため、アザレア王国が掲げる思想や信仰、新たな技術をも阻んでいる。
「まぁ……それは何とも言えないけどさ。でも村にも、多少新しい風を入れておかないと、また村からどんどん人が出て行っちゃうからなぁ」
カイの言う通り、閉塞感を持つ村人は多くいて、村から出る人が一定数現れる。
そして、最近ではその流れが大きくなっていて、人口が減っている。モニカの弟——エルザの叔父も、その中の一人だ。
モニカがカウンターに置かれた荷物を片付けに、キッチンへ持っていく。
カウンターは白い粉で、汚れていた。
村を出て行った人なんか、帰ってこなくていい。
声には出さず、手にした布巾へ本音を込める。机の粉を丁寧に拭き取った。
「ま、単純に村が恋しくなっただけかもしれないし」
カイらしい、純粋な意見だ。布巾は白い粉を吸い取って、いつも以上に白く見えた。しかし、布巾を水に浸せば、透明さは失われ白濁していく。
「カイ君、この後村長の家に行くの?」
「あぁ。これ、届けに行かないと」
頷いてカイは、もう片方の手に持っていた紙袋を掲げた。モニカは、石窯の横で冷ましてあったパンをせっせと袋に詰め込む。
「エルザ。カイ君と一緒に、村長の家へ届けに行ってきてちょうだい」
モニカは、エルザの手に小袋を押し付けた。エルザの表情は、不満に変わる。
「ほら、さっさと行くぞ」
カイに促されたエルザはため息をつき、仕方なく爪先を外へ向けた。
「はーい。行ってきます」
不貞腐れながら玄関のドアを押した。




