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42・エピローグ4

 チョキチョキ、という小気味よい金属音が、美容院の開いたドアの隙間から漏れ聞こえてくる。


 俺はその音を背中で受け止めながら、店のキッズコーナーの隅に置かれたガチャガチャの前に立っていた。


 かつて、ここには「キモイヘアピンシリーズ」という、悪趣味極まるラインナップの筐体があった。


 妙にリアルなカエルや、毒々しい色彩のイモムシを象ったヘアピンが、カプセルの中で出番を待っていた場所だ。


 だが、今そこにあるのは、どこにでもあるような人気アニメのラバーストラップだった。


「……役割を終えて、消えたのか」


 ポツリと独白が漏れる。


 普通に考えれば、あんな売れそうにない商品は販売不振で撤去されただけだろう。だが、今の俺にはどうしてもそうは思えなかった。あの「キモイヘアピン」は、俺たち二人をこの場所へ、この瞬間へと導くためだけに、あの日にあそこに存在していたのではないか。そんな、およそ論理的ではない感傷が胸を掠める。


 思えば、あの日。


 もし、あの二百円の筐体から「カタツムリの殻」のヘアピンが出ていなければ。


 それをさやか先輩が、あんなにも無邪気に喜んで身につけていなければ。


 そして、試験の日の朝。彼女がそのヘアピンを見つめ、そこに込めた「誠実でありたい」という願いを思い出して、カンニングペーパーをゴミ箱に捨てていなければ。


 俺たちは、きっと今この場所に二人で立ってはいなかった。


 何か一つでもボタンを掛け違えていれば、俺は彼女が「正しい道を行こうともがく心」さえ見失い、超能力という不純なフィルター越しに、彼女の絶望をなぞり、やがて別れていたはずだ。


「……救世主、だったのかもな」


 俺はポケットから、さやか先輩に「ちょっと預かっていて」と言われて手渡されたヘアピンを取り出した。


 手のひらに乗ったそれは、驚くほど軽かった。二百円という安価ゆえの、中身の詰まっていないプラスチックの感触。


 よく見ると、縁には細かい汚れがつき、表面の光沢もくすんでいる。彼女がこれをプレゼントされたあの日から、肌身離さずこれをつけて、泥臭い努力を重ねてきた証拠だった。


 俺はハンカチを取り出し、その小さなプラスチックの塊を丁寧に拭った。


 指先に伝わるチープな凹凸。


 磨き上げると、二百円ゆえに出せる「ぬめり」にも似た、独特の安っぽい輝きが戻ってきた。


 宝石のような高貴さはない。けれど、この歪な光こそが、俺が恋い焦がれた彼女の魂の色そのもののように思えた。


「お待たせ、悟君! ど、どうかな……?」


 背後から、弾むような、けれど少しだけ不安げな声がした。


 振り返ると、そこには新しく生まれ変わったさやか先輩が立っていた。


 重たかった後ろ髪が肩のあたりで綺麗に揃えられ、夕陽を透かして柔らかな茶色に輝いている。


 以前のような、欠点を隠すために「無理やり取り繕った」感じは微塵もない。今の自分を肯定し、ただ「悟君に見てほしい」と願う、晴れやかな少女の姿がそこにあった。


 率直に言って、呼吸が止まるほど可愛い。


「……凄く可愛いです」


 喉まで出かかったその言葉を、俺はあえて飲み込んだ。


 違う。今、俺が言うべきなのは、そんなありふれた正解じゃない。


 彼女も、そして俺も。


 この場所で髪を切り、新しくなることの意味を理解している。それは、過去の自分との決別であり、新しい二人への「変身」だ。


 俺は、あえて少しだけ意地悪な無表情を作って、彼女の瞳を見つめた。


「……似合ってませんね」


 その言葉に、さやか先輩は一瞬だけきょとんとした。


 だが、彼女はすぐに、俺の真意を見抜いたような余裕の笑みを浮かべた。


 彼女はイタズラっぽく首を傾げて、俺の次の言葉を待っている。


 俺は何も言わず、ハンカチで拭き上げたあのヘアピンを差し出した。


「ほら。これをつけてください。これがなきゃ、さやか先輩じゃないですから」


 さやか先輩の瞳が、一瞬だけ潤んだように見えた。


 彼女は「そうだね」と短く答えると、俺の手から愛おしそうにヘアピンを受け取った。


「どう? 似合ってる?」


 彼女が髪にそれを留め直し、鏡代わりのショーウィンドウに向かって問いかける。


 あの日、彼女はこのヘアピンをつけて「いつか、このヘアピンに相応しい女の子になるね!」と決意した。


 そして彼女は、その約束を守り抜いたのだ。


 どんな不正よりも、どんな効率的な勝利よりも気高い、「不器用な正義」を貫き通した。


 俺は、彼女の隣に並び、夕闇に溶けゆく街並みを見つめた。


「……凄く、お似合いです。世界で一番、綺麗ですよ」


 二百円のキモイヘアピンをつけた相手に言うべきではないような、けれど、超能力ですら計り知れないほど深い場所から溢れ出した、俺の「本当の思い」だった。


 街灯が一つ、また一つと灯り始める。


 七月の夜風が、少しだけ短くなった彼女の髪を揺らし、ヘアピンのプラスチックの表面が街のネオンを反射して、チープに、けれど力強く明滅した。


 それは、世界中のどんな宝石よりも美しく、俺たちの行く先を照らす灯台のように輝いていた。


「ねえ、悟君。夏休み……楽しみだね」

「そうですね。……俺も、本当の勉強を始めなきゃいけませんし」

「……そういえば、『悪い力』とか、何か言っていたよね? アレ、どういうこと?」


 不意に投げかけられた問いに、俺は少しだけ足を止めた。


 街灯の淡い光に照らされたさやか先輩が、小首を傾げて俺を覗き込んでいる。その瞳には、恐怖も疑念もなく、ただ純粋な好奇心だけが宿っていた。


「歩きながら教えますよ。誰にも言っていない、秘密の力です」

「本当!? じゃあ、私が悟君の初めてになるんだ!!」


 無邪気に花の咲くような笑顔で跳ねる彼女に、俺はこれから「自首」をしようとしていた。


 自分が他人の思考を盗み見ることができる不誠実な超能力者であること。今回の学年一位も、その『カンニング』によって掠め取った偽物の栄光であること。


 それを、世界でたった一人の、この「真っ直ぐな少女」にすべてぶちまけるのだ。


 普通に考えれば、それは破滅への第一歩だ。


 軽蔑されるかもしれない。気味悪がられて、二度とその手に触れてもらえなくなるかもしれない。


 けれど、俺の胸に不安は微塵もなかった。


 自分の醜さから逃げず、泥を啜りながらも正義の道を選んだ彼女なら。


 嘘にまみれた俺が、自らその嘘を剥ぎ取ろうとするこの「不器用な誠実」を、きっと笑って受け止めてくれる。


 あの二百円のヘアピンに相応しい彼女なら、俺が初めて晒す剥き出しの真実を、どんなテストの正解よりも大切に扱ってくれる。


 根拠のない、けれど揺るぎない確信が、俺の背中を静かに押していた。


 俺たちはどちらからともなく手を繋ぎ、夜の帳が下りた街へと歩き出した。


 繋いだ掌からは、もうノイズのような心の声は聞こえない。


 ただ、トク、トク、と重なり合う二人の鼓動だけが、静かな夜の空気に溶けていく。


 不純な俺と、不器用な彼女。


 嘘と真実の境界線で足掻きながら、俺たちはこの眩しすぎる新たな季節へと踏み出していく。


 頭上の夜空には、まだ星は見えない。


 けれど、俺の隣で笑う彼女の髪には、二百円の小さな救世主が、百点満点の光を放って輝き続けていた。

以上で「殺人を止めるために告白したけど、このあとどうしよう!?」を終わります。前作「ネトゲの嫁が妹だった件」の反省点を生かして序盤の展開をコンパクトにしたのですが……いやあ、序盤のボリュームを削った分、後の字数が厳しかったです。始めの原稿だと十万文字にちょっと足りなくて、大慌てで加筆修正しました。文字稼ぎ乙ですって?知りませんね。まあそもそも、字数問題はともかく、書いていて楽しかったです。いつかまた、読み直したりしてもらえると嬉しいです。ブクマ、高評価、感想、レビュー、何でも喜びます。それが励みになります。前作と同じく、こう言いましょう!!「お付き合いいただき、ありがとうございました!!」

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