39・エピローグ1
美波先輩の、すべてを見透かしたような悪戯っぽい微笑。そして、それまで息を潜めていたクラスメイトたちが、堰を切ったように漏らした温かい祝福の言葉。
それらすべてを、今の俺は淀みなく、真っ直ぐに受け入れることができていた。いじめという嵐が過ぎ去ったあの日から、俺が勝手に周囲へ張り巡らせていた「罪悪感」という名の防壁はもうどこにもない。心に居座り続けていた重石が消え去ったことで、廊下を歩く足取りは、物理的な重力を無視するかのように軽かった。
「……ねえ、悟君。みんな、なんだか凄く優しかったね」
「そうですね。……でも、あそこに長居しなくて正解でしたよ」
俺は歩調を緩めず、隣を歩くさやか先輩に苦笑を向けた。
あのまま教室に留まっていたら、試験明けの浮かれた気分で、お祭り騒ぎの大義名分を探していた連中が「お祝いだ!」と財布を取り出し、小銭を鳴らし始めていただろう。そうなれば最後、「お祝いのプリン代」という名のカンパが積み上がり、六個どころか、数十個のプリンを無理やり買い込まされる地獄のノルマが再来する未来は容易に見えていた。
学校から徒歩一分。目と鼻の先にあるコンビニへと滑り込む。
自動ドアが開いた瞬間に溢れ出した人工的な冷気が、放課後の熱を帯びた俺たちの頬を優しく撫でた。
「各自一個ずつ。……何が食べたいですか?さやか先輩」
スイーツコーナーの棚を前に、俺が確認するように言うと、さやか先輩は少しだけ上目遣いになり、朱に染まった頬をさらに深くして口を開いた。
「ねえ、悟君……今日は、二人で一つにしない?」
その「共有」という響きに、俺の心臓が不意を突かれたように跳ねた。
これまでの彼女なら、俺に「与えること」でしか自分の価値を見出せなかったはずだ。だが、今の彼女が求めているのは、一つの甘みを分かち合うという、極めて親密で対等な契約だった。
俺は平静を装いながら、その甘い提案に無言で頷いた。
棚には、生クリームが贅沢に乗ったもの、バケツのような特大サイズ、季節限定のイチゴ味など、色とりどりのプリンが並んでいる。
「どれにしますか?」
「決まってる。これにしたい」
さやか先輩が選んだのは、俺の記憶に深く刻まれている「あのプリン」の単品バージョンだった。
値段も量も、あまりに中途半端。パッケージには「癖がない」と銘打たれているが、言い換えればこれといった特徴も、突出した長所も見当たらない量産品だ。
あの日、俺はそのプリンを六個、無理やり胃袋に流し込んだ。
一瞬、俺はこの「何も秀でたところがないプリン」と、さやか先輩を重ねようとして——即座にその思考を振り払った。
そんなわけがない。
癖がない、なんて言葉で彼女を片付けるには、今の俺は彼女のことを知りすぎている。
泥臭く、不器用で、支離滅裂な殺意さえ抱いたことがあり、それでもなお「正しくありたい」とあがく彼女の魂には、この量産型のスイーツには決して真似できない、唯一無二の、気高く眩しい色彩が宿っているのだから。
「……なぜ、これにするんですか? もっと美味しいのもあるのに」
「……同じものを、食べたいから。悟君が頑張って食べてくれた、同じ味を、私も知っておきたいの」
そのあまりに真っ直ぐな、そして独占欲に近い答えに、俺は一瞬だけ言葉を失った。
いっそこの棚の在庫をすべて買い占めて、彼女に六個食べさせてやろうかという「支離滅裂な献身」の思考が頭を掠めたが、幸せそうにプリンを手に取る彼女の横顔を見て、その考えはドブに捨てた。
今の俺に、彼女を困らせて楽しむような、そんな安っぽい趣味はない。
レジに向かうと、またしても「私が払う」「いや、俺が」という不毛な押し問答が始まった。
たかが数百円のやり取り。だが、それはどちらかが「与える側」に固定されることを拒む、対等でありたいという意地のぶつかり合いでもあった。
レジ袋の数円ですら、また新たな「譲り合い」の火種になりそうだったので、俺は袋を断り、商品をそのまま手で持つことにした。
最終的に、同じ金額のスポーツドリンクを俺が買い、プリンはさやか先輩が買う。
その二つを二人で分け合う。それが、今の俺たちが出せる、最も合理的で、最も美しい「折半」だった。
コンビニの自動ドアを出た、その一秒後。
夕暮れの静寂を切り裂くように、乾いた「パキッ」という音が響いた。
さやか先輩が、青いキャップのスポーツドリンクの蓋を開けた音だ。
俺はその音を、これまでの重苦しい関係性が砕け、新しい形に生まれ変わった合図のように聞き届けていた。
袋に入っていないプリンは、手のひらを通じて、ひんやりとした確かな存在感を伝えてくる。
かつてのそれは、無理やり飲み込まなければならない「呪縛」だった。
だが、今、俺の手の中にあるのは。
これから公園のベンチで、夕陽を眺めながら、不器用な二人が分け合うための、本物の「報酬」だった。




