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第16話 司教

かつて、親しい友人がいた。穏やかでありながら勤勉で敬虔な神父だった。そんな男が、ある日恋に落ちた。

相手は、布教活動先で羽を怪我して木の根元に座り込む、悪魔だった。短い栗色の髪を顔の周りに散らし、下を向いて泣いていた雌型の悪魔だ。

懐のナイフへ手を伸ばした私を制しつつ、友人が取り出したのは、聖水ではなく何の変哲もない傷薬だった。



『この悪魔からは、悪意を感じない』



そんな根拠もない判断で、友人は悪魔に声をかけながら羽へ薬を塗り込んだ。悪魔も敵意がないことがわかるようで、大人しく背中を差し出していた。



普通なら、神父の寛大なる施しとして終わるだろう。だがあろうことか、友人はその後も悪魔との逢瀬を重ねていた。

もちろん『お前は神父で、そいつは悪魔だ』と進言はした。

それでも笑顔で手を握り、ひたむきな目で見上げる栗色の髪の悪魔を、友人は見たこともない幸せそうな顔で見下ろしていた。私は仕方なく、見守ることにした。彼のそんな顔は、初めて見たからだ。





しばらく経ったある日、悪魔は唐突に友人へ問いかけた。



『ねぇ貴方、私のことが好き?』

『あぁ。神父にあるまじきことだが、君を好いている。……悪魔である君へ、こんなにはっきりと口にできてしまうくらいには惚れているよ』

『ふふ、ありがとう。……でも、私は悪魔じゃなくて淫魔よ。呼び方くらい覚えてちょうだいな』

『い、淫魔なんて、そんな風に軽く呼べないよ……』

『そんなに照れちゃって、かわいい人。……この先も貴方と共にいるために必要な物があるから、これからちょっと遠くまで行ってくわ。戻るのはきっと遅くなる。素敵なお土産を持ってくるから、楽しみに待っていてね』



いつもの待ち合わせ場所である樹の下で、どこか浮き足立った様子の悪魔は、そう言い残して去っていった。その背中を静かに見送った友人は、しばらく不在にするような口ぶりだったね、と寂しそうにつぶやいていた。






数日後、悪魔は往来の中で突然声をかけてきた。そして驚いて佇む友人へ、やけに甘い声で堕落を乞うた。しなだれかかるように体を預け、腕を絡めてまとわり付きながら。本性を現したな、悪魔め。周りの目も気にせずへばり付く悪魔を怒鳴りつけてから突き飛ばし、立ち竦む友人を引っ張って教会へ戻った。呆然とした顔の友人を滾々と説得し、夕方には寮まで送り届けてやった。

しかし次の日、友人は教会に来なかった。どうやら、悪魔と契約を交わしてしまったらしい。



今思えばその悪魔の羽根は、ひどく爛れていた。もしかしたら、神父に恨みがあった別の個体が、栗色の髪の悪魔に化けていたのかもしれない。今となっては、確かめる術もないが。



嫌な予感に追い立てられるように街中を走り回れば、悪魔らしい影が次々と入っていく倉庫を見つけた。中を覗くと、そこには凄惨な光景が広がっていた。


薄暗がりで悪魔どもに囲まれた友人らしき肉塊は、悪魔たちの怨みと欲望の捌け口となっていた。無残に形を歪められ、すり潰され、引き伸ばされ、べちゃりと床に広がっていた。周囲に散らばる白服の破片がなければ、気が付けなかっただろう。

その塊はこれ以上ないほど穢されて、変質しきった体で這いずり回って逃げようとしている。絶えず透明な粘液をこぼす残された片目だけが、友人が友人だったことを示していた。




こんな悍ましい姿になるのなら、浄化の炎で焚き上げた方がまだ救われるはずだ。




私は激情のままに周りの悪魔共を聖具でなぎ倒し、その全ての心臓を刺し貫いた。その後、足元でうずくまる肉塊に聖水をかけた。抉れた喉から絞り出される叫びを聞きながら、ジュウジュウと音と煙を立ててのたうち回るそれを足で押さえた。


程なくして、肉塊は動きを止めた。腕だったものを私の方に差し出して。その手にはいつか悪魔から贈られたはずの、銀色の指輪の残骸が乗っていた。



その瞬間、私は悟った。

神父から堕落者を出してはいけない。もし出てしまった際は、堕落しきる前に浄化すれば、人のまま死ねる。




その現実を誓いのように刻み付けつつ、いつの間にか負っていた顔の傷を押さえ、奥歯が割れる程に歯を食いしばりながら教会へと戻った。それからの私は、死に物狂いで功績を上げ、地位を築いた。



神を心から信じている必要はない。できるだけ強かで揺らがず、職務に忠実な者を選び、神父に勧誘して手駒を揃えた。

悪魔は撲滅するべきだ。ただ、表立って動けば更なる反感を買う。進めるなら、静かに着実に、だ。私は神像の前に膝まづき、ここを悪魔のいない清浄な国にすることを神に祈った。




*




昔の夢を見た。少々眠り込んでいたようだ。体を起こせば、ぎぃ、と木製の椅子が軋んだ。その小さな音ですら、大聖堂ではよく響く。頭上のステンドグラスからは夕日が差し込み、チャペルチェアの列を斜めに照らしている。

それを眺め、一度息を吸って吐く。懐中時計を見れば、約束の時間の5分前だ。あいつはそろそろ来るだろう。



さて、平常心だ。感情に任せてもろくなことにならない。最も的確な判断をするには、冷静であることが一番いい。立ち上がり、体の後ろで手を組む。足音が近付いてくる。

ノックの後、開け放しの入り口から現れたのは呼び出した人物に間違いなかった。下腹に力を入れ、いつも通りの声を作った。



「半端な時間に呼び立てて悪かったな、アラベール」

「とんでもございません、司教様」



頭を下げた姿勢から金髪をさらりと揺らして顔を上げた男は、いつも通りの笑みをたたえていた。




***




何とか時間前に教会へ辿り着き、息を整えながら廊下を進む。しかし、物の受け渡しだけなら自室でいいだろうにわざわざ大聖堂に呼び出すとは。あまりいい予感はしない。身だしなみを整えて大聖堂に足を踏み入れれば、司教は既に講壇へ立っていた。司教は俺に目をやり、扉を閉めろとばかりに顎でしゃくった。体重をかけながら重い扉を閉め、司教に向き直る。相変わらず、表情が読めない人だ。言葉を待っていれば、司教はゆっくりと口を開いた。



「さて、単刀直入に聞こう。用事というのは他でもない。…お前、悪魔を飼っているそうだな」

「……ッ、」

「動揺を隠せもしないか。使役ならまだしも、悪魔を庇って怪我を負うとは。ティモテ・アラベール、お前は堕ちかけているぞ」



司教の眼光に、全身の血の気が引いた。動けないでいる間に、司教は次の言葉を紡ぐ。



「早くその淫魔を祓え。今なら間に合う」

「……。あれは従順な淫魔です。祓うとしても、聖水が無駄になります。逃がしてやった方がよいかと」

「逃がす?何を言っている。一度人間にすり寄った悪魔を、野放しにするのか?」



司教はこぶしを握り、目を見開く。頬の傷が、うっ血したように赤く染まっていく。



「悪魔とは恐ろしい存在だ。以前、私は黒服たちの前で悪魔に魅入られた者の末路を語ったな?」

「はい」

「あれはな……、私の、友人の話だ」

「……いえ、あいつはそんなことができる淫魔ではありません。もっと純粋な生き物で、」

「奴らはな、魔の物なのだよ。我々と同じような笑顔を見せていても、我々の常識や感性が通用しないのだ。そういう生き物だよ」



反論をしようとすれば、司教は押さえつけるように言葉を重ねる。そこまで語ると、司教は講壇を降り、こちらに足を進めた。傾きかけた日の光を背負い影の落ちた顔からは、異様に光る眼光だけがこちらに向けられていた。



「お前なら、できる。誘惑を吹っ切れ。期待しているぞ」



司教はすれ違いざま、俺の手に1つの瓶を握らせた。見慣れたものより一段と装飾が多く、心なしかとろみの強い液体が入っていた。紛れもなく、精度の高い聖水だ。バッと顔を上げれば、司教は静かに俺を見下ろしていた。思わず口を開きかけた俺の肩にずっしりと手を置くと、靴音を立てて大聖堂を出ていった。



ステンドグラスから差し込む陽の光が聖水の瓶に当たり、四方に反射した光が淡い虹色を帯びて床に落ち、生き物のようにうねっている。講壇の向こうでは、神像がいつもと変わらない微笑みをたたえて、俺のいる方を見下ろしている。






本当にどうしろってんだ、神さまよ。

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