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「エル姉さま!」
フードを被ったいかにも怪しい人物は非常に元気よく叫び、私の方に両腕を広げて飛び込んでこようとする。
エルという名前に馴染みがあったのはこのせいかと納得した。
しかし、ヴァルターが構えている手前でピタッと止まりブツブツ言い出した。
「妊婦って正面から抱き着いていいの? やばくね? 背面から? いや背面も危ない? この溢れる再会を祝す気持ちをどうやって姉さまにぶつければ?」
フレンドリーと失礼の間のような言葉使いと元気すぎる声で、この人物の正体を確信した。
「ミストか」
名前を呼ぶと、ぱあっと顔を輝かせたのがフード越しでも分かった。そう、この妹はこういう奴だった。馴れ馴れしくて誰とでも距離が近くて幼い。
「そうですよ、エル姉さま! やっと思い出したんですね! 良かったぁ!」
「ヴァルター、剣を下ろしていい。それは妹だ」
「妹⁉ 全然似てませんよ?」
「似てるよ! このへなちょこ! 失礼な!」
ぎゃあぎゃあ言い合いながら、フードを被った怪しげな人物は私のところまでやってきて両腕を広げて私にどこから抱き着こうか迷った末に、握手とばかりに手を差し出した。私もその手を握り返す。
たくさんいる姉妹の中でも、かなり仲の良かった妹のミストだ。
当然彼女もワルキューレである。小柄な体躯に深い緑の髪が特徴だ。ワルキューレは大勢いて全員が姉妹だが、人数が多いので把握しきれていない。
「ここで何をしている。まさか転移陣を用意したのはミストなのか?」
「そうですよ。人間の魔術師があんな高度な転移陣を用意できるなんて思ってます? 心外だなぁ」
「なぜ、わざわざこんなことを? たくさんの人間を危険に晒しただろう」
「死ぬ人間は神とアタシたちが決めるんだから、どうでも良くないですか? 姉さんみたいに神にわざわざ逆らったらあれですけど~」
どんな人間が死のうとどうでもいい、か。
私も以前はミストのようだった。どの人間が死のうとどうでも良かった。選んで神々の元に連れて行き、鍛錬して来る神々の戦争で戦わせるだけだから。
神々の戦争で戦い、もしも敗れたらその人間の魂は決して転生しない。輪廻の輪から弾かれて完全に消滅するのだ。
フィニアスが戦争で死んで神々の元に連れて行かれ、神々の戦争で死ねばもう生まれ変わらないということだ。だから、私はフィニアスを戦争で殺さなかった。
「ミスト。私は天界を追放されたのだ。こんな風になぜ私の前に現れる」
「だって、役者は全員揃ってるからって神様に側室のとこに行かされて。あの側室、前世の記憶あるせいかなんか怖くって。やっぱ、人間ってやつの負の感情はヤバいですよ。弱っちい生き物なのに嫉妬や悪意はすっごいし。姉さんのこと恨んでるっていうよりはあの男のこと恨んでて、それならまぁいいんですけどね。ワルキューレたる姉さんはこの程度の魔物でどうにかなるわけじゃないし」
王女からは、ここまで大事にするような悪意は感じなかった。
ということはやはり母親の側室か。
記憶があるということは、前回フィニアスが私を追いかけてきて死んだことも根に持っているだろう。でも、私を恨むよりもフィニアスを恨んでいる? 前回はあの側室とは面識がないから、あちらは私の存在を知っていても詳細は知らないはずだ。
「さ、思い出したなら姉さん、さくっと帰りましょう。もう人間界で十分遊んだでしょう」
ミストはがしっと私の腕を掴んで、正気に戻れとばかりに乞うように揺する。
「私は怒られて追放されたのではないのか?」
「やだぁ、姉さん。魔術使えてたじゃないですか。同じようなことした一の姉さまだって許されてますし、三の姉さまだって人間とくっついて帰ってこなかったですけど神様全然怒ってませんよ。最初は怒ってましたけど、ほら飽きっぽいから」
ワルキューレの長姉はあまりに神の言うことを聞かずに人間界に落とされていた。
三の姉とは仲が良くなかったのでよく知らないのだが、人間を愛して戻ってこなかった。
「つまり、私は天界から追放されていないと?」
「姉さんは罰として記憶を抜かれてたんで、記憶を取り戻したらもう終わりで戻れますよ。全然思い出さないから神様の方がつまんないってちょっと焦ってました」
ヴァルターも王女も訳が分からないという顔で、私とミストを交互に眺めている。でも、私も訳が分からない。
神が本当に怒っていたら、私から文字を取り上げたはず。
これは神の遊戯か?
フィニアスと出会ったのもすべて遊戯のうち? それでは、これまで私はずっと記憶喪失で神の手のひらで踊っていただけか?
「そもそも、姉さん。お腹の、あの男の子供なんですか? 浮気したかもしれない姉さんをまたあの男が愛すとでも? 姉さんをすっかり忘れて別の女と結婚した男は姉さんのそれを許しますかね? 人間って愚かで浅ましいじゃないですか。自分がやったことを棚に上げて姉さんのことどうせ捨てますよ」
身振り手振りをつけて、喋るごとにだんだん熱が入ってきたミストのフードが外れる。
そこには私と同じ夕陽色の目があった。
姉妹たちは体つきや髪の色こそ似ていないが、夕陽色の目だけは一緒だった。
「フィニアスとは……戻ってきたら話をしようと約束した」
「あの男、姉さんとの約束守らないじゃないですか。帰ってくるって言って帰ってこなかったんですよ。それなのに、なんで姉さんはまた信じるんですか! おかしいですよ!」
ミストは痛いところをついてくる。
今回は記憶こそないものの、私がフィニアスを先に裏切ったのかもしれない。
まるで前回のフィニアスの立場になった様だ。
きっと彼もこんな気持ちだっただろう。
どうして? なぜ? あれほど愛を誓ったのに。その誓いはこんなに簡単に朽ち果てるようなものだったのか?
あるいは、火のように一瞬で燃え上がってすぐ消えるようなものだったのか。
「どういう、ことよ。お腹の子が公爵との子供じゃないですって?」
震える声に私もミストも同時に振り返った。
先ほどまで立ち上がれなかったはずの王女が、綺麗にセットされていたはずの金髪を振り乱してやっと立ち上がる。
「おかしいでしょ、何で否定しないの。だって、公爵はあなたのこと愛する人だって……」
近づいてくる王女を侍女のエリーとヴァルターが制止しようとしたが、首を振ってやめさせる。
「私は! あなたが妊娠までしてるから諦めようとしたのに。なんで? 嘘なわけ? あなた、公爵を裏切ったの?」
「分からん。そこはいまだに記憶喪失だからな」
「はぁ⁉ おかしいでしょ、そんな都合のいい記憶喪失!」
「あんた、ママ、ママ言ってあの側室がコソコソ何かやってるの見て見ぬフリしてたくせに。今更そうやって被害者ぶるのやめてもらっていいですか? アタシと何回もすれ違いましたよねぇ、離宮で」
王女が私につかみかかろうとしてきて、ミストが私を守るように王女に飛び掛かりかける。なんとかミストを抑えたが、王女は私の目の前までもう来ていた。
「私を……騙したの? あなた、公爵の愛人じゃなくてまさか契約相手とか? 公爵も適当な妊婦を雇ったの? 私を遠ざけるために? そこまで私のことが嫌なの?」
「そもそも、誰があんたみたいなの愛するんですか。あの男が姉さんに惚れた趣味だけはいいですよ。そこだけは褒めてあげます」
「王女よ、私は天界から追放されて記憶喪失でなぜか妊娠していた。公爵は怪しすぎる私を保護してくれたのだ。でも、まぁ……先ほど思い出したが、公爵と私は前世で愛し合っていた」
ミストが口をはさんでいる状況は厄介だが、私は王女を見据えた。
前世で私からフィニアスを奪った女だ。
もしかするとあの時も、この女の母親が大きく関わっていたのかもしれない。
「前世とか、神とか……さっきから意味が分かんないわよ」
「だろうな。前世でフィニアスのことを私は愛していた。だから、王女にも聞いたのだ。どのくらいフィニアスが好きなのかと」
「どのくらいって……ただ、私は公爵とどうしても結婚したいって強く思っただけで……理由とか程度なんて分からない。ただ、好きなの。どうしても、妊娠した愛人がいるって知っても好きなの……公爵と結婚するんだってなぜか思ってたから……」
王女の目から涙がこぼれる。
王女自身はなぜ泣いているのか分からないようで、戸惑ったようだった。
初めてこの王女の素直な気持ちを聞いた気がした。役者の中で前世を唯一思い出していないこの王女の。
この思いで、この女は私からフィニアスを前回奪ったのだ。
「妻なら愛人の一人や五人くらい許容しろと言ったことは謝ろう。私も本当に好きな男に愛人が他にもいたら嫌だからな」
私は今回どうすればいい?
前回私を裏切ったフィニアスに執着しているだけではないのか?
「あなたは……公爵のこと愛しているの? どのくらい?」
涙を拭った王女が目を赤くして聞いてくる。
その純粋な目に私がすぐ答えられないでいると、馬の駆けてくる音がした。




