エピローグ
出版社の宣伝部長、相川遥がグラスを掲げる。
「さぁ。今夜も盛大に祝っちゃおう!」
今日は、美樹の次作出版を祝う食事会だ。メンバーはいつもの通り。親友の音々に芳賀に、遙に、一人息子の宙夜。たった一つ違うのは「彼」、風氏俊樹がいないことだけだ。
みなは、美樹の作家人生の順調ぶりを喜んでいる。美樹は面はゆくも嬉しい気持ちで溢れている。遥が心地良さそうに、煙草の煙を吹かせて美樹の隣に座る。
「おめでとう。美樹」
「ありがとうございます。遥さん」
「よし! じゃあ今日も飲んで騒いじゃおう!」
場をわきまえないともいえる、遥のその言葉を皮切りに、食事会は無礼講へと変わる。美樹は、美樹の体験など思いもしない、仲間たちに視線を送る。彼らの楽しげな様子が、美樹にとっては何よりの対価だった。
やがて食事会を終えたみなは、店を出ると、ふと満足したように夜空を仰ぎ見る。遠い星の瞬きは、美樹たちをどこか遠くへ連れ出してくれるかのようだ。
遥が口にする。俊樹のことだ。
「俊樹君。アフリカかぁ」
芳賀が遥の言葉を引き継ぐ。
「水資源確保のボランティアをするんでしたね」
遥は名残おしそうだ。
「俊樹君らしいといえば俊樹君らしいが」
みなそれぞれの想いを胸に秘めている。夜空に浮かぶ半月は、美樹に「月の声」をめぐる旅を少しだけ思い起こさせる。
「本当に、綺麗な月」
美樹のその言葉を噛みしめるように、メンバーはそれぞれの帰路へと着いていく。自宅のマンションへ帰ると、宙夜は早速、ベッドに横になる。そして「物語の続き」を美樹にせがむ。今夜は「時計塔に眠る怪人」の最終話を話す日だ。宙夜は訊く。
「ジファは……、どうなったの?」
「ジファはね」
美樹は宙夜に話して聞かせる。
「ジファは時計塔をあとにして、隣の国で学びました」
宙夜は黙って耳を傾けている。美樹は物語を紡いでいく。
「やがて医者になったジファは故郷へ、そして時計塔へ戻ります。『怪人・オルザヴァ』の病を治すためです」
宙夜は健やかな表情を浮かべている。宙夜のリズムを取る指の動きが、何よりも彼のリラックスした心情を表していた。美樹は、声に抑揚をつける。
「でも、ジファは知っていました。もう時計塔の扉が『永遠に』開かないのを」
宙夜はどこか寂しげだ。美樹は宙夜の髪の毛を撫でると物語を締めくくる。
「ジファが去っていった広場には、花が咲き乱れ、芽吹いていったということです」
美樹が「おしまい」と口にすると、宙夜は疲れからか、寝息を立てて眠り始めている。美樹は、愛息子の頬をそっと撫でると、自分もベッドに横になる。
美樹が瞳を閉じると「ジファの世界」での時間が、記憶が、想い出が、鮮やかに彼女の心に蘇っていく。
瞬く光が美樹の心に触れて、ローズの、カザの、フラカナの、アノマの、トシキの、そしてジファの呼びかける声が、遥か遠くから彼女の胸に響いてくるようだ。美樹の心は静かに、ゆっくりと光に誘われていく。
そして光の彼方にいるジファへ、彼女はたしかにこう呼びかけていた。「二つの世界」を巡る物語が始まったあの日の夜と同じように。
「ジファ、大好きだよ」
その感情は、美樹がより一層、ジファの世界へシンパシーを抱くように、トシキが細工したものだったのだろうか。だが美樹はその感情を、自分の本当の気持ちとしてたしかめることが出来た。彼女の視線の先では、いくつもの光が瞬いている。光の果てに手を伸ばし美樹は呼びかける。
「だからこう言える。二人の心は離れていてもきっと一つと」
明滅して弾けていく光。次の瞬間、美樹はゆったりとこう口にした。
「ジファ、あなたのことはずっと忘れない」
「ずっと」。その言葉は、脆くも儚い言葉の響きは、溢れていく光の只中へ、「永遠に」木霊していった。




