49話 精神汚染
王都のどこかでその身を安っぽいローブで包み、茶髪の誰かが首を傾げた。
そう、自分からまるで力が抜けていっているような感じで──。
「くそが……やられたな」
忌々しそうな声があった。
そして、人間を破滅へと誘う者達の影がぬっと動き出す。
世界全てを壊すような権能を持って、目の前の敵を討ち滅ぼすために。
直後、破壊が誰か目がけて殺到した。
きっと目の前の強敵に打ち震えたのか、それともただ単に邪魔だったのか。
その辺の感情はシュウには理解できないものの、それでも必殺と思われる災厄は振るわれた。
それは大気という大気を片っ端から汚染し魔力を変質させ、シルヴィアを殺す一撃が迫る。
「く──」
剣で思わずガードしようとしたのは、正に勘というやつが働いたに違いない。
だが、それだけで防ぎきれるとは夢にも思わない。
自らを絶命させられるほどの一撃を避けるために、シルヴィアは身を捻り上空で回避しようと足掻くが、それには暴風の範囲があまりにも広すぎる。
「──」
束の間、幾度となくシルヴィアを襲ってきた死への感覚が酷く頭を冷えさせる。
いつだってこうだった。
自らが死を直感するとき、それに反するかのように頭は死ぬ直前とは思えない程に冴えわたる。
人は本来、視界に入っている情報をいらない情報と欲しい情報に分けられることが出来る。
何かに集中している時、それ以外が見えなくなるような現象。それが無意識のうちに行われている。
だが、この状況においてそれは全く当てはまっていなかった。
──上空、地面。何もかもがシルヴィアの領域のような感覚を得て、今対抗しうる最善の策を選ぶために膨大な情報の中から探し出す。
そして、見つけ出した。
黒髪の少年──シュウが、シルヴィアへと向かってきていることを。
今全てが遅くなるという極限の世界において、シルヴィアには分かった。
──シュウが後ろへ回している右手。そこに魔力が込められつつあるということに。
それが分かったからこそ、シルヴィアはただ笑って。自然落下に逆らう真似はせず、加速に身を任せる。
きっと、シュウが守ってくれるだろうから。
そんな信頼を寄せ、シルヴィアは目を閉じた。
そして、シュウも。シルヴィアを守るためだけに銀髪の少女に渡された力の行使に踏み切る。
自らの少ない魔力を限界まで練り上げ、守ることに特化した力を振るう。
シュウにしか見えないであろう絶対防御の盾。魔力が防御力に関係するが、それでも今この場で全力をつぎ込む。
「うおおお──!」
正直この力の範囲も、使い方も分かってもいない。
だが、心は覚えている。心の声に、どう使えばいいのかという疑問に返してくれる声に、ただ従うだけ。
シルヴィアの落下地点に到着し、右手をかざす。
不可視の盾。シルヴィアを追い抜き、暴風と激突する。
黒板を爪で引っ搔いたように気持ちが悪い音が上空で降り注ぎ──。
シルヴィアもまたすぐ近くで起こる騒音に、顔を歪めた。
果てしない攻防。暴風のような絶対の攻撃が、全てを防ぐ盾を容赦なく削り取り──。
「──!」
シルヴィアが目を閉じたまま、見えないはずの盾に手を置く。
そして、何か光って──。
直後、爆発が上空で起こった。
盾は木っ端微塵に吹き飛ぶも、八咫烏が放った一撃はどうにか防いだようだ。
だが、それだけでは終わらない。
「う、そだろ……」
思わず、シュウの口から洩れた。
視線の先、そこには先ほどの暴風が如き一撃が再び放たれようとしている光景があった。
シュウは盾になぜか回復したなけなしの魔力をつぎ込んで、ようやく防ぎ切ったのだ。
何度も乱発されては、防ぎようもない。
目の前のシルヴィアをただ殺すために放たれ──。
『アアアアアアァァ!!』
耳を劈くような咆哮が聞こえ、金色に輝く世界の中で透明の異物が入り込む。
「──もう、一度っ!」
馴染みのある声──レイの掛け声がシュウの後方で発せられ、同時に杖の先に都合十個ほどの氷の塊が生み出され、化け物に向かって発射されていく。
大したダメージはない。だが、シルヴィアが地面へと着地するまでの時間を稼ぐには至った。
「シュウ! シルヴィア様! 無事ですか!」
シルヴィアが轟音を立て地面に着地したのを見計らってか、藍色の髪の青年──ガイウスと赤髪の少年──シモンが近寄ってくる。
「ガイウス、か。そっちは大丈夫なのか?」
「ああ。それより君は大丈夫か? 大分顔色が悪いようだが。まさか怖気づいたわけでは?」
「顔色が……?」
ガイウスに指摘され、初めて気づく。魔力の大量消費。それにより、身体への影響が色濃く出始めている。鼻から血が垂れ、また自らを支える足も震え始めていた。
「シュウ。鼻血も出てるよ? 体調が悪いなら、避難したほうが──」
「いや、大丈夫だ。──まだ、やることがある」
シルヴィアの言葉を遮り、シュウは大丈夫だと告げる。
まだ、戦いの最中だ。目の前の上空で飛来している八咫烏。あれを放っておくわけにはいかない。
──戦う理由がないやつが戦場に居るな。
そこで、『傲慢』の声がシュウの脳裏に響いた。
あの時と同じだ。シルヴィアを守りたいなら、ここで恨まれようとも遠ざけるが最善だ。
なら、シュウはなぜそれをしない。どうして、抗えないような絶望にばっかり立ち向かっていく。
自分のやりたいこと。自分がやらなければならないこと。
もう一度、しっかりと確認する必要があるのかもしれない。
「ガイウスさん。ダメです! 全く効いてません!」
「そうか。魔法ならあるいはと思ったが──」
無数にも思われるほど乱発された氷の魔法は、しかし全く効果はなかった。そして、ガイウスの隣で控えていたシモンが、ゆっくりと前へと躍り出た。
「──もう、いい。魔法で駄目なら、ぶった切るだけだ」
「な──。シモン! ダメだよ! もう少し待ってから──」
レイの懸命な説得に、シモンは聞く耳を持たない。
もう、こうなったら彼に声は届かない。
彼に届くのは人の騒音ではなく、ただ目の前の相手との交戦に必要な情報だけ。それ以外は自ら途絶する。
それが彼なりの集中方法なのだ。
だが何度見ているはずのレイとガイウスにも、分かった。
「待て、シモン! 今は恨みを優先している場合ではない!」
ガイウスの制止する声が聞こえ──地面がめくれ上がる。
あり得ない程の跳躍。地面から跳んだにも関わらず、軽く屋上を超え八咫烏へと進む。
「ち──レイ、支援を! シルヴィア様、シモンと共に突貫してください!」
「了解です!」
「はい!」
ガイウスの正しい判断が即座に出て、シルヴィアとレイはすぐさま戦闘態勢に入る。
「つっても、どうするんだ。あんなもの。届くのか?」
「ああ。シモンの『オラリオン』であれば、不可能ではないだろう」
「『オラリオン』……シモンも、持っているのか」
願いの集積体。人の奥底に眠っている願いを反映するため、ある意味では願いが具現化されたと言っても過言でない。
「シモンの『オラリオン』は一時的に爆発的な身体能力を得ることだ。──でなければ、あれほどの跳躍など出来ない」
「──だけど、シモン一人じゃ必ず勝てない」
「その通りだ。シモンもそれが分かっているはずだ」
「じゃあ、なんでシモンは突貫していったんだ?」
レイの規格外の魔法が空を斬り裂き、シルヴィアとシモンの攻撃により羽毛が飛び散る中でシュウはガイウスにそう尋ねた。
シュウからそれが出たのが意外だったのか、少しだけ唖然として、すぐに口を開いた。
「恐らくは、ここに彼の目的があるからだろう」
「目的?」
不思議がるシュウに対し、ガイウスは顎を引く。
「彼の、恐らくは始まり、原点。彼という人格が形成されるに至った経緯。私も詳しいことは聞いていないが……復讐するべき相手。それがこの王都にいるのだろう」
復讐。正直、シモンには似合わないような言葉だった。
シュウには彼と接した時間が少ないゆえに、彼がどんな思考を持っているかはまでは知らない。
だが、それは──。
「まずい。──八咫烏も、本気で来るぞ」
低い声があった。唸るような、人の本能に訴えてくる鳴き声。それは容易にシュウの心まで到達して──。
「なん、だ!?」
だが、何にも起きなかった。
いや、むしろ周りの人々──ガイウス達が膝を屈している。
「ど、どうしたんだよ!」
「シュウ……君には、この声が聞こえないのか……?」
絞り出すような声に、シュウは聞こえていると首を縦に振る。
「では、なぜ……」
「まさか……精神、汚染か……?」
ガイウスの症状。それを見れば分かる。顔色が優れていない。
精神に異常を来たし、尚且つ現実の体にまで影響を及ぼすほどの精神汚染。
実質、シュウ以外がダウンする。
「やば、くないか!?」
相当にまずい。シモン、レイ、シルヴィアが束になっても落とせないような怪物を前に、シュウ一人が立ち向かうなど──。
「シュウ! シュウは無事!?」
「シルヴィア!? 無事だったのか!」
とはいえ、状況は先ほどに戻っただけだ。
シルヴィアとシュウだけの戦場になっただけ。
それを見計らってか、八咫烏は再び降下し──。
だが、途中で氷の大魔法と見紛うほどの氷が八咫烏の腹を抉り──それでもまだ止まりはしない。
「レイ! 無事なのか!?」
「うん! そっちの二人は──く、ごめん! 他の事に気を取られている暇はないかも!」
氷魔法が放たれた射出位置。そこに精神汚染にかかっていないレイが幾つも魔法を放ち、八咫烏の体を削り取っていた。
傍目から見ても魔力の使い過ぎだということぐらい、シュウにだって理解できる。
しかし、こうするしかない。
「くそ……このままじゃジリ貧だ……」
「シュウ。さっきの盾、出せる?」
「盾……ああ、さっきの暴風を防いだやつか……簡単なやつなら、出せない事もない、けど」
「なら、上空に出してくれる?」
「上空に……?」
シュウは上空を仰いで、ようやくシルヴィアが言わんとしていることが理解できた。
「分かった」
本当に最後の魔力をつぎ込み、守るための盾を創造する。とはいえ、その大きさは先ほどの物よりも見劣りする。
当然だ。魔力の大半以上をつぎ込んで出来たものと、少しの魔力では差があるに決まっている。
だが、この場はそれでいい。この盾は今回防御用ではないのだ。
見えないはずの盾。不可視でありながら破滅から守りうるそれを、しかしシルヴィアは足場にしていく。
シュウが出したのは上空。しかもシルヴィアが到達できるギリギリの高さ。
これで、八咫烏の場所へとたどり着ける。
「──っ、はああああ!!」
シルヴィアの咆哮が空中へと響き渡り、絶対の剣が八咫烏に叩き込まれ──。
血化粧が咲き乱れ──断末魔のような叫びが上空を支配して、それでもなお止まらない。
「くそ……」
「があああああ!!!」
なお進撃し続ける八咫烏に、だが大砲のようなものが浴びせられる。
重傷を負ったはずのミレ。意識不明だったので詰所付近に預けてきたはずの彼は、いつしか目を覚まし八咫烏に抗うために戦力をかき集めてきた。
後ろには何十人規模の魔導士たちが控えている。
「総員、吹き飛ばせ──!」
ミレの指示が飛び、魔力を限界まで溜め込んだ魔法──殲滅魔法と呼ばれた魔法と同じような威力が、八咫烏の皮膚を深く抉るのだった。




