47話 災厄の到来
空飛ぶ災厄として恐れられている八咫烏には、様々な逸話があった。
曰く、万の土地を廃土へと還した。
曰く、疫病を世界各地にばら撒いた。
他にも列挙すれば、きっと限りがない。
誰もが恐れる神々しい鳥は、一言でいえば何かを探していた。
シュウ達の世界で、八咫烏は神の使いとして描かれている。それは逆に言えば神そのものではない。
であれば、その生物は使えるべき誰かを探していた。
自分に生きる意味を与えた誰かを、自分を生み出してくれた何者かを。
それを永遠に探し続けいつしか災厄とまでされていた鳥は王都に入り、突如として唸り声を上げた。
──いる。
──ここには、その二人がいる。
自らが探し求めた存在が、王都のどこかにいる。
もしかしたら、その誰かたちは自らの事を覚えてはいないのかもしれない。
だが、それでも構わない。
全てを薙ぎ払い、彼らに再開するそのために。
邪魔なものは何もかも壊す。
そうして、八咫烏は手始めに自らの体と同じ色のような建物を壊すために前へと突き進むのだった。
崩れ落ちる瓦礫を避け混乱を続ける人々を躱し、シュウを抱えたシルヴィアは王都へと足を進ませていた。
だが、その顔はあまりいいものではない。
きっと、救いたいのだろう。ここは戦場になると、だから逃げろと。声高に主張したいのかもしれない。
しかし、残念ながら今それを説明する時間などありやしない。
一般人である彼らに、八咫烏の権能を理解することなど不可能に近い。
それでなくても別の方角に逃げまどっているのに、一つだけの避難先を教えれば間違いなくそこに殺到し、八咫烏の餌食になる。
大勢が犠牲になるか、少数が犠牲になるか。
最善を選ぶしかない。
シルヴィアとシュウには寄り道などは許されず、ただ一つだけの最善に縋るしかない。
──憎い。
ただひたすらに、今無力である自分が腹立たしい。
嘆いても状況は変わらない。
分かっている、分かっているからこそ。
この状況はもどかしい。
誰かが死ぬってわかっていて、助けられないのは気分が悪い。
でも、そうするしかないのだ。
ダンテのように力があるならばいざ知らず、弱い彼には選択権などない。
目の前に吊り下げられた最善を選ぶしかない。
それは罪だ。
死ぬと分かっていて、見逃すのは罪でしかない。
シュウはこの瞬間、決定的な罪を犯して──。
「くそ……!」
だが、それ以上は首を振って思考にふけるのを中断する。
これ以上は自分を抱えているシルヴィアにだって伝わってしまう。
彼女を心配させるわけにはいかないのだ。
「シルヴィア。八咫烏は?」
「今は上空を漂ってる。──何だろう? 何か探してる、のかも」
確信がないのか、語尾は消え入るような声だったが、それにはシュウも頷くしかない。
上を仰げば、かの鳥──八咫烏は王城を素通りする前に空を漂い首だけを忙しなく動かしていた。
まるで何か、探し物を見つけるように。
「でも、僥倖ってわけじゃ、ないんだよな……」
「うん。いつ暴れまわるか分からないし──それにあそこじゃ届かない」
何度も言うが、八咫烏は未だ上空に居る。
しかもその高さはシルヴィアでは辿り着けない領域にまでだ。
これでは、打つ手がない。
「てことは、ガイウス達が合流するのを待つしか……!?」
突然、八咫烏の動きが変化した。
探し物を見つけたかのように歓喜し打ち震え、咆哮が人々の耳朶を打った。
そして、ゆっくりと。
翼をはためかせ、急降下してくる。
「は──あ!?」
「まずい! ここには人がたくさんいるのに……」
──やばい。
直感で悟った。
ここには逃げまどう人々がいる。
しかも、どこに逃げていいのかすら分からない人々がだ。
八咫烏はそんなこと気にせずに、ただ突進してくる。
このまま行けばかの鳥の力で肉が腐るか、その巨体に踏みつぶされるかの未来が待っている。
だが、そんなもの許せるわけがない。
ここにいる人たちは、シュウと違って何の罪もない者達なのだから。
「シルヴィア!」
「うん!」
一足早く街の頂上へと上る影があった。
桃色の髪をなびかせ、壁を駆けた少女が見据えるは先ほどよりも近くなった八咫烏だ。
だが、あちらはシルヴィアを気にすら留めていないようで──。
「──っ!」
屋上と思しき場所が大破する。
シルヴィアの跳躍の勢いで先ほどまでシルヴィアがいた場所が抉れ、同時に。
『──?』
「これ以上は行かせない──!」
正に目と鼻の先。
シルヴィアの跳躍が降下してくる八咫烏を捉えた。
八咫烏が初めてシルヴィアを視界に入れ、そして瞬間。
目から鮮血が舞い散った。
シルヴィアの剣が、八咫烏の目玉を斬り伏せたことの証明だ。
全力を持って払われた一撃は、八咫烏にすら感知できない。
その事実が分かれば十分だ。
──あの鳥は、魔族幹部のような圧倒的な絶望感は訪れない。
彼らほどの実力であれば、きっと苦にすらしないだろうから。
「──っ」
『アアアアアアアア!!!』
大きな叫び声──断末魔に似た唸りがもう一度振るわれるはずの剣を寸前で止め、逆に風圧を生み出しシルヴィアを地面へと追いやる。
だが、ただでは終わらない。
去り際にシルヴィアがどこからか隠し持っていた投げナイフ。それが、八咫烏の脳天を貫き──。
「効いて、ない……!」
寸前、投げナイフが上空でぽっきりと折れた。
否一人でに折れたのではなく、八咫烏の脳天を突き破ろうとして壊れた。
まさかの頭突きと同じ要領で抜け出すとは思わなかったのか、思わずシルヴィアも声を上げてしまう。
「くそ……飛び道具無効化なんてないよな……!」
思い浮かべるは最悪の想像。
飛び道具、及び魔法の無効化。
それはまさに最悪の一手だ。
上空に舞っている八咫烏に剣を当てるなど、もはやシルヴィアにしか出来ない芸当なのだ。
そして、当のシルヴィアは華麗な様で地面に着地する。
だが、手ごたえは感じているらしくその瞳は若干ながら輝きを取り戻していた。
対して、八咫烏は。
なぜか突進を取りやめ、翼をはためかせ上空へと舞い戻っていく。
何だ、あの鳥は一体何がしたいのだ。
自由自在に動き回ったかと思えば、しかし人が大勢いる場所へと突っ込み、そして急旋回を果たしもう一度自らの領域に戻る。
当初、シュウは魔獣と同じだと思っていた。
魔獣は人を喰うことだけを考えている。
であれば、かの鳥──八咫烏も同じで、人間を殺すためだけに来たのではないのか。
そのために、人口が密集しているここを狙ったのではないのか。
だがあの旋回を見る限り、恐らく八咫烏には魔獣以上の知恵が与えられていると見て間違いない。
最悪だ。
だが、それは別として。かの魔獣の目的が分からない。
魔獣以上、人間並みの知能を持ち合わせていると見込んでいるが、そうなれば何か目的がなければここに来た意味がない。
それとも、ただ空を漂い、気まぐれに世界を死に絶えさせることこそが八咫烏の目的だとでもいうのか。
「シルヴィア。どうする、あんな高いところまで登られたら対処ができない……」
「あっちが来るまで待つしか……でも、先に他の人を避難させないと……!」
「だけど、こんなに混乱してたら……」
避難はまず不可能だ。
これだけの人がこれといった避難場所も明確にせずに、ただ逃げ惑っている。
であれば。
「シルヴィア。どうにか誘導とかできないかな!?」
「分からないけど……でも、あちらが狙っているのが分からない以上、私達が動いても……!」
シュウの提案を、しかし確実性がないと却下する。
それもそうだ。
相手の目的が分からない以上、対抗できるシルヴィアをこの場から離すのは下策中の下策だ。
だが、そこでふと目が合ったような気がした。
シュウの見上げる視線と、八咫烏の見下ろす視線が互いに交錯しあう。
「なんだ……?」
王都に来てから、魔族に関わること度に既視感を感じてきた。
確実な保証は何一つない。
それでも、八咫烏がただ一点。シュウのみを見ていることが、何となく感じ取れる。
「もしかして……?」
「シュウ!?」
人知れず、シュウの足が動いた。
後ろからシルヴィアの心配する声が聞こえたにもかかわらず、その足は止まらない、どころか走る。
もしも、八咫烏がシュウを狙っているのなら。
確実に乗ってくるはずだ。
何の因果かは分からない。それでもゆっくりと、翼を動かし確実にシュウを目指し動く。
これで確定だ。あの八咫烏は、シュウを狙っているのだ。
「シルヴィア! あいつは俺を狙ってる。だから、このまま誘導する!」
「どこに誘導するの!?」
「王城に」
シルヴィアの尋ねる声に、これ以上ないほど落ち着いた声で答える。
「あそこにはローズさんがいる。だけど、それだけで選ぶわけじゃない」
「もしかして、人が近づけないから?」
王城には人は近づけない。
それを利用すればいい。
もし、そこで何かあっても五人将最強であるローズさんがいれば何とかなるだろう。
「王城を決戦上に。じゃあ、いつも通りの囮作戦を始めますか!」




