29話 素人
「シュウ。これを!」
一片の隙も許されない状況で、しかしミルはシュウに自衛の手段を渡してくる。
それは一か月前にシュウが壊した銃の後釜。
専用のルートから銃を取り寄せたミル専用の魔法道具だ。
シュウは迷わずそれを受け取り、再び前を向いた。
敵はこの場にいる大人達全員。そして、魔族の力を取り込んだと思われる少女。
しかもこちらの事情は全て筒抜けであり、相手の情報は何一つない圧倒的な劣勢だ。
「じゃあ、始めよっか」
心底つまらなさそうに呟く少女。
それもそのはずだ。
いくらミルが戦闘に優れているとはいえ、お荷物のシュウを抱えてこの場を離脱できる可能性など万に一つもない。
だから、少女にとっては掃除だ。
掃除をした後に残っていた少しの埃を片付ける程度の気持ちでしかない。
少女が手を上げ、周りの者達が身を屈めた。
「精々、頑張って生き残ってね」
合図が放たれた。
それはこの最悪の状況の真の意味での始まりを告げるものだ。
魔族の力を無理やり取り込んだ大人達が一斉にミル目がけて向かってくる。
対して、ミルは。
懐から取り出した短剣を持っていた。
まず最初に大人達の異常な腕力がミルを掠め、脇へ逸れていく。
いや、違った。
ミルが逸らしたのだ。
絶妙なタイミングで短剣を振るい、力の方向を最小の力でいなす。
だが、一撃だけで済むはずがない。
一つを避けてもまた一つがミルを絶命させんと攻撃を穿ってくる。
しかもミルだけならいざ知らず、シュウにも放たれた攻撃すらいなしている。
これだけの攻勢の中で、誰かを守りながら戦っているのだ。
──強い。
シュウなんて足元にも及ばないほど、高みにいる。
地面を抉る一撃がミルに肉薄し、後方から放たれた魔法の一種がミルの足に迫り、上空からも頭を割るために、命を奪おうとする。
まさに絶体絶命の状況。
四面楚歌だ。全てがミルを殺す一撃足りえ、逃げることなど許されない。
シュウは顔を歪め、ミルに近づこうと──したところで、足が止まった。
「シュウ。近づかないで。さすがにこの状況では庇いきれないわ」
ただシュウを制止して、目を細め体の力を抜く。
「この程度で、私を殺すだなんて──笑わせないで」
だが、それら全てを撥ね退けた。
間違いだ。
圧倒しているのは、数のいる大人達ではない。
ミルの方だ。
煌めく金髪が空中に舞い、世界が反転して、全てを打ち落とす。
その光景に上でふんぞり返っていた少女の顔に、僅かながらに動揺が見えた。
短剣が閃き、ことごとくを打ち落とし──。
大人達の攻撃は打つごとに、逸らされ──。
一撃も与えられない。
まるで舞踏だ。
ミルが流麗な動きで踊り、素人同然の彼らを躍らせていく。
ミルのそれが一流なら、大人達のそれは児戯。子供の遊び同然だ。
それほどまでにかけ離れている。
「くそ、どうして……どうして、当たらない!?」
「この程度の戦場──何度も潜り抜けてきた」
一人、また一人と倒れていく戦場で、ミルがそう呟いた。
「これよりも酷い、地獄なんて幾つも見てきた」
その目に闇を宿し、この程度の逆境など逆境の内に入らないと告げた。
「だからこそ、この程度の絶望なんかで、私を止めようとは思わない事ね」
短剣が輝き、大人達に撃ち込まれていく。
当然、殺してはいないはずだが今のミルには誰かを殺しそうな雰囲気がある。
いや、それすらも違うのか。
これこそが、彼女の真の姿なのか。
答えなど出るはずのない問いは、シュウの心に波紋を呼んで──。
気づけば、あれだけいた大人達がたった一人──アスハの父親だけになっていた。
彼自身も少なくない傷を負っておりいずれ出血多量で意識を失うはずだが、それでも立ち上がっていた。
「どうして、なんだ……」
忌々しそうにミルを睨み、思い通りにならない世界に対して恨みを吐く。
「どうしていつも……上手くいかない!?」
いつだって彼の人生は失敗ばかりだった。
この貧民街に生まれ、挫折した数は計り知れない。
その中で一人の女性と出会い子供が出来た。挫折ばかりの男は手に入れたはずだったのだ。
仮初の幸せを。そこで満足するべきだった。
人という者は、『強欲』だ。
欲望が満たされれば、それ以上を欲する醜い生き物だ。
いつしか幸せを求め、こんなところまで来てしまった。
人の手はあまりにも小さいということを知るべきだったのだ。
いや、彼は知っていたはずだったのだ。
それでも、求めた。みんなが幸せを得る世界を、求めてしまった。
正しい事を求めて、正義に、大多数の正しさに押しつぶされ、結局道を踏み外した。
彼も運命の歯車にすり潰された哀れな犠牲者でしかないのだ。
だからこそ、あの時決めたのだ。世界に復讐をすると。
正しいことを正しいと言えない世界を壊すと、そう意気込んでいた。
だが、蓋を開けてみれば今回も失敗した。
満足するべきだったのだ。自分という器の限界を知り、それ相応の振る舞いをしていればよかった。
その身に宿る傲慢さと強欲さが、全てを滅ぼした。
「まだ、まだだ……」
額から血を流し、それでも前へ這いつくばりながら進む。
執念。届かないと知っても、所詮人間が欲を抑えることなど出来やしない。
「終わってなんか、いない……終わらせるものか」
「な──!?」
その目に怒りを宿し、口に異形の腕を突っ込んだ。
抑えきれない力が逆流することで男の喉を潰し、赤黒い血を大量に流す。
そして幾度とも知れない闇が、男を覆った。
心だけが知っている禁断の秘術。
人間を魔獣へと変える非人道的な魔法、いや呪い。
そう、ちゃんと気づけば分かったはずだった。
その闇が何らかの形を模していることに。
魔法陣。それも膨大な魔力を内包しているものだ。
幾つもの魔法陣が重なり合い、共鳴し、一つの体を──獣の雄たけびを作り上げる。
ミルの顔が歪み、少女はつまらなさそうにあくびをする。
『フウウウ……』
獣が唸り声を上げていた。
この前とは違う、獣。ライオンの様な鬣を蓄え、四足歩行で立っているそれ。
シュウの世界で言うならば、百獣の王ライオンそのものだ。
唯一違う所と言えば、その背中に翼を生やしている。
キマイラ。そんな言葉がシュウの脳裏をよぎった。
「じゃあ、第二ラウンドに行こうか」
少女は栗色の髪を指でクルクルと回し、そう呟いた。
それに応えるように、キマイラは唸り声を上げ──。
世界が招かれざるものを排除するかのように、大気の魔力がうねり始める。
何度とも知れない異常事態がシュウ達を襲う。
まず動いたのはミルだった。
「シュウ! 翼を!」
「──! ああ、分かった」
ミルからの指示を理解し、キマイラの翼に銃口をセットし──。
『フゴオオオオ!!!』
翼を広げ、はばたかせるだけで暴風がシュウの肌を撫でていき、銃口を狂わせる。
そのまま、翼をはためかせながら四足で突進しようと足をうならせ──。
「だから、さっさと翼をもいで欲しかったのに!」
その動向を見抜いたミルは、すぐさまシュウを回収。
そのまま建物の幅を使い、天辺まで登っていく。
だが四肢をうならせ、建物を粉砕しながら駆け上がってきていた。
「どうする!? このままじゃひき殺されて終わりだ!」
「分かってるわ! 一度上まで登り切る。話はそこから!」
下から迫る圧倒的なプレッシャーがシュウの不安を掻き立てる。
翼がはためき、爪が建物を引き裂き、尻尾が破砕物を更に壊す。
徐々にその差を詰め、僅か一メートルすらない。
猛獣を再起させる爪がシュウの顔に迫り──。
『グ、ゴオオ!?』
伝うべき建物がなくなり空中に投げ出され、そのまま落ちるのを待つだけのはずだった。
だがミルがキマイラの顔面を思い切り蹴りつけ、更に跳躍。
対するキマイラは顔面を踏まれたことで、忘れていた重力が獣の翼を負った。
ゆっくりと落ちていくキマイラを、ミルはただ上空から見下して。
「シュウ。──どうにかして」
「──は?」
あまりの抽象的な命令にシュウが首をかしげ──る暇もなく、ミルの手がシュウから離れた。
突然の事で全く理解が追いつかないシュウだったが落下が始まったころに、ようやく現状を理解する。
「こんのやろおおおおおおお!!!?」
虚しい叫びが空中に木霊し、無様な格好で落ちていく。
ミルはそれを見届け、短剣に力を籠める。
淡く光った。
「じゃ、終わらせましょう」
それだけ呟き、シュウを超える速度で落下し、キマイラとの空中戦に挑むのだった。




