27話 届かぬ想い
一人の少女は、暗闇に閉じ込められていた。
光など何一つなく、今何時かすらも分からない空間にたった一人いた。
世界で忌み嫌われる黒を持って生まれた少女は、早くからその存在を秘匿され続けた。
生まれたことすら隠され、完全に秘匿されたのだ。
先代王の娘という肩書きや家名は剥奪され、最低限の生活しか許されなかった哀れな少女はいつしかこう呼ばれていた。
『幽閉姫』と。
黒髪であるがゆえにその容姿端麗な姿も相殺され、後の歴史において最も可哀そうだとの声が上がった少女だ。
今日も今日とて、彼女は鉄格子のなかから外を覗く。
これが、彼女に与えられたたった一つの娯楽だ。
ここ最近は鳥なども近寄るようになり、それなりに過ごしやすい環境ではある。
そして、太陽の上りぐらいを見れば今何時かは分かるのだから。
太陽はほぼ真上。ということは、今12時になったところか。
示し合わせたかのように、ドアがノックされる。
ノックをした誰かは、返事が返ってくる前にドアを開ける。
これだっていつも通り。
そして、入ってくるのはあの男性だ。
緑の髪を束ね、装身具に身を纏っている眼鏡をかけた男性。
アルベスタ教国における最高司祭。つまりは他国で呼ばれる王と同じ扱いだ。
この国の最高司祭に選ばれる基準は血筋ではなく、どれほどの実力を秘めているかの一点のみ。
つまりは実力さえあれば平民であろうと王になれるのだ。
だが、絶対条件は一つ。
この国の神であり、世界に君臨する唯一無二の神とされる『慈愛の女神』への敬愛度だ。
その中で歴代最高の実力で──最年少での最高司祭についた天才は眼鏡を輝かせ、少女に問う。
「どうだい? まだやる気はないかい?」
「何度も言っているとおり、私の答えは変わりません」
少女は目の前の男性を見つめて、きっぱりと断る。
本来であれば司祭に逆らうなどあってはならないのだが、彼女自身既に失うものはない。
それに、殺される心配もない。
彼が、あの儀式を成功させるには少女が必要なのだ。
「いや、そうか。だが、今日こそは、と息巻いて来たんだけどね」
「どういうことですか?」
最高司祭と呼ばれる誰かはただ遠くを見つめ──否、その先にあるイリアル王国を見て、不敵に笑った。
「今日は、『慈愛の女神』の寵愛が深い。誰かが、かの寵愛を受けているのかもね」
「──?」
「ふふ、別に気にすることではないさ。では、よい時間を」
うっすらと微笑み、その場から去る男性。
その後ろ姿は薄気味悪く感じた。
『幽閉姫』はただ扉を見つめ、もう一度鳥との会話にいそしむのであった。
「急げ! 戦場は詰所付近だ! 騎士軍の虎の子が出たぞお!!」
戦場はもはや坩堝と化していた。
彼らにも情報はあったようで、ガイウスとシモン達の素性が割れているのだ。
王都で唯一の魔族がらみを解決する部隊。
長年秘匿として表に出ない情報として扱われてきたものだが、それを知っているのは恐らく敵が情報源なのだからだろう。
それゆえに、反乱の際最も気を付けるべきと聞き及んでいた。
だが、今回はそれが仇となった。
気を付けるべき相手に最大戦力をつぎ込むのは悪い選択ではない。
しかし、それが陽動かどうかを見極めるべきだった。
先ほどまで大勢いた大人達の数は半分以下──いや四分の一以下に減り、潜入するのは容易い状況となった。
「よし、ここも大丈夫。だけど、少しでも音たてると見つかるかもしれないから慎重に」
「はい」
「ええ」
目の前の状況を端的に説明しつつ、注意を促す。
シモン達を早急に潰すために空いた警備の穴を突き、目指す場所は敵の中心。
隣にいる少女──アスハの父親の説得に向かう。
それこそがこの地獄を終わらせる一つの方法だ。
今でこそ、彼らは貧民街だけにとどまっているが時間が経てば状況は悪くなるばかり。
誰かが動くしかないのだ。命を賭してでも。
「くそっ……まずい。人が三人も……」
順調に進んでいたシュウ達だったが、目前にしてその足を止めてしまう。
警備は減ったが、それでも零になったわけではない。
未だ各所には一人ないしは二人が配置されており、その穴を抜けてきたのだが今度は三人だ。
ほとんど死角はないだろう。結局は見つかるのを覚悟で飛び込むしかない。
そう考え、シュウが足に力を込めてダッシュの姿勢を取り──。
そこで、後ろから肩を掴まれ強引に後退させられる。
「何を考えているの。この子を頼むと言われたのはシュウでしょう。なら、最後まで送り届けなさい」
「いや、そうだが……お前は、ミルはどうすんだ?」
「私が囮になる。その隙をついてさっさと奥に進んで」
ミルから提案されたこの場を凌ぐ方法。
確かにそれは正しい。このまま突撃しても結局は三人見つかるだけ。
ならば、一人に監視の目を傾け二人が行くのが定石だ。
シュウだってそれをしようとしていた。
だが、後ろへと強制的に引かれたことで頭が冷えたのか、それまでの視点とは異なった考えが頭を支配する。
なんだ、この違和感は?
ずっとそうだった。
最初から全部仕組まれていた。彼らが炎に呑まれることも全部決まっていて、結局は定められた流れに向かって哀れに抗うしかできなかった。
抗おうと立ち上がる度に、何度も感じる違和感。
漠然と感じる何か。見えない雲を掴むような違和感がずっとあった。
そう、まるでこれでは──。
「ああ、分かった。──死ぬなよ」
「ええ。そっちこそ。安心して。敵を撒いたらすぐに向かうわ」
結局、違和感はするりと頭から抜け落ち、承認してしまう。
ミルはシュウが頷くのを見届け、颯爽と駆け抜け、わざと銃を放つ。
その隙を突き、シュウとアスハは前へと進むのだった。
そこに辿り着いたとき、シュウは一瞬魔獣の生息地か何かかと勘違いした。
果てなき欲望。飽くことのない強欲。
人間が持ちうる『大罪』と言われた感情が充満していた。
本来それらは人間が自ら律しているはずであるのだが、この場ではその安全装置など存在しない。
飢えた獣だ。
何かを満たすだけに動く傀儡。
そんな坩堝の中、二人の異物が突き進む。
不思議と誰もが手は出さず、その光景をただ見ていた。
やがて反乱の主導者の下に、辿り着いた。
眼鏡をかけた優しそうな男性。その姿は変わらず、見る者に警戒を薄れさせる。
だが、忘れてはならない。その腕。異形の腕が、人の体に付いていることを。
「どうした? アスハ。ここは危険だから早く帰りなさい」
男性はアスハを見つけると、この場に居てはいけないと忠告する。
だが、それで引き返すことなどしない。
「お父さん。もうこんなこと、やめよう?」
少女の眼には涙が溜まっていた。
きっと、今は地獄を思い返しているのだろう。
自らの父親が起こした反乱でどれほどの命が失われたか。
この目で見た惨状を思い返して、制止を促していた。
「こんなの、変だよ。おかしいよ。だって、お父さんはこんなことする人じゃない!」
自分が信じてきた父親が、こんなことを起こすなど信じられなかったのだ。
いつだってアスハの事を気にかけて優しく微笑んで、だけど厳しくすることもある。
でも、それでも彼女の父親だ。
だけど、ここにいるのは違う。
親ではなく、怪物に成り果てようとする『強欲』な、『傲慢』な人の塊だ。
正直、どこまで彼女の言葉が通じるかは分からない。
だが、やってみる価値はある。
「アスハ……」
「ね、お父さん。もう、やめよう? 私は今のままで──」
「黙れ!」
自然と沈黙が出来る。
アスハはその怒鳴り声を聞いて、動きが止まった。何てことのない怒声。だけど、それにはいつもの優しさはなくて──。
「分かるか? お前に。私達がどれだけ苦労してきたか」
彼女が知らない貧民街を、非情な誰かは語り始める。
「大変だった。何をしても、見向きもされなかった。だから、大人しくしてれば貴族が調子に乗ってあることないこと吹聴して回る」
いつだって変えようと努力してきた誰かは、ついに切れた。
我慢ならなかったのだ、この状況が。最低限の生活しか送れず、病気の治療すらまともに受けられない。
だから、変えようとしたのだ。
言葉では通じなかった。ならば、力で訴えればいい。
貴族を黙らせ、王族をねじ伏せ、有無を言わせない。
それが彼の、いや彼らの辿り着いた結論だった。
「調子に乗っている貴族どもに一泡吹かせる! そして、私達が真の平和を掴むのだ!」
手を掲げ、宣言した。
それまで日和見を決め込んでいた大勢が一気に発火する。
「そ、そんなこと、してほしくない!」
その中でたった一人、それに異論を唱えた。
外に怯える少女が、本心を言った。
そんなまやかしは要らないと。
「私は、お父さんがいて、お母さんがいて、そんな当たり前で充分だった!!」
少女の些細な当たり前がその場に響く。
「だから、こんなことは止めて!」
大声で。叫んだ。
確固たる意志を、不特定多数がいるこの状況で叫んだ。
その少女の成長に、シュウは驚愕しかなかった。
何をするにも怯えていた少女が、強くなった。
だが。
「──アスハ」
「お父さん?」
一歩進んだ親が──否、化け物が前に出て。
次の瞬間。
鮮血が空中に舞った。
「──!?」
その光景を、シュウは信じられなかった。
信じたくなどなかった。
なのに──。
「ふふ、はははっ!!? これは傑作だ!」
当の本人は娘を害したというのに、むしろ喜んでいる節があった。
「当たり前で充分だった? 笑わせないでくれ、アスハ。そこに満足して前に進もうとしないのは──『怠惰』な証だよ」
皮肉を込めて、アスハに──アスハだったものに話しかける。
「くそがあああああああああああ!!!」
少女の無垢な想いは届かなかった。
そして、その想いを受け継いだ少年は雄叫びを上げた。
一人の人間の願いが、想いが、祈りが、醜悪なほどに人を変えることだってある。
──かつて、世界を終わらせる一歩手前まで世界を持っていった男ですらそうだった。
誰も願いからは逃れられない。
醜悪に、無様に、舞台で踊っていく。




