15話 乗り越えるのは
過去を乗り越える。
ラノベでもよく使われ、尚且つ場を盛り上げるために用いられたもの。
だが、実際。
シュウにはそれは出来ないと思っている。
なぜ、過去を乗り越える必要があるのか。
辛いのに、苦しいのに、痛いのに。
そんな思いまでして乗り越えなければならないのなら、シュウは絶対にそこに挑まない。
終わった出来事。
ならばそこに乗り越えるべきものも、何も存在しない。
しかし、目の前の少女はシュウとは根本から違っていた。
過去に怯え、相対しようとしないシュウ。
同じく過去に怯えながらも、前を向き自ら殻を破ろうとしているシルヴィア。
二人の差は明白だ。
「向き合う……?」
「うん。私が乗り越えるべきものだから」
月下の光に照らされ、少女の気高き顔がシュウの眼に映る。
それはとても凛々しく不安で、何よりダンテの言っていた輝き──魂が輝いていた。
何者にも犯されることのない絶対不可侵の光。
揺らぐことも消えそうになることもないその輝き。
それは意志だ。
つまり、決意したのだ。
絶望の底から這い上がり、立ち向かうと。
主が決断したのならば、従者は従わなければならない。
それがミルの言っていた言葉。
だが、この時ばかりはシュウはそれに背く。
「出来るわけがない……」
ポツリ、とシュウの口から漏れ出た。
その言葉にシルヴィアの顔が悲しみに引き裂かれる。
「無理だ。無理だよ。出来ない。出来るわけが、ないんだ」
「そんなの、やってみなきゃ──」
「絶対に、無理だよ!」
この世界でシルヴィアと出会い、過ごしてきた中で初めてかもしれないほどに激情を露にする。
シュウの脳裏に思い出されるのはあの時の風景。
賑わう教室の中で、誰かが声をかけ。
喋る声が止まり、皆が皆シュウにあの視線を向けてくる。
それはシュウの心を深く抉り、いつだって惨めな思いをする。
過去に向き合うというのは。過去を乗り越えるというのは。
そんな胸を貫くような痛みに向き合うということで。
シュウには無理だ。
シルヴィアの過去はシュウとは比べ物にならないことぐらい、ダンテから聞いてる。
シュウとは別次元の苦しさで痛みで、このこじつけは余りにも傲慢だけれど。
「シュウ」
「苦しい事ぐらいシルヴィアだって分かるだろう!?」
「シュウ」
「なのに、なんで苦しい思いまでして向き合おうとするんだ!?」
「シュウ……」
「逃げちまえばいい。逃げて、逃げて、背を向ければいい」
それはさながらシュウの心の声だ。
少なくとも、シュウはそうやって生きてきた。
浴びせられる視線。その目から逃げて、逃げて、逃げまくった。
そして、気づけば。
超えるものもなくなり乗り越えるべきものも消えて、立ち向かわなきゃいけないものすら紛れた。その代償として一人になってしまったが、もうどうでもいい。
「乗り越えられないよ、だって俺にとって過去はもう……」
シュウの悲痛の声が部屋に響く中。
シルヴィアはそれでも前を向き続けた。
「私は、目が怖い。視線が怖い」
明けられることのなかったシルヴィアの想いが、吐露される。
「期待の視線が、失望の視線になるのが怖い」
偉大な英雄──ダンテの娘であるがゆえ、期待の視線を向けられ続けてきた。
「ずっと怖がって生きてきた」
偉大な誰かが身内に居れば、誰だってその視線は向けられる。
「でも、終わりにしなきゃ、ってそう思うようになったんだ」
「どうして──」
「君の姿を見て、そう決意したんだ」
「──」
「私は自信がなかった。信じられなかった。ずっと自問自答してきた」
「──」
シュウにも経験がある。
自分が信じられなくなり、自分さえ嫌いになった。今でも自分の事を恨んでいるし、許せないし、誰よりも自分が嫌いなままだ。
「でも、シュウが信じてくれたから」
「──え?」
「私を信じてくれたから、だから私は自分を信じる」
「な、んで──?」
分からない。
シュウにはシルヴィアの事が何一つ理解できない。
誰かが信じてくれたから、自分を信じる。
誰かを信じることはきっとシュウにも出来るだろう。だが、自分を信じることだけは出来ない。してはならないのだ。
だって、彼の根本にあるのは自分に対する失望なのだから。
「君がどうしようもない私を信じてくれたから、私も信じてみる」
「いや、だから──」
「あの時、言ってくれたよね」
「──?」
「私を手伝うって」
王都での最初の事件、そして彼女と出会った時。
返しきれないほどの恩を受け、ゆっくりと返していこうと決めた日。
経緯は違えど、あの日もまたシュウにとっての転換であった。
「だから、今度も手伝ってくれる?」
シルヴィアは微笑んで。手を差し伸べる。
「俺が……?」
「うん、そうだよ」
「俺なんかが……?」
シュウはずっと思ってきた。
何も足りない自分が、シルヴィアの隣に居続けていいのかと。
何もない自分が、シルヴィアの傍に居てもいいのかと。
ずっと考えて。悩んできた。
「私が乗り越えるのを、背中を押してもらいたいの」
シュウは視線を自らの手に落とす。
王都での事件。
村での襲撃。
王城での無様な姿。
それらが積み重なり、影となりシュウに囁いてくる。
お前には相応しくない、と。
あの時シュウに力があれば、上手く立ち回っていれば被害は少なくとも減らせた。もっと早く気づけていれば、悲しむ人は少なくなったはずなのに。
そんな簡単なことすら気づけなかったシュウに、知らず知らずに全てを殺してきたシュウに、この手を取る資格はあるのか、と。
再度、問いかけてくる。
──ない。
あるわけがない。あってはならない。
シュウが見逃し、いなくなった者たちのために。
シュウは戦前に立たなければならない。
シュウが傷つき前に出て、体を張らなくてはならない。
それがシュウの罪であり、許されることのない『大罪』。その唯一の贖い方だ。
だからこそ。
この戦いを見届けなければならない。
少女を守るために。
邪念を振り払う。
差し伸べられた手を取った。
「分かった。手伝う。というか、手伝いたい」
見届けたい。
この少女が過去に立ち向かい、どんな結末を迎えるのか。
過去に打ちのめされ、壁に阻まれるのか。過去を乗り越え、新たな世界を見届けるのか。
他の誰でもない、シュウがそれを見届けたい。
「ありがとう。シュウ。──いつも、私を助けてくれて」
「そんなことはない。俺の方がもっと助けられてる」
いつだってそうだ。
幾度となくシルヴィアに助けてもらい続けた。
だから、今回はそれを返すチャンス。
「では、どうします。シルヴィア様」
今まで静観し続けてきたミルが、機を見て話しかけてくる。
「私はシュウと、指定された場所に向かう。ミルは、ここで待ってて」
ミルは何も言わず、ただ恭しく礼をして。
「了解しました。ここで、シルヴィア様の吉報をお待ちしております」
「そんじゃ、やろうぜ。いつもの」
いつだって勝負に臨むとき。
シュウ達は拳を突き合わせてきた。
今回もだ。
シュウが拳を突き出す。ミルもそれに従う。
シルヴィアは──。
「なんか、恒例行事みたいになってるね、これ」
「何を今更。てか、やっぱこれやんないとやる気が出ないっていうか」
「じゃあ、掃除のときもやる?」
「それは勘弁!?」
乗り越えるための戦いを前にして、きつい戦いを前にして。
静かな談笑が訪れる。
いつの間にかこれが普通になってしまっている。
だが、それでいい。きっとここは帰りたいと思う場所なのだから。
シルヴィアも拳を突き出し、三人の拳がぶつかる。
「じゃ、始めようか」
毎度の様にそれを呟く。
今度も。
そうやって、今宵の夜は時間が流れていった。
貧民街の一角。
とある墓標の前にて。
ダンテは子の成長を見守るように座っていた。
墓標はかなり前の物なのか、すでにあちこちが古ぼけており文字が霞んでいる。
その中で読めるのは。
『真の英雄、ここに眠る』
ダンテに多大なる影響を及ぼした誰かの墓標がここにはあった。
ダンテが毎度王都に来て、まず最初に訪れる場所である。
この場所はシルヴィアにも教えておらず、不思議がっていた時もあった。
ダンテは墓標に添えられていた酒を煽り、子の成長を微笑ましく思う。
「これなら、大丈夫だ」
今の少女は一人じゃない。
ミルが、シュウがいる。
決して、あの時の様に一人ではないのだ。
「期待してるぜ、愛娘よ。なんたって、俺は父親で、お前は俺の娘なんだから」
それぞれの想いを秘め、決着の時は──同時に世界を揺るがす最悪の事件は迫ってきていた。




