第36話 出立
我が目を覚ましたのは、日が昇ってすっかり明るくなった頃であった。
反射した光に薄く照らされた見慣れた寝室の天井が見える。
たしか我は……そうだ! 魔物が現れて我は殺されかけていたのだ。最後は勇者が大剣を振り切って、魔物が消滅していくのを床へと無造作に落下していくなかで見た記憶がある。
そこで意識を失ったのだ。
そして、今こうして寝室のベッドにいるのか。
ぬぬぬ……。
動こうとしたが、上手く動けない。体に痺れるような小さな痛みが走る。
脇腹に受けた傷が回復していないのだろう。勇者の大剣にも掠められたわけだしな。
「む……?」
足元に違和感を抱いて慎重に首を向けると、ベッドの端で突っ伏す亜麻色の髪が見えた。
「ビュシーか」
我の声に反応するようにして頭が持ち上がると、寝起きの虚ろな目がパチッと開く。
「ベルシュート様! お目覚めになったのですね!」
ビュシーは我と目を合わせると、両手を広げて抱きついてきた。
「よかったです!」
「ぐぬッ! イタタ……」
「あ、ごめんなさい」
まだ傷は痛む。慌ててビュシーは我の体を離し、代わりに優しく手を握ってくれた。
「お目覚めになりましたか」
視界の端にハバが映る。服に汚れが見える。事後処理に長く取り掛かっているのか。
「お主には迷惑をかけるな」
「いえ、いつものことですから」
淡々としつつも傍にいてくれたハバに我は深く安堵した。
「我が気を失った後はどうなったのだ? 勇者はまだいるのであろう?」
「はい。わたくしも聞いた話になってしまうのですが……」
ビュシーの補足もありながら、ハバは細かくあの出来事の後の様子を伝えてくれた。
どうやら、あの後大広間で動くことができた者はいなかったらしい。
異変に気付いた序列の面々が大広間に着いたのは魔物が消滅してすぐ。続いて救護班が到着し、我とマシューの容態を確かめている間に勇者の姿はなくなっていた。
その後、我とマシューは救護室に運ばれ、治療を終えた我が寝室に移されたということだ。
メライトロ領の援軍はマシューの様子にひどく驚き、魔物に操られていたことも知らなかったようだ。反逆の意志を抱く者はいなかったが、マシューの側近を残して全て帰したらしい。
「そうか……。ご苦労だった」
「いえ。ベルシュート様に比べれば大したことはありません」
こうして横になっている場合ではあらぬ。魔王として現状をこの目で確認しなければ。
「イタタ……」
起き上がろうとしたが、上手く体を支え切れなかった。
「いけません。まだ安静にしていて下さい。浅い傷ではないのですよ」
ハバの忠告を無視して、やっとの思いで上体だけ起こす。
窓から吹いてきた風がマシューに攻撃された脇腹を優しく撫でた。
「そうだ。マシューから魔物が現れたように見えたが、あれは何だったのだ?」
「質の悪い魔物に操られていたようです。貴方様が魔王に就任してからの二年は忙しく、魔物の情報が疎かになっていたようで、メライトロ領にその影響が出てしまったのかと」
「……我の責任だな。申し訳ないことをした。ビュシーも危険な目に遭わせてしまったな」
「いえ。それよりも嬉しいお言葉を頂けたのでビュシーはそれだけで満足です」
「む?」
「仰ったではありませんか。一生を賭けてビュシーを守って下さる、と。ウフフ、ようやくその気になって下さったのですね!」
そのようなことを言った気はするが、我は婚約など考えずに言ったはずで……。
「末永くよろしくお願い致しますね、貴方」
そう言うと、ビュシーは我の薬指にそっと唇を寄せ、口付けをした。
「……ッ! いや、待つのだ! 我はまだそのつもりは……」
「……様! しかし…………ですが…………」
ふと、扉の方から騒がしい声が聞こえた。
「だ、誰か来たのではないか?」
婚約の話を遠ざけるようにして我は声を張った。
ハバが扉を開け「何事だ」と警護の者に問う。
しばらくすると、ラームが部屋に入ってきた。てっきり勇者と一緒にいるのだと思っていたのだが。かなり仲が良いように見えたからな。
「ベルシュート様。ラームから申し上げたいことがあるそうです」
「うむ」
ラームは真剣な眼差しを我に向けた。
「ヴェーベンを逃がしてもらえませんか?」
「勇者を……逃がす?」
「無理を言っているのは分かってます。でも、ヴェーベンからは敵意を感じないんです。たしかに魔王様を倒そうとしてるみたいだけど、私が説得します! 友達を助けたいんです!」
「お主の気持ちは分かった」
こんなにも勇者との仲を深めていたとは。相手を思いやっているのがよく伝わってきた。
「勇者のことに関しては最終的に我が決める。ちょうど勇者に対しての認識を模索しているところだ。早いうちに結論は出す。お主はそれまで待っていてくれ。それから、伝言を頼まれてくれるか?」
まだ決着がついていないのだ。魔王として勇者に向き合う必要があるな。
■
気が付くと、ラームの部屋にいた。
すっかり日は昇っていて、青い空が見える。
そうだ。ボクは魔物を倒した後、気を失って……。
「起きたね。調子はどう?」
ベッド脇でラームがイスに座ってボクを見つめていた。
「足に受けた傷がまだ少し痛むけど、他は大丈夫だよ。ありがとう、ラームがボクをここまで運んでくれたんだよね」
「うん。魔物を前にした時は全然力になれなかったからさ。これくらいはしておかないと」
明るい笑顔を浮かべるラームがボクの肩をそっと抱き寄せる。
「友達、なんだからさ」
「ありがとう、ラーム。君がいてくれて本当によかったよ」
照れくさそうに笑うラームだったが、少し緊張して口を開く。
「……魔王様から伝言を預かってるの」
魔王の伝言という言葉の響きに重々しさを感じたが、妙に心が軽いことに気づいた。
いつもなら、残酷な仕掛けが用意されてるんだとか、逃げ道を失くされて一生抜け出せないんだとか……豊富な負の感情が溢れ出していたっていうのに今は不思議と冷や汗も流れない。
「日が傾き始めるまでに大広間へ来るように。だって」
「また大広間に……?」
「魔王様が待っているらしいよ。何をするかは分からないけど」
魔王がボクを呼んでいる。
そういえば、まだ決着もついてなかったし、もやもやとすることはたくさんあるんだ。
もう一度、魔王と向き合わないと。ボクは勇者なんだから。
『表であるオマエがはっきりしてくれないとオレも困る』
「そうだね」
裏のボクに背中を押されるようにして、ボクは大広間へ向かった。
■
深紅の絨毯が広がる大広間。
その奥にある椅子に座って、我は勇者を待っていた。傍には執事のハバがいる。
約束の時間を過ぎる直前に勇者はやって来た。
一度勇者に蹴破られた大きな扉が開き、大きさの割に肩透かしな音が鳴る。
勇者はどこか清々しさを漂わせていた。初めて会った時の重苦しい雰囲気はない。
我は椅子から立ち上がって勇者と向かい合った。ハバは椅子の傍で待機している。
傷はまだ癒えていない。
正直に言えば、立っているだけで大きく体力を消耗する。
勇者を待っている間、契約魔法を使おうかと考えたが、契約書を書いている途中で手を止めた。魔王が勇者に臆していては、魔界を引っ張ることなど到底できぬ。
代わりに勇者に関わる契約を全て破棄した。あの契約は何かと都合が悪いのだ。
「勇者よ、よく来たな」
「いったい何の用だ?」
我は向き合わなければならぬ。勇者との関係に決着をつけるためにも。
「はっきりとさせたいことがあってな。お主はたしか、影武者はおらぬと言ったな」
勇者は怪訝な顔をして答える。
「当たり前だ。ボクは勇者なんだから、影武者なんていらないよ」
「つまり、お主は……一人なのか?」
「ん? 知っているんじゃないのか? 裏のボクのことを」
「裏のお主……? なんだ、それは」
「あれ? 気付いてなかったの? ボクの中にはもう一人のボクがいるんだよ。今話しているのが表のボクで、ボクが魔法を使いすぎると出てくるのが裏……勢いがある性格のボクだよ」
ストンッと腑に落ちた。いわゆる二重人格というものか。
「だから素直に契約に従ったり、勇猛に我を倒しにきたりと全く違う顔を見せていたのだな。影武者を用意していたわけではなかったのか」
「そんなふうに見られていたのか」
勇者は意外にも正直に答えてくれた……いや、意外ではない。魔物に捕らえられていた時を思うと、それが普通だと思える。なんだか心の持ちようが変わったようだ。
「そういえば、マシューについては? 関係ないって言いながら、マシューに捕まっていたのはどういうこと?」
マシューに捕まった? 我々は魔物に捕まっていたのだ。それを勇者はマシューに捕まっていたと。つまり、勇者は……。
「それは誤解だ。あの魔物はマシューではあらぬ。どこからかやって来た質の悪い魔物だ」
「え、じゃあマシューが来るっていうのは?」
「マシューは一騎討ちの時に間に入り、お主の足に怪我を負わせた魔族のことだ。制裁を受けていたのを覚えているだろう。む? 我はマシューが来るとお主に言ったか?」
「なんだ、質の悪い魔物だったのかぁ」
我の質問が聞こえておらぬのか、勇者は脱力して呟いている。
「てっきり魔物の生贄にされるのかと思ってたよ」
「生贄? そういえば、何度か言及していたな。だが、我はそんな恐ろしいことはせぬぞ」
「あれ? じゃあ、美味しいごはんやフカフカのベッドは良質な生贄にするためじゃないの?」
「お主は納得しなかったが、あの時答えたであろう。気の毒だったから捕らえたのだと」
ぬぬぬ……。
我の弱さが露呈しているようで恥ずかしい。
一人そわそわしていると、ふと勇者が「それなら……」と疑問を抱いた目で我を見た。
「どうしてボクと契約を結んだの?」
■
なんだか素直に全部話してしまう。
魔王が目の前にいるっていうのに、言葉がスッと出てくる。
厳かだった魔王の雰囲気がどこか落ち着いているから? いや、それよりも魔物に捕らえられていた時に聞いた魔王の本音のような言葉の影響が大きいのかな。
でも、まさか休戦の契約を結んだのが生贄にするためじゃなかっただなんて。
それなら……。
「どうしてボクと契約を結んだの?」
魔王は「それは……」と言うと口籠り、しばらくして「……人間界の情報を得るためだ」と小さな声を出した。
やっぱりそうなのか?
どこか納得できずにいると、「今更、誤魔化してもしかたがあらぬな」と魔王は呟いた。
「すまぬ、勇者よ。今のは建前だ」
「え?」
「本音を言えば、勇者と戦うのが怖かったからだ」
「え……?」
とても堂々と本音を聞かされた。
魔王が……ボクと戦うのが……怖かった……?
つまりつまりつまり――「ボクと一緒だ」
「む?」
「ボクも魔王と戦うのが怖かったから休戦に同意したんだ」
「む……?」
思わずお互いの顔を見合う。
魔王が間抜けな顔をしていたので、つい笑ってしまった。
まずいと思ったけど、魔王も吹き出したように笑っていたので止めることもできず、大広間の真ん中で、二人で笑い合った。
不思議な感覚だ。さっきまで敵対関係にあった魔王とこうやって緩く向かい合っている。緊張した日々の反動か、しばらく笑いは絶えなかった。
やがて、息を整えた魔王が、魔王らしくない微笑んだ顔を向けた。
「お主もそんな臆病なことを考えていたとはな」
「ボクも魔王がそんな弱気なことを思っていたとは驚いたよ」
「魔物に捕らえられた時に薄々確信していたが、勇者も我に臆していたか」
「あの時は口が勝手に動いちゃって……」
「嘘と誤魔化しができぬという契約を行使していたのだ。あの場では何も繕えぬ」
「じゃあ、魔王が命乞いをしていたのは本音だったんだ」
「よしてくれ、恥ずかしい。それに命乞いをしていたのはお主も一緒であろう?」
「そうだね。あぁ、思い出しただけで赤くなっちゃうよ。全部言っちゃったなぁ……」
赤面し、揃って顔を背ける。
まさか魔王城まで来て恥ずかしい思い出を残しちゃうなんて。初めて対峙した時にはこれっぽっちも予想してなかった。激しい戦闘が待っているものとばかり思っていたのが、結局、ボクも魔王もお互いに相手を傷付けることはなかった。
「そういえば、怪我は大丈夫なの?」
包帯を巻いている魔王を見てボクは言う。
「あぁ、なんとか急所を外したからな。後は回復を待つだけだ」
「そっか。よかった」
「まさか、マシューが魔物に操られているとは思わなかった。勇者が魔物を仕留めてくれなければ我はおしまいだったかもしれぬ。結果的に休戦を結んで正解だったようだな。お主がいなかったら今頃城は魔物によって悲惨な状態に陥っていただろう。感謝する」
魔王が頭を下げる。どういう反応をすればいいのか困るな……。
「ボクは大したことはできていないよ」
あっけなく牢屋に入れられ、ビュシーに脅され、ラームと友達になって……。あれ? ボクは何をしに魔王城に来たんだ? 全然勇者っぽくない。
「最後の最後で、なんか覚醒したみたいに力が湧いて上手く大剣を振れた。それだけだよ」
自分の気持ちを吐くと、魔王が咳払いをした。
「それで良いのだと、我は思うぞ」
「え?」
「お主は我と休戦の契約を結んだではないか。おかげで、我の部下は一人も死なずに済んだのだ。お主も強大な魔物相手に大きな怪我をしておらぬ。これは大したことだ」
なんだか妙なかんじだな。
魔王に慰められるなんて。立ち向かおうとしていたのに。
「じゃあ、休戦を結んで被害を最小限にできたボクらは、二人とも大した存在ってことだね」
「うむ、そうであるな。弱いなりに堂々とした結果を残せたのだ」
きっと休戦を結んだからボクたちはこうして話せているんだろうな。
納得したように一つ頷くと、魔王は居住まいを正した。
「さて、勇者よ。休戦の契約は効力がなくなったために解約した。つまり、我々は自由に攻撃できる状態にあるのだ。しかし、我もお主も攻撃をしておらぬ」
「そうだね」と軽い相槌を入れる。
「これは休戦時と変わらぬであろう。ならば、我々の間には契約で縛る必要のない信頼があり、そこに戦う意味はないと考える」
身構えることもなく、お互いに攻撃する意志もないんだ。それなら戦わなければ良い。
「そこで、魔王である我から勇者であるお主に提案がある」
ボクは頷いて魔王の決意を聞いた。
「勇者には魔王城から人間界へ帰ってもらいたい。そして魔王は人間に対して攻撃する意志がないということを人間たちに伝えて欲しいのだ。これ以上、無駄に争うのはよそう、とな」
魔王が魔王らしからぬことを言った。でも、変な感じは全くしない。
ボクの方も決意ができた。
魔王との決着をどうするのか。
もちろん答えは決まっている。
「分かった。約束する。魔王の首は諦めて、伝言を持って帰ることにするよ」
「頼んだぞ」
なんだかボクはベルシュートという魔王のことが理解できる気がする。
とっても臆病なんだ。
臆病だから仲間の命が失われることが怖くて、自分が葬られるのが嫌だから誰かを葬るのも嫌で、要するに『戦いたいくない』ってことなんだ。
ボクと一緒だ。
「ヴェーベンよ、お主は強い。魔王である我が保証する」
「ありがとう、ベルシュート。君はきっと立派な魔王になれるよ」
お互いの健闘を祈り、ボクは魔王に背を向ける。
大広間の入り口では、ラームがボクの荷物をまとめてくれていた。
「さよなら」
「うむ。達者でな」
ボクは魔王に手を振ると、ラームから荷物を受け取った。魔王はそばにいる執事と何やら言葉を交わしていたようだが、嬉しそうに見送ってくれた。
ラームの案内で玄関を出て、広い庭を歩き、寂しそうにする友達といつかまた会う約束をして、ようやく魔王城の城門をくぐった。
後ろに聳える魔王城が懐かしく感じる。
「それじゃあ、バイバイ」
こうして誰かの命が欠けることなく、微笑んで魔王城を出られたのも、ボクが魔王と休戦を結んだから。
臆病で弱気な二人――戦いたくない勇者と戦いたくない魔王がいたからだ。
ご来城ありがとうございました。
次回の更新まで間が空きますので、お気に召しましたらブックマークもよろしくお願いします。
またのお越しを心よりお待ちしております。




