007,「花百合心」
夕焼け射し込む三階、教室。
二年D組に、俺と死神、そして心優莉はいた。
心優莉は死んだのだと。
数分前までは、そう思っていた。
——▽▽▼007
「諦めちゃダメだよ、好翔」
その声の主は、確かに、死神に斬られて倒れたはずの心優莉だった。
生死がどうとか、ちゃんと確認こそしなかったが、二度と起き上がれはしないくらい、彼女は重傷なはずだった。
「馬鹿な、何故、立てる?」
死神も一瞬の動揺を見せるも、すぐに冷静になり、 「あの頭の輪っか。そいつ、天使か」そう言った。
「天使……?」
俺は問う。
「ふふ、死神がいるんだから、天使だって珍しいものでもない」
死神の言う通り心優莉の頭には、青白く光る輪っかが浮かび、斬られた傷も完全に塞がっていた、と言うよりもそもそも斬られてなんかいなかったように消えていた。
「大丈夫だよ、好翔」
心優莉は、俺の方を見て、微笑んでみせた。
「君に何が出来るんだ?たかが天使だろう」
死神は俺に背を向けるように心優莉のいる教卓側を向き直した。
心優莉は何も言わなかった。
そして、気付いた時には俺の前に立っていた。
ほんの一瞬のこと。
瞬間移動でもしたかのように。
——羽根が宙を舞う。
死神も思わず驚きを口に出す程に、それは一瞬の出来事だった。
黒板の前に、教卓の前にいたはずの心優莉は、一瞬で教室の半分より後ろに倒れ込む俺のもとへと移動したのだから。
「好翔、私がついてるよ」
優しい声。
瞬間移動に気をとられていた俺は、心優莉の行動に気がつくのに、少しばかり時間を要した。
大きな翼を背負う彼女は、脚を宙に浮かせたまま、手を付いて座り込む俺の顔に両手を添えた。そしてそのまま俺の唇に、その唇を預けたのだ。
「——?!」
俺は、静かに驚くも、唇が重なった瞬間。
すると強い光が一瞬で教室中へと広がり、視界は真っ白になった。
唇のその感触だけが、残り、退こった。
カメラのフラッシュのように一瞬だったその光の残像がまだ目にこびりついていたが、すぐに闇夜に照らされた教室の光景が目に入る。
彼女はその輪っかも翼も、失くしたのか、いつもの心優莉が、俺の顔をじっと見つめていた。
「え……、み、心優莉?」
「あなたなら、きっと大丈夫。私を、ううん。——自分を信じて」
彼女のその表情は、いつものような天真爛漫で大きく笑ったものではなく、我が子をそっと見守る、母親のような、温かくて優しい眼差しだった。
「お前は、心優莉なのか……?」
「私は、心優莉だよ」
落ちついた声色の彼女がそう言うと、するといつもの明るい彼女が言葉を紡ぐ
「深鈴 心優莉!好翔の幼馴染で、お友達で親友で、大親友で!そういう肩書きとかで言い表わせるような関係性じゃないのかもだけれど、貴方と私は共に、信頼し合って生きてきた」
彼女はともかく、俺は、心優莉に信頼されるような生き方なんか、心優莉に影響を与えられるような生き方なんか
「……そん生き方、俺はしていない」
「それでも私は、知ってるよ。好翔が一生懸命に生きてきたこと」
彼女の両手は俺の両手を優しく包み込む。彼女はいつだって、そうやって俺に何もかもを与えてくれた。
対して俺はどうだろうか。与えられるばかりだ。
「心優莉にしてもらってばかりの人生だった。俺は、お前に何にもしてやれてないし、これからだってお前にしてやれることなんか」
俺は、心優莉に何を与えられるのだろうか。
俺が、彼女にしてやれることなんて。何もないのに。
言葉に詰まっている俺を見て、彼女はふふっと、はにかむ。
「いつもみたいに怖い顔して、これから先も、いつまでも、ずーっと私のそばにいてくれたら、それだけで、私は充分だから」
『怖い顔』それが彼女なりの冗談なのか、純真無垢な彼女の本音から出たものなのか、俺には分からなかったけれど、 そうか。
本当に彼女は、俺にとっての天使だったのかもしれない。
「これから先、があればの話だけれどね」
脳に直接語りかけてくるような重低音な少年の声が、割って入った。
「僕は優しいから待っててあげたのだけれど、まだ続くのかい?そのイチャイチャは」
「本当に優しい奴は、自分から優しいなんて言わねぇよ」
「本当に優しい奴、ね。ふふふ。にしても、優木好翔。随分と会話出来るまでに回復したようだね」
そういえば、さっきまで、声を出すことさえ困難な程に、心身共にダメージを受けていた。
俺のことをずっと見つめていた心優莉は、今度は静かに頷いた。
——自分を信じて。
今し方、彼女はそう言った。
けれど、俺は彼女を信じる。
自分を信じたことなんて、今までの人生で一度だってなかったから。
百合の花言葉は、純粋や無垢とある。茉莉花の花言葉には、清浄無垢。
純真無垢に清浄無垢。どちらにも汚れのない、純粋で明らかな様という意味がある。
そして優しさを持ち合わせることで、純粋な心も煩悩の一つをも知ることのない、潔白な柱を立てて行ったのだ。
彼女は。
優しい心に、茉莉花、百合の花。
深鈴 心優莉。
名前がこうもその人をそのままに表しているだなんて、そんな話もあるのだなと。
本当、俺とは正反対だ。
「ふふ、よく立ち上がれたね」
俺の真正面に身体を斜めに向けハニカム死神。
「心優莉が俺に与えてくれたんだ」
俺は、何とか落ち着いて見せる。
「これで君も彼女が何者なのか、理解したろう?まさか死神の側にいたのが天使だったなんてね。それも共に自らを自覚していなかったと来た。馬鹿な話だよね」
嘲笑い、煽るような死神。けれどその顔は依然として不気味なものだ。
「まさか、自分が人間じゃないなんて思う方が余程、馬鹿げてんだろ」
死神は、俯いて喉の奥で笑うと顔を俺の方へと向き直す。
「色々な天使がいるけれど、自身への完治力、優木好翔に対しての治癒力。これまでにも彼の為に尽くして来たっていう所から察するに深鈴心優莉、彼女は人を導く天使って所だろう」
「人を導く天使? 」
ピンと来たわけではない。事実であっても天使というものが、そもそも煮え切らないのだ。
すると死神の憶測に、心優莉は答えた。
「私には、よく分からないし何にも分からない。けれど、私は私の意思で好翔の為に行動して来たの。私が天使でもそうじゃなくっても」
心優莉には、自分が天使だという自覚そのものがないらしい。
——天使っていると思う?
彼女の口癖、その言葉を思い出した。やたら天使という言葉に敏感だったのも、神様を信じていたのも、自分の内に天使という存在があったからなんだろうか。
——しかし本当のことは俺には分からない。
「事情は分からないけれど、天使の記憶を失い、普通の人間として生活していた。もしくは人間の殻に天使が宿った。そのどちらかだろうが、恐らく後者だろう。 天使としての力が現れたのは僕が彼女を斬ってからだ。すなわち、僕が殺したのは、殻である人間の方で、人間部分が死んだが為に、中身が出てくることになった」
割れたのは卵の殻だけで、中の黄身がその姿を現した。黄身は殻である白身に守られていて、ひよこになるのは、あくまでも黄身の方。殻はそれが育つまで守るものに過ぎない。
つまり、心優莉の肉体を卵の殻だとすると、魂は黄身で、天使として成長するまで、じっとしていた。
「な、なんか良く分からないなぁ……。私に天使が宿った、か」
自分のことなんだから理解して欲しいものだが、俺も良く分からない。
「おまけに、彼女に浮かんでいたドクロ、そいつも消えてるだろう?」
俺は首を右に向け、心優莉の方を見た。
確かに、ドクロは彼女にはもう、浮かんでいなかった。
「ドクロが彼女に対して表していた死相はあくまでも人間の部分の魂だったってことだろう。天使の部分が前面に出てきたことによって魂の種類が変わり、ドクロは消滅して、めでたしめでたしってね」
肉体は心優莉のままでも、命あるもの全てに存在している魂。ドクロが死を記していたのは、人間部分の魂。しかし、それは死神に殺された。そして出てきたのが天使としての隠れてた魂。故に、彼女は再び息をしている。
頭で整理して、ようやく理解に至るように、俺にとっては、全く、非現実的すぎる事情だ。
「魂が二種類ある人間なんてザラにいる。可笑しな話でもあるまい」
「貴方の言う通りだとしても。だけど、私は天使なんかじゃないよ」
人間。
深鈴心優莉という一人の人間だと、彼女は言い張った。
「まぁ、いいさ。殺してあげるよ。優木好翔も、深鈴心優莉も。幼馴染が二人して人間じゃないって、凄い偶然だよね。運命だとでも言うのかな?ふふ、どっちでもいいんだけど」
そんなのが、運命だったなら、神もお遊びが過ぎるってものだ。
「死なないよ。私が死なせないから」
彼女の目は真っ直ぐに、死神の方を見やると、俺に向き、そっと微笑んだ。
「にしても、好翔が死神で私は天使かぁ」
なんだか不思議な感じだね、と微笑む彼女は、天使が表に出たからなのか、やはり何処か落ち着いている。
「俺も、ついこの前知らされたんだ。笑っちまうよな」
「って笑ってないじゃん!」
やっぱり落ち着いてなんかいなかった。
元気良く心優莉につっこまれたように、確かに俺は笑顔を知らない。その作り方も。
だから俺は、
「それが俺だ」
そう、彼女に答えた。
彼女は、「知ってる」と、それだけ言って再び死神に目を向けた。
「茶番は終わりだよ。殺し合いと行こうじゃないか」
ニタっと笑う死神は、わざとらしくいい加える。
「一方的にね」
三角形の位置する俺達は静かに間合いをとる。
副題は、「はなゆりこころ」と読んで下さい!
悩んだ末の造語です。
なんだか「花より団子」と語呂が似てますね。
みたらし団子が好きです。