(001) プロローグ
プロローグ
世は二二世紀。
亜空間航法を発明した人類は、太陽系を飛び出し、銀河の方々へとその版図を広げていた。
最繁栄期には、地球からおよそ一万光年離れた惑星にも進出したが、人類は天敵とも言うべき敵性宇宙生物と出会ってしまう。
通称、ベルゼブル。
正式名称は、汎甲殻類型敵性非知的宇宙生命体群。主に昆虫を思わせるような外殻と構造を持つ巨大生物で、有機生物の身でありながら宇宙空間を自在に飛行し、亜空間航行能力さえ有する、超生物だ。
ただ自分たちの生存圏を広げているのか、それとも何か恨みでもあるのか、とにかく人類に対して、非常に攻撃性の強い生き物で、知性の類はまったく持ち合わせていない。少なくとも、これまでコンタクトの成功例は一例もない。
もし、ほんの少しでも彼らに知性があれば、生身で宇宙空間を飛べるようには、進化できなかっただろう。人類とは、進化の方向性が違うのだ。人類が生存する上で知識と技術を求めたのに対し、ベルゼブルは純粋により強靭で逞しい肉体を求めて、進化したのだろう。
そして、宇宙でも弱肉強食の理屈は変わらないらしく。
人類とベルゼブルは、お互いの生存を賭けて、雌雄を決することになったのである。
ベルゼブルの闘争力は圧倒的で、人類は一度、滅亡の危機にまで追い込まれた。
個々の戦闘力では、人類側の戦闘兵器が劣っているわけではないが、数が無尽蔵なのだ。一つの母星につき数億単位のベルゼブルが生息している。
開戦から一年ほどで、開拓した惑星の大半を失い、一千億まで膨らんでいた総人口は、百億まで減少した。だが、人類は、そこまで追い詰められて、ようやく国家や宗教を越えた団結を果たせたのだった。
銀河連邦が発足したのである。
一丸となった人類の底力というのは、大したもので、反物質爆弾の開発に成功した。ベルゼブルに占領された惑星、判明している限りの彼らの母星を片っ端から破壊し、人類はベルゼブルに対し、一時の勝利を得た。
しかし、ベルゼブルの母星は、銀河の至るところに存在しており、そのすべての位置を把握できるはずもなく、ベルゼブルという種を根絶させるには至らなかった。あくまで自分たちの生存圏から彼らを一時的に追い払うことが出来たというだけである。
そういうわけで人類は、銀河連邦の発足よりおよそ二〇年が経つが、現在でもベルゼブルとの終わりのない宇宙戦争を延々と繰り広げているというわけだった。
閑話休題。
人を傷つける言葉には、いろいろあると思うが、マッカがいちばんひどいと思う言葉が「他に好きな人ができたの」である。
クレナイ・マッカ。
名字はクレナイ、名がマッカ。「ファーストネーム」とも言うように、共通語では普通、名を前に名字を後に書くものだが、語呂が悪いので、彼は大抵旧日本式に名乗るようにしている。ちなみに、マッカを漢字で書くと「真」に「赤」。真っ赤に燃える太陽のように、熱い男になって欲しい、という意味があるらしい。名前のせいか否かはともかくとして、ちょっとだけ熱くなりやすい性格である。
出身は、日本。二〇世紀には、国土は小さいながらも技術立国、経済大国として名を馳せた島国「日本国」だが、一世紀前に統一政府が誕生して以来、アジア最東端の辺境へと成り下がってしまった田舎地域だ。しかし、辺境の田舎ゆえに、良くも悪くも、人種や文化の統合があまり進んでいない。日本から都会やら宇宙やらへ出て行くものはいくらでもいても、その逆はほとんどないのだ。いまだに日本なんかに住んでる人間は、もともと日本で暮らしていて、外へ出て行こうという気概もない保守的な人間ばかりだった。日本にはマスドライバーや軌道エレベーターがなく、軍の生産拠点や工廠などもなく、宇宙では人類とベルゼブルが凌ぎを削ってるなんて嘘みたいな、平和で退屈な土地柄だった。
現在、一七歳。
彼の生まれる前から続いてる宇宙戦争は、いまだ決着の時は見えず、かと言って、昔ほど危機迫ってるわけでもなく、当時は英雄視され、入隊志願者が殺到していた宇宙軍も、いまでは“もの好き”くらいしか志願しなくなっていた。
前置きはこのくらいにして。
ある日、マッカは、七年付き合ってきた恋人から、例のいちばんひどい人を傷つける言葉を言われてしまう。
十七で七年。つまり十歳からずっと一緒だった、幼馴染み。将来、結婚しようなんてバカな約束をしてしまい、けれど、そのバカな約束に、彼は本気で一生を託す気でいた。
だから、それは、彼に宇宙軍への入隊を決めさせるだけの、強烈な威力があった。
「他に好きな人ができたの」
その瞬間、マッカは脳味噌を直接ハンマーで叩かれたような気分になった。
ガーン! だ、ガーン!
なにやらずっしり頭が重くなり、めまいがし、目の前が暗くなる。
こんなにショックを受けたのは、初めてだった。本当に頭のなかで「ガーン!」なんて鳴るなんて、知らなかった。
心拍数があがり、汗が噴き出す。なんだか無性に吐き気がして、気持ち悪くなってきた。
「……冗談だろ?」
マッカは、「あはは、あはは」と、空笑いする。とにかく、誤魔化す。時間を稼ぐ。麻痺した脳味噌を再起動し、なんとか現状を理解しようと努力する。……たぶん、夢だ。結論。だって、こんなこと、ありえない。いわゆる悪夢という奴で、頬をつねればすぐに……。すぐに……。
彼女は、嘘でも冗談でもなく、これは現実だと告げるように、静かに首を振った。
「ざけんな! あんな奴より俺の方が百倍カッコ良いだろ! 俺の方が頭がいいし、顔も良い。ケンカも強いし、運動もできる、背だって高い。何が不満だって言うんだよ!」
そして、マッカは、ちょっとだけ、ナルシスト。自分で自分を「イイ男だ」と思っている。
もっとも、今言った彼の主張は、彼だけの思い込みではなく、客観的に見てもすべて事実と言えるのだが。
「でも」と、気まずげに視線をそらしながら、彼女は呟く。
「……マッカには、『心』がないわ」
グサリ、と、突き刺す。態度とは裏腹に、中身には少しも遠慮がなかった。
胸のなかの何か、致命的な何かに、突き刺さり、ピキピキピキとヒビが入り、欠け落ちていく。
だから、わかる。それは間違いなく此処に存在していると。
「あるだろ、心! 何言ってんだ! 超あるだろ!」
「ないわよ。……マッカが大事なのは自分だけ。自分が他人からどう見られるかって、それだけよ。マッカにあるのは自尊心とか虚栄心とか敵愾心ばかりじゃないの。……愛とか優しさとか、他人を思いやる気持ちが、まったくないでしょ」
「あるだろ! 何勝手に決めつけてんだ! 超あるっての!」
「……だったら、わたしに好きって、言ってみてよ」
「はぁ?」
「マッカ、一度でもわたしのこと、好きって言ってくれたこと、ある?」
「それは……」
だって、それは、彼女の方から好きだと言ってきたのだ。結婚しようとまで言ってきたのだ。だから……。
何も言い返せないマッカを、彼女はさらに畳みかける。
「わたしに好きって言って、別れないでくれって、泣いて縋り付いてみなさいよ!」
「できるか、んなこと!」
「そうでしょう。マッカには決して、そんなこと出来ないのよ。何故なら、わたしより自分のプライドの方が大切だから。自分自身の方が大切だから。自分を曲げるくらいなら、平気でわたしなんか斬り捨てるのよ」
「……わけわかんねえよ……」
「あなたの一番は、あなたなのよ。わたしじゃないわ、決して」
マッカは何も反論しなかった。ただ、表情を消して、黙り込むだけだ。
ああ、そうさ。と開き直る。
(確かに俺は、ちょっとだけ、ナルシスト)
彼女のことは好きだが、――本当に、好きだが。彼女のためなら世界のすべてだって敵に回せるが。彼女を助けるためなら、命だって引き替えにしても構わないと思っているが。
許しを乞うような真似は、できなかった。
ただ一言、「ごめん」と謝れば済むのかも知れないが、どうしてもその言葉だけは使えなかった。
血反吐を吐くような思いで、やっと積み上げてきた今の自分だ。そんな自分を否定するような言葉を、どうして簡単に使うことができるのだろう?
一回でもその言葉を使ってしまったら、きっと今の自分ではいられなくなる。
だから、言えない。
なるほど。確かに彼女の言うとおり、俺は彼女より自分自身の方が大事らしい。と、納得し、マッカは彼女に背中を向けた。
(――ああ、最悪だ――)
自分が最悪なのか、彼女が最悪なのか、あるいは両方なのか。
よくわからないが、とにかく何かが最悪で――。ボロボロと涙が溢れて止まらなかった。
彼女は無いというが、心は、あって。
いや、あった、と言うべきか。いまはもう、粉々だから。
粉々だけど、でも、それでも、あって。
みじめでみっともなくて、最悪だった。
そしてマッカは、たまたま募集していた宇宙軍への志願を決意したのである。
伊達にアホな生き方してきたわけでもなく、マッカは高い思考力と身体能力を身につけていた。その結果というべきか、入隊試験ではトップを取り、アルゼナの宇宙軍士官学校への入学を推薦される。
アルゼナは、銀河連邦および宇宙軍の本部がある恒星系だ。地球からは七〇〇光年ほど離れている。アルゼナの士官学校は通称〈クロセスト〉と呼ばれ、宇宙軍のなかでも最高のエリートコースだ。
この物語は、そんな彼――クレナイ・マッカがアルゼナ行きのスペースシャトルに搭乗し、地球を飛び出した所から始まる。
少年が宇宙を目指す理由は様々あれど、恋人に振られて、というほど情けない理由もないだろう。
夢も希望もなければ、志もない。だが、可能性だけは、あるかも知れない。
マッカは、いまだ十七歳。人生は、宝探しの旅みたいなものだ。とすれば、これは旅立ち。スタートライン。
誰かなんて問題にならないほどステキな女の子が、宇宙にはいっぱい溢れているはずだ。あるいは、冒険とか。
そう、正確には、彼がスペースシャトルに搭乗し、地球を飛び出し、ある一人の少女と出会うところから、物語は始まる――。




