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霧の町  作者: KRR
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第十話 悔いを背負う者

 雨が、窓を叩いていた。


 開けてくれ。


 開けてくれ。


 山奥に取り残された者が、凍えた両手で助けを求めている。そんな音だった。


 窓を覆う赤黒い液体が、ひび割れたガラスをゆっくり流れ落ちていく。


 鉄錆に似た臭いが、小屋の中へ漂っていた。


 マックスは三本脚の椅子に腰掛け、頭から外套を被っていた。


 膝の上に置いた手を、固く握り締めている。


 右の掌には、焦げ茶色の手袋。


 左の掌には、細い縫い針。


 どちらも、もう返すことはできなかった。


 外で雷光が弾けた。


 小屋の内部が一瞬だけ白く照らされる。


 割れた食器。


 壁際に積まれた薪。


 錆びた斧。


 蜘蛛の巣に覆われた棚。


 濡れて歪んだ床板。


 そして、椅子に座るマックスの影。


 雷光が消える。


 すべてが再び闇へ沈んだ。


 雨音の隙間から、声が聞こえた。


 ――助けて。


 マックスは顔を上げなかった。


 ――ここから出して。


 声は窓の外からではない。


 頭の奥。


 胸の底。


 いくら手を伸ばしても届かない場所から聞こえてくる。


 ――どうして、助けてくれなかった。


 握り締めた手に力が入った。


 縫い針の先端が掌へ食い込む。


 痛みが走った。


 それでもマックスは手を開かなかった。


 痛みがなければ、二人の残したものまで夢だったと思ってしまいそうだった。


 床板が軋んだ。


 ぎし。


 入口から、濡れた足音が近づいてくる。


 ぎし。


 ぎし。


 足音はマックスの背後で止まった。


 冷たい気配が首筋へ触れる。


「どうして、助けてくれなかった」


 ジョージの声だった。


 責めるような響きはない。


 だからこそ、マックスには耐え難かった。


「お前なら、何とかできただろ」


 マックスは目を閉じた。


「できなかった」


 声にしたのは、その一言だけだった。


「本当に?」


 今度はソニアの声がした。


 穏やかで、やや高い声。


 大学で初めて道具の使い方を教えた時と、何も変わっていなかった。


「もう少し早く、私を見てくれていたら」


 マックスの喉が動いた。


 言い返すことはできなかった。


 山の神が作り出した声ではない。


 ジョージでも、ソニアでもない。


 それは分かっている。


 二人を責めていたのは、初めから自分自身だった。


 雨が窓を叩く。


 開けてくれ。


 ここから出してくれ。


 マックスは瞼の裏に、幾つもの光景を見ていた。


 閉ざされた講義室の窓へ足を掛け、先に入り込もうとするジョージ。


 切れたリュックの肩紐を、焦げ茶色の糸で黙々と縫う左手。


 凍った斜面を滑り落ちた自分へ、迷わず伸ばされた腕。


 機材を抱え、撮影場所を尋ねに来たソニア。


 一度見ただけの結び方を、正確に再現してみせた細い指。


 片方ずつ手袋を使おうと提案した時の、満足そうな笑顔。


 いつでも二人は、目の前にいた。


 マックスは見ていた。


 見ていなかったわけではない。


 ただ、自分に理解できる部分だけを見ていた。


 ジョージの苛立ちは、彼の競争心によるもの。


 ソニアの親しさは、友人としてのもの。


 そう考えるのが最も簡単だった。


 二人の心へ深入りすれば、自分も何かを選ばなければならなくなる。ジョージとの関係も、ソニアとの関係も、今までと同じではいられなくなる。


 だから、分からないふりをした。


 腹落ちする答えがないという理由で、答えを出すこと自体を避けた。


「つまり、こういう事か……」


 暗がりの中で、マックスは呟いた。


「俺は気づかなかったんじゃない。気づいた後に起きることから、逃げていた」


 背後の気配は何も答えなかった。


 窓へ打ちつける雨だけが、激しさを増した。


 赤黒い水が窓枠から溢れ、床へ垂れていく。


 一滴。


 また一滴。


 そこから黒い染みが広がった。


 マックスの足元へ迫り、椅子の脚を呑み込んでいく。


 黒い水面に、二人の顔が浮かんだ。


 見開かれた黒い瞳。


 優しさをたたえた蒼い瞳。


 どちらもマックスを見ていた。


「何を考えていたか、訊けばよかった」


 声が震えた。


「勝手に答えを決めずに、訊くべきだった」


 水面のジョージが口を開いた。


 遅いんだよ。


 声は聞こえなかった。


 だが、そう言ったように見えた。


「ああ。遅い」


 マックスは頷いた。


 ソニアの唇も動く。


 それでも来てくれました。


 そう見えた。


「間に合わなかった」


 マックスは首を横へ振った。


「お前も、ジョージも助けられなかった」


 黒い水面が揺れた。


 二人の顔が崩れていく。


 マックスは椅子から腰を上げかけた。


 手を伸ばせば、まだ間に合うような気がした。


 しかし、立ち上がることはできなかった。


 二人はもういない。


 それを知っている。


 手を伸ばした先にいるのは二人ではなく、自分の中に残った後悔だけだった。


 過ぎた時間へ手を伸ばし続けても、過去は変わらない。


 ジョージが最後に言った。


 次は、お前が先に手を伸ばせ。


 あれは死者を追えという意味ではなかった。


 今度こそ、目の前にいる誰かを見ろ。


 答えが分からなくても、分からないまま手を伸ばせ。


 そういう意味だったのかもしれない。


 だが、それさえもマックスの解釈にすぎない。


 もう本人へ確かめることはできなかった。


 窓の外で稲妻が走った。


 赤い光が小屋を満たす。


 壁も、床も、天井も、すべてが巨大な傷口の内側へ変わる。


 その中心で、マックスは一人座っていた。


 背後には誰もいない。


 足跡もない。


 黒い水も、床へ広がった染みも消えている。


 窓を覆っていた血のような液体さえ、いつの間にか透明な雨水へ戻っていた。


 それでも雨は、人の声で窓を叩き続けた。


 タスケテ。


 タスケテ。


 タスケテ。


 マックスは外套の中で、深く息を吸った。


「助けてほしいのは、俺か」


 声は雨音に消えた。


 山の神は、もういない。


 霧の町も消えた。


 それでも自分を責める声だけは残った。


 教団が罪と呼んだもの。


 人が自らを許せずにいる時間を、無限へ変えるもの。


 マックスは、ジョージとソニアに向けて言った言葉を思い返した。


 誰かに消えてほしいと一瞬願うことも。


 苦しみから逃れたいと思うことも。


 言葉にできず、胸の中へ閉じ込めることも。


 それだけで人間のすべてを決められるものではない。


 ならば、自分だけを例外にすることはできなかった。


 二人を救えなかった。


 気づかないふりをした。


 それは消えない。


 責任も、後悔も、どれほど否定したところでなくならない。


 しかし、それを自分自身へ下された終わりのない刑にする必要もなかった。


「罪ではない」


 口にしてみる。


 声は掠れていた。


「罪ではない。だが、なかったことにもできない」


 窓を叩く雨音が、一瞬だけ弱まった。


 マックスは掌を開いた。


 焦げ茶色の手袋は、黒い染み一つないまま残っている。


 ジョージの縫った二本の線。


 不揃いに見えて、指で触れると固く丁寧な縫い目だった。


 縫い針の先端には、同じ色の糸が僅かに付着している。


 ジョージが器用な手先を恥じるように隠していたことを、マックスは知っていた。


 ソニアが手袋を大切そうにはめていたことも覚えている。


 二人が抱いた感情だけではない。


 二人が生きていた時間が、そこには残されていた。


 嫉妬だけがジョージではない。


 言えなかった想いだけがソニアではない。


 救えなかったという事実だけが、自分ではない。


 頭では理解できた。


 だが、胸の痛みは消えなかった。


 理解したからといって、受け入れられるわけではない。


 許そうと決めたからといって、すぐに許せるものでもない。


 時間が必要だった。


 どれほど掛かるのかは分からない。


 その間、雨は何度も降るだろう。


 窓を叩き、助けを求め、自分を責める声を聞かせるだろう。


 そのたびに、マックスは今夜のことを思い出す。


 そして何度でも、自分へ同じ言葉を返さなければならない。


 苦しんでいることは、罪ではない。


 忘れられないことも、罪ではない。


 生き残ったことさえ、罪ではない。


     *


 夜が明ける頃、雨は雪へ変わった。


 窓を打つ音が止み、小屋は深い静寂に包まれた。


 マックスは椅子から立ち上がった。


 長く同じ姿勢でいたため、膝が強張っている。身体のあちこちが痛み、スキーウェアは乾ききらないまま冷たく張りついていた。


 椅子の背へ掛けていたリュックを持ち上げる。


 中には水筒とロープ、僅かな食料が残っている。


 山を下りるには十分とは言えない。


 だが、雪は止み、空も明るくなり始めていた。


 マックスは小屋の戸口まで歩いた。


 錆びた取っ手へ手を掛ける。


 そこで一度、振り返った。


 小屋の中には何もない。


 血に染まった窓も。


 助けを求める影も。


 黒い涙も。


 三本脚の椅子と、古びた道具が残されているだけだった。


 閉ざされていた夜は終わった。


 マックスは戸を開けた。


 冷たい朝の空気が流れ込んでくる。


 外には見渡す限りの雪山が広がっていた。


 霧はない。


 舗装された町への道もない。


 黄色い街灯も、石造りの家々も、美術館も存在しない。


 雪を被った針葉樹が並び、その向こうに白い稜線が続いているだけだった。


 怪異など、初めから何もなかった。


 そう思わせるほどの静けさだった。


 マックスは小屋を出た。


 雪の上には、自分が昨夜ここへ辿り着いた時の足跡が残っている。


 後ろからついてきた跡はない。


 小屋を囲む足跡もない。


 龍の死体も消えていた。


 黒いローブも、割れた首飾りも見つからない。


 唯一、少し離れた雪の上に、灰色の粉が積もっていた。


 風が吹く。


 粉は雪の表面から舞い上がり、朝の光へ溶けた。


 マックスは下山する方角を確かめた。


 右手に大きく曲がった針葉樹がある。


 その先から、凍った沢の水音が聞こえていた。


 初めからそこにあった道標。


 霧に隠され、見つけることのできなかった現実への道だった。


 マックスは歩き始めた。


 一歩進むたび、靴が雪へ深く沈んだ。


 身体は重い。


 眠気も、空腹も、寒さもある。


 すべてが現実の感覚だった。


 振り返れば、小屋が朝靄の中に見える。


 窓は暗い。


 中に人影はなかった。


 再び前を向く。


 しばらく斜面を下りると、キャンプをしていた場所へ出た。


 灰色のテントは半ば雪に潰されている。


 焚き火の跡。


 空になった鍋。


 三枚の皿。


 ジョージとソニアのリュック。


 それらは、すべて残されていた。


 マックスは雪の上へ膝をついた。


 ジョージのリュックを開く。


 中には予備の衣類と食料、裁縫道具が入っている。


 針が一本だけ欠けていた。


 ソニアのリュックには、予備のフィルムと小さな手帳があった。


 最後の頁に、簡単な予定が書かれている。


 夜明けの山を撮影すること。


 三人で記念写真を撮ること。


 下山後、町の食堂へ立ち寄ること。


 どれも、もう実現しない予定だった。


 マックスは手帳を閉じた。


 泣くつもりはなかった。


 だが、文字が滲んで見えた。


 冷たい雫が頬を伝い、雪の上へ落ちる。


 一滴。


 また一滴。


 黒くはなかった。


 マックスはそれを拭わなかった。


 声を上げることも、俯いた顔を隠すこともしなかった。


 誰もいない雪山で、二人のために泣いた。


 自分のためにも。


 やがて顔を上げる。


 朝日が木々の間から差し込み、雪を淡い金色に染めていた。


 初めてこの場所へ来た時、心を奪われた景色と同じだった。


 だが、今はもう同じものには見えない。


 美しい景色の中にも、失われたものは残る。


 失われたからこそ、美しさに痛みが混じることもある。


 それでも朝は来る。


 望んでも。


 望まなくても。


 マックスは二人の荷物から必要なものを集め、自分のリュックへ入れた。


 焦げ茶色の手袋と縫い針は、胸元の内ポケットへしまう。


 持ち主の代わりに持ち帰る。


 どこへ返すべきなのかは、まだ分からない。


 ジョージの家族。


 ソニアの家族。


 大学の山岳部。


 二人の不在を待つ者たちへ、何をどう話せばよいのか。


 霧の町。


 黒い涙を流す石像。


 山の神。


 そのまま話して、信じてもらえるとは思えない。


 何も説明できないかもしれない。


 それでも戻らなければならない。


 生きている者のいる場所へ。


 マックスは斜面を下り始めた。


 一歩。


 また一歩。


 雪を踏む音が、規則正しく山へ響く。


 追ってくる足音はない。


 振り返っても、石像は立っていない。


 ただ、二人分の気配だけが隣にあるように思えた。


 ジョージなら、歩くのが遅いと怒鳴るだろう。


 ソニアなら、無理をしないでくださいと声を掛けるだろう。


 マックスは足を止めなかった。


「つまり、こういう事か……」


 朝の空気へ白い息を吐く。


「背負うというのは、ここに残ることじゃない」


 返事はない。


 それでよかった。


「二人がいなくなった場所で、俺まで止まることじゃない」


 凍った沢を越える。


 その先に、三人で登ってきた道が続いている。


 マックスは胸元へ手を当てた。


 手袋と針の硬い感触が返ってくる。


 悲しみは消えない。


 悔いも残る。


 雨の夜には、また声が聞こえるかもしれない。


 助けてくれ。


 どうして助けてくれなかった。


 その声から、もう逃げるつもりはなかった。


 聞く。


 答える。


 何度でも向き合う。


 ただし、二人を失ったことを、自分が消えるための理由にはしない。


 二人が抱いた苦しみを罪ではないと認めたように、自分の悲しみもまた、背負うべきものであって罰ではない。


 山の下方から、人の声が聞こえた。


 自分の名を呼んでいる。


「マックス!」


 遠い。


 だが、確かに現実の声だった。


 救助隊かもしれない。


 大学の山岳部員かもしれない。


 マックスは立ち止まり、声の方角を見た。


 木々の間に、赤い上着を着た人影が幾つか動いている。


「ここだ!」


 声を張り上げる。


 喉に痛みが走った。


 それでも、もう一度叫んだ。


「ここにいる!」


 人影がこちらへ向かってくる。


 マックスは雪の中に立ち、彼らを待った。


 背後では、昇った朝日が山小屋の窓を照らしていた。


 窓には血も、黒い涙もない。


 ただ朝の空が映っている。


 やがて太陽の角度が変わり、小屋は木々の影へ隠れた。


 マックスは振り返らなかった。


 雨音は、もう聞こえなかった。

月並みですが、ここまでお読みいただき有難うございました。

既に設定で明かしている通り、原作者が自身で、執筆をAIに任せた作品です。

登場人物の細かな設定、世界のルール、物語の根幹、各場面で描きたいこと、各場面の真相 etc

細かく設定することで自分のイメージ通りの作品になる様、修正を繰り返しました。


どの様な感想を抱かれたかは、読む人によって形を変えるでしょう。

稚拙と映るかもしれません、描写が足りないと映るかもしれません。

救いがないと思われるかもしれません。

(執筆をAIに任せている時点で安い作品だと思う人もいるでしょう)


読む人がそう考えたなら、その人の中ではそれが答えだと思います。

原作者である私自身の解釈も、広い意味では数ある読者の感想の1つなのかもしれません。


あなたは、どのような感想を抱かれたでしょうか。

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