間章 記憶の中の温度②
「は……?」
魔術師。
確かに男はそう囁いた。
男は、冬夜を見据えて異様な瞳を何度か瞬きさせると、原型を失いかけている輸送車の側から進行方向をこちらに向ける。
身に纏っている神父が着るような黒い衣服。
だがしかし、それを神父服と呼ぶことができなかった。
明らかに何かが違う。同じ服装なはずなのに、聖職者というにはあまりにも禍々しすぎる風貌と気配。
まるで、闇そのものを見にまとっているようにも見受けられる。神や天使などを信じるとは到底考えられなかった。
男は燃え盛る輸送車の残骸を踏み越え、靴底が炎に照らされる。
そして靴とアスファルトが擦れる音が均一のリズムを刻みながら、徐々に大きくなる。
すでに目と鼻の先まで近づいてくる男の行動に、冬夜はただただ立ち尽くしてしまっていた。
細身で色白な肌は、間近で見ると余計に異質な存在に感じられる。
「おや、怪我をしているみたいですね。可哀想に」
視線の先は冬夜の袖だった。生地に染み渡る血痕を確認すると、男はその白い手は冬夜の顎にそっと添える。
「っ!?」
「そうか、激しく打ち付けられた拍子に内臓が損傷したか」
その指は冬夜のまだ幼い体を優しく愛撫する。口から首、そして胸の方へと。
びくりと体を震わせる冬夜だが、驚愕したのは何よりも男の指先から青白く淡い光が灯されていたことだ。
「傷口を塞ぐぐらいの治癒だ、痛覚までは修復できないのがこの術式の欠点かな」
男の指から放出される青白い光は、冬夜の体内へと浸透していく。
どこか暖かくて、それでいて優しい光だった。
「な、何だよ…これ」
「言っただろう、私は魔術師。奇跡の模倣くらいのことはある程度できる」
「でもお前が悪いヤツなんじゃ…」
「悪いヤツねぇ……ふふふ」
冬夜の体から指を離しながら、小さな声で吹きこぼすように笑う。
「君の視点ではそう見えているのだね。まぁ実際、この惨状の原因は私と言っても過言ではないが、何を持って善と悪と呼ぶのか。二元論的な尺度で語られてしまっては私はきっと後者と言わざるを得ないね」
「お前が全部、こんなにしたんだろ。街も人も、おばさんたちも」
男のその言動が冬夜にとっては怒りを湧き上がらせるための種となっていく。
右手から血が出てしまいそうなほど無意識に力が入る。
「おばさん? そうか、家族も巻き込んでしまったか」
「なに……ヘラヘラしてんだよお前」
「いや失敬。どうだ、おばさんのところに連れていってくれたら、傷ぐらいなら治してあげるよ」
その一言で一瞬揺らぐ。
今だったらこの男を連れていけば、おばさんの怪我や千香や雪那の意識も取り戻せるのではないかと。しかし、冬夜にふと疑問が過る。目的も分からない魔術師と名乗る男に怪我の手当をお願いしてもよいのか。
半ば意思決定がままならないが、ほんの少しだけ視線をおばさんたちの方に向ける。
「そうか、あの瓦礫がある先か……」
冬夜の視線から居場所を察した男は、ぴたりと静止させていた足を再び動かす。
ぞわりとした予感も同時に襲ってくる。
「いや、いい…!! 行かなくていい──」
「遠慮することない、君の家族の元へ行かせてくれ」
強引に冬夜の横を通り過ぎようとする男を引き止めるように服の裾をぐっと握る。
だが、こんな細い体からは想像できないような力で冬夜の振り払う。
何か嫌な予感が何度も脳裏を行き来するが、この現状を打破できる程の力はなかった。
おばさんが言っていた言葉がフラッシュバックする。
『本当のお母さんじゃないけど。あなたをずっと誇りに思うわ』
そんなことなかった。
街をめちゃくちゃにするような力を持つ男を目の前にして、為す術がなかった。自分自身、誇りを持ってもらえる程の人間なんかじゃないと卑下する。
この悲惨な状況を打破できるわけでもない。
自分のできることの小ささを突き付けられているようにも思える。
ただひたすらに、無力であった。
「やめ、お、おい……!」
緊張で喉が絞られ、声がうまくでない。
履いているスニーカーがただアスファルトに擦れ、力を踏ん張ろうにもこの男の力はあまりにも強かった。
そんな時だった。
「お前、止まれ」
一言。後方から聞こえた。低く怒りに満ちた声。
冬夜の言葉では一切動きを止めることのなかった男の足が止まる。恐怖でも驚愕でもない。
「ほう」
何か興味深いものを見るようなそんな声色。
男の目の前には、頭から血を流しながら立ちすくむもう一人の男。
瞬間、冬夜の緊張し、強張った喉が緩み、
「おじさん……」
ただ安堵の声が漏れる。
「何者だ、お前。それに冬夜に何しやがった」
「私は魔術師ですよ、そこの彼には傷の手当をしてあげただけですよ」
「あ…? 魔術師って何言ってやがる。それにその怪我の原因を作ったのはお前だろうが」
視線の先で対峙する二人の間に生まれる歪な空気を咀嚼するように冬夜はごくりと息を飲み込む。
「冬夜、こっちに来い」
その一言が耳に届くと、体が少し震えた。今までに聞いたことのないおじさんの声色が、この状況が如何に深刻かを改めて認識させる。
そして、冬夜は魔術師と呼ばれる男の横を通り過ぎ、おじさんの後ろへと隠れる形で回り込む。
「俺の家族に手を出しやがったんだ、タダじゃおかねェぞ」
「そうですか。あなたの他の家族の怪我も治療しようと思ったんですがね」
「黙れ。こんな得体の知れない奴を近づけさせるかよ」
気迫。
その言葉は、ただ怒りに震えていた。
だが、そんな言葉と表情を見ても魔術師は顔色ひとつ変えもしない。何も悪びれる様子など一切なく、ただ不気味に頬を軽く吊り上げている。
男が軽く手を挙げた、そんな瞬間。
跡形もない輸送車の側から、黒い何かが蠢く。ゆっくりと重たい体を引きずるそれは、輸送車内にいたであろう黒い戦闘服に身を包む隊員の姿に他ならなかった。
湧水のように腹部から流れる血液がじわじわとアスファルトに赤い水溜りを作る。
「!?」
「おや、しぶとい人もいるものですね」
蠢く隊員の血に塗れた姿を目撃し、驚愕する二人を差し置いて、男は眉を潜めながら身を隊員の方に捻る。
ガチャ、重たく金属が擦れるようなそんな音が空気を伝う。
「こ…こんの…化け物がぁぁぁぁぁあああああああ──!!!!」
震える銃口が左右に揺れる。
そして、指にかけられた引き金が時間をかけて奥まで押し込まれる。
刹那、激しく耳に突き刺さる銃撃音が二、三発と空に舞う。
「んッ──」
間近で聞いたことのない銃撃音に自然と目が閉じてしまっていた。その瞼をゆっくり開ける。
「おい…嘘だろ……」上の方から声が落ちてきた。
何かに驚愕するような、そんなおじさんの声。
「銃弾を受け止めやがった…」
「受け止めた訳ではありませんよ、物体の慣性を一時的に0に戻したんです」
まるで飛んできたボールを簡単にキャッチする要領で弾丸を青白い手が包み込む。
「そして抑制された運動エネルギーを解放するように──」
そして、弾丸の向きを180度捻り、弾丸を指で軽く叩く。
空中で静止していたはずの弾丸は、失った勢いを取り戻すように動き始めては軌道を逆流する。
放たれた弾丸は、地面を這う隊員の眉間へと着弾する。
「うっ……」その光景はあまりにも残酷で悲劇的だった。目を瞑ったつもりだったが、うっすらと空いている瞼の隙間からは、隊員の微弱に痙攣する腕が写り込んでいた。
「(こいつ、本当に人間離れしてやがる…)」
冬夜の丁度、目線の辺りにあるおじさんの手は爪が食い込んでしまうほど強くに擬られている。そして、同時に小刻みに震えていた。
「さぁ、ご遠慮せずに傷の治療をしましょう」
先の一瞬で人を殺めてしまうほどの力を有するその蒼白い手をこちらに差し伸べては、魔術師の男は一歩、また一歩とこちらに距離を詰める。
恐怖。
そんな言葉では足りないほどの感情が全身を支配するのが分かる。
目の前にいるこの男は、きっとただの人間の常識や力が通じる相手ではない、そんな直感が脳裏を行き来する。
それでも、背後にいる家族のために、その体を冬夜の前から退かすことはしなかった。
「人殺し野郎が、善人ぶった顔してんじゃねェ!!!!」
「善人だって自覚したことなどないですよ、私は正真正銘の──」
「それ以上近づくんじゃねェ──!!!!」
怒号のような声が荒れ狂う品川の街に響く。
震える拳を力一杯に引いた後は、槍のように、獲物に狙い定めては真っ直ぐに男の顔面へと力の矛先を向ける。
そして。
一秒。
二秒、と。
すでに届いているはずの拳はどこにも当たらずにいた。
というよりも、拳が何かに接触する感触も感じられずにいた。
「──え」
やはり、男の顔には拳は届いてなどいなかった。
いや。
届かなかったのではない。
届かせる腕そのものが、言葉通り無くなっていた。
肘から先にあるはずの腕が、手が空間ごと切り離されたように無くなっていた。
ゆっくりと視線を動かす。
ごろん、と。
数秒遅れて足元に何かが転がってくるのを認知する。
それが、自身の腕だと理解した途端。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」
「おじさんっ!?」
膝がアスファルトと衝突する。
そして、綺麗に断裁された腕からは滝のように血液が流れ出す。
「痛ェ、……痛ェ……、」
全身が震え出し、不規則に鋭く熱い痛みが局所的に襲う。
何が起こったのかおじさんも冬夜も理解できていなかった。
ほんの瞼を一回ほど往復させただけの短い時間で、腕が切断されるだなんて想像もしなかった。
そして、おじさんの前に人影がかかる。
冬夜の方が一瞬早く、前方に視線を送る。
「…女の子……?」冬夜の口から掠れた声が漏れる。
その一言におじさんもあまりの痛みで、歪んだ視界でその人物を刮目する。
確かに魔術師の男の前に、佇む小さな影がある。
腰まで伸びた赤い髪の毛に、赤い瞳。歳は雪那と同じくらいか、そんな幼い少女の右手には自身の身の丈よりも大きな大剣が握られている。
いとも容易くその大剣で空を裂くと、重力に従いこべりつく鮮血が地面へと薙ぎ払われる。
「敵。対象を確認。管理者の生存プロトコルに基づき、殲滅を執行します」
柔らかな声が淡々と宣言する。
赤髪の少女は、その大剣の柄を強く握りしめると振りかぶる形で後方に剣を構える。
おじさんの叫び声が空に舞う中、冷徹な殺意がその空間を飲み込もうとしていた。その矢先、少女の後ろで男は軽く溜息を吐く。
「『星々の乙女』、私は彼らと話をしていたのですよ? いきなり腕を落とすことはないじゃないですか」
「管理者の護衛が私の役目です」
「確かにそうインプットさせましたが、今回に限ってはそれが主の目的ではないでしょう? しっかりと例の物は手に入ったのですか?」
眉を潜めながら少女に問いただすと、少女は空いた片方の手でおもむろに何かを掲げる。
場違いなほど綺麗な銀色のアタッシュケース。
粉塵と黒煙が広がるこの地で汚れひとつ付けていない異様な存在。
「輸送車内に保管されていましたので、回収済みです」
「ほう、お見事」
数回、乾いた拍手が鳴る。
そのまま少女の手からアタッシュケースが男へと渡される。
まるで冬夜たち二人が見えていないのか、二人は閉ざされた会話を続けていた。そんな傍ら冬夜は静観するように、そのケースを見つめる。
「……なんだ、あれ」
呟く。
すると、微かな声に気がついたか、男はこちらに視線を戻す。
「おや失敬、ん、これですか? これは私の願いの詰まった重要な物なのです。世界を変えることさえ可能にするほどのね」
「世界を変える…?」
掠れた声で聞き返す。
すると、興味深そうにした面持ちで男は冬夜へと返す。
「えぇ、この世界はすでに歪みきっている。憎しみ、嫉妬、軋轢、抑圧、不条理、恨み、裏切り、嫌悪、醜悪、飢餓、独裁、殺戮。どれも幸せな世界のすぐ裏で蠢く気色の悪い物ですよ。人間は知性を持つが故に愚かで、不完全な生き物になってしまった。人々は原罪を払拭することができないのであれば、己自身の要求を満たす幸福を求めるに値しないと考えている。知識や理性を持ちながら哀れな思想に溺れるような、そんな原罪すらも払拭できないのであれば、そんな世界ごと終わらせてしまえばいい」
淡々と語る男の目付きが変わる。
その時、身の毛のよだつほどの悪寒が全身を襲う。
「そんな大それたことのためにこんなことをしてんのか? どこまで狂った野郎だよ」
怒りで溢れる視線が男の視線とぶつかる。
「価値ある人間以外は必要はないのですよ」
「じゃあお前はそんな価値ある人間なのかよ」
冷たく言い放つおじさんを尻目に、男は燃ゆる炎を見つめる。
「自己陶酔している訳ではありませんよ。誰が残るかは私が選ぶものではないのでね」
「意味が分からねぇな、あんたを駒に使うような奴が人を選んでるんだったら、とんだ節穴野郎なんじゃないか」
ギリ。
何かの異音が耳をつんざいた。
静かに食いしばる歯が軋む、冬夜は視線を男の方に向けた。
「どんな理由があってもこの世界はこのまま進んでもより汚くなる一方です。なに、濁り切った水槽の水を替える作業と一緒ですよ。水槽は綺麗な方がいい、なぜなら気持ちがいいから。なぜならより綺麗な環境の方が中で生きている魚たちが健康になるから。なぜなら汚れがこれ以上広がらなくなるから。なぜなら悪臭を無くせるから。なぜなら過ごしやすいから。なぜなら──」
弾んでいた声は途切れる。
まるで都合の悪くなった子供のような声色だった。
そして、人差し指を冬夜たちの方に向ける。
「主がそれを望んでいるから」
言い切ると指先から青白い粒子が一点に集中するように渦を巻く。まるで何かの力が収束するように。
そのエネルギーは一点に留まると、青色から赤色へ、そして真っ黒な光の塊となる。
何か、不穏な予感がぞわりと背筋をなぞる。
「冬夜…ッ!!!!」おじさんの叫びで、散乱していた意識が取り戻される。
「気が変わりました。あなた方が私の目的に否定的なのであれば、生かす意味もありません」
もう先ほどまでのどこか偽善ぶった瞳は消えていた。獲物を捕獲するだけの狩人か、真っ白い瞳孔は冷たく見つめている。
魔術師の指先に収束し、飽和した光たちは線香花火のように漆黒の火花を散らす。
細く。
鋭く。
形が変わる、貫く槍の如く。
冬夜はただその光景を見つめ、立ち尽くすことしかできなかった。
逃げなければならないとは理解していても走り出すことができなかった。ただ、足が動かなかったのだ。
「…冬夜」
小さく声が名前を呼ぶ。
「ごめんな」
どこか弱々しく、いつにも見ない様子だった。
失った腕からは、未だに血が流れ続けている。今にでも意識を手放しても可笑しくない朦朧とした意識の中で、懺悔するようにおじさんは顔をくしゃっと歪める。
「きっと、もういつもの毎日じゃいられなくなる」
「なに、言ってるの……?」
「きっと、こいつはそんじょそこらの変人とは違う。正真正銘、人を殺すことに何の躊躇いのない奴の顔している」
語尾はどこか震え、ゆっくりと立ち上がる足も小刻みに揺れている。
冬夜自身もこの状況に恐怖を覚えていた。だが、それとはまた性質の違う怖さ。
依然として、おじさんとは目が合うことはない。
呼吸を整えるように一度だけ息を吐く。
「久々にみんなで出かけられた日だったのによ。こんな酷い目に合わせちまって、保護者失格だよな」
「そんなことないよ、そんなこと絶対に、だって悪いのは…」
視線を前に戻そうとするが、遮るように。
「冬夜」
そう言うと、体向きを180度回転させては冬夜と向き合う。
おじさんは笑っていた、いつもの笑い方だった。
家でテレビを見ているときも。
食卓でご飯を食っているときも。
雪那と遊ぶ冬夜を見ているときも。
いつもしていた、あの笑い方。
「(…父さんって呼んでほしかったな)」
誰にも聞こえないほどの掠れた独白。
再度、身体を捻らせては目の前にいる魔術師と対峙する。
それからはもう目が合うことはなかった。
「──では、終わりにしましょうか」
魔術師の声が、止められた時が動き出す。
「一つだけ、覚えとけよ」
冬夜の視界が覆われる。ただ砂埃と酸化した血液の汚れがこべりつくシャツだけがそこにある。
そして大きな背中の向こう側で、魔力がさらに膨張する。
「守る側に強い力がなくたって、守りたい奴が生きててくれればそれだけで意味があるんだ」
「素敵な言葉ですね、覚悟が決まったような顔をしています」
不機嫌そうだった男も柔らかい表情へと変わる。
「大切な人がいればそれだけで原動力になる」
「ふふ、私に言うのはきっとお門違いですよ」
「けっ、そうかもな」
──刹那。
視界が、漆黒に染まる。
音が遅れて耳に届くと、凄まじい衝撃が大地を揺らし、アスファルトに尻餅をつく。
瞬きを何度か繰り返し、周囲を確認すると。
おじさんが立っていた。
いや。
立っているように見えただけだった。
「…………え?」
胸の中央。そこに拳ほどの大きさの穴があり、向こう側の景色が見える。
肉も。骨も。その全てを魔力の奔流が貫いていた。
そして、その穴の向こう側、冬夜の視界に映った魔術師は口元を、僅かに吊り上げていた。
笑っている。
そう理解した瞬間。
おじさんの身体が、何かに押し流されるように後方へとゆっくり沈む。
「おじさん……?」
返事などなかった。
糸の切れた人形のように、何にも制御されていない成人男性の体が冬夜の小さな躯体に覆いかぶさるように倒れる。
受け止めた身体は、異様なほどに重かった。
さっきまで感じていたはずの温度が、急速に失われていく、そんな感覚がじんわりと肌を経由して伝わる。
「……おじさん」
肩を揺らす。
だが、依然として返事はない。
「おじさん……!」
それでも。
返事はなかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
乾いた叫びが喉から吹き出てくる。
触れているおじさんの身体が硬く、重い。それだけで何を意味しているのかは明確だった。
でもその言葉が脳裏を過ぎるだけでも、脳がそれを拒絶する。
すると、目の前に立ちはだかる魔術師は、覚束ない動きで合掌を始める。
「素晴らしい家族愛でした。彼は子供を守るために身体を、命を張れる人徳のある人間だ。しかし、自分で死を引っ張っていたことを理解しているのでしょうか? 殺した私が言うのもなんですが、家族みんなが生きていける結末を選べる余地は今までに沢山あったはずなのに無駄死を選ぶとは、素晴らしい心の持ち主が故に残念で仕方ありません」
力が二度と入ることのない亡骸を前に、対話するように魔術師は続ける。
「瓦礫の下にいるのは奥様ですかね、こんな勇ましく、愛のある死に様をご覧になれないのは非常に残念ですね」
ケラケラと笑う魔術師は、服の裾を靡かせながらステージの上で舞う様にくるりと回転してみせる。
人を殺すことに躊躇いがない、と言うよりも殺した後にもそこに本人がいるように対話を続けようとする。
「さぁ、家族を全員あなたの元へと届けましょうか」
「──うるせェ」
だがその声は魔術師には届いていない。
「長年付き添った奥様が先がよろしいですかね?」
「ごちゃごちゃうるせェよ」
魔術師の足が止まる。
今度ははっきりと口から発せられた言葉が、確かに魔術師の耳に引っかかる。
魔術師は静かに視線を下へと動かす。
小さく震える子供の姿を一瞥する。
「おじさんを、俺の家族を──」
冬夜は倒れ込むおじさんの体を抱きしめる。
そして込み上げてくる悲しみ、恐怖、そして怒りの感情が口の中で混ざり合うのを確かめながら、魔術師を睨みつける。
「これ以上、馬鹿にするんじゃねェ」
泣くことやどうすることもできなかった自分を殴りたくなる。
何もできない自分が悔しかった。
目の前にいる『何者』か分からない存在に、怯えながらただ大人の影に隠れるだけの自分が許せなかった。
魔術師は、そんな赤くなった目を見つめる。
「その言葉、テレビ番組の受け売りですか?」
「舐めんじゃねーぞ、お前」
冬夜はゆっくりと、おじさんの身体をアスファルトに寝かす。これ以上傷つけないようにと優しく。
そして──立ち上がった。
「君を殺すか生かすかは、主導権はこちらにある」
「だったらなんだよ、俺から大事なもンを奪いやがったんだ。だから今度は、こっちの番だ」
「──?」
冬夜の言葉の意図が読めなかった。
だから視線を外した。
だから、こそ。
判断が一瞬遅れた。
冬夜は前に倒れる要領で前傾姿勢になると、勢いよくその脚でアスファルトを全力で蹴る。
自身よりもはるかに背の低い冬夜の体を、捉えるのに視線が一秒か二秒かかった。
すでに魔術師の懐に潜り込んでいた冬夜は、アタッシュケースを握っていた左手を全体重を乗せて叩く。
アタッシュケースの取手に絡められていた指はするりと離れ、重力にケースの制御を奪われる。
地面に叩きつけられるケースの上に頭から飛び込む。そしてアタッシュケースを抱え、冬夜は立ち上がる。
「これ、お前にとって大事なものなんだろ?」
右手で取手を掴み、前に突き出す。
冬夜の未成熟な腕では少し、重いのか、腕が少し震える。
中に何が入っているかは分からない、しかし、全ての状況に主導権を持とうとする魔術師に対しての効力のある行動だと確信する。
「愚かなことを」
「俺にはお前をぶっ飛ばすこともできないかもしれない、でもお前が大事にしてるものを壊すくらいのことはできるかもな」
そのままアタッシュケースを持ち直し、燃える輸送車の方へと視線を動かす。
ケースを頭の上へと振りかぶるように持ち上げる。
そして。
「──『星々の乙女』、彼を止めろ」
「承諾」
瞬きをしただけだった。
魔術師の横にいたはずの少女は、その瞬き一回だけで冬夜の眼前へと移動する。
時間がゆっくり進むように感じた。
その少女の瞳には、何も感じていないような光を無くした瞳。
ただ反射する冬夜の唖然とした表情が映る。
一拍遅れて、頭上からアタッシュケースが重力に導かれ地面へと落ちる。
「──え、」
言葉が漏れたのは持っていたアタッシュケースが落ちたから。そして少女が目の前へとやってきたから。確かにどちらも当てはまるが、何よりも驚愕した理由。
右腕。
それも同時に地面に落ちたからだった。
おじさんの先ほど切り落とされた腕か?
いや、肌の色が違う。
そして、明らかに未成熟な大きさ。何より一番見覚えのある見た目をしていた。
「おいおい、君は人の腕を斬るのがそんなに好きなのかい? 『星々の乙女』」
「あ、あ、ああああ」
振り上げた腕が地面の方へと下がると同時に、大量の血液が滝のように滴る。
ぞわりと全身から寒気が走る。激しい痛みを感じたのは、その後だった。
「がああああ!!──痛い……が、あああああああああ」
戦慄。先ほどまで心の底にあった怒りの炎が一瞬にして恐怖へと塗りつぶされる。
赤い髪の少女は静かに冬夜の前に佇む。
膝が崩れた冬夜を見下ろしながら、
「対象の右腕を切除。戦意喪失を確認、行動不能と判断します」
冷たい声色はハッキリと聞こえた。
それに応ずるように少女の後ろから魔術師は嗤う。
「だから言ったでしょう? 主導権はこちらにあると」
地面に落ちたケースは、角から落ちたのか、銀色のフレームが少し剥げ、一角だけが凹んでいる。
「中身を確認しなさい」
その命令に対し、少女はケースを手にとり、魔術師に見せる形でケールのロックを解除する。
ゆっくり開けられたケースの隙間から青白い光が漏れ出す。
先ほど、魔術師が冬夜の身体を治した優しい光と同じだった。
「ケース内部の異常は見受けられません」
「簡単に言うね、まぁ無事ならいいさ」
冬夜は痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がる。
そして、少女の胸元で開けられているケースの中身を目にする。
ケース中央には透明な円柱形状のガラスが固定されている。
青白く発光する液体の中にあるものに驚愕する。
「……人の、うで…?」
理解ができていなかった。
魔術師が際ほど話していた言葉を思い出す。
『これは私の願いの詰まった重要な物なのです。世界を変えることさえ可能にするほどのね』
もうすぐ齢十二才になる冬夜の頭でもそのような発想もなかった。
きっと爆弾か、はたまた特殊な力の持つ武器か何かだと勝手に考えていた。
「ここまで付き合ってくれた君には、説明してもいいかもしれませんね」
魔術師は、まるで授業でも始めるかのように穏やかな声で続ける。
「これは【聖処女の遺体】と呼ばれる聖遺物です」
「……せい、いぶつ?」
「ええ。簡単に言えば──」
魔術師は、ケースの中身を覗き込む。
「文明を滅ぼすために必要な、鍵の一つですよ」




