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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
魔の胎動 -The Andante-

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第二十九話:天賦 -The Gift-

「その前に、少し長くなりますが、私の生い立ちから話をさせてください……」

彼女は一度、眼鏡の奥で瞳を伏せる。それは、遠い過去の情景を脳裏に映し出しているかのようだった。

「私は孤児で、記憶がある頃には、ある小さな村に住んでいました。そして、その村のはずれに住む魔導士に、育てられたんです……」




時は遡る。ラビの幼き日々へ……


「おじいちゃん、見て!私、氷の魔法も使えるようになったよ!」

霜が降りた小さな庭。氷塊で砕けた木製の的を背に、幼いラビが照れるように、育ての親である"マールス"に笑いかけた。


「……なんということじゃ」

マールスは、その目を疑うかのように、白髭を震わせながら呟いた。

「まさか、その歳で『四行八門』のうち四つもの系統を扱えるようになるとは……」

彼は老練な魔導士でありながら、目の前で開花した才能の輝きに、驚きを隠せない様子だった。



「もっともっと練習すれば、おじいちゃんが話してくれたみたいに旅に出られるかな……。そした……ら……」

夢を語りかける最中、ラビは急に糸が切れたようにその場にふらふらと崩れ落ちた。


「ラビ!大丈夫か!」

マールスが慌てた様子で駆け寄り、小さな体を抱き起こす。


「……お前はまだまだ幼い。それとな、ラビ」

マールスは優しさに憂いを混ぜたような表情を浮かべた。

「お前の魔法の才能は、わしの想像を遥かに超えておる。じゃが……お前の『器』は、その才能に反して、他と比べて随分と小さなもののように見える」


――魔力量が、致命的に少ない……。


その事実に、マールスは胸を痛めた。


「今はまだ無理をせず、ゆっくりと鍛錬するんじゃ。それと……旅に出たいのなら、人見知りで内気なその性格もなんとかせんといかんなぁ、ほっほ」

そう言って彼はラビをそっと抱きかかえ、その小さな体を抱擁したまま、家の中へと入っていった。


彼女の夢は、温かい抱擁の中へと一時的に仕舞われた。





ある日のこと。

誰も来ない庭の片隅で、ラビが一人で遊んでいると、不意に、すぐ傍にある草むらからガサッと乾いた音が聞こえてきた。


「だ、誰かいるの……?」

彼女は胸をドキドキさせ、恐る恐る草むらを覗き込む。

怯えと好奇心が混じった、小さな、けれど切実な瞳。


すると、そこに横たわっていたのは、この地域では珍しい、雪のように白い毛並みを持つ小さなウサギだった。


「なぁんだ、君かぁ!」

張り詰めていた空気が一気に解け、ラビは安堵に声を漏らした。

そのウサギは、以前からたまに庭に遊びに来る、彼女にとって数少ない、大切な友達だった。

「驚かせないでよ!もう!」




「遊びにきたの?ほら、こっちにおいで!」

いつものようにラビが両手を広げて優しく語りかけるが、ウサギは身動ぎもせず、じっと横たわったままだ。

そのあまりの静けさに、ラビの胸に嫌な予感が広がる。



彼女が不思議そうにウサギに近づき、よく見てみると――

草葉の間に、血がと滲んでいることに気づいた。


驚いてウサギの体へ目をやると、小さな体にはあまりに不釣り合いなほどの太い矢が、その肉を深々と抉るように脚に刺さっていた。


「……っ!!」

息をのむ。凄惨な光景に、ラビの全身は恐怖で総毛立った。


「ど、どうしよう!このままじゃ……!」

彼女は混乱し、悲鳴を上げかけたが、ハッと何かに気づいたように声を張り上げた。


「そうだ!おじいちゃんなら治癒魔法が使える!ちょっと待ってて!すぐに呼んでくるから!」

負傷した友達への一途な想いだけを胸に、彼女は一目散に家の中へと駆け込んでいった。





「これは……」

駆けつけたマールスは、うさぎの患部を見た瞬間、言葉を失い、その表情を絶望に曇らせた。

矢は骨ごと肉を貫き、小さな命の灯火は今にも消えようとしている。

「ラビよ……本当にすまない。……この子は、もう助からん」


「え……?」


「傷が深すぎる。わしが扱う『水』の治癒魔法は、生命力の流れを活性化させるもの……。だが、これほど局所的に破壊された肉体を瞬時に繋ぎ止めるには、相性が悪すぎる……」

彼は自身の無力さを噛み締めるように、苦渋の声で告げ、力なく首を振った。


「そんなっ!」

ラビは悲鳴を上げ、老魔導士の服の裾を強く握りしめる。


「諦めないでよ!おじいちゃんならできるでしょ!?このまま死んじゃうなんて嫌だよ……!」

涙ながらの必死の懇願。その純粋な「生」への渇望が、老人の心を打つ。


「……そう、じゃな」

マールスはハッとして、ラビの濡れた瞳を見つめ返した。


「わしとしたことが……試す前に諦めるなど、魔導士のすることではない」

彼は覚悟を決めたように頷くと、手をうさぎの傷口にかざした。


手のひらから淡い青色の光が溢れ出し、傷ついたうさぎを包み込む。

だが、その光は頼りなく揺らめいていた。




数刻の後。 手のひらに灯っていた淡い青色の光が、フツリ、と音もなく消滅した。


「……ダメじゃ」

マールスは苦渋の表情で、かざしていた手を重々しく下ろす。

「やはり……この程度の治癒魔法では、これほど深く抉られた傷を塞ぐことはできん……」

彼の顔には、技術と経験をもってしても抗えない「死」への、深い諦めの色が浮かんでいた。


「そんな……」

ラビの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。

地面に横たわるウサギの呼吸は、今にも止まりそうなほど浅く、弱々しい。


「死んじゃうの……?嫌だよ、おじいちゃん……」


「……すまない」

マールスは震えるラビを胸に引き寄せ、残酷な現実から守るように、優しく、強く抱きしめた。

「残念じゃが……わしらに出来ることはもう、この子が安らかに逝けるよう、最期まで見送ってやることだけじゃ……」




やがて、うさぎの命が微かな光のように、今にも尽きようとしたその時。


「いや!」


ラビは悲痛な叫びを上げ、マールスの腕の中から強引に抜け出した。


「ラビ!?」


「死んじゃダメ!……私の、初めての友達なの!お願いだから、死なないで!!」


彼女は地面に膝をつき、血に塗れた小さな体を、汚れることも厭わずに強く、強く抱きしめた。

その瞳から溢れた大粒の涙が、うさぎの体にポタポタと降り注ぐ。


その時だった。


―フォン……


ラビの涙と、祈りにも似た切実な願いに呼応するように、彼女の小さな体から、春の日差しのような温かい光が溢れ出した。


「こ、これは……!?」


マールスが息をのむ。それは彼が知る「水」の色ではない。もっと根源的で、神聖な輝き。


光はうさぎを温かい繭のように優しく包み込んでいく。

すると、深々と肉に食い込んでいた太い矢が、まるで光に押し出されるように、血を一滴も零すことなくするりと抜け落ちた。


傷口が光に満たされる。 そして光は、そのまま時を巻き戻すかのように、瞬く間に傷を塞いでいく。

光が収束した時、その体に生命の力が満ち溢れ、初めから傷などなかったかのように完全に回復していた。



ウサギの傷が完全に癒え、温かな光が霧散した、その刹那。


「……ぅ」


まるで魔力を吸い尽くされたかのように、ラビはそのままぐらりとその場に崩れ落ちる。


「ラビッ!!」

マールスは血相を変えて駆け寄り、間一髪で彼女の小さな体を抱き止めた。

腕の中の少女は、深く気を失っている。顔色は蒼白だ。


「……今のは、『光』の治癒魔法か?まさか、『光』の素養までも秘めておったとは……」

マールスの視線が、元気に跳ね起きたウサギへと向く。傷跡一つない、完全な再生。

老練な魔導士である彼だからこそ、その現象の異常さが理解できてしまった。


「それにしても……あの致命傷を、一瞬で時を巻き戻すように治すとは。並の魔導士どころか、高位の聖職者ですら不可能じゃぞ。……この娘は、一体……」

才能の巨大さに、背筋が粟立つ。

だが、マールスはブンと頭を振り、湧き上がる畏怖を振り払った。


「いや、今それどころではない!著しい魔力枯渇じゃ、一刻も早く休ませねば!」

彼はラビを宝物のように大切に抱きかかえると、足早に家の中へと駆け込んだ。

庭には、奇跡的に命を拾った白いウサギだけが、不思議そうにその背中を見送っていた。





しばらくして。 ベッドの脇でマールスが心配そうに見守る中、ラビの睫毛が震え、深い眠りからゆっくりと瞼が開かれた。


「……私」

ぼんやりとした意識の中で、彼女は呟く。


「あの子は……どう、なったの……?」

自分の体調よりも先に、小さな友達の安否を気遣う。

マールスは何も言わず、ただ優しく目を細めると、視線でラビのお腹の上を指し示した。


「……ぇ?」

ラビが視線を落とすと、そこには――ずっしりとした、温かい重みがあった。

あの瀕死だったうさぎが、まるで何事もなかったかのように傷一つない姿で、ラビのお腹をベッド代わりにして、スースーと気持ちよさそうに寝息を立てていたのだ。



「……よかった」

ラビの顔に、安堵の花が咲く。

彼女は鉛のように重い手をそっと動かし、白い毛並みを愛おしげに撫でた。手のひらに伝わる、トクトクという力強い心音。生きている。


「また……一緒に、遊ぼうね……」


呟きと共に、限界を迎えていた意識がプツリと途切れる。

彼女は魔力消耗による抗えない疲労に身を委ね、うさぎの体温を感じながら、再び深い眠りへと落ちていった。






「……その後も、私と養父(ちち)は村の方たちと支え合いながら、静かに暮らしていました」

ラビは一度言葉を切り、遠い目を伏せた。

語られた穏やかな日々。それは、ヴェルトールたちにとっても馴染み深い光景だった。


「……まるで、俺たちみたいだな」

ヴェルトールは、隣に座るシエナに温かい視線を向けて呟く。

シエナも兄の意図を汲み取り、同意するように優しく微笑み返した。

誰にも知られず、小さな幸せを守って生きてきた日々。その尊さを、彼らは誰よりも知っている。


「ふむ。……ここまでの話じゃと、あの『ナイン』とかいう下郎はまだ登場しておらぬな」

イヴリスは腕を組み、鋭く指摘しつつも、感嘆の息を漏らした。

「それにしても……幼くして『四行八門』のみならず、『光』の属性までも行使するとは。……まったくもって、恐るべき才能じゃのう」


「い、いえっ……!」

称賛を受け、ラビはブンブンと首を振って恐縮する。

「たまたま上手くいっただけで……。それに、肝心の魔力は相変わらず少ないままなので……私なんて……」


「謙遜するでない」

イヴリスは静かに、だが強い確信を込めて彼女の言葉を遮った。

「よいか?才能とは、『量』だけで決まるものではない。『質』の高さで決まるものじゃ」


「質……?」


「うむ。いかに魔力が少なかろうが、光に愛され、奇跡を成した事実は変わらぬ。……それは紛れもなく、そなた自身が持つ、誇るべき才能じゃよ」




「……じゃが、であればこそ、じゃな」

イヴリスは真紅の瞳を細め、確信めいた口調で告げた。


「優れた才能というのは、往々にして放っておかれぬもの。……その希少性や特異性故に、必ず嗅ぎつけ、我が物にしようと目論む輩が、必ず現れるはずじゃ。……違うか?」

彼女の鋭い指摘は、ラビの心の傷を正確にえぐり出した。


「……仰る、通りです……」

ラビは膝の上で拳を握りしめ、深く俯く。

脳裏に蘇るのは、あの忌まわしい日の記憶。


「今から一年ほど前……。どこから漏れたのか、そんな私の『噂』を聞きつけて……見知らぬ男たちが、あの平和な村を訪ねてきました……」

その声は震えていた。

それは、彼女の運命が狂い始めた、悪夢の始まりだった。





時は遡り、約一年前……


柔らかな木漏れ日が降り注ぐ庭の片隅に、小さな盛り土があった。

ラビはそこに野花を手向け、静かに祈りを捧げる。


「……スゥ。今まで、そばにいてくれて本当にありがとう……」

幼き日に瀕死の重傷を負い、ラビの奇跡によって救われた白うさぎ――『スゥ』。

スゥはあれから長い時をラビと共に過ごし、昨日、老衰によって静かに息を引き取った。

痛みも苦しみもない、天寿を全うした大往生だった。


「安らかに眠ってね。……ゆっくりと、おやすみ」

涙を拭い、彼女は立ち上がる。

小さな墓標を愛おしげに撫でると、名残惜しそうに家の方へと振り返った。


「……それじゃあ。お爺ちゃんの具合も気になるから、そろそろ戻るね」

かつてはラビを守ってくれた養父マールスも、今は寄る年波に勝てず、床に伏せることが多くなっていた。

今はラビが彼を看病し、二人でひっそりと支え合う日々。

それは、慎ましくも満ち足りた、穏やかな暮らしだった。




「お爺ちゃん、具合はどう?」

ラビは扉をそっと開け、薄暗い寝室へと入った。

部屋には古びた書物の匂いと、煎じ薬の香りが染み付いている。


「あぁ……。今日はとても気分がいいよ」

ベッドの上で、マールスは枯れ木のような手を動かし、皺だらけの顔に優しい笑みを浮かべた。

「しっかり、スゥを見送ってやれたかい?……寂しいだろうが、お前に命を救われ、天寿を全うしたあの子は、きっと世界で一番幸せなウサギだったと思うよ」


「……うん」

ラビは目元に残る悲しみの影を隠すように、努めて明るく振る舞う。

「もう大丈夫。いつまでも落ち込んでいられないしね。……私は、お爺ちゃんといられるだけで幸せだから」


「そうか……」

彼女の言葉に、マールスは一言そう呟くと、深いため息をついた。

「……すまないな、ラビ」


「え?」


「本当なら、お前は旅に出て、その才能で広い世界を見るべきなんじゃ。……なのに、わしのこの老いた体が、お前をこの狭い籠の中に縛り付けてしまっておる……」


それは、育ての親として、そして師としての、痛切な懺悔だった。


「ううん、そんなことないよ。それに……」

ラビは首を横に振り、自嘲するように寂しく笑った。


「私みたいなのが旅に出たって、こんな豆粒みたいな魔力の量じゃ、すぐに魔物にやられちゃうだけだしね」

それは半分本音で、半分はここを離れないための「優しい言い訳」だった。

だが、マールスはそれを許さなかった。


「……自分を卑下するんじゃない」

彼は皺だらけの手を伸ばし、ラビの手をギュッと強く握りしめる。


「お前には、素晴らしい才能がある。……それを、わしのような古びた田舎の魔導士風情では、ここまでしか育ててやれなかった。……ただ、それだけのこと」


「お爺ちゃん……」


「じゃが、広い世界に出て、わしよりも優れた師に出会えれば……お前はきっと、この世の誰もが驚くような、もっともっとすごい魔導士になれるはずじゃ」

マールスは、孫娘の輝かしい未来を幻視するように、力強く諭した。



「そんなことない!私にとって……お爺ちゃんは、自慢の師匠なんだから!」

ラビは顔を上げ、瞳に溜まった涙をこぼさないように堪えながら、きっぱりと言い切った。

それは慰めではなく、彼女の心からの本音だった。


「ふふ……。そう言ってくれるのは、素直に嬉しいよ」

マールスは嬉しそうに目を細め、ラビの頭を撫でた。その手のひらは、魔法よりも温かい。


「だがな、ラビ。……世界とは、お前が考える以上に広く、深淵なもの」

彼は窓の外、遠く広がる空を見つめて語る。


「世の中には、わしより優れた魔導士など、星の数ほどおる。……だから、この先。もし、お前が心から尊敬できるような……そんな『導き手』が現れた時は」

彼は視線を戻し、愛する孫娘の瞳を覗き込んだ。

「迷わず、その者に教えを仰ぐのじゃぞ?わしに気兼ねなど、してはならん」


「お爺ちゃん……」



「……それにな、ラビ。旅というのは、何も一人でするものとは決まっておらん」

マールスは諭すように言葉を継いだ。

「お前のように、『脆い』ところがある者こそ……信頼できる『仲間』と共に歩めばいいのじゃよ」


「……仲間?」

ラビが不思議そうに繰り返す。


「そう、仲間じゃ。互いの足りない部分を支え合い、信じ、そして高め合うことができる……何物にも代えがたい大切な存在」

老魔導士は、慈愛に満ちた瞳で孫娘を見る。

「お前にはスゥという友達はおったが……まだ、対等に肩を並べる『仲間』と呼べる者には出会っておらんからのぅ」


「でも……」

ラビは首を振り、悲しげに眉を下げた。


「私なんかが一緒にいても、すぐに魔力切れで倒れて……足手まといになるだけだよ。きっとその仲間も、呆れてどこかに行っちゃう……」


「そんなことはない」

マールスはきっぱりと否定した。


「今言った通り、支え合うのが仲間じゃ。そんなお前のすべてを受け入れ、共に歩んでくれる存在が……この広い世界には必ずいる」


彼はベッドから身を乗り出し、ラビの手を力強く握りしめた。


「よいか、ラビ。……これから先、わしに()()()()()()があれば、恐れず、お前はそんな仲間を探しに旅に出るのじゃ」


「――ッ!!」


その言葉が、ラビの琴線に触れた。


「や、やめてよ!!」


彼女は勢いよく立ち上がり、握られた手を振りほどくようにして叫んだ。


「スゥがいなくなったばかりなのに……お爺ちゃんまでいなくなる話なんて、聞きたくない!!」


「ラビ……」


「聞きたくないったら、聞きたくないっ!!」


溢れ出す涙を拭いもせず、彼女は部屋を飛び出した。 玄関の扉がバタンと閉まる音が響く。

ラビは逃げるように家を飛び出し、どこへ行くあてもないまま、村の方角へとひた走っていった。

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