第二十七話:ギルド -The Nexus-
船に乗ってから、二度目の夜が訪れた。 ランプの明かりが揺れる、二人部屋の船室。
「ねぇねぇ、イヴちゃん! 聞いた!?」
シエナはベッドの上でぴょんぴょんと跳ねながら、興奮冷めやらぬ様子でイヴリスに詰め寄った。
「さっきお兄ちゃんが教えてくれたんだけどね、海の上は星がとーっても綺麗なんだって!空ぜんぶが宝石箱みたいなんだって!」
「……ふむ」
本を読んでいたイヴリスは、顔を上げてシエナの輝く瞳を見つめる。
その顔には「連れて行って」と大きく書いてあった。
「……なんじゃ。見に行きたいのか?」
「うん!一緒に行こ!」
待ってましたとばかりに、シエナは弾けるような笑顔で頷く。
そして、返事も待たずにイヴリスの手をギュッと掴んだ。
「え、ちょっ、待てシエナ!我はまだ準備が――」
「行こう行こう!一番乗りだよ!」
シエナはイヴリスの腕をグイグイと引っ張り、勢いよく扉を開け放つ。
「わ、分かった!引っ張るでない!転ぶぞ!」
文句を言いながらも、その足取りは軽い。
二人の少女は夜風が吹き抜ける廊下を駆け抜け、満天の星が待つ甲板へと勢いよく飛び出した。
甲板に出た瞬間、シエナは言葉を失った。 頭上には、今にもこぼれ落ちそうなほどの満天の星々。
「わぁ~! すごーい! 空がぜんぶキラキラしてる……」
シエナは手すりに身を乗り出し、宝石箱のような夜空に目を奪われている。
その瞳の中にも、小さな星空が映り込んでいた。
「……ふむ。確かに」
イヴリスもまた、夜風に銀髪をなびかせながら、どこか懐かしむように空を見上げた。
「地上は変われど、星空とはいつの時代でも変わらず美しいものじゃな……」
その静謐な時間を、静かな足音が共有する。
「君たちも、星を見に来たのか?」
振り返ると、いつの間にかレックスが背後に佇んでいた。
彼は夜空からゆっくりと視線を外し、二人に優しく問いかける。
「そうだよ!」
シエナは満面の笑みで振り返った。
「とっても綺麗だって、お兄ちゃんに教えてもらったんだ!だからイヴちゃんと一緒に見に来たの!」
「そうか。彼の言う通り、見事な眺めだな」
目を細めるレックスに、イヴリスがニヤリと口角を上げ、鋭く切り込む。
「……『君たちも』という事は。おぬしも星を見に来た口か?意外と風流な趣味がある様じゃな」
「ん? あぁ……。『クルルスク』に旅の安全を祈るついでにな」
レックスは夜空を仰ぎ、独り言のように答えた。
「クルルスク……?」
聞き慣れない名前に、シエナが不思議そうに首を傾げる。
「あぁ、そうか。……俺の故郷、ガラルドルフではな、旅に出る時はクルルスクに安全を祈る習慣があるんだ」
彼は懐かしむように目を細め、穏やかな声で語る。
「あの星は決して動かない。だからこそ、迷える旅人を導き、必ず帰るべき場所へ連れ戻してくれる……と信じられているのさ」
「へぇぇ……!」
シエナは感心した声を上げ、きらめく無数の星々を見上げた。
「ねぇねぇ、クルルスクってどの星なの?いっぱいあってわかんないよ」
「ふふっ。あれだ。北の空に浮かぶ、一際明るく輝く一点」
レックスはシエナの視線の高さに合わせて屈み込むと、指先で夜空の一角を指し示した。
「あの揺るがない光が、俺たちを導いてくれる。……エルシルまではもう少し掛かるが、あいつが見守ってくれている限り、道を見失うことはないさ」
レックスが指し示す北の空。 イヴリスとシエナは同時に顔を上げ、その不動の光を見つめた。
「あった!あれだね!」
シエナはひときわ明るい星をすぐに見つけると、小さな両手を胸の前で組み、ギュッと目を閉じて祈りを捧げた。
旅の安全と、みんなの幸せを願って。
しかし、その隣で。
「……?」
イヴリスは怪訝そうに小首を傾げ、目を細めた。
――……なんじゃ、この違和感は?
位置も、輝きも、確かにあれは『クルルスク』で間違いない。
だが、彼女の記憶の欠片が、微かな警鐘を鳴らしている。
――光が……滲んでおる?いや、何かがズレているような……。
彼女は目を凝らし、そのわずかな感覚のズレを読み取ろうとするが、正体は掴めない。
ただ、喉の奥に小骨が刺さったような、漠然とした疑問だけが残った。
「……どうした?」
イヴリスの沈黙を不審に思ったのか、レックスが顔を覗き込む。
「あ、あぁ……いや。少し体が冷えた様じゃ」
彼女は咄嗟に自分の二の腕をさすり、何でもない風を装って誤魔化した。
確信のない不安で、シエナたちを怖がらせるわけにはいかない。
「そうか。確かに夜の海風は冷える。……そろそろ船室に戻るとしよう」
レックスは優しく促し、シエナの背中を押す。
「うん!おやすみなさい、クルルスク様」
彼女は星に手を振り、イヴリスも無言で頷き返す。
三人は夜の甲板に静けさを残し、温かい明かりの漏れる船室へと戻っていった。
頭上では、謎を秘めた導きの星が、ただ静かに海原を見下ろしていた――。
長かった夜が明け、水平線から昇る朝陽が海面を黄金色に染め上げる頃。
一行を乗せた船は、いよいよ目的地である対岸の地――「ザレン」の港へと到着しようとしていた。
「港が見えてきたぞー!!」
マストの上から、見張り番の船員の、力強く喜びに満ちた叫び声が響き渡る。
その声を合図に、船内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
長旅に疲れていた乗客たちが、期待に胸を膨らませて一斉に甲板へと押し寄せ、朝の冷たい空気が一気に熱気を帯びる。
「いよいよ到着か……!あれが、ザレン……」
ヴェルトールは人波をかき分け、手すりに身を乗り出して前を見据えた。
ポルナとはまた違う街並みが、朝霧の向こうにぼんやりと浮かび上がっている。
「どんな街なんだろう?美味しいものはあるかな?どんな人がいるかな?」
イヴリスから課された「マナの認識」という難題は、依然として頭の片隅に重く残っている。
だが、それ以上に……新しい世界への期待と興奮が、彼の胸を高鳴らせていた。
頬を撫でる風には、もう潮の香りだけでなく、陸の土と緑の匂いが混じっていた。
~港町ザレン~
「船長!本当にお世話になりました!」
ヴェルトールは船を降りると、甲板から見下ろす船長に向けて、ありったけの声で感謝を伝えた。
「ははは!礼を言うのはこっちの方だ!」
船長は潮風に焼けた顔をほころばせ、ニッと白い歯を見せる。
「教会の封鎖で腐ってたところに、あんたたちが最高の『追い風』を持ってきてくれたんだ!おかげで久しぶりにいい仕事ができたぜ!ありがとな!」
彼は力強く手を振り、一行の門出を祝った。
「はい!船長さんもお元気で!」
最後の挨拶を交わし、ヴェルトールたちは船着き場を後にする。
足裏に伝わる、ポルナとは違う異国の土の感触。
彼らの足は、期待と不安をない交ぜにしながら、「ザレン」という新しい物語の舞台へと、力強く踏み出していった。
街を彩るのは、潮風に晒されて色がくすんだ灰色の石と、濃い茶色の木材だ。ポルナの眩しい白さとは対照的に、落ち着き、地に着いた色が目に馴染む。
通りを行く人々の数は多くはないが、その足取りには生活の確かなリズムがある。
遠くでロープが軋む音や、誰かの低い話し声が聞こえる程度で、ポルナのような喧騒は、ここザレンにはなかった。
「へぇ……。同じ港町でも、ポルナとは空気がまるで違うんだな」
ヴェルトールは、どこか寂しくも心地よいその静寂を見渡しながら呟く。ここは、静かで実直な営みが息づく街だった。
「ここは観光よりも、実直な『漁業』で成り立っている街だからな」
レックスは、活気はあるが派手さはない街の空気を、そう補足した。
「それと……あそこを見てみろ」
彼が促した視線の先、街の奥まった場所に、明らかに周囲とは異質な存在感を放つ建物が鎮座していた。
潮風に晒された木造家屋や、くすんだ石畳とは一線を画す、まるで小さな城塞のように堅牢で重厚な石造りの館。
その入り口には、武骨な大剣や槍を携えた強面の男たちが立っており、何やら真剣な話をしているようだった。
「あれは……?」
ただならぬ威圧感に、ヴェルトールは目を奪われたまま尋ねた。
「あれは『ギルド』――冒険者ギルドだ」
レックスは落ち着いた声で、道を示すように告げる。
「魔物討伐から護衛まで、あらゆる依頼が集まる場所。……この街に流れてきた腕自慢たちにとっての、最高の稼ぎ場所であり、唯一の拠り所さ」
「あれが、ギルド……。そういえば、ギルドは大きな街にはあるって村長が言ってたけど、ポルナにはなかったよな?」
ヴェルトールは、あの白く輝く平和な街並みを思い出しながら首を傾げた。
同じ港町なのに、漂う空気がまるで違う。
「あぁ。ポルナ近辺は魔物の生息数が極端に少なく、治安も安定しているからな。わざわざ荒くれ者を常駐させるほどの依頼がないんだ」
レックスは淡々と、しかし核心を突くように答える。
「逆に言えば……これだけ立派なギルドがあるということは、それだけ『仕事』が多い……ここが平穏ではない土地だという証拠でもある」
「……なるほど。ギルドがあるのが、いいことばかりじゃないんですね」
「そういうことだ。だから、もしポルナで厄介事が起きれば、こうしてザレンまで直接依頼に来るか、鳩を飛ばして応援を要請することになる」
レックスは石造りの建物を仰ぎ見た。
「ここは、この海域における『守りの要』……。荒事専門の窓口というわけだ」
「へぇ、そうなんですね……」
ヴェルトールは得心がいったように頷き、賑やかな通りと、威圧的なギルドの建物を交互に見比べた。
「ということは……この街の外、近辺はあまり安全じゃないってことですか?」
「あぁ。街の中は、それこそギルドや冒険者がいるから安全だが……一歩外に出れば話は別だ」
レックスは腕を組み、彼方へ視線を投げる。
「ザレン周辺だけでなく、この大陸は比較的強力な魔物が多い。旅人の護衛や討伐のために、どうしてもギルドのような組織が必要になるんだ」
彼はそこで言葉を切り、少し声を低めて付け加えた。
「それに……この一帯に、手つかずの『地下遺跡』がいくつも眠っているのも、理由の一つだな」
「地下遺跡、ですか?」
ヴェルトールは首を傾げる。
古い遺跡があることと、ギルドが必要なこと。その二つがどう結びつくのか、田舎育ちの彼にはまだ想像がつかなかった。
「どうして遺跡があると、ギルドが必要になるんですか?観光地……ってわけじゃないんですよね?」
「……地下遺跡があること、それ自体は必ずしも脅威というわけではない」
レックスは建物を仰ぎ見ながら、言葉を選んで説明を続けた。
「地下遺跡や迷宮のほとんどは、現代よりも遥かに高度な魔法技術を持っていたとされる、『古代文明』の遺構だ」
「古代文明……」
「あぁ。中には、今の技術では再現できない貴重な武具や、失われた知識が眠っていることがある。ギルドはそれを回収・調査するために依頼を出し、冒険者たちを送り込むという寸法さ」
未知の遺跡。失われた秘宝。その言葉の響きに、ヴェルトールの胸が高鳴る。
「なるほど……!なんだか、すごく楽しそうですね!俺もいつか、そんな依頼を受けてみたいな」
そこには、恐怖や使命感とは違う、純粋な「冒険」への憧れが溢れていた。
――ふん。人間どもは、相変わらず古臭いガラクタ漁りが好きじゃのぅ。
横で聞いていたイヴリスが、やれやれと肩をすくめる。
彼女にとっては「懐かしい日常」でも、彼らにとっては「宝の山」なのだ。
「……そうだな」
レックスは彼の気持ちを汲み取りながらも、諭すように優しく答えた。
「その為にはまずエルシルに向かって、皆の安全を考えなければいけないんじゃないか?」
「……確かに。まずはみんなの安全の確保が最優先だな!」
ヴェルトールは逸る気持ちを抑え、自らを戒めるように頷いた。夢を見るのは、家族を守りきってからだ。
「ふむ。……とは言え、あまり気を張りすぎるのも良くないな」
レックスはヴェルトールの肩をポンと軽く叩くと、悪戯っぽく片目をつむって見せる。
「息抜きも必要だ。……今後の参考に、一度ギルドの中を覗いてきたらどうだ?」
それは彼がヴェルトールを信頼し、わずかながらでも彼に休息を与えたいというサインだった。
「えっ!?でも、俺みたいなのが勝手に入っても大丈夫なんですか?」
ヴェルトールは重厚な扉を見つめ、戸惑いを隠せずに尋ねた。並居る冒険者たちの巣窟に、一般人が足を踏み入れて良いものか。
「構わないさ。……各ギルドによって様々なルールがあるが、邪悪なものでなければ、『来るもの拒まず』という共通の『鉄の掟』がある」
レックスは落ち着いた声で答える。
「だから、心配しなくていい」
その言葉が、最後の一押しだった。
「行ってきます!」
ヴェルトールは弾かれたように駆け出した。
重厚な扉の向こうにある『未知』が、彼を呼んでいる気がしたのだ。
「む、待て!また置いていく気か!我も行くぞ!」
「あ、ずるい!私もー!」
慌てて追いかけるイヴリスと、楽しげに続くシエナ。
三人の背中は、まるで新しい遊び場を見つけた子供のように輝いている。
「……やれやれ」
レックスは騒がしく遠ざかる三つの背中を、温かい眼差しで見送ると、ふぁぁ……と顎が外れそうなほど大きな欠伸を一つこぼした。
「元気なことだ」
彼は小さく苦笑すると、喧騒とは反対の方向――静かな木陰を求めて、のんびりと歩き去っていった。




