第十四話:安堵 -Relief-
「滅びの竜と祈りの唄」をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は二話分、一気に公開します!
前回シエナを救ったイヴリス。その後、旅の一行がどうなって行くのか、ぜひお楽しみ下さい!
一方その頃。 闇の中を疾走するレックスは、焦燥に身を焼かれていた。
「くそっ、一体どこへ行ったんだ……!」
鼻を頼りに森を駆けるが、血の匂いは風に散らされ、確信的な場所が掴めない。
苛立ちに奥歯を噛み締めた、その時だった。
―ギャアアアアアアアアアアッ!!!!
夜の静寂をズタズタに引き裂く、この世のものとは思えない不気味な断末魔が響き渡った。
「……っ!?」
レックスは弾かれたように足を止め、反射的に耳をそばだてる。
だが、その絶叫は唐突に始まり、そして不自然なほど唐突に途切れた。後に残ったのは、張り詰めた沈黙だけ。
「なんだ……今の声は?」
ただの悲鳴ではない。魂ごと消滅させられたかのような、生理的な悪寒が背筋を走る。
「何が起きている……」
得体の知れない胸騒ぎ。
レックスは警戒心を最大に高めると、声のした方角へと、慎重かつ迅速に足を向けた。
~盗賊のアジト~
森の奥にひっそりと佇む廃墟。
その入り口に足を踏み入れたレックスは、言葉を失い、絶句した。
「こ、これは……!」
そこに広がっていたのは、戦闘の跡などという生易しいものではなかった。
床、壁、そして天井に至るまで、あちこちに黒々とした「焦げ跡」が残されている。
だが、燃えカスがない。まるで、そこにいたはずの「何か」が、空間ごと抉り取られて消滅したかのような、異様な光景。
そして、その中央には――。
「……一撃か」
唯一残された盗賊らしき男の死体が、腰から真っ二つに両断されて転がっていた。
切断面は恐ろしいほど滑らかで、躊躇いも、抵抗の跡すらも見当たらない。
――……魔物か? いや、あるいは……それ以上の『ナニカ』か?
鼻を刺す硝煙の匂いと、肌を刺す異常に濃い魔力の残滓。
レックスの背筋に、本能的な悪寒が走る。ここで起きたのは戦いではない。一方的な「掃除」だ。
「……っ!いかん、あの子たちが!」
もし、この惨劇を引き起こした「ナニカ」がまだ近くにいて、ヴェルトールたちと鉢合わせたら……。最悪の想像が脳裏をよぎる。
「急がねば……!」
レックスは迷うことなく踵を返すと、全力で来た道を駆け戻った。
パチパチと薪が爆ぜる音だけが、重苦しい沈黙を刻んでいる。
揺らめく焚き火の灯りが、祈るように額を膝に押し付け、小さく震えているヴェルトールを静かに照らし出していた。
「シエナ……」
不安に押しつぶされそうな、弱々しい声が漏れる。
最悪の想像ばかりが頭をよぎり、心が闇に塗りつぶされそうになった、その時。
「お兄ちゃーーん!!」
静寂を切り裂いて、銀鈴のような声が夜の森に響き渡った。
「……っ!?」
ヴェルトールは弾かれたように顔を上げる。幻聴か?いや、違う。
それは、彼の心に最も深く刻まれた、世界で一番愛おしい、無邪気で弾んだ声だ。
「シエナ……ッ!!」
彼は痛む足を引きずりながら、声のした方角を凝視する。
すると、深い闇の向こうから、焚き火の明かりを目指して歩いてくる二つの小さな人影が浮かび上がった。
焚き火の明かりが届く距離まで来ると、シエナは繋いでいたイヴリスの手をパッと離し、大きく手を振った。
「お兄ちゃんっ!!」
彼女は矢のように駆け出し、一目散に兄の元へと飛び込んでいく。
「シエナ……ッ!」
ヴェルトールは脚の激痛も忘れ、よろめきながらも一歩踏み出し、飛び込んできた小さな体をしっかりと受け止めた。
「よかった……! 本当によかった……!!」
腕の中に伝わる確かな体温。
それを感じた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れ、ヴェルトールはその場にへなへなと座り込んでしまった。
「ごめんなさい……。私が勝手に行ったから……」
兄の胸に顔を埋め、シエナが消え入りそうな声で謝る。
だが、その後ろからゆっくりと歩いてきたイヴリスが、腰に手を当てて呆れたように言った。
「ふん。謝る必要などない。……そなたは何も悪い事などしておらぬのじゃからな」
彼女は毅然と言い放ち、ヴェルトールに向かって「そうであろう?」と目で合図を送る。
「うぅ……よかったぁ……。本当によかったですぞぉ……!」
その横では、バデロンが両手で顔を覆い、誰よりも大きな声でズビズビと鼻をすすり上げて号泣していた。
イヴリスは、アジトで繰り広げた惨劇については一切触れず、ただ「シエナを見つけ、盗賊を追い払って連れ戻した」とだけ、淡々とかいつまんで説明した。
「そんなことが……」
ヴェルトールは言葉を失い、隣でバデロンにホットミルクを貰って飲んでいるシエナを見つめる。
彼女は気丈に振る舞っているが、その白い頬には、叩かれた赤みが痛々しく残っていた。それは、一歩間違えば彼女を永遠に失っていたかもしれないという、残酷な事実を静かに物語っている。
「じゃ・か・ら、あの様な手合いに関わるなと言ったのじゃ」
イヴリスは腕を組み、頬を膨らませて不機嫌そうに彼を睨みつけた。
「でもあの時は……。いや、そんなことより、イヴリス!」
ヴェルトールは一度だけ唇を噛み、しかしすぐに顔を上げて、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「な、なんじゃ改まって……」
「本当に、ありがとう!……お前は、俺たち兄妹の命の恩人だ!」
彼は心の底からの感謝を込めて、深く頭を下げた。
「ふん、まったく……手の掛かる兄妹じゃ」
イヴリスはぷいっと視線を逸らし、照れ隠し全開のそっけない口調で吐き捨てた。
だが、会話はそこで終わらなかった。
「それに……」
彼女はモゴモゴと言い淀み、指先でスカートの裾をいじりながら、意を決したように唇を開く。
「た、助け合うのが……その、か、か、か……『家族』というものであろう?」
最後の方は、蚊の鳴くような小さな声だった。
耳まで真っ赤にして俯く彼女の、不器用すぎる優しさ。それは焚き火の暖かさ以上に、ヴェルトールたちの心にじんわりと沁み渡った。
「……ふっ」
「あはは!」
一瞬のきょとんとした沈黙の後。
たまらず吹き出した皆の温かい笑い声が、夜の森に優しく響き渡った。イヴリスは「わ、笑うな!」と抗議しているが、その顔もまんざらではない。
その時、茂みを割ってレックスが風のように駆け戻ってきた。
「二人とも!そうか、無事だったのか……!」
シエナとイヴリスの姿を確認し、彼は心底ホッとしたように膝に手をつく。
「レックスさん!俺たちのために、本当にありがとうございます!」
ヴェルトールは深々と頭を下げた。
出会ったばかりの他人のために、ここまで必死になってくれたことが嬉しかったのだ。だが、レックスの反応は予想外のものだった。
「……?何かあったのか?」
「いや、知り合ったばかりなのに、こんなに親身になってもらって……」
「あぁ、礼ならいい。それより、ヴェルトール」
レックスは彼の言葉を遮り、鬼気迫る真剣な表情で詰め寄った。
「すぐにここを離れるぞ。……あの森には、『得体の知れないナニカ』がいる」
「え……?」
「ただの魔物じゃない。空間ごと削り取るような、破壊の化身だ」
レックスの瞳には、戦士としての純粋な恐怖が宿っていた。
「疲れているところを悪いが、長居は危険だ。少し休憩したら、すぐに発とう」
彼の切迫した言葉に、それまで和やかだった一行の空気が一変し、緊張が走る。
「は、はい……!」
ヴェルトールたちが青ざめて頷く中。唯一事情を知る「破壊の化身」当人――イヴリスだけは、まるで他人事のように、明後日の方向を向いて口笛を吹くフリをするのだった。
「……夜の街道を行くなど自殺行為ですが……。致し方ありませんな」
バデロンは不安に顔を歪めつつも、レックスの鬼気迫る様子に覚悟を決めて頷いた。
「あぁ。俺は夜目が利くし、鼻もいい。周囲の警戒は俺に任せてくれ。心配しなくても大丈夫だ」
レックスがポンと胸を叩き、頼もしく請け負う。
その言葉に全員が安堵し、「さぁ出発だ」と腰を上げた、その時だった。
―ドサッ……!
「……え?」
突然、何の予兆もなく――まるで糸が切れた人形のように、イヴリスがその場に崩れ落ちた。
華奢な体からは想像できない、生々しく鈍い音が響き、彼女の自慢の白銀の髪が無惨に土の上へと広がっていく。
「イ、イヴリス……?」
ピクリとも動かない小さな背中。直前まであんなに偉そうにしていた彼女の、唐突すぎる沈黙だった。
「イヴリスッ!!」
「イヴちゃん!!」
悲鳴のような二人の声が重なった。
全員が弾かれたように駆け寄り、ヴェルトールが倒れた小さな体を抱き起こす。
「……っ!?」
その瞬間、ヴェルトールは愕然とした。
「す、すごい熱だ……!」
まるで火のついた炭を抱いているようだ。 服の上からでも手のひらが焼けるほどの、尋常ではない高熱。彼女の体内にある『冥』の力が、制御を失って暴走しているのだろうか。
「イヴリス!おい、イヴリス!!しっかりしろ!」
ヴェルトールは必死に呼びかけ、体を揺する。だが、ぐったりとした首が力なく揺れるだけ。
閉ざされた瞼はピクリとも動かず、苦しげな浅い呼吸だけが、彼女が生きていることを辛うじて伝えていた。
「くそっ、やっぱり無理をして……!」
自責の念に駆られるヴェルトールに、バデロンが鋭く声を飛ばした。
「ここでじっとしていては危険です!とにかく、すぐに街へ向かいましょう!」
彼は動揺を必死に押し殺し、商人としての判断力でテキパキと指示を出す。
「ポルナへ行けば、優秀な医者も薬もあります!急いで馬車へ!全速力で駆け抜けますぞ!」
―ゴトゴト……ゴトゴト……
車輪が小石を跳ねる音が、静寂に包まれた夜の街道にリズミカルに響く。 バデロンの馬車は、闇を振り払うように港町ポルナを目指してひた走っていた。
荷台の屋根の上では、レックスが鋭い視線で油断なく周囲を警戒している。 ピクリ、と獣の耳が揺れる。
彼の脳裏には、あの廃墟で見た光景――空間ごと削り取られたような虚無の痕跡――が焼き付いて離れない。
あれは魔物か、あるいは厄災か。正体不明の「ナニカ」がまだ近くに潜んでいるかもしれないという恐怖が、歴戦の戦士である彼をして、一睡も許さなかった。
一方、ランプの灯りが揺れる荷台の中では。
「イヴちゃん……」
シエナは高熱に浮かされるイヴリスの手をギュッと握りしめ、祈るようにその寝顔を覗き込んでいた。 ヴェルトールも、濡らした布を彼女の額に当てがいながら、固唾を呑んで見守る。
その時。
「……ぅ、ん……」
苦しげな呼吸の合間に、小さな呻き声が漏れた。
長い睫毛が震え、薄く開かれた瞼の奥で、真紅の瞳がぼんやりと焦点を結ぼうと揺らぐ。
「……ここは、どこじゃ……?」
「イヴちゃんッ!!」
「イヴリス!!」
狭い荷台の中で、弾けるような二人の歓声が重なって響いた。
ヴェルトールとシエナは、涙ぐみながら身を乗り出す。
「……えぇい……」
イヴリスは不快そうに眉間の皺を寄せ、か細い声で呻いた。
「二人揃って、耳元で大きな声を出すでない……。頭が痛うなるわ……」
弱々しくはあるものの、開口一番に出てきたのは文句だった。
だが、そのいつもの憎まれ口こそが、彼女が無事であることの何よりの証明だ。
「はは……。悪かったよ、つい嬉しくてさ」
「よかったぁ……」
その変わらない態度に、二人は顔を見合わせ、肩の力が抜けたように心底からの安堵の表情を浮かべた。
「突然倒れるから、本当に心配したんだぞ。……体、火みたいに熱かったし。一体どうしたんだよ?」
ヴェルトールが心配そうに覗き込むと、イヴリスはバツが悪そうにふいっと視線を逸らした。
「ふん……。大した力も戻っておらぬというのに……少々張り切って、力を使い過ぎただけじゃ」
彼女は自嘲気味に、けれどつまらないことのように吐き捨てる。
「……少し眠れば、すぐに元に戻る。街に向かっておるのだろう?……おぬしらも、今のうちに休んでおけ……」
「おい、イヴリス?」
言い終わるか終わらないかのうちに、彼女の瞼が重く閉じられた。
ヴェルトールの返事を待つ余力さえ残っていなかったのだろう。すぐにすーすーと規則正しい、幼子のような寝息が聞こえ始めた。
「……まったく。張り切りすぎだろ」
ヴェルトールは苦笑し、ずり落ちかけた毛布をそっと彼女の肩まで掛け直してやった。
「ふふっ……。イヴちゃん、いつも通りで安心したね」
シエナは、すーすーと健やかな寝息を立て始めたイヴリスの寝顔を覗き込み、起こさないように声を潜めて笑った。
「あぁ、そうだな……」
ヴェルトールも、傷の痛みと疲労を顔に滲ませながらも、その表情は柔らかく綻んでいる。
全員無事だ。それだけで、痛みなど些細なことに思えた。
「……よし。じゃあ、俺たちも少し休んでおこうか。着くまではまだ少しかかるみたいだしな」
「うん。おやすみなさい、お兄ちゃん」
狭い荷台の中、お互いの体温を分け合うように身を寄せ合う。
ゴトゴトと揺れる馬車のリズムは、まるで傷ついた彼らを癒やすゆりかごのようだった。
やがて、三人の呼吸が重なる。
彼らは泥のように深く、けれどこの上なく安らかな眠りへと落ちていった――。




