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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
覚醒 -The Allegro-

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第十三話:逆鱗 -The Fury-

「み、水も持っていますし……重くて時間がかかっているだけでは……」


バデロンは顔を青ざめさせ、自分に言い聞かせるように震える声で呟く。

だが、イヴリスはそれを一蹴した。


「たわけ!川までは目と鼻の先じゃぞ!いくらなんでも遅すぎる!」


彼女はヴェルトールたちの返事も待たず、弾かれたように川の方角へ飛び出した。


「我が様子を見てくる!」



「お、俺も……っ!」


ヴェルトールは痛む脚を押さえ、立ち上がろうとする。

だが、激痛に膝が折れ、無様に地面へ崩れ落ちた。


「クソッ……動けよ……!」



「……君は無理をするな。傷が開く」


焦るヴェルトールの肩に、レックスがそっと手を置く。


「でも……シエナが……!」


「あぁ。……嫌な予感がする。すぐに確かめる必要があるな」


レックスの瞳が、夜の闇を見通すように鋭く細められる。


「代わりに俺が見てこよう。君は動くんじゃないぞ」


そう言い残すと、彼は疾風のように地を蹴り、先行した銀色の背中を追って闇の中へと走り出した。



「クソッ……!こんな時に……ッ!!」


ドンッ!!


ヴェルトールは拳を握り、力任せに地面を殴りつけた。

誰よりも早く駆け出したかった。誰よりも先に、シエナの元へ行きたかった。

なのに、今の自分はただの重荷でしかない。


遠ざかるレックスの背中が、あっという間に夜の闇に溶けて見えなくなる。

残されたのは、どうしようもない無力感だけ。


「シエナ……ッ!頼む……無事でいてくれ……!」


祈るように絞り出した悲痛な叫びは、誰に届くこともなく、冷たい夜空へと虚しく吸い込まれていった。






「シエナッ!!おい、シエナ!どこにおる!!」


川辺に滑り込むように到着したイヴリスは、静寂を切り裂くように声を張り上げた。

だが、返事はない。焦燥に駆られ、真紅の瞳を凝らして闇夜を睨め回す。


すると、川から少し離れた草むらの中に、明らかな「違和感」を捉えた。


「あれは……!」


月明かりの下、不自然に転がっている木桶。

彼女の心臓が、ドクンと嫌な音を立てる。


「くっ、やはり……杞憂ではなかったか……!」


イヴリスは冷たい汗が頬を伝うのを感じた。




(ちっ、魔力を消耗するが、今はそんな事を言っておる場合ではない!)


イヴリスは唇を噛み、自らに課していた制約を強引にこじ開けた。

少女の小さな背中から、膨大な魔力が噴き出す。


バサァッ!!


大気を引き裂く音と共に、闇そのものを凝縮したような、『漆黒の竜翼』が顕現した。



彼女は翼を力強く羽ばたかせ、一気に夜空へと舞い上がる。

真紅の瞳は淡い光を放ち、その輝きは暗闇を切り裂くかのようだった。


「シエナの魔力は――」


イヴリスは上空で旋回しながら、魔力の流れを読み取るように集中した。


だが、焦りが思考を鈍らせる。


「くっ……!流石に子供の微弱な魔力では……この広範囲から感知するのは困難か……!」


糸のように細い反応が見つからない。

その事実が、彼女の脳裏に最悪の想像――『死』による魔力の消失――をよぎらせる。


「……まさか……!?」


指先が震える。

だが、彼女はブンと激しく頭を振り、その不吉な予感をねじ伏せた。


「いいや、認めぬ!認めぬぞ……!その様な結末など、断じて許さぬ!」




遅れて川辺に滑り込んだレックスは、鋭い視線で周囲を見回した。

だが、そこにシエナの姿はなく、先行したはずのイヴリスの姿すらない。


「……いない?」


眉をひそめた彼の目に、草むらに無造作に転がる桶が飛び込んできた。


「あれは……!」


彼は即座に駆け寄り、その場に片膝をつく。

乱雑に残された複数の男たちの足跡と、抵抗したような小さな足跡。


「……やはり、連れ去られたか」


状況は明白だった。

レックスは鼻をうごめかせ、夜風に含まれるわずかな粒子を探る。

草の匂い、泥の匂い、男たちの汗。そして――。


(……っ!微かだが、この匂いは……血か?)


鉄錆のような不吉な匂いが、彼の鼻を刺激した。

瞬間、レックスの瞳孔が縦に収縮し、理知的な瞳が「獣」の色を帯びる。


「こっちか……!」


彼は地面に鼻を近づけるように姿勢を低くすると、獲物を追う捕食者の動きで、闇の奥へと続く痕跡を辿り始めた。




一方、上空。

眼下に広がる広大な森の闇を睨みつけていたイヴリスの感覚に、微かな反応があった。


「……っ!」


彼女の瞳が微弱な魔力を捉え、大きく見開かれた。


「見つけたぞ!……あれじゃ!!」


イヴリスは夜空を切り裂くように、凄まじい速さでシエナの魔力を感知した方向へと空を翔けて行った。






森の奥深く。蔦に覆われた薄暗い石造りの廃墟。

そこに作られた盗賊のアジトには、焚き火を囲んで酒を煽る、男たちの下卑た笑い声が響いていた。


「頭ぁ、上手くいきやしたねぇ!」


安酒をラッパ飲みしながら、手下の一人がニヤニヤと機嫌を取る。

だが、すぐに不満げな視線を部屋の隅へと向けた。


「でも、こんなガキ一匹攫ってどうするんですかい?」


冷たく湿った石畳の上。

そこには、手足を荒縄で縛られ、気を失ったまま無造作に転がされているシエナの姿があった。


「奴隷商に売るにしても、こんな肉付きの悪い貧弱なガキ、大した金にゃならんでしょう?」


「違いねぇ。飯代がかさむだけだ」


他の盗賊たちも「ハズレくじだ」と言わんばかりに同意する。

すると、頭目と呼ばれた男は、手下の浅はかさを鼻で笑い飛ばした。


「はっ!だからテメェらは万年三下なんだよ!」


「へ?」


「いいか?よぉ~く、このガキのツラを見てみろ……」


頭目はシエナの元へ歩み寄ると、汚れた指先でその白い顎を強引に持ち上げ、月明かりに晒した。


「今はまだ蕾だが、素材は極上だ。こいつぁあと五、六年もしっかり育てりゃあ……とんでもなく『イイ女』に化けると思わねぇか?」


彼はシエナの頬をねっとりと撫で回す。

その口元は、金貨を数える商人のようであり、同時に獲物を味わう獣のような、歪んだ欲望に濡れていた。



「……へぇ。それが何かあるんですかい?」


手下の一人が、間の抜けた顔で首を傾げる。


「ちっ、察しの悪ぃヤツだな……。つまりだ!」


頭目はもどかしそうに舌打ちすると、シエナの頬を指先で弾いた。


「『箔』をつけるんだよ。こいつをどっかのバカな貴族か、高級娼館にでも売りつけりゃあ、今の倍……いや、十倍の金にはなるってこった!」


「じゅ、十倍!?」


「あぁ。それに……へっへっへ」


頭目は下品な舌なめずりをし、粘着質な視線でシエナの全身を舐め回す。


「商品になるその時まで、俺らがじっくり『飼い慣らして』……好きに楽しんでから売り払ったっていい。……どうだ?悪くねぇ話だろ?」



その提案に、手下たちの目が欲望でギラついた。


「なるほど!そりゃあいい!最高だ!」


「さっすが頭!俺らとはデキが違うってなもんだ!」


ドッと沸く歓声。

アジトの中は、彼らの耳障りな高笑いと、酒と脂汗の臭いで充満していた。

無数の欲望に塗れた視線が、物言わぬ少女の肌に這い回る。


そこはまさしく、吐き気を催すような地獄の底だった。





――その時だった。


下卑た笑い声が充満する廃墟の入り口から、場違いなほど静かで、硬質な足音が響いてきた。


コツ……コツ……。


凍てついた石畳を叩くような、冷たく規則正しいリズム。

そこには一切の迷いも、隠れようとする気配もない。


「あぁ?……なんだぁ?」


異変に気づいた盗賊の一人が、酒瓶を片手に怪訝な顔で入り口の暗闇に目を凝らす。

何かが、来る。本能的な寒気が彼の背筋を這い上がった。


コツ……コツ……。


すると、足音と共に、闇の奥から妖しく揺らめく二つの『紅い光』が浮かび上がった。



それは、獲物を見定めた猛獣の眼光のようであり、あるいは、この世ならざる者が抱く、煉獄の炎のようでもあった。

たった二つの光。それだけで、アジトを満たしていた下劣な熱気は一瞬にして凍りつき、死の静寂が支配した。




「ひっ……!?」


盗賊はまるで蛇に睨まれた蛙のように、その紅い光に驚き腰を抜かした。

手から酒瓶が滑り落ち、ガシャンと砕ける音が響く。


「はっ!なにビビッてやがる?」


頭目は手下を鼻で笑い、つまらなそうに酒をあおった。


「あぁん?なんだ、ヤベェお客さんでも迷い込んできたかぁ?」


彼が半笑いで暗闇に視線を向けると、その言葉に呼応するように、カツン、と最後の足音が止まった。


揺らめく松明の明かりの中に、一人の少女が音もなく姿を現す。


豪奢な漆黒のドレス。月光のような銀髪。そして、血のように底知れぬ真紅の瞳。

場違いなほど美しいその少女は、ゴミを見るような冷徹な視線で男たちを見回し、静かに口を開いた。



「……うぬらか、シエナを攫ったのは……」



「はっ!何が出てくるかと思えば!ただのガキじゃねぇか!!」


張り詰めた空気など読めもせず、頭目は椅子にふんぞり返ったまま鼻で笑い飛ばした。

恐怖など微塵もない。あるのは、鴨が葱を背負って来たことへの歓喜だけだ。


「ほぅ……よく見りゃ、こいつも上玉になりそうな嬢ちゃんじゃねぇか!今日はガキどものお陰で、とんでもなくツイてやがるぜ!」


彼はイヴリスを値踏みするようにジロジロと眺めると、手に持った安酒を豪快に仰いだ。

プハァと酒臭い息を吐き、上機嫌で酒瓶を掲げる。


「おいテメェら!そのガキも捕まえろ!さっきのヤツと一緒に縛って繋いどけ!!」


「へへっ……了解でさぁ!」


命令を受けた手下の一人が、腰のロープを手に取り、ニタニタと下卑た笑みを浮かべながら歩み寄る。


「お嬢ちゃ~ん。おとなしくしてりゃ、痛い目に遭わずに済むぜぇ~?」


男は無防備に――あまりに無防備に、その禁断の領域へと足を踏み入れた。

少女が纏う静寂が、嵐の前のそれであるとも気づかずに。





男の指先が、彼女の純白の肌に触れようとした、その刹那。


ザンッ!


漆黒の閃光が、空間ごと断ち切るように奔った。



「薄汚れた手で我に触れるな……下郎」



イヴリスは表情一つ変えず、冷徹な視線で言い放つ。



宙を舞った腕が、主を失ってクルクルと回転し、重く湿った音を立てて冷たい石畳に落ちる。


ボトッ……。


断面から、鮮血が噴水のように吹き上がった。

あまりの早業に、痛みさえ遅れてやってきたのか。

数瞬の呆気にとられた静寂の後、ようやく自分の腕がないことを理解した男が、喉が裂けんばかりの絶叫を上げた。


「あ゛あ゛あ゛ああああああああああああ!!!!」


男は血の海に倒れ込み、芋虫のようにのたうち回る。

その凄惨な光景に、騒がしかったアジトの空気は一瞬にして凍りついた。


「て、テメェ……ッ!!な、何しやがったぁ!!!」


頭目は椅子を蹴倒して立ち上がり、裏返った声で喚き散らした。

彼は、目の前の少女が、なぜ一瞬で男の腕を切断できたのか、理解が追いついていなかった。



「何をした……じゃと?」


真紅の瞳が、射貫くように頭目を捉える。


「……うぬらこそ、何をしてくれた」


空気が唸りを上げる。

彼女の体から溢れ出る膨大な魔力の余波で、風もないのに白銀の髪がふわりと舞い上がった。


「ヴェルトールに続き……あまつさえ、幼きシエナをも手にかけ、傷つけたか……!」


彼女の視線が、頭目の脇で震えている別の盗賊へと滑る。



「万死に値する」



宣告と同時。


ボッ!!


「ぎゃああああああああああああああああ!!!」


何の前触れもなく、男の体が漆黒の炎に包まれた。熱さに悶える暇すらない。

漆黒の劫火は瞬く間に男の肉体を、骨を、そして絶叫さえも飲み込み、咀嚼していく。


数瞬後。そこに残ったのは、男が立っていた場所にこびりついた、黒い焦げ跡だけだった。



目の前の焦げ付いた痕跡と、それを為した少女の冷たい瞳。

交互に見つめる頭目の理性が、恐怖で焼き切れた。


「ひっ、う、うわぁぁぁぁッ!!て、テメェら!何ボケっと突っ立ってやがる!やれっ!そんなガキ、一斉にかかってぶっ殺しちまえぇ!!!」


頭目の怒号が、凍りついていた彼らの体を無理やり動かす。

恐怖に顔を引きつらせ、盗賊たちは堰を切ったように一斉にイヴリスへと飛びかかった。


「う、うぉぉぉぉッ!死ねぇぇぇッ!!」


だが――。


少女は、動かない。

迫りくる刃、殺気、怒号。

その全てが、彼女にとっては道端の羽虫の羽音ほどにも感じられないのか。

ただ静かに、そこに佇んでいた。


「……蜉蝣(かげろう)の如き刹那の生しか持たぬ分際で、自ら無為な死を選ぶか」


彼女は、誰に聞かせるでもなく静かにそう呟いた。



言葉が落ちた、その瞬間。


少女の小さな背中から、先程とは比較にならぬほど濃密な『黒』が噴き出す。

それは渦を巻き、光を呑み込み、先の翼より一回り大きな『漆黒の竜翼』となって顕現した。


「な、なんだよ、あれ……!」

「ばば、バケモンだ……!」


目の前に広がる漆黒の翼。

その圧倒的な威圧感に、盗賊たちの思考は恐怖で真っ白に染まり、足が縫い止められる。

逃げなければ。本能がそう警鐘を鳴らすが、時すでに遅し。

彼らに逃げ出す暇など、最初から与えられてはいなかった。



イヴリスはその場から一歩も動かず、ただ、静かに両手を掲げた。

彼女の掌から漆黒の炎が奔流となって迸る。


それは、見る者の魂を凍てつかせるような絶望の色。


ゴオオオオオッ!!


黒炎は獲物を貪り食う飢えた獣のようにうねり、悲鳴を上げる間もなく盗賊たちを呑み込んだ。


「ぎゃ、あ……!?」

「熱い!あつ……!」


断末魔は一瞬で途切れる。抵抗など無意味。

触れた端から肉体は崩れ去り、骨は塵となり――灰すら残さず、その汚れた存在ごと一瞬で世界から消し去られていった。



二十人はいたであろう盗賊たちは、漆黒の炎に巻かれ、闇に溶けるように次々と黒い靄と化した。

悲鳴すら残らない。彼らは最初から存在しなかったかのように、夜の闇へと霧散していった。



「う、うわぁぁぁぁ!!」


炎を免れた最後の一人が、恐怖で理性を失い、半狂乱でイヴリスに飛びかかった。

だが、彼女はそれを冷ややかに見つめ、その白い手を水平に一閃する。


スッ。


風を切る音すらしない、あまりに静かな一撃。

男の動きが止まる。


「あ……?」


上半身が重力に従って滑り落ち、腰から下が遅れて崩れ落ちる。

切断面から噴き出す鮮血。

イヴリスは顔色一つ変えず、指先についた血を無造作に振り払った。


「ふん、他愛のない」


彼女は足元に転がる肉塊を一瞥もしない。

そこにあるのがただの「塵」であるかのように跨ぎ越すと、残された最後の獲物へ向かって歩き出した。


コツ……コツ……。


凍りついた静寂の中、死刑執行の足音だけが、頭目に向かって近づいていく。




「ひ、ひぃぃッ!ま、待ってくれ!おおおお、俺が悪かった!!金ならある!全部やるから!!」


頭目は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、失禁しながら無様に後ずさる。

迫りくる死の影に、プライドも何もかもかなぐり捨てて、彼は部屋の隅を指差した。


「も、もちろん、そのガキは返す!傷ひとつ付けちゃいねぇ!だから命だけは許してくれよ!!な?な!?」


彼は意識もなく転がされているシエナを、まるで命惜しさに差し出す「荷物」か何かのように指差し、地面に額を擦り付けた。



すると、イヴリスは頭目の耳障りで哀れな懇願を無視し、ただ冷たく、氷点下の瞳で見下ろした。



「……我の逆鱗(さかさうろこ)に触れたのだ――」



宣告と共に、彼女の手から漆黒の闇が溢れ出し、頭目の身体を絡め取る。



「――苦痛と共に、魂ごと滅せよ」



「そ、そん――」


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


夜空を引き裂くような絶叫が、廃墟に響き渡った。

だが、それも一瞬のこと。黒き炎は彼の肉体はおろか、その絶叫さえも瞬く間に呑み込み、この世から消し去った。


あとには、不気味なほどの静寂だけが残されていた。







「……ん……」


微睡みから覚めたばかりのぼんやりとした意識で、シエナは静かに目を開く。

体全体がゆらゆらと、ゆりかごのように優しく揺れていることに気づいた。

頬に触れる華奢な背中の感触と、ほのかに甘い香り。


「……起きたか」


聞こえてきたのは、安堵に満ちた優しい響きだった。


「ふふっ。こんな時間に寝ると、夜にしっかり眠れぬぞ?」


イヴリスはそう軽口を叩くが、その足取りは少しだけたどたどしい。

自分と変わらない体格のシエナをおんぶしているのだ、重くないはずがない。



「……あれ?イヴちゃん……?どうして……」


揺れる視界の中で、シエナはまだぼーっとしたまま、不思議そうに問いかける。


「……なに、そなたが迷子になって、そのまま眠りこけておったから、迎えに来てやっただけじゃ」


イヴリスはそっけない口調で嘘をつく。



「ん~……っ!流石に疲れたわ!」


そう言いながら、彼女はシエナをそっと降ろす。

そして身軽になった瞬間、大げさに肩を回してポキポキと鳴らしてみせた。


「ほれ、もう目も覚めたであろう?ここからは自分の足で歩くがよい」




「……っ!そうだ……!」


シエナはハッとして、自分の頬に手を当てた。


「私、知らないおじさんにぶたれて……それで……」


あの時の恐怖がありありと蘇り、彼女の顔が歪む。



瞳から大粒の涙が溢れ出しそうになった、その時。


「…………」


イヴリスは何も言わず、震えるシエナの体をギュッと優しく抱き寄せた。


「イヴ、ちゃん……?」


「大丈夫。……もう、大丈夫じゃ」


耳元で囁かれる声は、どこまでも穏やかで、力強い。

彼女はシエナの背中をポンポンとあやすように叩き、言い聞かせる。


「あやつは、我が二度とそなたに近づけぬ様……たっぷりと『懲らしめて』おいた。じゃから、もう何も怖がる事などない」


彼女は指先でシエナの目尻に浮かんだ涙をそっと拭うと、またゆっくりと歩き出した。



「……そうなの?なんだかよくわからないけど……」


シエナは小首を傾げる。


邪竜の言う「懲らしめた」の真意など、幼い彼女には想像もつかないだろう。

けれど、イヴリスの優しい瞳が、嘘ではないことだけはわかった。


「ありがとう、イヴちゃん!」


シエナは太陽のような笑顔を咲かせると、タタッと駆け寄ってイヴリスの小さな手をギュッと握りしめた。


「……っ」


突然の体温に、イヴリスは少しだけ肩を震わせ、戸惑うように視線を泳がせる。

だが、振りほどくことはしなかった。


(……温かいな。)


彼女は口元を緩めると、優しく、そっとその手を握り返す。


「……行くぞ」


「うん!」


暗い夜道も、もう怖くはない。

二人はしっかりと手を繋ぎ、大切な家族たちが待つ焚き火の明かりを目指して、並んで歩き出した。

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