第38話 蛍
一〇三〇、「飛龍」から友永丈一大尉に率いられた第二波攻撃隊が発艦していった。
零戦6機、九七艦攻10機の16機だった。第一波攻撃隊が飛び立って2時間半後である。
ミッドウェイ空襲から帰投してきた攻撃隊を収容し、米爆撃隊の来襲を避けて補給修理のうえ、800kgもある魚雷を再装填しての発艦である。「赤城」「加賀」ほど広くない格納庫や飛行甲板の「飛龍」で、そうした作業に邁進したのである。
時刻だけ見ていてもわからないことがある。しかしこういえばどうだろうか。
第二波攻撃隊が飛び立ったとき、まだ第一波攻撃隊は帰還していなかったと。
そしてこの攻撃隊を支援した第八戦隊の行動もまた素早かった。
一〇一五、――第二波攻撃隊発艦の15分前――には「霧島」「榛名」「利根」「筑摩」から索敵機が放たれていたのだから。しかし攻撃隊を誘導することまではできなかった。
だが日本の兵たちは優秀だった。実によく困苦に耐えて戦っている。指揮官が逡巡や躊躇さえしなければ、実に精強だったのである。与えられるべきものが与えられれば、砲手は百発百中の腕を鼓舞でき、見張り員は昼でも星が見えるほどの鍛錬を積んでいたのだから。
こうして第二波攻撃隊は自力で敵空母を発見すると、F4F戦闘機16機の迎撃を蹴散らし、凄まじい対空砲火のただなかへと踊りこんでいったのだ。
「左右から挟撃する。突入隊形をつくれ!」
友永機から指示が下され、雷撃隊は横転して分かれていった。
空いっぱいに対空砲の黒雲が湧きあがる。機銃の曳光弾が火矢のごとく紅蓮の炎を引きながら撃ちかかってくる。
少しでも敵の火箭を弱めようと、零戦隊も銃座に機銃掃射を加えようと突入してゆく。
いきなり火球が膨らんだあと海面に突っ込んだ機があった。対空砲の直撃を受けたのか、翼をもぎ取られ落ち葉のようにくるくると落ちていく機があった。
「射点まであと少し……頼む持ちこたえてくれ!」
すでに銃弾や破片を浴びている瀕死の機体を駆って、祈るような気持ちで安定を保とうとする。
まるで呼吸をあわせたかのように、一斉に魚雷が放たれた。
米空母も両側から迫りくる幾筋もの蒼白い雷跡から、白波を立ながら身をよじるように回避しようと懸命だ。しかし万死を覚悟して至近から放たれた鋼の鉄拳を避けることはできなかった。
米空母は轟音を響かせたあと巨大なキノコ雲を沖天まで噴き上げると、左に傾斜して速力を失った。
「これで2隻目だ……」
黎明とともに行われたミッドウェイ空襲に、友永機の偵察員としてに参加していた橋本中尉は、いまは別の機から戦果を確認していた。彼は突入しながら目の端に捉えた、黄色く塗られた尾翼をもう見ることができないことを知っていた。
第二波攻撃隊は指揮官の友永丈一大尉を含む零戦3機、艦攻5機――出撃した半数――とその搭乗員を失ったのである。
「飛龍」に帰還した橋本は司令部の面々に友永機の行方について聞かれたとき、
「魚雷を発射したまでは確認したが、その後は吸い込まれるように姿を消しました。恐らくは――」
と答えた。
劇的な最期と思える場面を美化する人は多い。だがそれは歴史を歪めてしまう。友永大尉は帰らぬ人となったのだろうし、尊い命の灯を海に散らしたのであろう。しかし戦いに死んでいった男たちの価値に変わりなどありはしない。否、比べることさえできないのだ。
だから、
「恐らくは――」
その先は一人一人が胸のうちで呟くべきではないだろうか。
第一波、第二波の攻撃に参加して帰還してきた搭乗員の口々から、状況を耳にした山口は艦橋に立っていた。
見るも無残に銃砲弾の破片と弾痕に傷つき、使用不能と判断された機もあった。ほとんどの機は修理が必要だった。だがこのときすでに第三波攻撃隊の発進は決せられていた。
「飛龍」に残った兵力は戦闘機6機、爆撃機5機、雷撃機4機、これに十三試艦爆1機を加えた16機だった。
いかに見敵必戦に生きる猛将の山口といえども、さすがに心もとなさを感じたのである。
この戦力での昼間攻撃は無謀にすぎる。ここは一旦体制を整えたうえで薄暮攻撃とするしかあるまい。それに早朝から働きつづけてきた兵員たちも少しは休ませてやりたい。
山口の温情ともいえる決定はすでになされていた。
第二波攻撃隊が16機だったのだから、第三波もすぐに出せたはずだ。そうすれば……という向きもあろう。だがそれでいいのだろうか。鋼の激突に情など介在する余地はないといってきた。しかし峻厳なまでに冷酷非情になってしまったなら、それはもはや機械であり悪魔それ自体になり果てることにはなるまいか。
三本勝負のうち、二本に勝ったとしたなら満足すべきではないだろうか。野球など四割を打てば偉大と呼ばれているではないか。だが戦争の歯車に飲み込まれたとき、その人情や温情すら悲壮感や忸怩たる悔悟、あるいは慚愧の念といった心情を呼び起こしてしまうのではないだろうか。
日本人は民族として侘び寂びを慈しんできた。それゆえ悲壮感に染まりやすいのだ。米人を見よ! あの陽気さを! というのかもしれない。しかしそれはあくまでも日本人からみた米人像であり、彼らの側に立てばやはりそこには絶望も悲哀もあるのではあるまいか。
山口は艦橋に立ってもの思いに耽っていた。
兵たちは朝からろくに食事すらとっていない。しかしふとした合間ができたなら、搭乗員たちはきっと次々に斃れていった戦友の声が耳奥に蘇ってきて、食事も喉を通らないだろうことを知っていた。
彼がそれを痛感させられたのは真珠湾作戦の後だった。
わが方は勝利しているというのに、どうしようもなく沈鬱としていたあの空気。
山口は九九艦爆を操縦し第二次攻撃隊員として作戦に参加し、自爆して散った清村の遺書が声となって蘇ってくるのを耳奥で聞いていた。
真に生命を愛する者こそ真の勇者である。
生命を愛するということは、死にたくないという事とは、大いに意味が違う。
無為な長生きをするという事ではない。
いかにしてこの命を捨てたら、二度と抱きしめることのできない生命を意義あらしめるか。価値あらしめるか。捨てる刹那に鏘然と、この世に意義ある生命の光芒を曳くか。
問題はそこにある。何千何万という悠久な日月の流れのなかに、人間一生の七十年や八十年は、まるで一瞬でしかない。
たとえ二十歳を出でずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った生命こそ、ほんとうの長命というものであろう。また、ほんとうに生命を愛した者というべきである……。
「意義ある生命の光芒か――」
「なにかいいましたか?」
艦長の加来が山口の呟きを耳にして問いかけた。
「いいや、何でもないんだよ。ただね、蛍を思いだしてね」
「蛍ですか」
「飛龍」の艦橋にある窓から、初夏の風わたる太平洋に降りそそぐ、いまだ夕暮れ遠き太陽が見えていた。
山口は思っていた。
この戦いがすんだら、蛍になって孝子のもとへ帰ろう――。




