第一話:進路と空とミサンガと
四限のチャイムが鳴った瞬間、俺の腹も「ぐぅ」と鳴いた。
「飯だ飯ー!」
そう叫んで、俺――スグルは、アキとテッペイ、ハルヒト、ハルマ、それにフユキを引き連れてランチルームへ向かう。今日はユノも来るのかなと思いながら、どこか落ち着かない気持ちで早歩きした。
案の定、ランチルームには女子グループが先に陣取ってた。カエデが一番奥の席で小さく手を振ってて、隣にはニコと、ユノがいた。
「隣、いいか?」
息を吐くように俺が聞くと、ユノは少し驚いたように目を見開いたあと、控えめに頷いた。
昼飯の間、男子と女子が自然と一緒になって、何となく和気藹々とした空気が流れる。いつもより、心なしかユノがよく笑ってて、それだけで今日の俺は勝ち組だと思った。
そんな呑気なことを考えているのも束の間、俺の耳には小声の冷やかしがかけられる。
「ユノちゃんにはいつ告んの?」
突然、ハルマがそんなことを言い出した。
「うるせーな黙ってろよ」
思わず言い返してしまったが、顔が熱くなるのが自分でもわかる。なぜユノが近くにいる今、そんなことを聞くのか。やっぱりこのハルマという男は嫌がらせが得意だった。ちらっとユノの顔を盗み見たら、彼女はただ隣のニコやカエデと楽しそうに談笑しているだけだった。聞こえていないようで、ほっとする。
「五限なんだっけ?」
そんな俺の安堵も他所に、ニコが口火を切って、授業の話に流れていく。
「進路のやつじゃね?」とハルヒト。
ハルヒトの言う進路のやつとは、高校三年生にのみ設けられている進路説明会のようなものだ。もう5月下旬に差し掛かっており、俺たちはそろそろ自分の将来について考えなければならない。
「みんな、もう進路とか決めたの?」
カエデが聞いて、ここから自然と未来の話が始まった。
皆が自分の将来について語る。
「私は、もう一回、空を見たい」
みんなの未来話中も黙食を貫いていた俺だが、ユノのその一言で、思わず手が止まった。空? 空なんて、地上へ出ればいくらでも見られるはずだろ。でも、その言葉には、どうしようもない“願い”のようなものが込められている気がして――俺は無意識に耳を澄ませてた。
「私ね、地上に出た時のあの開放感?なんていうの、あー、世界って広いなあ、みたいな。そう言うのがめっちゃ好きなんだよね」
何をポエミーなことを、と俺は内心で突っ込んだが、この場にいる誰一人として、ユノの夢を否定する者はいなかった。それは、皆が普段から彼女の人間性を知っているからなのだろう。ユノとは、そういう愛されキャラなのだ。
「スグルくんは、そのミサンガに将来が詰まってんだもんね〜」
再度唐突なハルマの声で我に返る。俺は思わず口に含んだ水を吹き出しそうになった。しかしそんな俺の動揺も無視して、ハルマは俺の左手首を指差した。全くこいつは、恋する男の気持ちがわからないのか。
そんなふうに軽蔑する視線を送ると、ハルマの笑みはさらに意地の悪いものへと変わっていき、次なる言葉を紡いだ。
「どんな願いごとしてるんですかー?」
「はあ?」
反射的に言い返すと、視線が自然とユノの方へ向いた。彼女は、右手首を押さえ、顔を赤らめて下を向いてる。
なんだこの空気、めちゃくちゃ恥ずかしい。
からかうような微笑ましく感じているかのような笑いが広がり、あたかも新婚カップルを応援するかのような空気が流れた。だからまだ付き合ってないって。
そんな空気の中で、俺のやめてほしいという気持ちを察したかのようなタイミングで、ニコが話を切り替えた。きっと、ニコ自身は何も考えていないのだと思うが。
「あたしは美容系の専門学校行きたいな〜」
それに対してアキが、「お前っぽいな。テッペイはやっぱヤクザだろ?」と冗談を飛ばす。
「え、俺そんなふうに見える?」
とテッペイが妙に嬉しそうに言ったのが可笑しくて、俺たちはまた笑った。
ただなんとなく、俺はこの平和が続いてほしいと思った。
「フユキは医者だっけか?」
アキが、次はフユキに話を振った。
「ああ、父さんの後を継ぐためにな」
「あんな毒親の言うこと聞く必要ねえのに」とアキは言う。
俺はフユキの家庭事情についてあまり深く知らないが、父親が厳しいというのは、以前から聞いていた。
そのせいもあってだろう。フユキは俺たちの中で一番真面目だ。
このあとも、将来話は絶えることなく続いた。
そんなこんなで昼休みも終盤。俺たちは食べ終え、教室へ戻る準備を始めた。
階段を登りかかった時、ふと、俺は最後尾のよろつきながら歩くカエデに気づいた。
どうやら、様子がおかしいようだった。
「なんか体調悪そうだけど、平気か?」
俺は先に階段を上るみんなをほったらかし、カエデに聞く。
「うん、大丈夫。ちょっと気持ち悪いだけ」
カエデは確かに答えたが、その答えは小さくて頼りなくて、少し心配になる。
「空見たいんだったらさ、今日みんなで地上のカフェ行かない?」
そんな俺とカエデの頭上で、ニコの華やかな声がかかった。
ニコの提案に、みんなの顔がぱっと明るくなった。
「ごめん、俺許可証持ってないや」
とミオトが言った途端、ニコが「えー。んもー、引っ越した後すぐもらっときゃ良かったのに」と肩をすくめた。
俺はカエデは大丈夫かと、彼女の顔を伺おうとしたが、そうする前に彼女はニコに答えた。
「ごめん私も、今日体調悪くて、遠慮しとく」
「えっまじだいじょぶ……?じゃあまたみんなで行ける日にしよ!」
ニコはそう返し、俺はニコが友達のことを考えられるいいやつでよかったと思った。
結局、今日の地上カフェ案は流れてしまった。
教室へ着くころには、眠気が急に襲ってきて、俺は机に突っ伏さざるを得なかった。
そうした途端、更に眠気が増し、一度目を閉じたらそのまま開くことはなかった。
頭の中に浮かんでいたのは、ユノの言った「空」のことと、手首に巻かれたこのミサンガのこと。
無意識に、左手首を触れる。
ほんの少しだけ、あの子の右手首と重なっている気がして――俺は夢の中へ沈んでいった。




