21・5夜の距離感①
「なんだよ、飲み友達って」
部屋に入り扉を閉めたかと思うと、木崎のムスタファが自嘲した。
「私もツッコミを入れるところだった」
「お前のアホが伝染った」
「自前でしょ」
「うるせえ」
やれやれとムスタファは袋をベッドに置いて、勝手に円卓をそのそばに運ぶ。
こちらに背を向けたまま、
「お前が焦らせるからだ、このアホンダラが」
と言った。
「宮本がこんな時間に近衛と一緒にいたら、また被害にあったのかと思うだろうが」
「……そこは『デートだな』と察するところでしょ」
「喪女が何を言っている」
木崎はサクサク卓上に袋の中身を出すと、タンブラーにワインを注いでひとのベッドにドカリと座った。だけど優雅に長い足を組む。木崎なのか、王子なのか、どちらなのだ。
「だが宮本とは思えない早業だな。こんなに早く相談に持ち込むなんて」
ムスタファの斜め前でランプの灯りが揺れている。
「偶然だよ私の頑張りとは言えない」
「殊勝な宮本なんて気持ち悪い」
「これ、場所を変える?」
ランプを手にする。
「構わん。そのくらいは問題ない」
「そう」
手を離して代わりにタンブラーを取って、ムスタファのとなりに座る。
「いただくね」
「そもそもこの世界に、飲み友達という概念はあるのか」
木崎が眉間にシワを寄せている。
「知るか!」
「ないと余計に誤解をさせているかもしれないぞ」
「そうか。よくも下手打ってくれたな!」
「で? 夜に二人きりで会って、進展したのか」
取り敢えず聞こえなかったふりをして、ワインを飲む。
「さすが喪女、せっかくの機会を活かせない」
「頭をポンはしてもらった!」
「またそれか? あのムッツリはバカのひとつ覚えか」
「ムッツリじゃない。ストイック。いいの、私は嬉しいから」
「ポンぐらい」そう言った木崎は私の頭に手を置いた。「俺でもできる」
「やめてよ、カールハインツにしてもらったばかりなんだから」
というか、木崎だって黙っていたら美男のムスタファなんだから、喪女だと思うなら気軽に触らないでほしい。ほのかに良い香りとかしているし。
手を振り払おうとして。突然木崎は私の頭をもじゃもじゃとかき回した。
「ひどい!」
「知るか」
タンブラーを置いて、乱れた髪を撫で付ける。
「木崎って小学生のときに絶対いじめっこだったでしょう!」
「もちろん俺は優等生」
「嘘つけ!」
「事実だぞ。勉強も体育も得意で、地元のサッカーチームでは常にエースストライカー。教師、保護者からは絶大な信頼を得ていた」
「常に? 低学年から?」
「そ。強豪クラブで二学年ごとにクラスが別れててな。四年のときには既に高学年チームに飛び級」
なんて奴だ。木崎には他人より秀でている歴史しかないのか。腹が立つ。
「あれ。それならなんで高校は陸上をやっていたの?」
「性格がチームプレーに向いてなかった。んで、中学に入ったときに陸上に転向」
思わず吹き出した。
「すごく納得!」
「陸上でも才能があったんだから、俺って凄いよな」
うんうんと頷くムスタファ。
「お前は頑張りが足りねえんじゃないのか? なんで進展しねえの? 綾瀬を見習ったら?」
「いきなり話を戻さないで」
げしっと王子の足を蹴る。
「だってお前、本気でカールハインツを攻略する気があるのか? 時間がないんだろ? もう諦めたら?」
「……お説教は嬉しくない」
ムスタファは澄ました顔でワインを飲んでいる。
「……だってよく考えたらこの作戦、綾瀬をダシにしてカールハインツとの距離を縮めるってことじゃない。それは綾瀬に悪いから」
「気づいていなかったのか。バカじゃねえの。第一、そんなの恋愛の常套手段だ」
「気づいていたなら教えてよ。喪女喪女バカにするなら、アドバイスくらいくれてもいいじゃない」
「お前にしてはこズルい策をとるな、とは思った」
木崎は最初から気づいていた。となるとやっぱり経験の差なのかな。
「お前が華麗にハピエンを決めるから見てろって啖呵を切ったんじゃねえか」
「……だってこんなにゲーム通りにいかないとは思わなかったから」
「予定通りに行かねえのなんて、仕事じゃよくあることだっただろ」
「仕事ならね。幾らでも対処できる」
「そうだな。喪女にリアルな恋愛ができるはずがない」
「断定するのはやめてくれる?」
ふう、となぜかムスタファがため息をついた。
「ヨナスの提案。俺がカールハインツにお前と交際するように命じる。あいつは忠誠心の塊だから、王子命令を断れない。どうだ?」
「……それはまた、斜め上な作戦だね」
「どうする、やるか?」
「バッドエンドまっしぐらの未来しか見えないよ」
「だよな」
「でもお付き合いできるのは、結構惹かれる」
「惹かれるのかよ」
「いいでしょ、そのくらい」
「ところでお前、給与明細ってもらってんのか」
「話が変わりすぎ! 何、給与明細?」
そう、と木崎。
急展開にもほどがある。
「あと、返金している服飾費の明細」
木崎の口調は大真面目だ。
「あるよ」
そう言って立ち上がり、衣裳箪笥の引き出しを開ける。何でもここにしまってある。どうせスカスカなのだ。
「父親に突撃質問に行ったら、最悪の場合、俺の処遇が悪くなる。その前に解決できることはしておく」
ぴたり、と動きが止まる。聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「そんな可能性があるの?」
「以前突撃したときの感触だとな」
見せろ、とムスタファが手を伸ばす。
「解決って。確かに天引き八割は大きいけど、問題はないし納得しているよ」
給与明細には天引きの内訳が明記されているし、服飾費の明細には各品の金額と合計、返済計画が詳細に書かれている。
木崎は黙ってそれに目を通していたが、
「やべえ!」
と叫んで、後ろにバタンと倒れた。
「どうしたの!?」
急な発作なのか。慌てて顔を覗き込む。
「服の適正価格が分からねえ! バカじゃん、俺」
何で気づかなかった、としきりに木崎は自分を詰っている。
「完全に宮本のアホが伝染った」
「失礼だな」
発作ではなさそうなので、手から明細を抜き取って、後はほうっておくことにする。
「まさか金額が誤魔化されていると思ったの? そんなことはしないでしょ」
「自分の目で確認する。基本だろ?」
ムスタファ王子は大きなため息をつくと起き上がった。
「木崎の記憶が甦って、自分を常識人だと思い込んでいた。よく考えたら自分の着ている服の値段も知らない、世間知らずだ。俺も、お前も」
「私? 私は荒波に揉まれて生きてきたけど?」
「小耳に挟んだぞ。お前、給料全額を孤児院に渡しているって。一般的じゃないって、分かってんのか」
そんなことをどこから聞いたんだろう。って、今日の執事か。私がメイドと話していたときだろう。
「今は違うよ。小物を買わなければならないから、貯めているの」
「二割のうち、どれだけ渡している?」
しつこいなあ。誤魔化すか迷ったものの、王子が調べる気になればすぐに分かるのだろうと、諦めた。
「貯金が四分の一。あとが仕送り」
「送りすぎ」
「卒業生はみんなそう。少しずつ仕送りするの。そうでないと資金が足りないから」
私のいた孤児院は公営だったけど、運営費はあまり貰えていなかった。院長の話だと昔はそうでもなかったのだけど、徐々にカットされていき、役所に掛け合ってもどこの公営施設も同じ状況だからと取り合ってもらえなくなった。民間からの寄付で遣り繰りしていたけど、数年前からの不況でそれも激減している。
ムスタファには以前にここまでは話した。だけど仕送りのことは明かさなかった。今現在も苦労していると知られたくなかったのだ。
「宮本」木崎はそう言って立ったままだった私の腕を掴んで、となりに座らせた。
「お前が向こう一年仕送りする予定額を、代わりに俺が寄付する」
「嫌だよ――」
「聞け。その一年の間に必ず国費から必要額が全て出るよう、俺が改善する。お前はそれを手伝え。役人が納得せざるを得ない資料を作るんだ。宮本の得意分野だろ? 寄付はお前への報酬。先払いだ」
侍女の仕事と両立できるようスケジュールを組む、本格始動はゲーム終了後。多少は今ある噂に拍車がかかるかもしれないけど配慮はする。
木崎は思いつきで話しているのではない。最初からこの話を持ちかけに来たのだ。
直感でそう思った。
今日は自分自身の考えるべきことが、沢山あるだろうに。
「ま、処遇が悪くなったら予定変更だけどな」と木崎。「……シュヴァルツとハピエンしてたら、俺があいつを説得するし」
「……もしかしてムスタファ王子は木崎じゃないのかな」
「は?」
「だって木崎が私に配慮するっておかしいじゃない」
なんだかたまらなくなって、顔を見ていられなくなった。近衛と一緒にいるのを見て心配したり。助けの手を差し伸べたり。どれだけかつてのライバルを案じてくれているのだ。
こてんと王子の肩に額をつけて、自分の顔を隠す。
「ありがと。その案に乗らせてもらう」
「よし。契約成立な。分かっているよな、口約束でも契約は成立してるぞ。お前が履行しなかったら、報酬分をきっちり取り立てるからな」
「……それって前世の法律じゃない?」
「今世もそうなんだよっ」
木崎の言葉は乱暴なのに、なぜか頭を優しく撫でられた。




