21・6夜の距離感②
気分が落ち着いたら恥ずかしくなってきた。というか、落ち着いたはずが、そわそわしてきた。頭を撫でる手が優しすぎる。
どうしようと思考がぐるぐる空回りして。
ドンと両手で王子を突き飛ばした。
「何をすんだよ!」
よろけるムスタファ。
「無頓着だった!」
「今さらかよ」
木崎が呆れたように言う。
額の汗を拭うふりをする。
「全く。油断ならないな、木崎は」
「そのセリフ、確実におかしいだろうが」
木崎はぶつぶつ文句を言いながら、卓上のワインを取って優雅に飲む。私もそれに倣う。アルコールが喉を通り、少しだけ平静を取り戻した。
「予定が詰まってるんだよ」と木崎。「孤児院に行けるのは来週だな」
「え、行くの?」
「行きたくねえはなしだぞ。仕送りを止めるんだ、説明が必要だろ」
「やっぱり木崎じゃないでしょ?」
「木崎だよ! お前の黒歴史を列挙してやろうか?」
やいやいと言い合って、これはやっぱり木崎だと確信した。どうして他人の失敗の数々をきっちり覚えているのだ、この嫌味な男は。
それもひと区切りがつくと、
「やっぱり優先順位的には、孤児院、父親だな」とムスタファ。
「それでいいの? 夫人の話は予想外だったし、元々は今日にでも陛下に尋ねたかったのでしょう?」
「そうだが魔王化や討伐が目前って訳じゃねえだろ。急ぐ必要はねえよ。――なんだっけな。オーギュストの父親と雑談していたときに、一度聞いた。のぶなんとか。持てる者の義務ってやつ」
「ノブレス・オブリージュだね」
乙女ゲーム好きが高じて覚えた単語のひとつだ。
「そうそれ。王子なんだから下々のために働かないとな。下々よ」
「私をバカにしつつ優しいって、完全にツンデレだよね」
「どこにデレがあるんだよ。王子の義務だって言ってるだろ」
ツンと顔を背けるムスタファ。暗くて分からないけど、耳が赤くなったりしているのだろうか。
「木崎」
「何だよ」
「今日の話は大丈夫だった? 意外なことが多かったし困惑していない?」
ムスタファが私を見る。じっと、何も言わずに。
それからまた、ふいと正面を見た。
「訳わからねぇよ。情報は少ねえしどう考えていいかさっぱりだ。ああ、腹が立つ」
不満気な声。木崎は不安ではなく怒りを感じるのか。彼らしいのかもしれない。
「他に当時を知っていて、口を開いてくれそうな人っていないのかな」
「考えた限り、身近にはいねえ」
「そうか」
沈黙が降りる。
私にできることは何だろう。ファディーラ様に通じる人脈はもうないし、ゲームでの情報は元からほぼない。木崎は私の助けになってくれようとしているのに、私は何も返せないのか。
ひょいとムスタファがこちらを向いたかと思ったら顔を覗きこまれ、あまつさえ頬をつままれた。
「なにひゅんの!」
「『ひゅんの』!」
木崎は手を離したけど、くっくと笑う。
「だって深刻な顔をしてっから」
それからまた、頭をぐしゃぐしゃとした。なんなんだ、今日は異様に頭を触られる日だ。
「いや、お前ってアホだよな」
「何でよ!」
「自分の能力の範囲外を悩んでも仕方ねえだろ。俺みたいな人間ならともかく、凡人のお前にゃ悩むだけ時間のムダ」
ムスタファが、木崎のような表情で笑っている。またツンデレか。
第二のエースを捕まえて何を言う、と反論しようかと思ったけれどムスタファのニヤニヤ顔がなんだか不思議になって黙って見返した。
訳が分からないと怒っているのに、どうしてこんなにいつも通りなのだろう。公爵夫人の話を聞いていたときの彼は緊張しているように見えた。
『飲み友達』なんていう、間抜けなフォローとか。明細を確認しに来たのに、価格の適正値を確認し忘れていたとか。木崎らしくない。
彼は見た目ほど冷静ではないのではないだろうか。
怒った口調も演技かもしれない。
私だって木崎の前では意地を張っていることがある。いや、苦しいことほど黙っている。
「何だよ」
ムスタファが居心地悪そうな顔をする。
「お互いに見栄っ張りだなと思って」
「……お前と一緒にするな」
「私にもマウントとらせてよ。こっちの世界じゃ全然木崎に勝てていない」
「前世でもだろ」
王子の手は再び卓上のタンブラーに伸びる。空だったようで、自分で注いでいる。
「ヨナスにパウリーネと母親の噂を聞いた。お前、俺に話すかを迷っていたんだって?」
真面目な声音だ。まあね、と返す。
「変な気づかいはいらねえよ。何とも思わないと言ったら嘘になるけど、そんなに柔な精神もしてねえから」
「そう?」
「そ。だからお前が俺にマウント取ろうなんて百年早いんだよ」
「結論はそれか」
「その通り」
「借りは返したいんだけど」
「酒代は出世払いで構わないぞ」
なんだかなあ。やっぱり気遣いされまくっていて、むず痒い。それと同時に、何故だか淋しさを感じた。
とはいえ、せっかく噂の話題になったので、ロッテンブルクさんのことを話した。どうして直接伝えないかも含めて。
聞き終えたムスタファは、
「侍女頭は正しい」と言った。
「所詮パウリーネの侍女だ、と思う。でもお前は信じているのか」
「ロッテンブルクさんをね」
彼女はパウリーネを悪い女性でないと信じていて、それを私やムスタファ王子にも信じて欲しいと考えている。パウリーネを心底大切に思っているのだろう。
「パウリーネ妃が実際にどうだったかは知らないよ。私は主のことを信じて欲しいと望む、ロッテンブルクさんの善意を信じるの」
「お前、彼女のことを好きだな」
「うん。尊敬してる」
ふうん、と王子。「相思相愛だな。向こうは見所のある見習いと考えているもんな」
「え、そう?」
嬉しくて顔がにやける。
「喜びすぎ。そう言えば、ロッテンブルクも……。やっぱり何でもねえ」
「なにそれ! 変なところでやめないでよ。気になる!」
「何でもねえよ」
「嘘だ!」
「勘違いだよ」
「どんな!」
「いいの! お前はシュヴァルツにでも惚気てろ」
話のそらし方が雑すぎる。
何を隠しているのだ。じっとムスタファの顔を見る。
「俺の顔が国宝級だからみとれるのは分かるが、間抜け面はやめろ。笑えるから」
「国宝級はカールハインツだよ。誰が木崎にみとれるか」
「あ? じゃあキス待ち顔か?」
「バカじゃないのっ!」
「悪いが俺にも選ぶ権利があるから、諦めろ」
「こっちのセリフ!」
と、ひょいと顎を掴まれた。
「お前、本当にチョロいな」
その手を振り払う。
「掴まれる前に払えよ」
「だって木崎がそんなことするとは思わな――」
「俺だけじゃねえじゃん。綾瀬」
うっ。でも詰所の前では避けられたし。
「フェリクス」
「王子を振り払えないってば」
「カールハインツ」
それは……喜んじゃうな。
「アホ喪女! 想像だけでニヤケてるんじゃねえよ」
「喪女だから仕方ないの!」
「開き直りやがった」
木崎は引いたのか、心持ち離れた。
「そういえば相談自体はどうだったんだよ。いい解決策は出してもらえたのか」
「オイゲンさんオススメの、『時間が解決』を採用シマシタ」
「じゃ、綾瀬はあのままか」
ふうん、と木崎。
「先輩としては心配?」
「まあな。……宮本は気を持たせるようなことをするなよ」
「してない!」と断言をしてから不安になった。「私、している?」
「……迂闊に触らせんな。距離が縮まっていると勘違いするから」
「分かった。注意する」
というか、そういう自分も今夜は人の頭やら触れすぎじゃない?
まあ木崎には慣れたことなのかもしれないけど。
澄ました顔でワインを飲んでいる外見は完璧な王子をこそっと睨み、私もタンブラーに手を伸ばした。




