21・1攻めるレオン①
ベルジュロン公爵邸から戻った私たちは、ムスタファの私室で夫人から聞いた話を確認することにした。もちろんのこと、ロッテンブルクさんの許可は得ている。
とにかく予想外だったのがムスタファの母ファディーラ様と父フーラウムの結婚だ。現在の状況から、何かしらの理由で強制されたか、それに近いものだとと木崎もヨナスさんも私も考えていた。だけど実際はフーラウムがファディーラ様をどこからか連れてきて、自ら結婚を望んだようだ。
ファーディラ様が夜しか姿を見せなかったというのは、魔族の習性によるものだろう。だとするならばフーラウムは何故妻がそんな状況なのか知っていた可能性がある。
そんな話をしていたら――
「実は、人工的な明るさが好きじゃない」
木崎のムスタファが言い、 ヨナスさんがうなずいた。
「夜は最低限の明かりでないと落ち着かない。お前が来るときは普段の倍の明かりを点けていた」
「え、何で?」
「分からんが、魔族の血だからなんだろうな、やっぱり」
「そうじゃなくて、何でわざわざ明るくしていたの? まさか気遣ってくれていたの?」
「……弱味を見せたくなかったんだよっ」
初めてムスタファの私室を訪れたのは、再会してから一週間ぐらいの時だった。弱味を見せたくない、というのは分からないでもない。ヨナスさんが菩薩の笑みになっているのが引っ掛かるけど、ツッコまないでおこう。
「だけど夜目が利くわけでもないんだよね?」
そう、とムスタファ。「単純に目が魔石の光に弱いんだと思っていた」
「私は魔族だからかと考えていましたが、生活に問題はなかったので黙っていました」とヨナスさん。
「もう気遣わなくていいよ。私は薄暗いのは慣れているから」
「それもどうなんだよ」
「しょうがない、そういう階層に生まれたんだから。ステップアップしがいがあるでしょう?」
「あなたなら、侍女としてでもすぐですよ。仕事が早くて丁寧ですからね」とヨナスさん。
ありがとうございますと返す。
「とりあえず、明かりを減らそうか」
そう言って立ち上がる。窓の外は薄暗く、部屋の中には魔石による燭台がいくつも灯されている。
「ふたつ、みっつでいいぞ」
ヨナスさんも立ち上がり、消す場所を教えてくれる。
魔石の明かりを消すのは簡単だけど、魔法が使えないムスタファには不可能だ。
終えて元の席、ムスタファの向かいに座ると、表情がよく見えなくなっていた。なんだか居心地が悪いけど仕方ない。右手に座るヨナスさんの顔も同様だった。
「マリエット。ムスタファ様の隣に座ったらいい。見づらいのだろう?」ヨナスさんが言う。
「大丈夫です。話を戻しましょう。ファディーラ様の出自について知っていそうな人は、まず陛下」
「それから『当時の従者』と夫人は言っていたな。探せるかな」と木崎。
「どうでしょう。内密にとなると難しいでしょうね。でも探すなら、先代陛下の近侍もやってみます。何か知っている可能性もあります」
どきりとする。先代陛下の従者。ちょっと会ってみたい。私は両親のことを何も知らないから。せめて陛下の人となりなんかを聞いてみたい。
「良い案ですね」
控えめに推してみる。
「そうだな。その辺りの人事は侍従長なら把握しているのか?」
木崎の質問にヨナスさんがうなずきかけたとき、扉をノックする音がした。
「近衛第三部隊のトイファーです」
綾瀬だ。三人で顔を合わせる。
「お約束しましたか」とヨナスさん。
「いいや」と木崎。
許可もなしに近衛兵が王族の部屋を訪れるなんて、普通ではあり得ない。マイペースの綾瀬といえどもルールはきちんと守っている。
さっと立ち上がったヨナスさんが早足で部屋を横切り、扉を開ける。
「すみません」
姿は見えないけれどレオンの声がする。
「約束もなしに来ました。殿下とお話はできますか?」
振り返るヨナスさんにムスタファがうなずいて了承を伝える。
どうぞとの声に続いて、レオンの綾瀬が入って来た。
「何の用だ、綾瀬」
木崎が問う。
「私的な抗議です、先輩」
「抗議? 座るか?」
「ありがとうございます」
そう言ったレオンは私の隣に座った。
ヨナスさんがグラスに冷えたお茶を入れて出す。
どうもと綾瀬。
「確認ですけど、先輩は宮本先輩とは何でもないのですよね」
「当たり前だろ」と即、肯定する木崎。
「それなら誤解を生む行動は控えて下さいよ」
ああ。馬車の座席のことだろう。綾瀬はふてくされた顔でこちらを見ていたっけ。
「彼女があなたの髪係になって、あれこれ憶測が飛び交っているんですよ。そんな中で彼女の推薦人の元に出掛ければ、当然結婚の挨拶かって噂されるし、挙げ句に馬車は並んで座っているし、どう見ても『マリエットは俺の!』ってアピールしているようにしか見えません」
「……悪い」
木崎が謝った!
綾瀬もあんまり素直に謝罪されたので、驚いたようだ。
「馬車は車酔い防止のために、あの位置。前回、進行に背を向ける側に座って、そのアホは吐きそうになったんだよ。馬の揺れに慣れてねえの」
「……そうなんですか?」
とレオンが私を見る。
「うん。今までの人生で馬車に乗る機会なんて、なかったからね」
「で」と木崎。「今日の訪問の目的は、俺の母親の話を聞くこと。城の人間はみんなパウリーネに忖度して、母親のことを教えてくれねえの。あの公爵夫人は社交界と縁を切っているから、話してくれるかもって考えて会ったんだ。宮本はただの仲介」
レオンはまばたきを繰り返したあと、なるほどと呟いた。
「あなたのご母堂は生後すぐに亡くなられたのでしたっけ?」
「そう」
そっか、と頭を掻くレオン。
「うちの両親は存じ上げているかもしれませんが、忖度することは間違いないです。すみません」
「構わん。皆そうだ」
「聞くだけ聞いてみます」
「些細なことでもいいから、聞けたことは何でも教えてくれ」
「了解です」うなずく綾瀬。「だけど、それはそれ」と続けた。
長いお休みをいただき、ありがとうございます。お礼がわりのおまけ小話です。
◇楽しい飲み会◇
マリエットのお話です。
(本編には全く関係がありません。日時も不詳です。パラレルワールドぐらいのお気持ちでお読み下さい)
「正月の夢を見た」
木崎が言って、手にしたグラスをくるりと回す。赤い液体が揺れる。
ムスタファ王子の私室。夜。特に理由もなく、私と綾瀬と集まって飲んでいた。相変わらず私のグラスは少なめにしか入っていないけど、おつまみは豪華だ。
「ショウガツとは何ですか?」と私のとなりに座ったヨナスさんが小声で聞いてきた。
「新年のこと。前世では特別な行事だったの」
「餅が食いてえ」と木崎。
「醤油濃いめ、野菜たっぷりの雑煮がいいです」と綾瀬。
「俺はからみ餅。熱燗」
「え。先輩って時々、年寄りくさいですよね。そこはビールでしょ」
「うちの正月は熱燗なんだよ」
並んで座り先輩後輩でやいやい言い合っている。それを横目に、ヨナスさんに餅やら熱燗やらの説明をする。
「宮本先輩は? ビールですよね?」
「宮本は? あ、日本酒はダメだったか」
綾瀬と木崎が同時に言う。
「私はビール」
そう答えると綾瀬はよっしゃ!とガッツポーズを決めた。「意見が合いますね、僕たち」立ち上がって、私のとなりの狭い空間に無理やり座ってくる。
「綾瀬!」と木崎。
「何ですか」
「ハウス!」
「僕は犬じゃありませんー。ね、宮本先輩」
「狭いから戻って。綾瀬は図体が大きいのだから」
「嫌です。せっかくの飲みなのに、席が恣意的すぎる」
綾瀬はちらりと木崎を見る。それから、
「ヨナスさん、殿下のお隣にどうぞ」とヨナスさんの追い出しにかかる。
綾瀬はあれっぽっちのワインで酔っているのだろうか。面倒だから円卓の椅子を持ってきて、座ろう。
立ち上がろうとしたら、綾瀬にすかさず腕を取られた。
「ダメ。あなたはここです」
「絡み酒は嫌いだよ」
「酔ってないですよ。好きな子のそばにいたい、当然の気持ちですよね?」
「楽しく飲めないなら、帰れ」と木崎。
「……先輩はズルいなあ」綾瀬はそう言って、木崎のとなりに戻った。「前世のあなたは、もっとはっきりモノを言ったのに」
「言っているが?」
「どこがですか」
「ムスタファ様は本気でそう思っていると思いますよ」ヨナスさんが言う。
「え?」と綾瀬。「マジで?」
「まじって何ですか?」とヨナスさん。
「『本当』という意味です」私が答える。
うなずくヨナスさん。「ええ、マジです」
「やめてくれ、ヨナス! お前に俗語は似合わない」木崎が声を上げる。
「私もそう思う」
「マジは俗語なんですか?」とヨナスさんが照れ臭そうな顔をした。
四人でわちゃわちゃと、取り留めのない話をして盛り上がる。
と、突然、勝手に扉が開いた。驚いた私たちは硬直する。綾瀬だけは長椅子に立て掛けてある剣に手を伸ばす。
「やあやあ、楽しそうだな」
胡散臭い顔と声で入って来たのはフェリクスだった。その後ろでツェルナーさんがコメツキバッタのように、ペコペコ頭を下げている。
「失礼だぞ」と木崎。
「いやあ、楽しそうな声が聞こえたものだから、つい。仲間に入れてほしいな」
フェリクスは悪びれもせずに笑顔だ。
「お前の席はない」
「構わないよ、ここで」
大股で長椅子にやって来たフェリクスはさささっと動き……待っての一言しか言う間もなく、彼は私がいた場所に座り、私はその膝の上に乗せられていた。
「そんな恐ろしい顔をするな」とフェリクス。「冗談だ」
私の腰を押さえていた手が離れる。
慌てて逃げ出し、木崎の後ろに隠れる。その腕を取られた。木崎に。
「綾瀬、詰めろ」
はい、と従う綾瀬。
「お前はこっち」木崎に引っ張られて、そのとなりに座る。
ヨナスさんが、
「グラスをもらって来ます。この状況ではメイドを呼べませんからね」
と立ち上がる。ツェルナーさんが必死に謝りながら、二人して出ていった。
まだまだこの会は終わらないらしい。
ちらりと木崎のムスタファを見る。いつまで私の腕を握っているつもりだろう。
◇◇
フェクスの言った「恐ろしい顔」は、自分に向けられた言葉だと思っているマリエットだけど、実際は……




