20・4帰路
ムスタファと夫人の話が終わると、彼女は私を見た。
「マリエット。あなたの手紙は興味深く読んでいます」
「ありがとうございます」
「感情的にならず、日常の出来事を淡々と綴っているところが大変に宜しい」
思わぬお褒めの言葉に嬉しくなる。
「お勤めに励みなさい。応援しています」
もしやこれは表向きの関係を考えての発言ではなく、夫人の本心なのではないだろうか。そう思いたくなる温かみが声にあった。
「彼女のおかげで私は庶民生活の実態を知りました」
ムスタファがそう言い、夫人は彼に視線を転じた。
「物事を的確に判断する力を彼女は持っている。私の従者が不在のときに書記をやらせたのだが、素晴らしい仕事をしてくれた」
やめて、木崎。私を褒めるなんて、らしくないよ。むず痒いし、顔がにやけてしまうではないか。
「彼女を王宮に推薦してくれたこと、感謝します」
「光栄なお言葉ですが、感謝されるべきは私ではありませんね」
夫人のセリフにどきりとする。裏事情を何か明かすのかと思った。だけれど彼女は他の話を始めたのだった。
◇◇
会合が済み帰るために玄関ホールに向かうと、廊下の先からこっそりこちらを伺っている若いメイドがいた。
ムスタファが気づいて、
「お前に用があるのではないか。待っているから、ゆっくり話してくるといい」と言う。
礼を言い彼女に近づくと、びくりとされた。顔はこわばっている。
「あの、マリエット」やや震えた小さな声。しきりにムスタファを気にしている。「王子の寵妃になったって本当なの?」
思わずがくりとする。こんなところにまで、そんな噂が来ているのか。
「違います。殿下が近頃、庶民生活の向上をお考えになっているので、孤児院出身の私の話を聞きたがるのです。それが誤解されてしまいました」
そうなの、とメイドが少しだけほっとした顔をした。
「あのね、意地悪をしたことはごめんなさい。謝るから、許して」
メイドの視線が忙しくムスタファと私の間を動く。
そうか、彼女は私が王子の力を使って仕返しをすると思って心配しているのだ。
彼女は私が気に入らなかったようで、ちくちく嫌みを言われた。気にしていなかったけど。
そんな中で最大の『意地悪』は、コップの水を掛けられたこと。その時の彼女は怒っていて、私にも悪いところはあったから謝ろうと頭を下げたタイミングでのことだった。おかげで水は頭と顔に盛大にかかった。
彼女は胸元にかけるつもりだったのだろう。呆然としていた。
だけど私も喫驚していた。それが呼び水になって、前世の記憶を取り戻したのだ。
前世の死因となった火事で避難誘導をするとなったとき、万一に備えて少しでも水をかぶっていたほうがいいからと、同僚にペットボトルの水を掛けられていた。
頭にかかった水が、その記憶に結びついたのだ。だから彼女のこの『意地悪』は、むしろ私としては幸運だったのだ。
だからお互いに悪いところがあったということで和解した。ついでに王子云々の噂はどこから聞いたのかと尋ねた。
「出入り業者よ。王宮や他の屋敷と共通の業者って結構多いから、色んな話を持って来てくれるの」
そうなんだ。主が社交界から遠ざかっていても、使用人には世間と繋がりがあるらしい。
なぜだか急に悪寒がして、ぶるりと震えた。
◇◇
馬車に乗り込み、動きだしややもしてからムスタファのとなりに席を移した。行きの失敗を考えてのことだ。
そうでなくてもメイドと話して王子を待たせたことが、カールハインツに悪印象を与えたらしい。戻ってきたときに、悲しくなるくらい、冷たい目で見られてしまった。
だけど今は私のことじゃない。木崎のムスタファのお母様のことが先だ。予想外の話に、彼は感情を整理できていないだろう。
木崎と呼び掛けようとしたタイミングで、
「マリエット」とヨナスさんに声を掛けられた。「本当に孤児院に寄らなくていいのか」
ムスタファが私を見る。彼は恐らく気がついているのだろう。
公爵邸訪問の日が決まってすぐに木崎は、せっかくだから孤児院に寄ろうと提案をしてくれたのだが、私は断った。理由は話さなかったけど、遠慮によるものではない。
それを彼は勘づいているけど、ヨナスさんは違う。
「ありがとうございます。大丈夫です」
笑みを浮かべて、はっきりと断る。と、
「……嫌な思い出でもあるのか」
木崎にしては遠慮がちな口調で尋ねられた。
「ないよ」
普通に答えてから、これでは元ライバルの心配を払拭できないなと思う。
「……私が嫌な子供だったという黒歴史を思い出したくないから、行きたくないの」
そう告げるとムスタファは目をみはった。私が『嫌な子供だった』ということに驚いてくれたのだろうか。
私が孤児院の前で発見されたときのこと。おくるみには名前の刺繍があり、『いずれ迎えにくる』との手紙と大金が添えられていた。
それを小さい頃にスタッフから教えられていた私は、いつかお母さんが来てくれるのだと信じて疑わなかった。
そんな私は、自分は捨てられたのではなくて預けられたのだ、と考えていた。『いつかお母さんが来たとき、恥ずかしくないように』と思って読み書きを一生懸命に覚えたし、良い子供でいようと努力した。周りの子供にも優しくして、スタッフからの信頼も得ていた。だけど。
『いつか迎えが来る私』は捨てられた他の子たちとは違うのだ、という思いも強かった。それを普段口にすることはなかったけど、他の子とケンカしたときや年上の子供にいじめられたときは、ついつい言ってしまっていた。
当然、そんな私は敬遠される。
孤児院にいたときの私に、友達はいなかった。
同年代の子たちが院を卒業し始めたころに一度、そんな考えは下火になったのだけど、やや格式あるレストランの給仕の仕事が決まったことで、私はまた、やっぱり他の子と違うと思い始めた。
挙げ句に国王の落とし胤だなんて告げられたときは、勘違いの度合いは最高になった。
出生の秘密を抜かして打ち明けると、ムスタファは何とも言えない表情になった。呆れただろうか。
それはそうか。すごくアホな子供だもん。
それでもゲームではヒロインをこなしていたのだから、上辺は取りつくろえていたのだと思う。ちょっと失敗したのが、先ほどのメイドだ。彼女には、私の選民思想が態度で出てしまったのだ。
「そんなの、お前みたいな境遇ならよくあることじゃね?」
木崎の口調がして、はっと我にかえった。
「親がいない子供よりいる子供のほうが幸せとか、そんな考えが蔓延している限りは、普通に考えちまうだろ。ましてお前は子供だったんだし。だけど親がいれば幸せってのは、幻想。フーラウムを見てみろよ。俺の親、あのワケわからない浮気者だぞ。ろくに息子に向き合うこともしない」
畳み掛けられる言葉。顔はムスタファなのに、調子は完全に木崎だ。
私がフォローしようと思っていたのに、逆にフォローされてしまった。
「育ちなんかで仕事が限定されるのも、良くねえよ。ま、見てろ。今の俺には木崎の記憶がある。営業力プレゼン力を最大限に活かして、いずれ現状を変えてやる」
「……よっ。第一営業部エース!」
「お前も協力しろよ」
「うん」
ヨナスさんを見て、
「腹が立つけど、彼には結構な実力があったんですよ」
と、声をかける。前世の話には加われないから、淋しいだろう。するとヨナスさんはにこりとした。
「今のあなたはこんなに気遣いができる」
「前世の記憶がよみがえったことが良かったんです。おかげで目が覚めました」
「どうだか。シュヴァルツと結婚するとか言ってる時点で、夢見すぎだろ」
すかさず悪口を挟んでくる木崎。
「混ぜっかえすな!」
ハハと笑うムスタファは元気そうだ。
「俺のほうは疑問が増えるばかりだし、とりあえず父親にもう一度、突撃してみるかな。何でもいいから、情報を引き出したい」
そうだねとうなずいて、それから先ほどのメイドとのやり取りを思い出した。
私の間違った噂が社交を絶っている公爵邸にまで届いていること、出入り業者が噂を運んでいること。それをふたりに伝えると木崎は、
「すげえな。まあ、口コミは重要だけど、この世界じゃまさしく『口』だけでの伝播だろ?あなどれねえな」と言う。
それからまた木崎が孤児院時代について尋ねてきた。私は今まで話題に出すことを避けていた反動が来て、城に到着するまで思いっきり語り尽くしたのだった。
扉が開き、馬車を降りる。辺りはすっかり夕方の淡い光に照らされていて、そんな中に一台の別の馬車があった。
誰か出かけるのだろうかと思いながら、ムスタファが付き添った近衛隊に労う言葉を掛けているのを聞いていると、ざわめきが近付いてきた。
それは若い三人の令嬢令息とバルナバス、フェリクスだった。楽しそうにはしゃいでいる。
こちらに気付いたチャラ王子はムスタファに、一緒に出かけるかと誘い、私にはウインクをして賑やかに去っていった。
「……案ずる必要はなかったな」
誘いを言下に断ったムスタファは、ぼそりと言った。その顔は不快そうな表情だった。
お読み下さり、ありがとうございます。
年内、お休み
年明け6日から再開
予定です。




