20・3ムスタファの母と父②
◇ベルジュロン公爵夫人の話◇
パウリーネ・ベーデガーの母親は出自が不確かな平民で、しかも国に属さない魔術師です。
当時のベーデガー家は、数代前の当主による事業の失敗から立ち直れておらず、財政は火の車、焦りからなのか領地経営も民のことを考えない愚策続きで、民衆の蜂起がいつ起きても仕方ない状況でした。
ですからパウリーネの父、ベンノが怪しげな娘と結婚したのは、彼女の魔術で民衆から身を守るためとも、錬金術で金稼ぎをするためとも噂されていました。
そのような状況ですからベーデガー家は社交界に居場所はありませんでした。当然パウリーネの縁談もまとまりません。
そこで彼女は王宮に侍女として上がったのです。
彼女はあの通り見目は大変に良いので、そこを買われて結婚が決まることを目論んでいたのでしょう。
侍女見習いとして王宮に上がったパウリーネは、すぐにファディーラ様の専属になりました。結婚から半年ほど後だったと記憶しています。
心無い者は平民同士でお似合いだなんて揶揄しましたが、実際のところ貴族社会に居場所の無い者同士ということで馬が合ったようですね。すぐにふたりは主従の域を越えた気のおけない間柄となったといいます。
◇◇
「母とパウリーネは仲が良かったのですか!」
ムスタファが前のめりになって尋ねる。
「ええ。あまり人前に出てくることのないふたりでしたが、ファディーラ様がいるところには必ずパウリーネが控えていて、ふたりの間には笑いが絶えないという話でしたし、私もその様子を何度か見かけました」
ムスタファが振り向いてヨナスさんを見る。複雑な表情だ。ヨナスさんのほうも戸惑った顔をしている。
◇ベルジュロン公爵夫人の話◇
妻と親しいパウリーネを、フーラウムも信頼していたようです。その様子を見ていたマルスランも同様です。
やがてファディーラ様はご懐妊なさいました。フーラウムはたいそう喜び、早いうちから安産祈願をしたり乳母を募集したりと浮かれておりました。
といっても兄王のお子たちに早世する者が多く、妃も末子の出産で亡くなったばかりだったので、安産祈願は当然のことだったかもしれませんね。
そうしてフーラウムとファディーラ様は幸せな日々を送っていたのですが、産み月が近づくにつれ、フーラウムの様子がおかしくなっていったのです。
そうしてついには、
「ファディーラはとんでもない悪人であった。すっかり騙されていた。離婚する」
と騒ぎ始めたのです。それまで共にしていた寝室も分け、妻に一切会おうとしません。ファディーラ様には思い当たる節が全くないとのことで臨月の大きなお腹を抱えて、夫に会おうと城内をさ迷うようになりました。
兄王のマルスランも弟の豹変の理由が分からず困惑しておりましたし、パウリーネは原因を知らないまま、ふたりの仲をなんとかとりもとうと必死になっておりました。
そんなパウリーネをフーラウムは健気だ、愛おしいと言い出す始末。間もなくファディーラ様は美しい赤子をお産みになりましたが、失意が深かったのでしょう。一週間ほどのちに、ベッドで誰にも看取られずにお亡くなりになっているのが見つかりました。
医師の診断によると、産後の肥立ちが悪かったことによる衰弱死ということでした。
◇◇
「そうそう。『ムスタファ』というお名前はまだ仲の良かったころに、夫婦で相談してお決めになったそうですよ」
公爵夫人がやや表情を緩めた。
「生まれた子が女の子でしたら『ファーティマ』だったとか」
斜め後ろから見えるムスタファは、沈んでいるように思える。
となりに行ってあげたい。
◇ベルジュロン公爵夫人の話◇
ファディーラ様の葬儀が済んですぐに、フーラウムはパウリーネと結婚すると言い出しました。ムスタファには母親が必要だからと主張していましたが彼女に夢中であることは明らかで、さすがのマルスランも許可しませんでした。
ところがふた月もしないうちに弟の強情さに根負けして、許可を出したのです。それまでパウリーネは乗り気ではないようだったのですが、許可が降りたとたんにふたりは結婚し、仲睦まじいおしどり夫婦となったのです。
当然すぐに、パウリーネがファディーラ様から夫を略奪したのだという噂が立ちました。中にはパウリーネが魔術師の母譲りのおかしな魔法で、フーラウムを魅了したのではないか、なんて話もあったくらいです。
実際に魔法府が調査に乗り出したそうですが、パウリーネは一般的な魔力しか持たないので不可能だと結論づいたそうです。
これによりフーラウムが、パウリーネの無実が証明された、根拠のない噂で妻を貶めた人間には不敬罪を適用すると騒ぎ始めたのです。不敬罪なんてものは我が国にはありませんから兄王に制定を迫り、端から見ていてもフーラウムは以前とはまるで別人、はっきり申すと異常としか言い様のない様子でした。
そこに諫言したのが、ファディーラ様を養女に迎え入れた侯爵です。
ですがフーラウムは逆上し、妻と私を侮辱するのかと侯爵を詰り罵声を浴びせ、最後には
「お前のような不敬な人間は呪われろ!」
と叫んだそうです。
その翌週に侯爵一家が乗った馬車が事故を起こし、全員亡くなりました。
さすがにフーラウムも衝撃を受けたようで葬儀のときに、不用意な言葉を吐いて申し訳なかったと号泣しておりました。
それからというもの、フーラウムとパウリーネを怒らせると死に至ると言われるようになりました。
時期を同じくして、私の夫と子供が流行り病で亡くなったものですから、私が知っているのはここまでとなります。
◇◇
語り終えた夫人は卓上のカップを手に取り、お茶をこくりと上品に飲んだ。
「こんなに喋ったのは、久しぶりです」
「……ありがとう、ございます」
ムスタファが礼を言う。だけどやはり声も沈んでいるようだ。
「思うところは、色々とおありでしょう」と公爵夫人。「ただ、これは殿下のご両親の過去にしか過ぎず、あなたにはあなたの現在と未来があります。どちらに重きを置くべきか、お分かりになりますね」
分かります、とうなずくムスタファ。
「しかし故あって、私は母のルーツを知らねばならないのです。一体どこから来たのか、そしてどのようにして父と知り合ったのか」
なるほどと答えた夫人は目をつむり、しばし沈黙した。
ややあってから目を開いた彼女は、
「知る者がいるとすれば、やはりフーラウムとパウリーネでしょう。ファディーラ様が親しくしていたのは、他にいません。当時のフーラウムの従者もとうに辞めているはずですし、彼に友人はいませんでした。侯爵家は存続していますが、平民になっていた遠縁が継いだので事情は知らないでしょう」
ムスタファがうなずく。ヨナスさんがそちらにはかつて問い合わせたが何も分からなかったと、先日話していた。
「力になれずに申し訳ありません」と夫人。
「とんでもない。貴重なお話、大変にありがたく拝聴させていただきました」
「他にお聞きになりたいことは?」
ムスタファは少し考えてから
「母の魔力がどうだったか、お分かりになりますか」と尋ねた。
ふたたび目をつむる夫人。
しばらくして、
「……記憶にありません」と答えた。「ただ、彼女には美貌以外に取り柄がないと嘲笑する者がいましたから、一般より優れていたという可能性は低いのではないでしょうか」
だけれどファディーラが嘲笑を敢えて受け入れ、その実、魔族としての力を隠していたということもありうるだろう。
結局、ムスタファの母君は、よく分からない人だということが改めて分かっただけであった。




