18・〔幕間〕第一王子は心配症
第一王子ムスタファのお話です。
「これですね」
ヨナスの言葉に無言でうなずく。目の前にあるのは大理石の彫刻だ。青空のもと、長い槍を手にした男が堂々たる姿で天を見上げている。城の外周で他に槍を持った像はない。
石製の槍に人が刺さるのか。細さから見たら、折れそうに思える。
だが俺の疑問はどうでもいい。ゲームではこれに刺さるのだ。宮本が。
「で? これがどうした」
そう尋ねたとなりの男、フェリクスを見る。
「お前の出番だ」
「どういうことだ」
「破壊してくれ。再生不可能なぐらいに頼む」
「破壊!?」
フェリクスが大仰に驚く。
「説明をしろ、きちんと」
「それはですね」とヨナスが言う。「ムスタファ様が悪夢を見たのです。ご自分が原因でマリエットが窓から突き落とされて、あの槍に刺さるのを。正夢になるのが怖くて、像を破壊することにしたのです」
「……色々と言いたいことがあるが、そもそも許可はとってあるのか?」
「いいや」
俺が答えるとフェリクスは
「やれやれ」とわざとらしく言った。「こんなものを勝手に破壊したら怒られる」
「分かっているが、許可が下りるはずがない」
「そんなことに私を巻き込もうとは、どういう了見だ」
「魔術師ではクビになるから頼めない。お前ならせいぜいが母国に強制送還」
「そんなことになったら、王子をクビになる」
王子をクビ? フェリクスの国では王子とは職業だっただろうか。
「王子の資質なしと見なされるということです」すかさずツェルナーが言う。「今ですら、ないではないか、というご指摘はご遠慮下さい」
「おい」とフェリクス。
「先に言われた」と俺。
やっぱり主従漫才にしか見えないふたりだ。
「ムスタファ。君はマリエットのことになると、いつも必死だな」
フェリクスが鼻につく顔をしている。
「……そんなことはない」
「プライドを捨てて私に頼んでくる君のために、協力してやりたい気持ちはある。だが、再生不可能とまでなると、私には無理だ」
「お前の魔術レベルは高いのではないのか?」
フェリクスが行った鏡の魔法を聞いたヒュッポネンが、素晴らしいと大絶賛していたのだ。
「確かに私の魔術レベルは高い。だが得意なのは治癒と技術系。パワー系は不得意なのだ」とフェリクス。「破壊するだけならできるが、上級魔術師なら再生できるレベルにしか壊せない」
「そうなのか」
てっきり何でも得意なのだと思いこんでいた。常に自信に溢れているからだろう。
「お前に不得手なものがあるのか」
「喜ぶな」
「今は喜べない」
「正直な奴だな」
「どうするかな」
腕を組んで像を見上げる。槍だけ壊すか。だが不安は残る。
「パワー系ならバルナバスだろう」フェリクスが言う。
それは知っている。バルナバスは魔法を使った戦闘に非常に優れている。その力は相当凄まじいらしい。
「彼なら跡形もなく粉砕できると思う。とはいえ君はバルナバスと親しくはない」
ヨナスが大きく頷く。
「この像を破壊した場合」フェリクスが続ける。「上級魔術師ならば、魔法の痕跡をたどって犯人を見つけることができる」
「そんな術もあるのか?」
「少なくともうちの国の魔術師はできるぞ。だから夜闇にまぎれて破壊したとしても、私が犯人だと知られる可能性が高い。そこで私からの提案だ」
そう言ったフェリクスはニヤリとした。
「像の性質を変える。見た目は変わらないから、犯人捜しをされることもない」
ツェルナーが小さく感嘆の声を上げている。
「性質を変えるというのは?」
「これは大理石だ」フェリクスが拳で像の足を叩く。コツンと固い音がした。「この台座以外を粘土の性質にする。見た目は変わらない。だが衝撃を受けたらつぶれる。マリエットが落ちてきても刺さらない。どうだ?」
「そんなことが出来るのですか」とヨナス。
粘土、か。
俺も像に触れてみる。冷たく固い。
粘土ならば大丈夫なのか。
俺のルートが選択されることはないから、杞憂に過ぎないと分かっているのに不安が晴れない。宮本はもう二度も理不尽な目に遭っている。二度あることは三度ある、という。
「ムスタファ様。フェリクス殿下の案は良い方策です」
とヨナス。そうだ。確かにそれが最善なのだ。
他国の王子であるフェリクスに、立場を悪くしかねないことを依頼しているのだから、彼にとってリスクの低いものを選ぶべきだろう。
彼を見る。
「それを頼めるか。礼はする」
「引き受けた。目立たないよう夜中にやろう」また笑みを浮かべるフェリクス。「礼は、マリエットとの夜の裏庭デートに私を参加させてくれればいい」
「また、あなたは!」ツェルナーが主をパシリと叩く。
「ひどいぞツェルナー!」
「……デートではない。だが、了解した」
ツェルナーがまた主を叩く。フェリクスが分かったと答えて従者を手で払った。
「『了解』という顔ではないぞ、ムスタファ。君が健気すぎるから、すっかり私が悪者だ。デートの参加は諦める」
「勝手に勘違いをするな。誰も彼もがひとの話を聞かない」
全く呆れるばかりだと思いながらヨナスを見ると、ヨナスはフェリクスに向かってジェスチャーの激しい欧米人かのように首を竦めて両腕を広げるポーズをしていた。
おまけ小話◇異国の王子は三度叱られる◇
(異国のチャラ王子、フェリクスの話です)
ムスタファから彫刻を破壊してほしいという驚きの依頼を引き受けて部屋に戻ると、さっそくツェルナーの叱責が飛んだ。
「だ・か・ら! どうしてあなたは手の内を軽々しく明かすのですか。物質の性質をまるきり別のものに変えるなんて魔法は秘中の秘、しかもあなたが使えるのはトップシークレットですよね!」
「うるさいぞ。怒ってばかりいると健康に良くない」
「ならば私を怒らせないで下さい!」
「仕方ないだろう。私は破壊は得意ではないし、ムスタファはバルナバスが得意ではない。第一あんな奇妙な話では、バルナバスは引き受けない」
「あなたも断ればいい!」
「本気でそう思うか? ムスタファが真剣に不安を感じているのは、見て分かっただろう?」
ツェルナーは口を強く引き結んで押し黙った。
「悪夢なんて馬鹿馬鹿しい。だがあの冷静なヨナスが主を止めなかったのだ。悪夢は口実で、何か具体的な危惧があると考えるべきだ」
「……思い至りませんでした」
「まだまだだな、ツェルナー」
「申し訳ありません」
うむ。こういうところは、素直で良い奴だ。
「ですがそれはそれ。あなたが危険を冒す必要はないでしょう。本当に王子の資質なしとみなされますよ」
「だがなあ」
人形のように生気のなかったムスタファが、目まぐるしい勢いで変わっていく。何にも執着していなかったのに、マリエットのために必死になっている。
興味深いというか、手助けしたくなるというか。
「いいじゃないか。困るのは私だ。お前もとばっちりを受けるかもしれないが、次の職の斡旋ぐらいはするから心配するな」
「……あなたは、バカです」
「バカ!? 私は主だぞ」
「あなたの留学の同行を、誰もが拒んだ気持ちがよぉく分かります」
思わず声を出して笑う。
「ツェルナーは災難だったな。私には幸運だったが」
「……そんなことを言っても、私は懐柔されません」
「分かっている。構わぬ、今日もフェリクスは愚かだったと報告すればよい。だがその前に魔術の準備を頼む」
「……かしこまりました」
はあっとため息をつくツェルナー。
ふと、『言うことをきかないあなたの、魔術の準備などしません』と反抗すればいいのにと思い、ツェルナーのお人好し具合に楽しくなった。




