18・4二人きり
「……ヨナス。予想外だった」ムスタファがぽつりと言った。
「そうだね。まさかムスタファの血筋を知っているなんて思わなかった」と私。
それどころか、詳しい魔族の歴史まで。
「俺が覚醒する一因。さっき聞かされた話もあるだろうな」
「そうだね」
胸が痛くなる話だった。魔族も、ムスタファのお母様も。
「前世だったら、俺、絶滅危惧種だぜ? 魔族の最後のひとりだもんな。レッドリストに載っちまう」と木崎。
いつものふざけた口調。だけど私は涙がこぼれそうになった。必死にふんばる。
「残酷すぎる」
「犀の密猟の写真を見たことがある。角を採るために頭をばっさりだ」
そこで話を切った木崎は、押し黙った。
目はどこか遠くを見ている。
「……狩る側からしたら、自分と同じ生き物とは思っていないんだろうな。俺は自分を人間だと思っているし、魔族に何の思い入れもないけど、魔王として覚醒する気持ちが初めて理解できた」
もちろん、したいとは微塵にも思わないがと、彼は付け足した。
「だけど母親も、予想以上に気の毒だったみたいだし」
胸が、また痛む。
木崎はプライドが高いヤツだ。私に気遣われるなんて、イヤだろう。そのことは十分に知っているけど、でも――
「お母様のこと、調べてみよう」思いきって言う。
ゲームだと彼女の死の真相をムスタファは知る。つまりどこかには、それを知る人物が存在しているのだ。彼女のことを詳しく知っている可能性だってある。
「本当は気になるのでしょう? どんな人だったのかとか、自分のことを大切に思ってくれていたのかとか。だって私も平気なふりをしているけど、本当は自分のお母さんのこと、すごく知りたい」
ムスタファの紫色の瞳が私を見ている。
「前は関わらないほうがいいって言っちゃったけど、撤回する。調べたぐらいで木崎は魔王化しない。絶対。だから、調べよう」
しばらく私をじっと見ていたムスタファは、
「平気なふりをしているんだ」
と言った。カッと顔に熱が集まる。
「そうだよ。私、ずっといつかお母さんが迎えに来てくれるって信じていた。だって手紙にそう書いてあったもん。だけど十四歳を越えて同い年の子がみんな孤児院からいなくなって、初めて迎えは来ないかもしれないと不安になった。それから今まで人前では平気なふりをしてきたよ」
込み上げる苦い思いを飲み込む。
「私のことは、いいから。あなたのお母様の話」
ムスタファが腕を上げた。
と思ったら、抱き寄せられた。
「木崎!?」
背中を優しくポンポンされる。
「淋しいな」声まで優しい。
「……うん」
私は素直に答えた。
「俺も淋しかった。ずっと。パウリーネに愛されているバルナバスが羨ましくてしょうがなかった。なんで俺の母親はいないんだって思っていたよ。ヨナスに会って、淋しさは和らいだけど」
「うん」
私も背中に手を回して、ポンポンした。
だけどムスタファはすぐに離れた。
「よし。俺とお前の母親、どちらについても調べよう」
「う……」
うんと答えかけて、それはまずいのではと気がついた。私が侍女になった本当の理由は口外してはならない約束だ。
調べるならば木崎にきちんと話したい。話すならば後援者の承諾を得るべきだろう。
「宮本?」
私を不思議そうに見ているムスタファ。
「あ、ええと」
まずはロッテンブルクさんに話して、後援者に連絡を取ってもらわないといけない。表向きに繋がりのある公爵夫人にも話すべきだろうか。あの老齢のご夫人がどこまで関わっているのか、判然とはしないのだけど、一応……。
「あ」
と思わず、声が出た。
「私を侍女に推薦してくれた公爵夫人。あの人はパウリーネ様に忖度しないかもしれない」
老齢の公爵夫人。二十年ほど前に夫とひとり息子を流行り病で立て続けに亡くして以来、社交界から遠ざかっていると聞いている。だから私の件に協力してもらうのにちょうど良いのだと、子爵が話していた。
私のことは抜きにして説明をすると、木崎は
「そうだ。ヨナスも社交界に出ていないからどんな夫人なのか、誰も知らないと話していた」
「ん? それはいつ?」
「……お前の身上書を見たとき。悪い」
「別に、怒ってないよ」
夫人は表向きは推薦人であるから、定期的に手紙を送っている。私が新しい仕事を覚えたとか侍女頭に褒められたとか、私の近況の良いことだけを書いている。返事は来ないけど、読んでくれてはいるらしい。一度だけ執事から、夫人が楽しみにしているようだから、今の頻度で手紙を頼むと連絡が来た。
「連絡してみる。少し時間はかかると思うけど」
「頼む。お前の母親は、どこから手につけるかな。まずは孤児院の職員に聞き取りか?」
「わ……私のお母さんは後でいい。私はそんなに自由時間ないし。まずはムスタファのお母様のことに時間を使おう」
ムスタファの顔が明らかに不満気になった。
「自由時間か。お前が俺の専属になればいいのか?」
「いや、それは――」
ふうと王子はため息をついた。
「分かってる。シュヴァルツ攻略にはマイナスだから、やらねえよ」
それに、と言って木崎は更に大きなため息をついた。
「さっきの、お前が俺の子を、って言いがかり。絶対にパウリーネのせい」
「へ?」
思わぬ言葉に素っ頓狂な声が出た。木崎が小さく笑う。
「あいつ、完全に勘違いしてる上に、ひとの話を聞かねえ。お前がカミソリでケガをしただろ? あの犯人に、マリエットは俺の大切な娘だから手出しするなと言ったらしい」
何それ!
彼女たちが私を睨む目を思い出す。あれはもしかして、妬みも含まれているの?
「しかもパウリーネ、俺にマリエットは俺の愛人だと宣言したほうがいいなんて勧めた。俺が女に興味を持ったと安堵しているとかで、完全に浮かれている。だから言いがかりの元凶は彼女に違いない」
確かにあの、のんびりほのぼのパウリーネなら良かれと思って悪気なく余計なことをしそうだ。それに孤児風情が王子にまとわりつくなと怒ることはなさそうだし、むしろ、
「あら。お幸せにね」
と言いそうな雰囲気はある。とは言え、愛人宣言だなんて。
「……ご理解のあるお義母様だねとしか、フォローが思い付かない」
「必要ねえ。時間の確保はヨナスと考える。そういえば、あいつ遅いな」
そうだねと答えながら立ち上がり、元の椅子に座り直した。
……木崎は女の子を抱き寄せるのなんて慣れているだろう。でも私は違う。単純に励ましてくれただけと分かっていても、なんというか、恥ずかしい。私も背中に手を回しちゃったし。
手を握りしめたのも、心配だったからものすごく勇気をふりしぼってやったんだけど。やっぱり、恥ずかしい。
ヨナスさん、早く戻って来ないかな。
するとタイミングよく扉が開き、大きな銀の盆を持ったヨナスが帰ってきた。
「お待たせしました。お茶を飲んで落ち着きましょう」
その安心感のある声にほっとした。




