16・〔幕間〕第一王子と異国の王子の密談
第一王子ムスタファの話です。
フェリクスの部屋へ行くとチャラ王子はうさんくさい笑みを浮かべて、
「昨夜ぶり」と言った。
いつもの従者が隅で茶をいれている。
そういえば以前ここで宮本たちとポーカーをやらされた時に彼はいなかった。もしかしたらあれは珍しいことだったのだろうか。それとも単純に男女同数にしたかったのか。
頭の片隅でそんなことを考えながら挨拶をし、勧められた椅子には座らずフェリクスの目を見た。
「犯人を特定してくれたにも関わらず、このような結果になって申し訳ない」
きっちり斜め45度に頭を下げる。
「……腹立たしいこと極まりない」とフェリクス。だが口調は軽い。「だが代わりに貴重なものが見られたからよしとしてやる。頭を上げろ、ムスタファ」
顔を上げフェリクスを見ると彼は笑みを浮かべていたが、普段の軽薄なものとは違う笑みだった。
「座ってくれ。納得できていないのはお互い様だろう」
卓を挟んで向かいに座る。すかさず出される茶。
「気分を落ち着かせる効果のあるハーブティーだ」
湯気のたったカップから、未知の香りが漂ってくる。
「……怪しさしか感じられない」
「ほら、やっぱり」と従者がぼそりと呟く。
フェリクスは彼を見た。
「だが気が立っているときはこれが一番だし、我らが月の王は案外沸点が低いのだぞ」
「信用されていないのに、こんなものを出しても嫌がられるだけですよ」
そう言った従者は取りかえましょうとカップに手を伸ばした。それを手で制す。
「いや、構わない。飲まなければ毒か薬かの判断がつかないからな」
「やはり君は変わったな。以前ならば何も言わずに口をつけなかったのではないか」
フェリクスが真顔で言う。もしかしたら試されたのだろうか。だが気にすることではない。
カップを手にして口に運ぶ。その琥珀色の液体は匂いよりはまろやかな口当たりだった。
「君はきっと怒り心頭でやってくると考えたのだ」とフェリクス。「ただ、僅かに予想は外れたな。目的は怒りの共有だと思ったが、実際は冷静な謝罪だった」
俺の前世は享年三十歳のエリート社員だ。必要ならば真摯に謝ることぐらいできる。
「私には分からないが、昨晩の魔術はかなり大変なものだったそうではないか」
「まあな。だがあれは私が勝手にやったことだ。犯人に必ず罰をとの約束を交わして行ったことではないから、文句は言えない」
そう言ったフェリクスはやおら背もたれに寄りかかり、足を組むと尊大な顔付きで俺を指差した。
「君が今、考えていることを当ててやろう。第一王子であるのに、望んだ犯人の処罰を蔑ろにされて、自分の力のなさに苛立ちと屈辱を感じている」
違うかと、煽り表情のフェリクス。
図星だった。
外野に様々な意見があろうとも俺は第一王子で、一応はそれなりの扱いを受けてきた。だがそれは張りぼてだったのだ。パウリーネは俺の意見よりも娘たちの我が儘を重んじ、近衛も侍従長たちも従った。
「だが」とフェリクスの表情が変わる。「軽んじられたのはムスタファだけでない。私もだ」
「……だから謝罪に来た」
「分かっている。君にそんな判断力があったのかと驚いているところだ」
「失礼な男だ」
だが木崎の記憶がない頃の俺ならば、そんなことは考えなかったかもしれない。他人に興味がなく、何事も素通りして済ませていた。
「とにかく、母が軽挙ですまない」
「『軽挙』か」
フェリクスはそう言って、自分も怪しげな香りのハーブティーを飲んだ。そのカップを静かに置いた彼は、やはり静かな眼差しで俺を見た。
「人嫌いの君と違って私は多くの人間と接してきた。その経験から言うと、彼女には用心したほうがいい」
「殿下!」従者が慌てた様子で口を挟む。「他国の身分ある方を……」
「黙れ、ツェルナー」
ピシャリ、とフェリクスが命ずる。
「ムスタファ。これは真面目な忠告だ。ついでにもうひとつ言うと、もし私の親友がカールハインツ・シュヴァルツに惚れたならば、全力で目を覚まさせる。再度になるが、真面目な忠告だ」
それからフェリクスは軽薄に見える笑みを浮かべた。まるで『真面目な忠告』という言葉を取り消すかのように。
「私が君だったなら、マリエットにはレオン・トイファーを薦める。あれは良い結婚相手だ」
「レオンは良い奴ではある」
「そこは分かっているのか」
そう言ったフェリクスを従者が険しい目で見ている。が、俺の視線に気づいてこちらを見ると、
「主の失礼な発言をお許し下さい」とかしこまった。
「失礼とは思っていない。正直なところ、彼女は苦手だ」
「苦手? 嫌いではなくてか?」フェリクスが尋ねる。
「好きではないが、嫌うほどではない。そもそも嫌うほどの交流をしていない。だが生理的にダメだ」
ふうんと言ったフェリクスは、
「何故だろう。ちなみに私は母が嫌いだ。継母ではなく実の母だがな」と言って笑った。「こちらに来たおかげであの顔を見なくて済んでいるから、毎日が薔薇色だ」
「薔薇色過ぎて遊び呆けているのだから」とすかさず従者が小声でぼやく。
「ツェルナー! 聞こえているぞ」
「それは失礼いたしました」
「奥に控えていろ」
主に叱られて、従者は続き部屋に消えた。
「彼とは長い付き合いなのか? 掛け合いが阿吽の呼吸だ」
「掛け合いではないし、付き合いも長くない。ええと……」宙を見上げて思案するフェリクス「……でも三年にはなるか」
チャラ王子の話では、彼が交換留学生になることは早いうちから決まっていたのだが、仕えていた者たちはみな同行を嫌がった。そこで我が国に大使として暮らしたことのある侯爵の二男坊を召し上げたのだそうだ。
「ということは彼は以前も我が国に住んでいたのか」
「三歳のころな」
「……『暮らしたことのある』のくだりは必要か?」
「口実だからな。私は大変に優秀だが扱いづらいことで有名でな。国を出て自由になった私なぞ御しきれないと、皆逃げた。ツェルナーは野心がなかったらしく、領地にこもりきりで私のことをよく知らないようだった。だから父に目をつけられてババを引かされたのだ」
「やはりお前は国でも問題児だったのか」
「聞いていたか? 『大変に優秀』と言ったぞ」
「『扱いづらい』しか聞こえなかったな」
「随分と都合の良い耳だ。私に何もかも負けているのがそれほど悔しいか」
ぐっと、口を引き結ぶ。気づかれていたらしい。
「更には君の友人マリエットも、いずれ私になびく」
「ないね」
ニヤリとするフェリクス。
「良いことを教えてやろう。君は『あり得ない』と信じていたいだけだ」
「私を分析できるほど、お前は私と親しいのか?」
「以前よりは親しくなっている」
それは確かだ。むしろヨナス、宮本、綾瀬を除けば一番よく会話をする相手と言える。
「新しい友人よ、午後の予定は?」フェリクスはこちらの考えを読んだのか、調子に乗る。「魔術師も近衛もみな忙しくしている。もしや予定がなくなり暇なのではないか?」
「……お前、私のスケジュールも押さえているのか? ナチュラルに気持ち悪いぞ」
俺のことまで調べているのかと、引いてしまう。
「友人が多いから、何でも耳に入るだけと言っているだろう? 自分で考えている以上に、君は注目の的だぞ。それよりも午後に空きがあるなら、共に剣の稽古でもしないか」
「お前がそんな勤勉だとはおかしい」
「この国に来てそろそろ二年だ。新鮮味がほしい」
「私に求めるな」
ひと月前の屈辱がよみがえる。あれから猛練習をしているが、まだ彼の足元にも及んでいない。体力だってそうだ。
だがここ二日、全く稽古をしていない。明日もきっとできないだろう。プライドを守りたいが、そのためには我慢も必要だ。
「夕方は出かける。早い時間ならば構わない」
「外出はどこへ?」
「土木工学の学会」
道路整備や治水、上下水道などの各専門家が集まって最新技術について知識交換をする場らしい。
地道に開拓した人脈で開催を知り、招待も受けた。
「面白そうだ。私も行けるか?」
「ヨナスの代わりで構わなければな。主宰者に連絡をしておく」
「やった!」
フェリクスはくだけた言葉を発して笑みを浮かべた。素直に嬉しそうだ。
実のところヨナスの代わりに宮本を書記として同行させたかったのだが、晩餐もある会だ。侍女見習いを同席させたら、またひと騒ぎ起きてしまいそうだ。
……頭が花畑のパウリーネの言う通りに愛人宣言をしたら、連れ歩いても問題はないだろうか。性格が合わなくても、あいつのスキルは信頼しているのだ。
だがそれはカールハインツ攻略の妨げになるだろう。
「では午後は剣の稽古で、夕方からは外出だ」とフェリクス。
ふと心配になる。
「バルナバスをほったらかしになる。いいのか、親友なのだろう?」
近頃のフェリクスは俺といることが増えている。だが彼が一番親しいのは、俺とは微妙な仲のバルナバスだ。
「問題ない。彼とも遊んでいる。それに彼とて友人は多い。ムスタファ、可愛い心配をしてくれてありがとう」
「お前も一言多いな」
「『も』とは?」
「さあな」
さて、と立ち上がる。
「帰る。午後までに終わらせたいことがある」
「昼食も一緒にとるか?」
だがフェリクスの昼食はいつも、バルナバスや友人たちと共にしているはずだ。
どう考えても面倒くさい。
「断る」
「可愛い娘もいるぞ」
「興味ないね」
その時どういうきっかけなのか、ふと宮本の話していた攻略対象のステイタスを思い出した。
「フェリクス。真面目な話だ」
と、彼を真似て静かに語り掛けた。
「女性の好みのタイプは?」
チャラ王子がきょとんとした顔でまばたきをする。
「真面目な話なんだ」
すると彼もまた静かな表情になった。
「信頼し合える女性だよ」
心臓が大きく脈打った。宮本が見たステイタスと同じ答えだ。
「そうか。ありがとう」
礼を言って去り掛けて。もうひとつ思いついて、足を止めた。
「バルナバスの好みは知っているか?」
問うたとたんに、フェリクスが苦笑する。これはもしや、
「胸の大きい女か?」とステイタスにあった通りに尋ねてみる。
「何で知っているんだ!?」
いつもすかした顔をした奴が目を見開いて驚愕の表情だ。
だがこっちも驚きすぎて、鼓動が早い。
つまり宮本が見たステイタスは間違いではなかったのだ。
となると……
どういうことだ?
おまけ小話◇異国の王子はまたまた叱られる◇
(異国のチャラ王子、フェリクスの話です)
ムスタファが帰り、彼の前にあったカップを見る。空だ。怪しみながらも飲み干した訳だ。
案外、豪気な男だ。
「ツェルナー!」
大きめな声を出して、隣室の従者を呼ぶ。すぐに呆れ顔の彼がやってくる。
「なぜわざわざ叫ぶのです。いつもの魔法でよいでしょう」
「叫びたい気分だったのだ」
「子供ではあるまいし」
「新しい茶を入れろ。私の好きなものを」
ムスタファに出した茶は、香りが好きではなかった。だがきっと腸が煮えくりかえる思いでいる彼には、あの茶が必要だと思ったのだ。
「その前に、殿下」
従者が重苦しい顔と声をしている。
「小言ならば聞かないぞ」
「どうしてあのような軽率な発言をされるのですか」
聞かないと言っているのに、ツェルナーは構わず叱る。
「昨晩の魔術ですでに、かなりの大問題なんですよ」
この国で、私の魔術の実力をあまり見せてはならないと、父王に釘を刺されているのだ。それと軽率な発言も。
「嫌いな両親より、愛しい女、可愛い友人を優先したいと思って何が悪い」
「私はきちんと報告しますからね」
「それがお前の義務だから構わないぞ」
彼が口をつぐんだとしても、他の者から報告がいくのだ。それならば隠しだてしないほうがツェルナーの身のためだ。
「……いずれは帰国するのですよ。ちゃんと方針に則って行動しないと、あなたが困ることになります」
「お前は惚れた女が大怪我を負わされても腹が立たないのか? 昨晩のムスタファのあの焦燥した顔を見ても、何も思わないのか? だとしたら、お前には心がないのだな」
私に対抗心を持っているムスタファが、マリエットを助けてくれと必死に頼みこんできたのだ。出来ることは何でもしたいという気になるのは自然なことではないか。
「私はあなたを心配しているのですよ」
「それはありがたい。だが無用だ。私は私のやりたいようにやるのだ」
ツェルナーは諦めたのか、これみよがしに盛大なため息をついてカップを手に取った。
「すぐにお淹れします」
「ああ。自分の分も淹れるといい」
「……あなたは良いところもあるのですがねえ」
はあっ、とツェルナーはまたわざとらしくため息をついて私に背を向けた。
全くもって生意気な従者だ。




