16・〔幕間〕第一王子と継母
第一王子ムスタファの話。
マリエットがパウリーネのお猫様の世話をしていた頃合いの出来事。
両親のシュリンゲンジーフ訪問の煽りを受けて、予定していた近衛総隊長との稽古がなくなった。仕方がないので魔法府から借りた古い本を円卓の上に広げている。
少し前にへルマンが下がり、私室には自分のみ。窓の外は穏やかな天気で、埃とシミと虫食いにまみれた本を読むよりもひとっ走りに行きたい気分だが、それはもう夜明け前に済ませたので我慢して古語で書かれた読みにくい書物に目を落とす。
魔法府の建物には、広くはないが整理しきれていないせいで迷宮のような趣の書庫がある。その存在を知ったのはつい最近で、ヒュッポネンとの何気ない会話からだった。
魔術に関して現在最高の知識があるという古老でも、魔力ゼロの人間を魔法が使えるようにする術を知らない。ならば自分で探すまでだと、書庫の中から何百年と動かされた形跡のない書物を借りてきては手がかりを探している。
どうにかして魔王化なしで魔力を使えるようになりたい。
昨晩のフェリクスは凄かった。あのような魔術を見るのは初めてだ。侍従長に尋ねてみたが彼も初見とのことで、ただ、魔方陣の複雑さや呪文の長さから、相当に難易度が高いものだと考えられると話していた。
あんなにチャラくて飄々としているのに、剣も魔術も一級の腕前。悔しいがあいつの足元にも及ばない。
「殿下」
掛けられた声にはっとして顔を上げた。部屋を出ていったはずのへルマンが戻ってきている。
「パウリーネ妃殿下がこちらにいらっしゃるそうです。よろしいでしょうか?」
「義母が? 何用だ?」
分かりかねますとへルマン。
あの女は昔から苦手だ。何故なのか分からないが、そばにいられると臓腑が落ち着かないというか、おかしな塩梅になる。俺をきちんと第一王子として扱ってくれていて、継母的嫌がらせを受けたこともないのに。
恐らくは、父の寵愛を受けていることが許せないのだと思う。
とはいえそんな理由は子供すぎて惨めだ。
「お待ちしていますと伝えろ」
そう侍従に答え、本を閉じた。古い魔術書を調べているところを見られたくない。腹違いの弟であるバルナバスもフェリクスに匹敵する、いやそれ以上に強大な魔力の持ち主だ。魔力なしの俺とは大違い。同じ父親を持つのに。
立ち上がり本を寝室に隠す。
とはいってもヒュッポネンに頻繁に会っているし、魔術書の持ち出しは貸出名簿に記名が必要だから、俺が魔力開発にやっきになっていることは城中の者が知っているのだが。
別の本を手に取って居室に戻り長椅子に座ると、それを開く。以前の俺が好きだった詩集だ。どうして俺はこんなにも違う人間に転生したのだろう。
それでも今でも心地よく感じる美しい韻律の詩を読んでいると、すぐにパウリーネと若い侍女がやってきた。
向かいの椅子を勧め、
「お邪魔をしてごめんなさいね」と笑顔を浮かべている継母を観察する。
そう言えば木崎の記憶を取り戻したときに、彼女の見た目の若さに仰天したのだった。美魔女にもほどがある、と。だけどこの世界はゲームの世界だから、きっと彼女の容姿はそういう設定なのだろうと納得した。
それに彼女が夫に愛され続けるために、特製美容液をせっせと使ってアンチエイジングをしていることは、城内で有名のようだった。健気ではある。
「御用件は何でしょうか」
やはり腹の奥がぞわぞわするがそれが顔に出ないよう苦労しながら、なるたけ通常の声を出す。今日はヨナス不在だ、フォローをしてくれる者はいない。
「侍女見習いマリエットに昨晩起こったことを聞きました」
予期せぬ名前に、警戒をする。嫌な予感がした。
「ふたりの侍女は、彼女があれほどのケガをするとは思わなかったそうよ。マリエットのケガはフェリクス王子が完治させてくれたとのことで、問題はなし。だから彼女たちを咎めることはしません」
「は? 問題はない? あんな悪質なことが?」
思わず強く責めると、彼女はわずかに目を見開いたが、
「侍女たちのいさかいなんてよくあることよ。あなたが知らないだけで」
と言ってうふふと笑った。
怒りよりも先に、背中がぞわりとした。
「あの子たちはね、王女たちにとっては大切な侍女よ。いなくなると困るの。あなたもヨナスが辞めたら困るでしょう? それと同じ」
「品性の悪い犯罪者の侍女に娘を任せて良いのですか?」
「まあ」
パウリーネは何が楽しいのか、コロコロ笑う。
「ムスタファさんがこんなに女性を愛するなんてねえ」
「は!?」
脈絡なく、頭が沸いているとしか思えないことを言い放った女は付き添いの侍女と顔を見合わせて、ニヤニヤ顔だ。
「とんでもない誤解です」
「いいのよ、遠慮をしないで」
まるで会話が噛み合っていない。
「安心なさい。あの侍女たちにはちゃんと、マリエットはムスタファさんの大切な娘だから、二度と意地悪をしないようにとキツク言ったわ」笑顔を崩さないパウリーネ。
「ですから、そうではなくて――」
「ああ、心配なのね。だけど杞憂よ。侍女との恋愛を邪魔するような母ではないわ。マリエットの出自では正式な妻にはできないけれど、愛人なら大丈夫。むしろ応援するわ」ねえ、と侍女と頷きあう王妃。「ずっと心配をしていたのよ。あなたは人付き合いを嫌って、女性も近づけない。尊い血を継ぐ者をつくることがあなたの義務なのに」
うふふと笑う女は、
「いいのよ、愛人宣言をして。その方が彼女に余計な虫もつかないでしょう」と嬉しそうだ。
「……だから違うと言ってます」
「そんなことを言っていると他の男にとられちゃうわよ。フェリクス王子や若い近衛も彼女を狙っているのでしょ? 恥ずかしがっていないで、さっさと自分のものだと主張したほうがいいわ」
どうやら彼女は俺の話を聞く気は全くないらしい。脳味噌がスポンジなのだろう。
結局パウリーネはひとりで盛り上がり、事件のことは真剣に考えないまま帰って行った。一応フェリクスにも手間をかけさせた詫びはしたと話していたが、あの女にとっては些細なことらしい。
怒りと気持ち悪さが腹の中で渦巻いている。
と、静かに控えていたへルマンが、
「昨晩、何かあったのですか」と尋ねてきた。
隠すこともないだろうと、全てを話す。
「なるほど、それは酷い。ともかくもフェリクス殿下が治癒魔法を施して下さって、ようございましたね」
そう言ったへルマンは、
「お茶をいれましょう」と続けた。「お腹立ちは分かりますが、パウリーネ様自身、侍女から成り上がった方ですからね。カミソリぐらい日常茶飯事と考えているのかもしれません」
「侍女? 彼女が?」
「あっ」
驚いて尋ね返すとへルマンは、しまったという顔をして固まった。
「義母も侍女をしていたのか?」
「はい。人づてに聞いただけですけど」
侍女から王妃か。そしてあれだけの寵愛を一身に受けている。
なんとなしに胸の奥が痛む。顔も知らない母は、父とどんな仲だったのだろうか。
「だから!」とへルマンが明るい声を上げた。「マリエットだって有力貴族の養子に入れば、正妻になれるかもしれませんよ。うん、そうだ、きっと!」
ひとりで納得したあげくに、意味ありげにニヤリと笑みを浮かべる侍従。
「……彼女とはそんな仲ではない」
「何を仰っているのですか。散々ラブラブなところを見せつけておきながら」
確かに昨日、宮本の口にさくらんぼを放り込んだところを見られたなと思い返しながら、
「なにをして『ラブラブ』と言うのだ?」とわざとらしくすっとぼけてみた。
人嫌いで通っている俺だ。このトボケで行けるのではないかと賭けてみる。
と、
「え」とへルマンは絶句した。「まさか素でアレなのですか?」
意味が分からないという風に首をかしげてみる。
「なんてことだ! ダメですよ、殿下、百人の女がいたら百人とも勘違いしちゃうレベルのラブラブっぷりですよ」
全く、とぶつぶつ言うへルマン。
どうやら誤魔化せたらしい。俺はどんな男と思われているのだと、微妙に複雑な気分だ。
まあ、いい。
「茶はいらない。フェリクスの元に行く」
するとへルマンはすぐに侍従の顔に戻り、確認して参りますと慇懃に答えたのだった。




