11・〔幕間〕ふたりの王子
異国のチャラ王子、フェリクスのお話です。
薄暗い廊下。待つことなくマリエットの部屋からムスタファが出てきた。すぐには動かない。恐らく鍵がかけられる音を確認しているのだろう。相当に彼女を心配しているようだ。
彼は顔を私たちに向けた。
「趣味が悪いな。女の部屋を監視だなんて」冷ややかな声。
「君を待っていたのだ」
「私が本当に出てくるか、か?」
「疑ってはいない。君たちの間が男女のそれでないのは確かだ。雰囲気で分かる。単純にふたりで話したい」
ムスタファは
「話すことなどないと思うが」と言いながら、私たちの前を通りすぎた。
「そうつれなくするな」
彼のとなりに並び歩む。
「マリエットを心配する同士ではあるだろう」
ちらりと寄越される視線。
「治癒は礼を言う」
「保護者気取りだな」
「そんなものではない」
「付き合いは長いのか」
「あれ以上は答えないと言った」
「とりつく島もないな」
ムスタファは片手にタンブラーを持っている。ということはつまり、他の菓子や水筒は部屋に置いてきたのだ。自分の分だけを持ち帰って。
以前のムスタファならきっと全てを残しただろう。むしろ他人を見舞うという考えさえなかったのではないだろうか。
何が原因で変わったのだかは知らないが、マリエットが特別な存在であるのは確かに違いない。
「ひとつ気になるのだが、君はやけに私を警戒している」
「当然だ。彼女を詮索しまわっている。何が目的なのか知らないが、気味が悪い」
「だから好きな相手の――」
「そんな戯言はいらん」
ムスタファは私を信じていないらしい。振り返るとツェルナーが
「普段の言動のせいですよ」と肩をすくめた。
「それで」と私は話題を変えることにした。「あの下衆野郎の単独犯のようだな。裏がなくて良かった」
ピタリとムスタファが足を止めた。
「裏? 裏とはなんだ。単独犯?」
その顔は強ばり、何も知らないようだった。
「以前ヨナスを動かしたのはきみではなかったのか?」
「ヨナス? 何のことか、さっぱり分からない」
ツェルナーを見る。だが彼も困惑したように首を左右に振った。
「分かるように説明をしろ」
月の王が険しい表情をしている。
「……ここを過ぎてからだ」
侍女の部屋が並んでいるところでする話ではない。ムスタファも察したのか、黙って頷いた。
その区画を出てしばらく進んだところで小さな部屋に入った。ツェルナーが燭台のひとつに明かりをともす。
ムスタファはマントルピースに寄りかかり、
「それで?」と促した。
「マリエットが他の侍女たちからいじめを受けている。知っているか」
顔を強ばらせるムスタファ。
「……知らない。酷いのか」
「今は以前ほどではない。中立派もいるし、マリエットは他の侍女が嫌う仕事も率先してやるから、味方も増えてはいる」
「『以前』と言ったな」
「あれだけ話題になったのに、何も知らないことが驚きだ」
有名なひと騒動、マリエットの朝食に死んだカエルが入れられていた件を、彼女が機転をきかせて大事にはしなかったことも含めて説明をした。
「それはいつのことだ」問うムスタファは、声まで固い。
「彼女が王宮に来て二週間ほどのことでした」とツェルナー。
「その晩、君の部屋がある廊下でヨナスと共にいるマリエットに会った。彼女は手紙を運んでいた」
言葉を切るとムスタファは何やら考えているかのようだった。
「その後すぐに、侍従から青年貴族まで『孤児の侍女は気に食わないが、だからといって酷いいじめをする侍女は恐ろしいから妻にしたくない』という論調が広がった。うちのツェルナーの見立てでは、それを仕掛けたのはヨナスだ。てっきり君の指示だと思っていた」
シュヴァルツが『惑わしている』発言をしたあとにその人物がムスタファとの考えに到ったのは、この件が大きい。
「……ヨナスは彼女が私の友人だと知っている。それで動いたのだろう」
「主に黙ってか?」
「どうせあいつがいじめのことを私に知らせるなと口止めしたのだ」
ムスタファは苛立たしげに髪をかき上げた。
「他には? カエルだけか?」
「衣服を裂かれた。が、こちらはロッテンブルクがおさめたようだ。双方のおかげで派手ないじめは起きなくなった」
「派手な、ね」
怒りを含んだ口調だ。
「実力行使ができないぶん、近頃いじめグループの悪意がたまっているようだった。だから下衆野郎と彼女たちに繋がりがあるのではと考えたが、ないようだ」
「確かか?」
「近衛とロッテンブルクが確認している」
私の言葉に従者がうなずく。
「近衛?」ムスタファが聞き返す。
「カエルの件がシュヴァルツの耳に入り、あの隊長は風紀の見地から時おりマリエットに状況確認をしている。だから今回もすぐに疑って調べたようだ」
「……そう。シュヴァルツが」
「詳しい調査はレオン・トイファーの仕事のようですが、今回は当事者になったので別の隊員でした」とツェルナーが付け加える。
「レオン? あいつも知っているのか?」
そうだと答えると、ムスタファは明らかに不満げに眉間にしわを寄せた。
そういえば先ほど、マリエットのランキングで自分よりレオン・トイファーが上位であることに彼は文句をつけていた。テオ・ロッテンブルクは気にしなかったのに。
ふたりが恋仲ではないからといって、それが全てではないだろう。
「とにかく裏がなかったのは、良かった。あの下衆はしばらく王宮には来れまい」
「……情報提供を感謝する」
ムスタファはそう言うと、踵を返そうとした。
「待て。教えてやったのだ、こちらの質問にもひとつ答えてもらおう」
するとムスタファはこちらを再び向いたけれど、心底嫌そうな表情だった。
「君は私をマリエットに近づけたくないようだが、シュヴァルツはいいのか?」
「いいのか、とは?」
「あれは良い男ではないぞ。マリエットには諦めさせたほうがいい」
「お前よりはマシだ」
「何を言う。私のほうがよほどまともだ」
「『まとも』の意味を辞書で引け」とムスタファ。「それにあいつがシュヴァルツがいいと言っている。気持ち悪く詮索しまわるお前とは違う」
ツェルナーがほれみたことか、という顔で私を見ている。嫌味な奴だ。
「それで君はいいのか?」
ムスタファが意味が分からないとでも言いたそうな顔をしている。
「マリエットが選ぶ男がシュヴァルツでいいのか?」
きちんと言い直してやる。
「いいも何も。私が口出しすることではないだろう」
「……なるほど」
ではとムスタファは今度こそ踵を返し私も止めなかったが、彼は数歩で足を止めて振り返った。
「……明日も、よろしく頼む」
「無論だとも」
そう答えると、今度こそムスタファは去った。
その言動で『友人』と言い張られてもな、とツェルナーにこぼした。




