11・4チャラ王子
ムスタファは音もなく立ち上がると、扉の脇、蝶番側に潜んだ。私を見てうなずく。
「今、開けます」フェリクスに呼び掛け、タオルを顔に当てて足早に部屋を横切り扉を細く開けた。
そこにいたのは確かにフェリクスで、後ろには従者がいた。
「見舞いに来たぞ、マリエット。中に入れてくれるか」
チャラ王子は笑みを浮かべているが、何を考えているかは分からない。
「申し訳ありませんが――」
「ムスタファは良くて私はダメなのか」
息を飲む。囁くような声だった。だが確実にムスタファと聞こえた。
「中にいるのだろう?」とフェリクス。
と、脇から引っ張られたかと思うと、木崎が私の前に立っていた。
「何の用だ」
ムスタファとは思えない、地を這うような声だった。
「だから見舞いだ」とフェリクス。「君が良くて私が駄目な理由があるのか? それとも君たちは『そういう』仲なのか」
「違うが断る」
「そもそも何故、君に阻まれなければならないのだ。納得できない。やはりムスタファは惑わされているのか? シュヴァルツに報告するか?」
ムスタファは振り向いて私を見た。どうするかと問う目に見えたけど、私が返事をする前に扉を開いてフェリクスだけを招き入れた。
チャラ王子は扉が閉まるのを確認すると、私に向かって
「本当に見舞いに来たのだ」と言った。「今回は怖い思いをしたな。可哀想に」
「ご心配をかけて申し訳――」
フェリクスの手が私の顔に向けて伸びてきた。体が勝手に強ばる。
「おいっ!」
木崎が小さく声を上げて、その手を払った。
「君はマリエットの騎士なのか」とフェリクスは第一王子を睨んだ。が、すぐに「だが今のは私が悪かった。すまない」と私に謝った。「マリエット。顔を見せろ。私は治癒ができる。痛みを抑えてやる」
木崎を見る。
「お前がそんなことができるとは聞いていないが」とかつてのライバルが代弁してくれた。
「話していないからな。魔力を膨大に使う治癒をしてやりたい相手なぞ今まではいなかった」
「治して何を要求する?」と木崎。
「何も要求などしない。が、そうだな」とフェリクスは目をベッドに向けた。「お茶会に参加はさせてもらおうか」
「要求しているじゃないか」とムスタファ。
だけど私を見て、
「フェリクスの魔力が強力なのは事実だ。条件がそれだけならば治してもらったほうがいい」と勧めた。
「今夜は痛みを取るだけだけどな。きちんと治すのは明日だ。でないといつどこで私と共にいたのだと詮索されるだろう? 私は一向に構わないけどね」
「そういうことを言うから、信用されないのだ」
肩をすくめるフェリクス。
「治していいか、マリエット」
そう尋ねてくれた声に、いつもの軽薄さはないようだった。
「お願いします」
ありがたく好意を受け取らせていただこう。頭を下げると、
「ちょっと違うな」とフェリクスは言った。「感謝してくれるのは嬉しいが、私が治したいのだ。君が痛々しいのは、私が辛い」
その声もやはり普段の調子ではなく、優しく聞こえた。
「タオルを外せるか」
木崎がさりげなく目を逸らしている。
本当に、いつからこんなひとになったのだろうと思いながらタオルを外した。
フェリクスの手が左頬に添えられる。
温かい。そう感じた次の瞬間手から何かが流れ込んでくるのが分かった。
長く感じたけれど、多分数十秒ほどだったのではないだろうか。
「今夜はここまで」とフェリクスは手を離した。「どうだ?」
「痛くないです!」
「そうだろう」
すごい。違和感は残っているけど、全然ちがう。
「そこに腰掛けて足もみせてみろ」
足。この世界では他人に見せるものではない。女性は常にくるぶし丈のスカートで隠している。
「いいから座れ」そう言ったのは木崎だった。「こいつはただの医師。気にするな」
「うん……」
なんというか、そうじゃない気がする。足をフェリクスに触られることよりがイヤというよりも……。
もやもやしつつもベッドに腰掛けると、私の前にフェリクスはひざまずいた。王子なのに。それからどちらの足かと聞いて頬と同じように手を当てた。
こちらもすぐに温かくなり、痛みが引く。
「どちらも応急処置だから、明日の朝にマリエットを私室に呼ぶ。ちゃんと来るのだぞ」とフェリクス。そして立ち上がると「君も来ていいぞ。私の素晴らしい魔力を見せてやろう」とムスタファに向けて言った。
「殿下、ありがとうございます」
「ああ。これで私の株がまた上がったな」
「こうやっていつも女をたらしこんでいるのだろう」とムスタファ。
なんだかんだふたりは言い合いながらもムスタファが真ん中になって三人でベッドに並んで座った。
「楽しそうなことをしているな」とフェリクスが円卓の菓子に手を伸ばす。
「他人の見舞い品を食べるのか」とムスタファ。
「君は魔力がゼロだから分からないだろうが、治癒はひどく消耗するのだぞ。ひとつくらい、構わないだろう?」
フェリクスの言葉に木崎が苛立ったのが、表情で分かった。どうしてフェリクスは他人を煽るようなことを言うのだろう。
しかも返事を待たずに菓子を食べるチャラ王子。
「それでふたりの関係は何なのだ」
「説明したくない」と木崎。
「ムスタファ。どうして私を嫌う」
自分の胸に手を当ててみたらと言ってやりたい。
「いっとき私に寛容になったのに」とフェリクスは続けた。
「そんな覚えはない」とムスタファ。
「だけれどすぐにまた君はそんな態度に戻った。マリエットが現れてからだ」
フェリクスが身を乗り出して私を見た。
「恋仲ではないのか?」
「ちがいます」
「だがこんな日に部屋に招き入れている。普通ならば恋仲だと考える」
「お前は常に発情期だからそんな考えしか浮かばないのだ」とムスタファが言う。
「君は黙っていろ。私はマリエットに尋ねている」
ピシャリとそう言ったフェリクスは、
「もうひとつ質問だ。君は何故、ムスタファを『キザキ』と呼んでいるのだ?」
そう尋ね、私と木崎は再び息を飲んだのだった。




