7・2 本命来た
ゲーム開始から4日目の朝。パウリーネの花を受け取りに庭師の小屋へ向かった。
この仕事は他の侍女見習いが担当しているけれど、その見習いが今朝方、腹痛で動けないと、隣の部屋の私に這いずって助けを求めに来たのだ。その関係で私が受け取ることになった。
前回は庭でムスタファに出会ったなと、辺りを気にしながら歩いたけれど姿はなかった。
近頃は綾瀬が持ってきたラダーを部屋でやっているらしい。ヨナスもすっかり気に入って、三人でドタバタ楽しんでいる、と彼から聞いた。
私も混ざりたいと思ったけれど、第一王子に無用に近づいて周囲に知られたときの反応が怖いので、諦めた。
そのムスタファとは、ゲームとしての出会いはまだだ。残っているのは彼とカールハインツだけ。
人気のない小路をたどって、庭師の作業小屋に着く。
小屋といっても孤児院育ちの私からすれば立派な家屋で道具や肥料が置いてある。更には住んでいる人もいる。パウリーネ専用庭師のベレノだ。彼女があまりに花好きだから、専任者がいるらしい。
庭師頭は別にいるけれど、ベレノが住み込みだから道具などの管理も任されていると聞いている。中年でのっそりした雰囲気のおじさんだけれど、この地域では育ちにくい植物でも花を咲かすことのできる、凄腕庭師らしい。
「おはようございます」
扉を開けたところは作業部屋なので、ノックはいらないと言われている。だからなんの心構えもなく開けて中に入ろうとして、硬直した。
カールハインツがいたのだ!
彼は鋭い目で私を見ている。
「何の用だい」と庭師。
「パウリーネ妃殿下のお花を受け取りに参りました」
「……いつもの娘は?」
「体調不良です」
「なるほどね」庭師は困った顔をして頭をかいた。「彼女はいつももう少し遅いから、まだ準備が終わっていない。待っててくれ」
はいとうなずく。
「ならば」とカールハインツは庭師に声をかける。「今朝も変わりはなし、だな」
「ええ、はい」と庭師。
どうやら巡回の途中のようだ。
こっそりみつめるがステータスが出ない。
と、彼はまた私を見た。変わらず鋭い目。
「すみません、割り込んでしまって」
謝りの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぴこん!と電子音がした。
宙にあらわれるステータス。
好感度、ゼロ。
親密度、ゼロ……。
ハートはひとつもない。
ひとつくらいは、いや、あわよくばそれぞれにひとつはあるかもと期待していたのに。
地味にショックだ。確かにろくな会話はしていない。けれど顔を合わせるたびに、声掛けはされている。あれはやはり近衛の義務でしかなかったのだ。
いや、義務だとしても、親密度のひとつくらい……。
カールハインツが振り返り、頭上を見る。
しまった、バーを凝視しすぎてしまった。
それらはまだ消えていない。顔の横のものを見ると、好きな言葉は【磨穿鉄硯】とあった。ゲーム通りだ。物事を達成するまで強い意志で頑張るといった意味だったはずだ。
ステータスが消える。
再び私を見たカールハインツは不審そうな表情だ。が、私は素知らぬふりを通すことに決めた。ショックで良い切り抜け方法が浮かびそうにない。
「何かいたのか?」とカールハインツ。
「いえ?」
何のことか分からない風を装う。
「何か見ていなかったか?」
「いいえ。申し訳ありません、私の態度におかしなところがあったでしょうか」
しおらしく頭を下げる。
カールハインツは納得していないようだったが、追及は諦めたようだ。
「最近、身辺の状況は」
「問題ありません」
小さな意地悪は変わらず受けているけれど、告げるほどではない。
それに気づいているのかいないのか、カールハインツは感情のない目で私を見ていたけれど、突如手を伸ばしてきた。
「髪にゴミがついている」
と言いながら、指先が軽く額に触れる。
「取れた。……どうかしたか?」
心臓がバクバクしている。顔も熱い。
どうもしないと答える声も、もしかしたら普段通りではないかもしれない。
「では」
とカールハインツが小屋を出ていく。
だってだってだって!
こんなのはゲーム序盤にはない。何しろツンしかないクールなキャラだ。ルートに入ってそれなりに経たないと、こんなご褒美展開は起こらないのだ。
完全に油断していた。
あのカールハインツに触れられるなんて。
だけど。ハートがゼロの彼なのだから、ゴミを取ってくれたのは好意ではなくて、きちんとした性格ゆえのはずだ。
髪にゴミがついているなんて、侍女失格と思われなかっただろうか。
というか朝、ちゃんと鏡でチェックはしたから、ここに来るまでについたのだろう。なんて運が悪いのだ。
嬉しいハプニングだけど嬉しくない。複雑な気分だ。
「マリエット」
「はい!」
掛けられた声に驚いて、必要以上に元気よく返事をしてしまった。
「用意できた」と庭師が切り花が入ったかごを作業台に置いた。
「ありがとうございます」
「シュヴァルツ隊長が庭巡回だと、必ず様子を尋ねに来るんだよ。真面目すぎんだ」
言外に迷惑と言っているような顔だ。
「近衛の方々は真面目でいてくれるほうが安心できますけど、それが必要ないくらいには平和だというところでしょうか」
「そういうこと」と庭師は大きくうなずく。
「では確かに」かごを手にする。
「ところでどうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ」
庭師の言葉にぎくりとする。顔が熱いとは思ったが、赤面しているらしい。カールハインツは気づいただろうか。いや、有能な近衛の目をごまかせるはずがない。
「隊長に惚れてんのか」と庭師。「やめときな、あの人は小娘なんかにゃ興味はない」
知ってる。それをがんばって私を見てくれるようにするのだから。
庭師にぺこりと頭を下げて小屋を出た。
好感度も親密度もゼロなうえに、ゲーム開始早々に彼を好きなことまでバレてしまった。近づいてくる女性を迷惑に思っているのだから、私の印象は悪くなってしまっただろう。
ちゃんと挽回しなければ。
ああ、でもリアルなカールハインツの威力は絶大だな。かっこよすぎて接近戦は自分を保てる自信がない。
異性に免疫のない自分が恨めしい。
木崎にこのことを話したら、あいつはお腹を抱えて笑いそうだ。絶対に言わない。うまくスタートを切ったとしらを切ろう。




